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Dear My Friend

第四話「まさか、手、繋いだの?」

 遊佐が何を言っているのか理解をするのにあゆむの中では数秒を有した。理解してみれば変なことを言っているわけではない。試験期間中に勉強を教えてくれと言っているだけだ。それがどうして腑に落ちなかったのか分析する暇もなく、遊佐はあゆむの隣で次は問題集を広げた。

「ここ、ここだよ。答えはなんかピーンと来るんだけどさ。解き方がよくわからん」

 示された場所はさっき朝比奈が解いていたところから数ページ前。二人の進み具合がだいたい把握できる。だが、あゆむはそれよりも隣の遊佐が気になって仕方がなかった。

「遊佐。近すぎ。離れて」

 遊佐はあゆむの肩に完全に自分の肩を触れさせている。更に問題集を差し出して説明しているので顔は更に近い。遊佐とは小学校からの付き合いで知っている仲とはいえ、異性がここまで近づくのは彼氏以外におらず、気恥ずかしくなってしまう。その気持ちを表情に出さないようにして言うあゆむに、遊佐は「わりぃわりぃ」と軽く言って離れた。それだけで緊張感が抜けてあゆむは静かに息を吐く。

「教えるけど……あれ、遊佐はバドミントン一式持ってないの?」

 遊佐の格好や荷物を改めて確認する。黒い上下の学制服に通学用鞄だけ。どこにもバドミントン要素はない。

「当たり前だろ。テスト勉強しないとさ。推薦決まってるとはいえ油断しないでいかんと」

 バドミントンをするための道具を持っていないことを至極当然と言う遊佐。それはあゆむが知る一般の生徒ならば当たり前であるが、遊佐には何か違和感がある。正確に言うならば、これまであゆむが触れてきた遊佐修平という人間をベースに考えた際に得る違和感。それが何なのか考えようとしても、遊佐から問題の解説を頼まれるために一度止める。

(気になるけど、教えた後でいいか)

 遊佐に勉強を教えるのは小学校時代から何度もしてきたことだった。家が近いということもないが、小学校六年間で奇跡的に同じクラスで、異性の友達としては最も仲が良かったと思っている。小学校の頃からバドミントンにのめりこんでいたバドミントン馬鹿に対してよく宿題は手伝っていた。
 自分の中では当たり前の風景。
 あゆむの中に心地よい気持ちが浮かんできて、自然と頬が緩んだ。しょうがないなという諦めがあり、魅力を感じている。同年代ではなく、まるで出来の悪い弟に教えているかのような心地よさ。

(バドミントンで見たら、出来が悪いでも何でもないんだけど)

 朝比奈と同じく中学一年の時から遊佐は台頭していた。中一から身長は高く体も大きかったが、今では成長期によって百八十を少し過ぎている。成長痛に苦しんだ時期もあったようだが、そこを越えると一気に才能が開花して、市内でもその次の区域である全地区大会でも敵はいなくなった。全道でも屈指のプレイヤーとしてバドミントンマガジンにも載ったことがある。高校では更に期待される選手として。
 バドミントンに努力を注ぎ込んできた結果、勉強はいまいちだが、それも引退後に徐々に改善されているようだ。

(ほんと、変な二人)

 生まれ育った場所が違うのに同じような二人が付き合う。朝比奈と遊佐が並んでいる姿を思い浮かべると、これ以上ないくらいにしっくりとくる。パズルでピースを苦労してはめ込んだ時の感覚に似ていた。

「――おい、宮越。こうか?」
「え? わっ!」

 気づけば遊佐の顔がすぐ近くにあり、あゆむは悲鳴を上げて後ろに体がバネのように動く。慌てて口を両手で閉じて周囲を見回したが、いつしか他の生徒はいなくなっていた。六時の閉館まであと十五分。五分前には図書委員か教師がやってきて施錠をすることになる。
 誰もいないことを確認して、あゆむは思い切り声を出しながら息を吐く。これ見よがしなため息に遊佐が首を傾げると、顔に向けて指を指しながら言った。

「近い! 驚かすな! あんた、パーソナルスペースが狭いの!」
「パーソナルスペース?」
「こういう、接近されて嫌な距離のこと。ようは、そんだけ近づくのは美緒だけにしなさいってことよ!」

 身振り手振りで説明し、朝比奈を持ち出されてようやく頭に入ったのか、遊佐は顔を赤らめてあゆむから離れる。その反応にあゆむも急に顔が熱くなった。

(変に意識して……でも、これも違うか)

 部活ではあまり話す機会はないが、クラスでの遊佐は今のように距離が近い。その都度離れるように言われているのを聞いたことがあるが、今回のような反応は見たことがなかった。その違いは朝比奈を引き合いに出したかどうか。やはり好きな相手と付き合うというのは、変化をもたらしているようだ。

「ここはこうやって――」

 あゆむはとりあえず問題の解き方を教える。それに従って遊佐はシャープペンを滑らせていき、遂に解き終わった。

「おお、相変わらず分かりやすいな! 教師になったら?」
「考えとくわ」

 誰もいないということで二人の声のトーンは自然と普段の大きさになった。体を伸ばしてから脱力し、深く息を吐く。たった一問とはいえ、朝比奈へと教えたことと連続したからか、脳内にたまる気だるさが多く、勉強をするには限界だった。そこで自然と話は勉強から離れる。

「ところで、遊佐。美緒とはどこまで行ったの?」
「どこまでって……遊園地くらいかな。地元の。まだ札幌には――」
「それ、ボケてるんだよね?」

 遊佐はあゆむの言葉に首を傾げるだけ。勿論、距離のことではなく二人の関係の進展具合について聞いてみたのだが、あまりにあっさりと勘違いされてしまう。改めて説明するのも気恥ずかしいと思うあゆむだったが、誰もいないことに乗じて言う。

「違うわよ。美緒とキスとかそれ以上とかしたのってこと」
「キ……んなことできるわけないだろっ!」

 遊佐は力の限り叫び、美緒は耳を押さえた。大きな声で試合中に気合いを押し出したり仲間を応援することで鍛えられたのか、遊佐の声はかなり大きい。普通に話している分には音量は他の皆と変わらないが、大きな声を出すときには自然と出し方を切り替えているのだろう。至近距離から声の固まりをぶつけられたような気がして、あゆむはふらついた。

「あ、悪い」

 あゆむの様子に自分の五月蠅さに気づいて、遊佐は謝る。あゆむは耳から両手を離すと、顔をしかめつつ言った。

「ほんとだよ……なんでそんなでかい声なの。てか、そこまで驚かないでよ」
「んなこと言ったって宮越が変なこと言うからだろ、キ、キスとか」
「そんな一昔前の中学生じゃあるまいし。今じゃ普通だよ普通」
「俺と朝比奈にそんなこと求めるなって」

 遊佐は顔を真っ赤にしながら後頭部をかく。照れくさくなって何を言うべきか分からなくなり、会話の止まった間に気を逸らした。

(自分達が奥手だって自覚はあるみたいよね)

 だからこそ朝比奈が服装について相談してきたのだから。遊佐ももしかしたら別の友達に相談などしていたのか。その光景を想像すると笑いがこみ上げてくる。

「なんだよ。キスくらいはもう済ませてろってか」
「違うよ。美緒と遊佐なら、せめて手を繋ぐくらいでしょ」
「ん……」

 あゆむの言葉に遊佐が押し黙る。その時、あゆむは胸にちくりとした痛みが走ったように感じた。遊佐の曖昧な、隠そうとしても隠しきれない、恥ずかしさや嬉しさを見て。

「まさか、手、繋いだの?」
「自分で言っておいて、そう言うか? 繋いだよ、二日前に」

 二日前。自分は何をしていたかと考えようとして、あゆむは考えをリセットする。そして自分の反応の自分が驚いていた。

(なんで、手、繋いだってだけでこんな感じなんだろ。そもそも二日前に私が何してたかなんて関係ないし……そもそも、遊園地の時にも繋いでいたじゃない)

 あゆむが尾行しようとしていたことは二人は知らない。普通なら初デートの時に手を繋いでいるのだから、ここまでおかしな反応をしないし、二日前とも言わないだろう。なら、二日前の『手を繋ぐ』という行為は、遊佐と朝比奈の間では特別だったことになる。
 手を繋ぐ。キスをする。それ以上。簡略化した彼氏彼女のふれあいの順番。それは付き合っていけば自然と通る。あゆむも彼氏とはある程度の段階は踏んでいる。考えることも恥ずかしいので基本は思い浮かべないが、遊佐と朝比奈が自分の知っていることをしている、という状況を考えてしまい、顔が赤らむ。

「そ、そうなんだ」

 言葉を発することで体の中にたまった空気を吐き出す。自分でもよく分からない淀んだ感情を含んだ吐息。

「二日前にさ、一緒に帰ってたんだよ。普段と何も変わらなかったんだけど、なんか、雰囲気で、その」
「説明しなくてもいいよ。恥ずかしくなるからやめて」

 遊佐の、説明しようとした空気はあゆむにも理解できる。普段は男友達と一緒にいるようでも、ふとしたことがきっかけで特別な空気が流れる。その現象にあゆむも名前を付けることができない。ただ、そういう空気になるということが、彼氏彼女の関係の特権なんだろうと思っている。
 つまりは、朝比奈と遊佐も単なる異性の友達ではなく、彼氏彼女となっているということだ。当人達のペースが今時の中学生よりも遅かろうと。

(なんだろ、この感じ)

 自分の中に生まれる不思議な感覚にあゆむは自然と右拳を握り、胸部の中央に添える。心臓のあたりからもやもやとした霧が広がっていくかのようで、その場からすぐに逃げ出したい気持ちになる。遊佐はその様子には気づかずに、時計を見ると慌てて言った。

「あ、そろそろ時間だし、片づけようぜ」

 遊佐の言葉によって反射的に時計に目を向けると、図書室の入り口から図書委員が入ってきた。ほぼ閉館の合図に等しい登場に、あゆむもすぐに片づけを始める。焦りの中でその前にあった気持ちは霧散していった。
 片づけを終えて図書委員に追い出されるように図書室から出て、二人は廊下をゆっくりと歩き出す。元々の体格に差があるためか、自然と遊佐がペースを少しだけ下げた。遊佐の気遣いに気づいたあゆむは、それに甘えてペースを変えない。
 図書室がある四階から一階まで階段で降りていく間に、あゆむは気になったことを思い出して尋ねた。

「なんでバドミントンバッグ持ってないの?」
「あ? 言っただろ。勉強しないとって」
「それはそうなんだけど、遊佐っぽくないというか。遊佐って勉強やっててもバドミントンはやるかなって」

 図書室で持った遊佐への違和感。朝比奈も勉強後にバドミントンと優先順位は付けていても必ず両方を選んでいる。遊佐もまた同じ人種であり、バドミントンをしないとは考えられない。先にやってきたというなら話は別だが、今日はラケットバッグをそもそも持っている素振りがなかった。

「おまえなぁ、俺が四六時中バドミントンしかしてないような言い方止めろよ」
「言い方も何もその通りじゃない」
「そ……そうか……」

 言い返したが、すぐに思い当たるところがあって引き下がる。その様子がおかしくてあゆむは笑ってしまう。それに対して不満げな表情を見せた遊佐だったが、すぐに表情を引き締めて言った。

「俺だってバドミントンしたいけどな。これは勝負なんだ」
「勝負?」
「そう。朝比奈との勝負」

 朝比奈の名前が出て、あゆむはよく分からず首を傾げたが、すぐにだいたいの予想がつく。

(バドミントンだけじゃなくて、勉強でも何か勝負してるのかな)

 二人がライバルとして競いあっているのは知っている。バドミントンだけじゃなくて、勉強でも得点を競ってるとしてもおかしくない。二人にとっては何もかもが競争対象だ言われてもあゆむは納得するだろう。共にいて、一緒にゆっくり進むよりも、競いあって互いを目標にしつつ進んでいく。やはりそれが二人のスタイルなのかと考えた。
 予想通りの回答を、遊佐は口にした。

「朝比奈と今度のテストでどっちが上か勝負してるんだよ。あいつは俺よりも勉強できるからバドミントンしてる時間あるんだろうけど、俺の方はもう少し足りないからな。だからバドミントンの時間を削って勉強するんだ」
「バドミントンで推薦ならそこまで頑張らなくて良くない?」
「足怪我したらそれまでだからな、朝比奈も癖になってるから、特に気にしてる」

 その遊佐の言葉を聞いて、あゆむははっとする。
 先ほどの朝比奈との会話でどうして気づかなかったのか。朝比奈がバドミントンよりも勉強を重視しているのは、まさに足の怪我を心配しているからだ。
 中学一年のインターミドル直前と、二年のインターミドルで朝比奈は足首を痛めて試合を棄権していた。以降、大事な大会の時には痛めやすくなり、実力を発揮しきることがなかなかできなかった。三年のインターハイでは初めて全道大会に進んだが、大事はなかったが痛みには襲われている。足首に癖がついて、人よりも痛めやすくなってしまっているのかもしれない。だから朝比奈はバドミントンプレイヤーとして続けていけるかという点については懐疑的なのだろう。

「俺も、体は丈夫だけど。それでも実業団に行って活躍できるなんて一握りだし。そういうのは高校出る頃に考えようって思ってさ。その時に困らないように勉強しておきたいんだ」
「そっか……そうだよね」

 それ以降は特に話すこともなく。二人は一階まで降りてあら玄関へと向かった。玄関から見える体育館の入り口からは中で打たれている羽の音がかすかに聞こえる。一瞬、遊佐はその方向を見たが、すぐに自分の靴箱から外靴を取り出して履き代えた。

「んじゃ、先に帰るわ」
「うん。じゃねー」

 遊佐が軽く手を挙げてから去っていくのをあゆむはしばらく見送っていた。姿が消えると心に不安な感覚が生まれる。
 それに押しつぶされないようにするのが精一杯だった。
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