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Dear My Friend

第七話「一緒にいると思ってた?」

 シャープペンの走る音が教室内に詰まっている。あゆむは耳の右から左へすり抜けさせながら目の前の問題を解いていく。すでに似たような問題を解いていることから、あまり考えなくてもすぐに解答への道に入り、答えを書いていく。まるで作業のようだが、それでも起点となる部分は自分で考える。けして無味乾燥というわけではない。

(あと、十分か)

 シャープペンが最後の文字を書き終えて、あゆむは解答欄がすべて埋まった答案用紙全体を視界に入れた。頭から内容を見直す必要はない。一つ一つ、落ち着いて吟味した結果の解答であり、見直せば逆に「もしかしたら」という気持ちが働いて間違った解答に直してしまうかもしれない。だから今は名前や解答欄の誤りがないかだけを確認する。五分もかければ終わり、あゆむは解答用紙を裏返して、その上に突っ伏した。

(長かったなぁ……疲れた)

 五時限目の時間を使ったテスト。学力テストの期間を一通り終えて、最後の時間で配られる正答を見ながら答え合わせ。次の日に解説から入るという流れだ。
 三年生で集まってバドミントンをしてから二週間。あゆむは遠目から見かける以外に仲間達と会うことがなかった。避けているわけではないのに、タイミングが合わない偶然に思わず笑ってしまうほど。朝比奈や遊佐とも勉強をすることはなくなり、ひたすら自分のために机に向かい続けた。その結果がこの時間の余裕まで現れている。

(これで後は年越しして……本番まで一直線、かな)

 今後の予定を思い返すと、新年があけて一週間もすれば最後の学力テスト。そしてそこから一ヶ月後には遂に本番。各高校に出向いての受験となる。思い返せば短いと思える受験勉強の期間。しかし、一日一日はやけに長い。一つ一つ階段を上っていく実感がある。

(これくらいできれば、きっと大丈夫かな)

 あゆむの中にある自信。満点は無理でもかなり高得点をとれると考えていた。バドミントンをしていた時よりもはっきりとした結果が出てくるだろうと。自分が成長しても相手もまた成長するスポーツだと、自分が強くなっているのかが相対的になってよく分からない。しかし、テストは絶対的なもので、あるボーダーをクリアするかどうかだ。自分は高校に合格できる。その意志を強く持つ。
 その一方で、心の中に空いた穴にまた風が吹いた。

(見直したら、もしかしたらって、思う、かぁ)

 先ほどテストを見直した時の考えが浮かぶ。それはテストだけではなく全てではないか。胸に穴が空いているのは寂しさのため。そして寂しさは朝比奈や遊佐と離れることが寂しいから。離れることが寂しいことの理由もあるのだろうが、そこまでくるといろいろと雑音が混じる。しかし、寂しい理由というのはどうでもいいのかもしれない。

(最初に寂しいって思ったのが、それなら、きっと、そう……なの?)

 シンプルに考えようとしてもまた別の考えが挟まれてしまい、あゆむは思わずうなり声をあげそうになった。声を発するという時になって、チャイムが鳴る。一斉に生徒達が答案用紙から離れて息を吐いた。
 一瞬で騒がしくなる教室の中、担任が後ろから用紙を回すように指示する。席が一番後ろだったあゆむは答案を前に渡して背伸びをした。それまで考えていたこともあっさりと頭の中からこぼれていった。
 休憩の間も机に突っ伏して体力の回復をはかる。周りではクラスメイトがテストについて盛り上がっていた。できなかったと落胆する声やできたと輝いている声。どちらも語尾に一つの山場が終わったことでの安堵が感じられた。

(今日は、部活行ってみようかな)

 周りと同じように山場を越えたことで気が楽になったのか。しばらく動かしていない体を久しぶりに使いたくなった。体育の授業で使っているジャージとTシャツは机の隣に置いてある。ラケットは後輩に借りればすむはず。区切りに体を動かしてすっきりして次へのステップにしよう。
 そう思ったところで教室の扉が開き、担任が入ってきた。

「席につけー。これから解答配るから問題用紙にメモした解答と照らしあわせるように」

 担任の声と共に体を起こす。背伸びをして体のこりをまたほぐし、自己採点へと入った。

 * * *

「ちょっと、男子。ちゃんと掃除してよ」
「へいへい」

 どこかで聞いたようなやりとりを耳にしつつ、あゆむは床のゴミを教室の前方から後方へと箒で押しやり、下げていた机を前に出し始める。動かしやすいように椅子を反対にして机の上に乗せているために椅子の足が肩にぶつかる。ただでさえ、引き出しの中に教科書が入って重たくなっている机もあるのにと不快感は募る。しかし、いつもよりは早く霧散していた。

(全科目九十点くらい。かなりいけるでしょ)

 あゆむは自己採点の結果に緩みそうになる顔を保つのに必死だった。今までのテストでも自己最高得点。本番まであともう少しという状況で取ったことは受験に向けて勢いづかせるには十分。学力だけで見れば志望校には楽々受かる。残りは内申書だが、美術と体育が3以外は5をとれているため、こちらもほぼ問題がない。

(美緒はどうだったかな)

 自分の結果が一安心となると友達のことが気になるのが性。おそらく美緒もテストが終わったということでバドミントンをしに部活に顔を出すだろうと予想して、改めて行こうと決意する。同じくテストを終えてだらけている男子を押し退けるようにテキパキと掃除をこなし、ゴミを捨てに行くとして他のメンツに先に帰っててもいいと告げて教室から出た。

(さーてと……んん?)

 共通のゴミ捨て場へとゴミ箱を持っていく途中。自分の前を歩いているセーラー服の後姿に見覚えがあり、あゆむは駆け足で後を追う。自分と同じようにゴミ箱を持ってゆったりと歩くその後姿。髪型も含めて間違いないと更に足を早める。途中で階段を下りていったために、最終的に追いついたのはゴミ捨て場の前だった。

「やっほ。美緒」
「あ。あゆだ」

 朝比奈はダストシュートの扉を開きつつ、あゆむへと顔を向ける。一瞬だけ目を離してゴミ箱を立てて中のゴミをダストシュートへ放り込みつつ口を開く。

「テスト疲れたよ、本当に。あゆはどうだった?」
「大分よかったよ」
「へぇ。あゆがそう言うならかなりいいよね」

 ゴミ箱を振って中身を全て出し切ると、あゆむへと場所を空ける。礼を言ってあゆむも同じようにゴミを全てダストシュートへと放り込んだ。全て入れた後で口を閉じ、息をつく。

「はぁ。ここってなんか変な臭いするよね」
「ゴミだし、仕方がないよ」

 その会話の通り、臭いから逃げるようにして二人は空になって軽くなったゴミ箱を持ちながら歩きだした。

「美緒こそどうだったの? いつしか私からも羽ばたいて勉強するようになったけど」
「私、雛鳥なの? んー、なんとかなったよ」

 朝比奈の嬉しそうな声にあゆむはほっとする。ほとんど勉強に関わらなくなっていても、朝比奈の学力が推薦先のそれに到達しているかどうかは気になっていたのだ。

「ランクは必要なのよりギリギリ二つ上だったんだ。だから実際のテストで点数悪くなっても二つは下がらないだろうし。でも今よりも、もっと上を目指してがんばる」
「そこでキープって思わないところが美緒らしいよね」
「現状維持しようと思ったら斜め上目指さないと駄目なんだよ」

 朝比奈はゴミ箱を軽く膝で蹴りながら歩いていく。リズミカルに音を立てて跳ねるゴミ箱に視線を合わせている自分に気づいて、意図して視線を上げる。
 真っ直ぐ見るためには斜め上を見なければいけない。朝比奈の言うとおりになっている。

(現状維持、か)

 階段を上って三年の教室が並ぶ廊下に出る。朝比奈の後ろ姿を眺めながらゆっくりと歩くと、ぼんやりとした壁があゆむには見えた。
 ぼんやりと、まるで霧のように朝比奈とあゆむの間に存在する壁。揺らめいていてもあゆむには弾力がある壁と思える。触れてさえいないのにそう思うのは、あゆむ自身が作り出した錯覚だと分かっているから。

(美緒と私の間には、壁がある。どうやっても越えられない壁)

 越えられない壁。朝比奈にあって自分にないもの。比較しても意味がないと今までしてこなかったことが何故か今になって頭の中を占めていく。実際には勉強に関しては明らかに自分の方が上であり、スポーツに特化してる朝比奈と、勉強ができる自分には優劣なんて存在しないはずだった。それでも、あゆむが受ける劣等感の正体とは何なのか。
 自分から離れていく朝比奈に対する寂しさが、心を窮屈にし、些細なことに執着させる。

「ね、ねえ。美緒」
「なに?」

 手前のクラスの入り口で立ち止まり、教室に入ろうとした朝比奈へとあゆむは問いかける。声が裏返りそうになるのを押さえて、緊張に震える声を整えるのに時間をかけてから、次の言葉を発する。

「今日、これからさ。バドミントンしに行かない?」
「バドミントン? 部活に?」

 あゆむから部活に顔を出すという提案は今までしたことがなかっためか、朝比奈の顔が怪訝そうに歪む。視線に背中から汗が出てきて、あゆむは持ったままのゴミ箱を廊下に置いた。
 部活を引退した後にも朝比奈と遊佐はたまに部活に顔を出している。
 腕を鈍らせないように練習をおろそかにしないためにシャトルを打つ必要がある。しかし、新しい世代の邪魔をしないようにと市民体育館で二人で練習や、地元のバドミントン協会の役員に指導をしてもらうことが多かった。
 対してあゆむは一度も顔を出したことがない。バドミントンが受験に必要な人間以外は潔く身を引いていこうという元部長なりの考えで、今まで守ってきた。だが、その考えも十二月の時期に来て緩む。以前市民体育館で行ったバドミントンで発散できなかったストレスを、今吐き出したいのかもしれない。

「んー、今日はごめん。無理だわ」
「あ……え? あ、うん」

 しかし、朝比奈から想定外の言葉が出たことで、あゆむはしどろもどろになってしまった。相手に対する同意の言葉は口にできたが、それがなにを意味するのかは少し後で思考が追いつく。

「珍しいね。いつもは率先していきそうなのに」
「うん。いつもならね。でも今日は復習したいんだ」
「答え合わせはよかったんでしょ?」
「うん。でも鉄は熱い内に叩けって言うじゃない」

 朝比奈は少し困ったような顔をして言う。内容自体はおかしくない。しかし、あゆむはどこか違和感を覚えていた。困るような会話はしていないのに、困っている朝比奈がおかしい。だが、朝比奈は「じゃあね」と言って教室の中へと入った。朝比奈へと手を振って見送ってから自分の教室へと歩いていく。着いて扉を開けたところで朝比奈が教室から出るのが見えた。あゆむのほうへ顔は向けないまま玄関へと小走りで駆けていった。

「変なの」

 モヤモヤした気持ちは消えないままだが、教室に入ってゴミ箱を端に置くと、自分の鞄を手に取って後ろのロッカーにあるジャージを持って体育館へと向かった。

(靴はないけど……気をつけてやろう)

 体育館が近づいてくると徐々に気持ちが高まっていく。モヤモヤした気持ちが奥に押しやられるのは自分の思ったとおり。朝比奈の言動は気になったが、わざわざ隠し事をする理由も分からないため、気にしても仕方がない。
 扉の前に立つと中からバドミントンシューズが体育館の床をかむ音が聞こえる。そこに重なるように、一際大きな咆哮があゆむの耳に届いた。

(この声……)

 聞き覚えのある声にあゆむは顔が曇る。そして、部活に顔を出しているということに全く考えが回らなかった自分におかしさを覚えた。本来ならばいてもおかしくないはずなのに。

(なんでだろ。美緒と一緒にいると思ってた?)

 ゆっくりと扉を開くと、目の前のコートで拳を掲げている男子が一人。後輩のダブルスをシングルスで相手にして、どうやら勝ったらしい。ちょうど終わったところなのか、コートから出て壁際に置いてある荷物の上にかけているタオルを手にとって顔を拭き始めた。ゆっくりと扉を閉めて中にはいると後輩達が声をかけてくる。相づちを打っていると、タオルから顔を上げて、その男子が言った。

「おお、宮越じゃん。珍しいな」
「遊佐はやっぱりって感じよね」

 ちょっと前まで忘れていたことは横に置いて、あゆむは遊佐へと言う。一汗かいて気持ちいいことこの上ないという表情で笑っているのを見ると、あゆむも対抗したくなってきた。

「じゃ、私も着替えてちょっとやろうかな」
「おー、いいもんだぞ」

 遊佐の言葉を背に、あゆむは更衣室へと走っていった。自然と緩む頬と、走る足の軽やかさにあゆむは素直に従った。
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