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Dear My Friend

第五話「一緒にいたい。寂しいのかも」

 季節はまた進み十一月に差し掛かる。
 視界の端にはらはらと落ちていく初雪の白さをとらえつつも、あゆむは眼前の問題集に目を向けていた。
 文章を読んでいき、頭の中にストーリーが展開される。身内の葬式の日に外で煙草を吸っていたら、小さい子供の幽霊が現れて、煙草の煙のようにゆらゆらとしながら会話を続け、消えていった。
 いったい何を伝えたかったのか、国語の問題では意図の読み取りについて書かれている。しかし問題としての意図と実際の意図はどこか剥離している。文章題を解くための読みとりはコツだ。効率よく文章を上から下まで、右から左までなぞっていき、ピンポイントで答えの箇所を探す。それは小説を読むというよりは作業だ。無味乾燥といえばそこまでだが、限られた時間内で全ての問題を正確に答えるためには、作業化できる部分は作業化すべき。
 あゆむは現代国語と古文漢文ならば後者のほうが不得意のため、できるだけ早く終わらせるべき。だが、ストーリーの中に差し挟まれる光景があゆむの集中力を乱していた。
 朝比奈と遊佐のキスシーン。暗い公園の中で唯一明るい園内灯の下で、二人はゆっくりと顔の距離を近づけていき、口づけを交わす。
 全く見たことがないのに再生される光景は、あゆむの妄想でしかない。しかし、自分でも不思議に思えるほどのリアルさを持ち、あゆむの集中力をかき乱した。

「はぁ。駄目だ」

 あゆむはそう言って、シャープペンを解答用紙の上に転がした。キャップのでっぱりに引っかかってすぐにシャープペンは転がることを止める。そしてシャープペンはすぐに別の手が取り上げていた。

「おいおい。あゆ。まだまだ時間はあるぞ?」
「だってぇ。集中切れちゃったんだもん。休憩しよ」
「まだ十分しか経ってないって」

 あゆむはそのまま机――ちゃぶ台に上半身を預ける。視線だけ上げると、向かいに座っている勇が呆れた顔をして視線を向けてきていた。

「お前が俺の家で勉強したいって言ったからしてるんだけど」
「何よー。建前に決まってるでしょ。一緒にいたいんだもん。もっといちゃいちゃしようよ」

 ストレートに自分の思いを伝える。何か反応するかと思って様子を伺うも、勇はただ嘆息して自分の問題集へと視線を落とした。

(遊佐や美緒だったら……やっぱり赤くなって動揺したりするのかな)

 二人の顔を思い浮かべ、更に同じ言葉を脳内で告げてみる。遊佐だけではなく美緒もまた、顔を真っ赤にして動揺していた。先ほどのキスシーンのように自分の妄想だが、今度は自信があった。

「何かあったか? そうやって素直に言ってくれるのは嬉しいけど、らしくない」
「らしくないかな?」
「あゆは言葉より行動で示すタイプだからな。こうやって向かいあわせよりは、隣で密着して勉強をするタイプだ」

 勇の分析を自分の中で反芻する。確かに言葉よりは行動で示すタイプかもしれない。遊園地にも朝比奈達の尾行という名目はあったが、結局は自分が勇と共に行きたかったからだ。ようやくとれた二人の時間を普段行かないような場所で過ごしたかった。ストレートに言うのはやはり恥ずかしかったので、実際に行動に移して相手の反論を抑え込んだ。
 あゆむは上半身を起こしてちゃぶ台に両手をつく。そして猫のように座ったままで腕を伸ばして唸った。

「ううう……うぅにゃあ」
「猫みたいだな」

 勇の方を向くと顔が少し赤かった。自分の猫声に照れたのか。それとも一個前の台詞に自分で照れたのか。どちらかといえば後者だとあゆむは考える。隣で密着して、というシチュエーションを言葉にしたことで想像したのだろう。あゆと同じく、言葉にすれば照れるために行動するほうなのだが、どちらにせよ照れるらしい。

「勇君は可愛いなぁ」

 あゆむはそう言って両足を正座の状態にして腕の力を使って床を移動する。そうして勇の左隣へと進み、右肩を密着させた。

「勉強の邪魔」
「にゃんにゃん」

 勇の好きそうな猫なで声に手を猫のように丸くして仕草まで追加する。背中を右手でかきつつ、左肩に顎を乗せて顔を近づけた。そうすると勇の頬は瞬く間に赤くなり、少し強い口調で「離れろ」と言われてしまった。
 恥ずかしさのあまりに怒りにまで到達する。限界点を見極めてあゆむは両手を上げて降参のポーズを取りつつ離れた。
 勇は頭を軽く振り、熱を散らした後で言った。

「いいよ。何があったのか聞くよ。そうしないと勉強できなさそうだ」
「何があった、ね。私にもよく分からないんだ」
「じゃあとりあえず全部言ってよ」

 勇に言われたとおり、あゆむは自分がもやもやとしている気持ちの奥にあることを一通り告げる。
 朝比奈はスポーツ推薦が決まり、更に先を見据えて勉強を続けている。遊佐もまた別の高校に推薦が決まり、学力はあまり必要としないと言われていても朝比奈と勝負しながら学力を上げている。二人で勉強しあい、競いあっている。恋人というよりはライバルという関係。しかし、手を繋いだと言って照れる遊佐の顔は「彼氏」のものだった。
 同じ日に二人と会話をしてから胸の奥にモヤモヤとした気持ちが生まれ、さらに次の日以降は朝比奈と遊佐は徐々に二人で勉強するようになり、朝比奈との勉強の時間もだいぶ減っていた。

「確かにね。私は言ったのよ。卒業したら離れるんだし、今の時間を大事にねって。だからなのか分からないけど、美緒は分からないところを出来るだけ自分で調べるようになって、私にどうしてもってところだけ聞くようになった。その、調べてる間は遊佐が目の前にいるんだよね。遊佐は遊佐で自分の勉強をしてるわけなんだけど。二人でただ一緒にいる時間がいいんだって感じでねそれで」
「ストップ」

 あゆむの言葉は勇によって遮られる。次の言葉を言おうと口を開いた状態のまま動きを止めたあゆむはゆっくりと無表情に戻っていく。両手は正座した両足の間に挟むようにして、隣の勇をのぞき込むような姿勢を取った。

「その遊佐ってやつに惚れてるから朝比奈さんに取られたくないんじゃないか?」
「……は?」

 勇の言葉にあゆむは口を開けた。まったく予想外の位置からパンチを喰らったかのように、思考停止にまで陥る。徐々に復活してきた頭は回転を始めて勇の言葉を繰り返す。

「ないない」
「……そこまでなさそうに言われるのは同じ男として同情する」
「何よー。勇君は私が浮気していいって言うの?」

 冗談のような空気で言っているが、あゆむにとっては少しだけ怖かった。自分の彼に浮気を疑われたということなのだから。ただ、純粋に考えて遊佐への恋愛感情を問われるとすぐに「なし」と言える。そのことにはほっとした。
 勇は話題が終わったと思ったのか、少し腕を組んで考えた後にまた告げる。

「なら単純に、朝比奈と遊佐と一緒にいられなくて寂しいんじゃないのか?」
「さび、しい?」

 勇の言葉にあゆむは首を傾げる。妙にしっくりこない言葉。全く自分の中で考えていなかった言葉にあゆむはそのまま硬直してしまった。勇はあゆむからの反論がないと判断して続ける。

「今まで、一番仲良かった友達が疎遠になって、寂しいだけだろう。ぜんぜん思いつかなかったって顔してるけど。それが逆に不自然っていうか、考えないようにしていたように思うけどな。普通だと考えつかないってことなさそうだし」
「わざと避けてたってこと、か」
「さあな。あゆの考えてることだから、正解はあゆにしか分からないさ」

 勇は会話を切って立ち上がり、部屋から出ていく。一人残された状態であゆむはぼんやりと部屋を見回しながら頭の中を整理していく。
 朝比奈と二年半、友達として過ごしてきたこと。遊佐もまた同様に、小学校一年からずっと一緒だった。幼なじみでもないのに他の異性よりも親しいのは、偶然六年間同じクラスだったからだろう。
 親しく友達をさせてもらった二人が一緒に自分から離れていく。寂しさがないかといわれれば、ある。しかし、仕方がないことなのだから、寂しがっても意味はない。頭だけで分かっていて感情で理解していないのだろうか。

(寂しいと言われたら寂しいけど、なんかしっくりこないなぁ)

 一理あるのは間違いないだろう。だが、正解には微妙にたどり着いていない。中途半端な状態が気持ち悪く、あゆむは床に寝転がった。両腕を伸ばして力を抜く。床に溶けて流れてしまうように脱力する。薄目をあけてぼんやりと天井を見上げながら一度あゆむは思考を断ち切った。考えすぎても意味はなく、そもそも今、この場で答えが出る類ではない。今、勇の家にいるのは、言われた通りのこと。勉強と、勇との時間を大事にするためだ。
 ぼーっとしていたため、勇が戻ってきた時にどれだけ時間が経ったのかあゆむは分からなかった。起きあがったあゆむは、勇の両手にあるコーヒーカップを見つける。湯気が立っているのは入れ立ての証。お湯を沸かして入れるならば、少しは時間が経っているはずだった。

「いつの間に入れたの?」
「あゆが寝てる間だよ。これでも飲んでしゃきっとすればいい」

 勇の手から差し出されたコーヒーカップを受け取ってあゆむは口を付ける。苦みが一気に口の中に広がって、あゆむは顔をしかめた。

「うわー、苦い。ミルクない?」
「熱くて苦いのを飲み干せば嫌でもしゃきっとする」
「えー、意地悪」

 あゆむは観念して少しずつコーヒーを口にしていく。最初は鮮烈な苦みを残したが、次以降は慣れたのかそこまで苦くはない。両手でカップを包み込み、ちびちびと飲むあゆむに、勇が問いかけた。

「さっきの、答え出た?」

 あゆむはカップの端に口を付けたまま首を左右に振る。徐々に減っていくコーヒーを見ながら「そうか」とだけ呟いて、勇もあゆむの隣でコーヒーを飲んでいく。
 ただコーヒーを飲むだけの時間。たまに家の前を通る車が立てる音以外は何もない。あゆむは自然と穏やかな心地になっていった。

「はぁ。美味しい」

 四分の三ほど飲み干して、あゆむはコーヒーを机に置く。そして隣にいる勇を見て、カップから口を離した隙を突いて頬にキスをした。

「っ!?」

 突然のキスに勇はバランスを崩すも、カップはちゃぶ台に置いてこぼれるのを防いだ。カップの中のコーヒーが激しく動くのを見ながらあゆむは「ナイスプレイ」と笑う。

「いきなりどういうつもりだよ……」
「どういうって。キスしたくなったんだもん」

 あゆむは首を傾げながら上目遣いで勇へと告げる。自分がもっとも可愛く見える角度で攻めている自覚はあった。効果はあって勇の顔が赤く染まっていく。満足したあゆむはそのまま勇へと体を寄せて、今度は唇へとキスをした。自分の飲んでいたコーヒーの苦みが、唇の表面を伝わって口の中にまで入っていくような錯覚。ただ唇を触れさせるだけの子供のキス。それ以上は知識として知っていたが、そこまで行う勇気は今の自分にはないと割り切る。
 十秒以上口づけていた状態から離れて、あゆむは勇から目を逸らした。恥ずかしさに頬が染まる様を見る勇を、真正面から見たくなかったのだ。

「やっぱり疲れてるか?」

 勇の言葉に頷く。理由は自分の中でも説明は付かないが、精神的に不安定になっているのは事実。付き合いが長いためにキスは何度かしたことがある。それでも今回のように長いキスは初めてだ。しかし、何度か経験があっても頭の芯が痺れてくるような心地よさは変わらない。また味わいたくなる衝動が、いつも以上に自分を動かしている。

「なんか、よく分かんない。勇君と一緒にいたい。寂しいのかも」
「そう言ってもらえると嬉しいけど。もっと一緒にいるためには同じ高校にきてもらわないとな」

 目指す先は勇のいる高校。今の学力ならば油断しなければ問題ない。それもまだ十一月の段階。今後の勉強によって可能性は上がりも下がりもする。だからこそコンスタントな勉強が必要になるのはあゆむも分かっていた。しかし、どうしても気分が乗らない。

「同じ高校に行っても、勇君は今度は大学受験だし、中一の時みたいになるね」
「あの時よりも大変かもな。でも学校祭やる夏休み直前までは一緒に遊べるさ。部活はあるけど」
「やっぱりあまりいられないよね……はぁあ」

 あゆむはまた床に背中から倒れて天井を見る。普段は押さえている不満、不安が一気に吹きだしていくのを止められない。今、言っていることは勇に言っても仕方がないことだ。二歳年上の男の子とつき合っていることの制約、マイナス面。それは付き合い始める時から分かっていた。それでも好きだという自分の衝動に従った。そこに後悔はない。ただ、自分が今、精神的に疲れていることで愚痴を言っているだけなのだ。

「大学に入ったら二年はあるぞ」
「大学まで一緒とは限らないでしょ。てか、それまで付き合えるかも分からないし」
「ひどいな。これでもあゆとはずっと付き合って、一緒にいるつもりなのに」

 視線を天井から勇に向ける。そこには頬を赤らめたままでじっとあゆむを見ている男子――男がいる。二歳年上で周りの男子よりは少し大人っぽい。それでもまだまだ子供のように思える勇が、今はもっと大人びているように思えた。緊張してうまく動けないあゆむは間を外すために口にする。

「……プロポーズ?」

 言ってから恥ずかしくなり、顔を背ける。笑う気配がした後で、勇は「まあな」とだけ言って会話が途切れた。あゆむは寝た体勢のまま考える。

(私は、勇君とずっと一緒にいるのかな? それともやっぱり別れて次の恋を探すのかな……)

 自分達から離れても心は一緒だという道を選ぶ朝比奈と遊佐
 一緒にいることを選んだ自分達。
 ずっと一緒にいるのなら、その先は結婚になるが、あゆむには全く想像できない。
 朝比奈と遊佐は離れても好きあっていられるのか。彼女達の間にバドミントンがあればそれも可能であるように思えてくる。

(分からないなぁ)

 思考がまとまらないまま時は過ぎていった。全く答えが出ないままに、ただ一緒にいたい勇との時間が続いていく。いつまでも続くわけはないと分かっていても、無性に寂しさを感じていた。
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