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Dear My Friend

第六話「そういうところが女の子らしくないのに」

 一本の電話がスマートフォンにかかってきた時、あゆむはベッドの上でまどろんでいたところだった。勇の家から帰ってきて夕食を食べてからも眠気がとれず、そのまま寝てしまうわけでもない中途半端な状態のままで時間だけが過ぎていく。勇の家で自分なりに甘えたことで満たされた部分はあっても、更に大きな穴が心にあいたような気がして家に帰る間は切なさに胸が締めつけられていた。
 昼に降っていた初雪は止んでおり、溶けた雪によってドロドロになっている道を歩いていたことも気分が下向きになる要因だったろう。
 そうして油の切れた機械のように動かなかったあゆむも、電話が切れる前に何とか取ることができた。

『もしもし。あゆ?』
「その声は、美緒か。どうしたの?」
『美緒かって。画面に名前出てるでしょ?』
「全く見てなかったんだ。で、どうしたの? 嬉しそうに」

 朝比奈の声を聞くのはどれくらいだろうと思いかけて、一日前だと思い出す。金曜日に一緒に勉強するかと聞いた際に断られたのだ。埋め合わせはするからと言われて。何を埋め合わせするのか全く分からないために聞き流していたのだが、もしかするとその「埋め合わせ」でも言うつもりかとあゆむは考えた。

『あのね。昨日言ってた埋め合わせ。皆でバドしようよ』
「……みんな?」

 またバドミントンか、と一瞬口から出ようとした言葉を飲み込み、次に気になる台詞をなぞる。あと一ヶ月と少しすれば次の年になり、とうとう受験もすぐ傍までくるというのに。あとは、二週間後にはまた学力テストが待っている。この時期なら受験生は勉強だろう。ならば、皆とは誰になるのか。

『そう。皆。同期の皆で集まろうよ。声かけしたら皆のってくれて、あとはあゆだけなんだよ。お願いします、部長』
「皆、余裕なの? あと二週間後にテストなのに」
『だから今、すっきりして明日から頑張るつもりなんだよ。息抜き必要。どう?』

 あゆむは呆れたことで嘆息する。わざと大きく息を吐いて電話の向こうに伝えるように。しかし、心の中では参加するほうに答えを決めていた。

『駄目?』
「いいよ。考えてみたら部活引退してから美緒以外とぜんぜん会ってなかったし。クラス違うし」
『ほんと! よし、これで全員揃った! じゃあ、明日の昼くらいから予約しておくね』
「よろしくー。じゃねー」

 朝比奈の返事を聞く前に電話を切る。耳の奥には朝比奈の嬉しそうな声が残ったまま。スマートフォンをベッドに置いて、あゆむは勢いよく立ち上がった。上半身に力を入れて両手をぐぐっと上に伸ばし、次に横に倒す。更に円を描くように前、左、後ろとなぞり、また右側へと倒してから両手をばらす。首を何度か回してから、まっすぐに机へと向かった。次の日を楽しむために今、勉強しておくために。
 だが、椅子に座ろうとしたところで先ほどの会話が蘇る。会話の中で自分の言ったことが引っ掛かった。

「クラス違うし、か。むしろ美緒と違うクラスなのによくここまで会ってるよね」

 普段なら気にしないことが、まるで棘が刺さったように痛みを運んでくる。しかし、椅子に座って勉強を始めてしまうと、その棘は抜けてどこかあゆむの分からない場所へと落ちて行った。

 * * *

 前日の雪が嘘のように消え、晴れやかな空があゆむの頭上に広がっていた。それでも十一月の半ばとなると気温はあまり上がらず、私服を少し重ね着して秋用のコートを着て、自転車に乗っていた。
 日曜の朝に届いた朝比奈からのメールに従い、総合体育館へと着くと、すでに他の仲間達が朝比奈を中心に雑談をしていた。

「あ、久しぶりー!」
「あゆっち! もしかして引退式以来?」
「あわなすぎだよね。ウケる!」

 自分を入れて八人の同期。中一の時から二年半、一緒にバドミントンをしてきた仲間達は、あゆむの記憶の中の彼女達となにも変わっていない。引退式が八月で、そこから三ヶ月くらいしか経っていないのだから変わるはずがないのだが、そこからもう何年も経ったような気がする。

(もう、バドミントン部は過去ってことなのかな……)

 中学一年からそこまで真剣に打ち込んだかと問われると疑問は残る。しかし、それでも最も大きな割合を占めるバドミントンが、もう過去の思い出になっていることに多少寂しさを覚えていた。

(なんか、寂しいって言ってばかりかも)

 勇と一緒にいたいことも。バドミントン部が過去の思い出となっていることも、寂しい。
 更に友達として一緒にいたい朝比奈と離れてしまうことが切ない。

(だめだめ。今日は楽しまないと)

 皆の視線がはずれたところで頭を振り、嫌な感情を追い払う。残り期間、本当に勉強しか残らない時期に入る前の最後の息抜きをするために、朝比奈が全員を集めたのだから。その機会に大いに乗るべきだ。

「じゃあ、皆集まったところで入ろうか!」
『おおー!』

 朝比奈の声にあゆむを含めた全員が合わせる。示し合わせたわけでもないのに息が合うことで、全員が笑いながら歩きだした。
 順番に玄関から入って靴を履き換えてから受付へと向かい、一人ずつ使用者名簿に名前を書いていく。それからすぐに更衣室へ向かい、各自で着替え始める。

「あれ、あゆっち。もしかして胸大きくなった?」

 そう言って胸に手を差し出してきた相手から身を守るために胸の前に脱いだ衣服を掲げる。目の前で同じく上半身がスポーツブラだけの状態のまま、両手をワキワキと動かしている相手へ向けてうんざりとした声音で言った。

「変なこと言わないでよ、昌子。ちょっと気にしてるんだから」
「あー、ごめん。太ったほう?」
「あーのーねー!」

 心の底から怒りを我慢せずに出すと、桐木昌子は「ごめーん!」と言って離れていった。悪びれない言動に脱力してあゆむは着替えを再開する。邪魔されないうちにとそそくさと着替えて、他の女子に襲いかかる桐木によって騒がしくなった更衣室を出た。

(全く……あれ、美緒がいない)

 あゆむは今更ながら朝比奈の姿が見えないことに気づいた。全員が更衣室にまっすぐ向かう中で、一人だけフロアの中へと入っていったことまでは覚えている。すぐ戻ってくるかと思ったが、結局、戻ってはきていなかた。

「まさか」

 思い当たるところがあってフロアに続く扉を開いてみると、すぐ傍のコートでネットをつける柱を立てている朝比奈が視界に入った。格好はすでにTシャツとハーフパンツ。荷物置き場がわりの客席にはラケットバッグと共に服が畳んであった。

「美緒。服の下のTシャツはいいとして……どうやってハーフパンツに着替えたの?」
「人が見てない間にささっと、ね」

 総合体育館の入り口で見た朝比奈の服装。下はジーンズだった。つまり、一度ジーンズを脱いでからじゃなければハーフパンツは穿けない。一回は下着をさらさなければいけなくなる。

「なんで更衣室で着替えないのさー。恥ずかしい」
「だって込むでしょ。あと昌子に胸揉まれるの嫌なのよ。久々だって発情してそうだし」
「さっき、胸に触られそうになったから威嚇しておいたよ」

 お互いに第三者に矛先が向いて笑いが出る。その結果、更衣室ではなくフロア内で着替えた朝比奈への説教をするタイミングを失った。見回してみると日曜日の午後にしては人がおらず、いても離れた場所でバドミントンに興じている。朝比奈が注意すれば目撃されないまま着替えることは可能だろう。

「しょうがないわね……そういうところが女の子らしくないのに」

 呆れ顔で朝比奈を見ていたが、すぐにあゆむもポールを立てる手伝いを始める。すでに二コート四本のポールを立てていた朝比奈はあゆむがコートに入ったところにネットを放って渡した。自分はもう一つのコートに行ってネットの準備をする。あゆむも紐の中で輪になった部分をポールの出っ張りに引っかけてピンと張った。少し中央がたわむくらいがちょうどいいため、微妙な力加減をしつつ固定する。

「うん。いい感じ」

 久しぶりに張ったネットだが、見事な曲線に思わず自画自賛してしまった。朝比奈もネットを張り終えたところで、残り六人がやってきた。一人、桐木昌子が一番後ろを沈んで歩いてくるのを見て、全員にこっぴどくしかられたのだろうとあゆむは思った。

「はーい、じゃあやっちゃおうか。準備運動したら好きに組んで基礎打ちしよう!」

 あゆむの言葉に全員が頷く。準備運動から基礎打ちというのは部活をやっていた頃の順番で、今回のように遊びに来たのなら守る必要などない。しかし、誰も異論は唱えない。どんな状況でも怪我をしないために必要なことだったからだ。
 あゆむはアキレス腱を伸ばし、伸脚で足をほぐし、背筋もある程度伸ばした後に脱力する。そうして準備運動を終えた後で朝比奈と組み、基礎打ちを続ける。
 久しぶりに打つシャトルは、感覚が失われているためにアウトやネットにぶつかってあゆむ側へと落ちるというのを繰り返す。約三ヶ月のブランクはあゆむの中から繊細なタッチを忘れさせていた。それでも、何度も打っていれば軌道が綺麗になっていく。ネットからまだ浮いていたが、ラリーが途切れないようになっていった。
 その後は交代やショットを変えながら基礎打ちが続き、最後にネット前でシャトルを細かく打ち合うヘアピン勝負で終わらせた。着ているシャツにもじわりと滲む汗。全く運動していないため、すぐに息を切らせてきた。目の前の朝比奈は全く問題ないように立っている。

「やっぱり……美緒は打ってるもんね」
「そうだね。皆は運動できないでしょ、なっかなか」

 他の三組の様子を見ても似たようなものだった。それでも打つことが嬉しいのか、自然と笑みがこぼれている。あゆむも同じ気持ちだった。

「今日は目一杯楽しみたいな」
「そうそう。楽しもう」

 朝比奈の笑顔に自然と顔がほころぶ。あゆむ達の基礎打ちに遅れて数分ずつ、徐々にヘアピンまでを終わらせていく。すべて終わってからダブルスのコンビを決めてコートへとすぐ入っていった。
 あゆむのパートナーは、桐木昌子。そして朝比奈のパートナーは。

「いくよ、祥子!」
「こい、昌子!」

 桐木祥子。昌子の双子の姉が斜め前に立つ。あゆむは昌子の後ろで軽くラケットを構えながら二人の様子を見守る。それは朝比奈も同様で、あゆむと似た立ち位置からレシーブを見守った。

「一本!」
「しゃー!」

 ほとんど同じ顔。髪の毛を昌子が右サイド。祥子が左サイドで結んでいることによって見分けをつかせている。よく見ればどちらなのか分かる程度に双子ではあるが、とっさでは見分けられない。そうした双子のトリックプレイと息のあったコンビによって朝比奈と共にあわや全道大会に進むかという実力があった。だが、高校は二人とも別々になる。昌子はあゆむより一つランク下の高校にある家政科。祥子はもう一つ下の高校の普通科。他の四人も、あゆむとは別の高校に行く。バドミントン部では男子も含めて、同じ高校にいく仲間はいなかった。

(皆、離れていくんだなぁ……)

 こうして集まっているのもまた、最後になるかもしれない。一時期を過ごした大切な仲間も、一時を過ぎれば離散する。高校に入ればもうそれぞれの生活が待っていて、同じ市内ならば偶然出会って「久しぶり」と笑いあう。その程度の存在になる。
 試合をしている間、そうした思考に塗りつぶされて、あゆむはいつもよりもプレイに繊細さを欠いてしまった。それでも今日は遊びだからか、朝比奈は点を取るよりも長引かせるように打っていく。桐木昌子も祥子もそれぞれパフォーマンスをしながらシャトルを飛ばす。あゆむは表面上同じように遊びながらラケットを振っていたが、胸中は沈み続けていった。

 * * *

「あー、楽しかったー」

 桐木昌子を先頭に更衣室へと戻る女子の列の後ろについていくあゆむは、精一杯笑う演技をしていた。二時間の息抜きを他の女子はだいぶ満喫していたのか口も気分も軽くなっているのが見て取れる。しかしあゆむは心の底にどうしても黒くなった重いが沈殿したままとなった。

(せっかくの息抜きだったのに……私ってバカ。ちょっと前からおかしい。気にしすぎ)

 最後に更衣室の扉を通ろうとして、後ろについてきていた朝比奈が「あっ」と声を上げた。すぐに朝比奈の視線を追いかけると、ちょうど受付で名前を書いている遊佐が見える。遊佐もすぐに朝比奈とあゆむに気づいて、小走りで傍に着た。

「おっす。女子も来てたんだっけ」
「そ。遊佐はこれから男子と?」
「おう。最後の息抜きにな」

 遊佐の言葉にあゆむは受付を見ると、見慣れた男子が三人、名前を書くためにたむろしていた。女子もやるのだから男子もやる。朝比奈がするのだから、遊佐も率いてやってくる。頭の中で当たり前のことと連想されてあゆむはつい笑ってしまった。

「あゆ。私、遊佐達と一緒にもう少しやってくから、先に帰ってて?」
「え、あ。別にいいよ。このあと、特に皆で何かする予定なかったもんね」
「そうだね。じゃあ、またね」

 手を振ってあゆむから離れた朝比奈は遊佐の手を引いてフロアの中へと戻っていく。自然と手を繋いでいるのを見て、あゆむはまた胸が痛み、逃れるように更衣室へと入った。他の女子も着替えの最中で、入ってきたのがあゆむ一人だけなのに気づいた昌子が問いかける。

「あれ、みおっちは?」
「遊佐達男子が来たから一緒に打ってくって」
「ひゅー。あつあつだね、あの二人」

 昌子の言葉が発端となって口々に朝比奈と遊佐の様子が語られる。さらに派生して自分の彼氏のこと。彼氏がほしいというような願望。高校になったらきっと、と色恋沙汰の話が飛び交う中で、あゆむは避けるように着替えを素早くすませていった。
 胸の奥からの痛みが徐々に強まるのをこらえながら。
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