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Dear My Friend

第三話「やっぱり、変だよ」

 夏が過ぎ、秋がくる。
 照りつけていた日差しも徐々にその強さをなくしていき、空気が徐々に冷たくなって、涼しい日々が当たり前になってくる。緑が広がっていた光景はほとんどが赤く染まり、落ち葉が道を埋める中を自転車で進むことも多くなってきた。
 十月のある日にあゆむは図書館で学力テストへ向けて数学の問題集を解いていた。後ろにまとめて解答が乗っている問題集。問題部分はこれまでに二回解いていて、三回目にはもう数式を見ただけで答えを導き出せる。それでは意味がないとちゃんと計算方法に従って手を動かし、ノートに解法を記載していく。一通りシャープペンを走らせたところで、答えを見るために問題集をめくった。

「うぁ、できない」

 いきなりうめき声をあげられて驚いたあゆむは前を見る。ちょうど自分が問題集をめくったことで背筋が少し伸びたことに反比例するように、目の前の朝比奈は机に突っ伏した。図書室には自分達と同じような受験生が何人かと、読書にきている後輩が数名。誰もが無言で過ごしているために、朝比奈の声は自然と通った。

「ちょっと、美緒。大きな声出さないでよ」
「ぅ……うん。ごめんね、あゆ。でも分からない」
「どれどれ、どこよ」

 叱られたことで声を抑えて囁くように言う朝比奈。顎を机につけてため息交じりに言う彼女の表情は今にも泣きそうだった。すぐに掲げてきた問題集と、分からない箇所を指し示す指によって隠れたが、あゆむの中に言いしれぬ感覚が浮かんでくる。

(んー、なんか可愛い。じゃなくて)

 湧きあがってくる邪念を振り払って朝比奈が指定する部分を見ると、ちょうど自分が解いていたところだ。十問並んでいる問題のうち後半は前半よりも少しひねられている。序盤は機械的に考え方に当てはめられても、後半はそれなりに適した形に修正しなければいけない応用問題。表面的なことだけではなく、意味合いもちゃんと理解していなければ解けない。
 あゆむはひとまず要点を教えてみる。解き方ではなく考え方。答えを教えるのは簡単だが、自分で解かなければ意味がない。
 朝比奈はあゆむの言った考え方に沿って論理を展開していき、最終的に答えを導き出した。達成感に背伸びをして声を上げそうになったところで慌てて両手で口を閉じる。
 朝比奈は声を潜めてあゆむへと頭を下げた。

「ありがとう、あゆ」
「どういたしまして。それにしても、どうなの? 今のところ」
「んー。偏差値はぎりぎりかな。だから余裕を持っておきたいんだ」

 朝比奈はシャープペンでノートに円を描く。特に意味があることではなく、思考と共に口を動かす中で自然と腕が動いているというもの。何度もシャープペンの先が円をなぞる。徐々に濃くなっていく円の縁をあゆむはただ見ている。

「スポーツ推薦が決まってても勉強しなきゃいけないって大変だよね」
「……でも、もし足を痛めたとか怪我や病気でバドミントン出来なくなったらやっぱり勉強できた方が幅広がるし。私も必要だと思うから選んだんだ」

 朝比奈の言葉にあゆむは少し頬を緩ませる。
 朝比奈はバドミントンの全国大会に出場して二回戦負けという結果だった。あゆむにとってははるかに上の存在でもバドミントンの実力者のカテゴリーでいうとそこまで凄くはないのかもしれない。しかし、北海道の代表者の中では一番の成績だったため、道内の有力校が欲しがらない道理はなく、結果としていくつかの高校から勧誘を朝比奈は受けた。自分達が一年の時の三年生にもスポーツ推薦の話があり、一年空いてまた話が出たことに同期一同が興奮した当時を思い出す。
 結局、朝比奈はあゆむも名前を知っている札幌の高校に行くことにした。その決め手を尋ねた時に、朝比奈は笑って言ったのだ。

『誘われた中で、一番偏差値高かったし』

 むろんバドミントン部の実績もあった。あゆむが中学時代から買い始めたバドミントンマガジンには、過去二年のインターハイで女子の道代表としてその学校は出場している。現在の北海道のインターハイ代表は札幌の二、三校がほとんどしのぎを削りあい、数サイクルで勝者が代わっていた。朝比奈が入ってまたそのサイクルが変わり、全国大会に行く可能性は十分にある。
 更に朝比奈が進学を決めた高校――札幌青修高校以外はあゆむが目指している高校と比べて学力が六ランク下になっているが、青修は三つ下に留まっていた。

「成績一定以下で内定取り消しっていうのも良かったし。そういうのないと、なんかだらけちゃいそうだったんだ」

 朝比奈はシャープペンを置いて背伸びをしてから、また問題に向かった。朝比奈の考え方、言い方に彼女らしさを感じてあゆむは笑う。
 気が強く、勝負に対して真っ向から挑んでいく。朝比奈にとって挑戦とは息を吸うように自然なことなんだろう。
 あゆむから見て朝比奈は頭が悪いほうではない。単純に、バドミントンに費やす時間が多かったため勉強する時間がとれなかっただけだ。その時間を取れるならば、すぐに及第点には届くだろう。

(それでも、お別れ、か)

 朝比奈は札幌のバドミントンが強い高校であゆむは市内の進学校。受かるにしろ落ちるにしろ、自分達の道はここで離れる。
 中学一年から時間は過ぎて、二年と少し。最終的には三年間、あゆむは朝比奈と過ごしてきた。年数だけ見れば、小学校時代からの友人のほうがつき合いは長い。にもかかわらず、あゆむは朝比奈と離れることになるという事実に、寂しさを感じずにはいられない。いったいその差はなんなのか。

(中学まで一緒だった友達も、高校は違っちゃうのに)

 あゆむは頭の中で仲のいい友達がどこにいくのかを並べてみる。バドミントン部も同期は朝比奈以外は市内だが、誰もあゆむと同じところにはいかない。部外の友達で小学校時代からの人達もまた同様。結局、中学から出来た友達ばかりが、あゆむの進路に並ぶ。
 結論を言えば、付き合いの年月が長くても、離れることにそこまで寂しさは感じない。同じ市内だから会うかと言われれば、休日はまだしも平日は高校の場所が離れているためまず会わない。
 寂しさをあまり感じない理由は見つけられなかった。

(なんだろうなぁ)

 応用問題の最初をアドバイスをもらって解いたからか、朝比奈は次々とその後の問題を解いていく。黙々と最後まですませて「終わったー!」と叫ぶように両腕をピンと張って伸ばした。

「ねえ、美緒」
「ん? 何?」
「遊佐と別の高校になって、寂しくない?」

 自分の寂しさがどこからくるのか考えがまとまらないまま、あゆむは口に出していた。友達と離れたくない寂しさがあるのならば、より大事であろう恋人と離れる朝比奈はどう思っているのか聞いてみたくなったのだ。
 朝比奈はすぐに答える。

「ん、寂しくないよ」
「なんで?」

 あまりにあっさりと言う朝比奈にあゆむは続けて尋ねる。その態度が寂しい気持ちをごまかすためとはあゆむには思えなかった。朝比奈は心の底から遊佐と離れても寂しくはないと言っているようにあゆむには見える。朝比奈は「うーん」と少し唸って腕を組み、考えをまとめてから言った。

「遊佐も札幌の学校だし。距離的には離れてるけど地元から通うから、行きは一緒に行けるしね」

 遊佐は最後の大会で全国大会には進めなかったが、全道大会で好成績を残したために道内の強豪校から誘いがきていた。そして、札幌の私立に即決し、一番始めに高校進学が決まった。
 後で即決の理由を聞いてみれば、小学生低学年の時から行きたかった高校だったという。そんな遊佐に呆れた自分をあゆむは思い出していた。

「あとは……練習して頑張っていけば試合会場でも会えるしね。なかなか会えない彼氏彼女ってなんか燃えない?」
「私、美緒みたいに困難好きじゃないから分からない」
「なにそれ。変態みたいじゃない」

 変態でしょうに、という言葉は飲み込む。遊佐も朝比奈も彼氏彼女というよりはライバルのようにあゆむには見える。好きな人同士ならば一緒にいたいと思うのが普通で、競いあって優劣を付けるような関係でもないはずだ。
 自分は、彼氏がいるからという理由が一番で高校に行くのに。
 その普通が、朝比奈と遊佐には通じない。

(たった一年でも、一緒にいたいって思ったことが変に思えてくるよ)

 思い浮かべるのは勇のこと。
 同じ高校に入学できたとしても一年と三年。相手はすぐ大学受験に入り、休日も遊べなくなってくるだろう。自分も部活に入れば、また時間も取られる。
 それでも同じ校舎内にいる。それだけで何か暖かい気持ちになる。会おうと思えばすぐに会いに行けるという安心感が自分を支えてくれると思っていた。

(この二人が変だよね、やっぱり)

 自分の周りでも、ちらほらとカップルがこの時期には誕生する。同じ高校に進む同士や離れてしまう同士、今まで何となく好感を持っていた友達と環境が変わることで関係まで変わってしまうことに気づく気持ちもあるのか、クラスでは勉強以外の時間は誰と誰が付き合い始めたという話題が数日に一回は回ってきた。

(でも、離れちゃうからその前にって人等も、いる、か……)

 自分の中の恋愛観。友達の恋愛観はそれぞれ違う。それでも、離れてしまう前に少しでも長く一緒にいたいから、離れた後も繋がっていたいから告白するのだろう。そう考えれば、朝比奈達の行動もあながち間違ってはいないのかもしれない。

「でも、やっぱ変」
「変って言われた……」

 あゆむの中ではいくつも行程を重ねた上での言葉だったが、朝比奈にとっては変態扱いに対しての回答だ。あゆむは特にフォローせずに問題集に戻る。あっさりと会話を中断されて何か言いたげだった朝比奈も、目の前の攻略すべき相手に意識を戻した。
 しかし、あゆむはすぐに朝比奈へと意識を向ける。閉じようとする問題集を真ん中で強く折って固定した後に、ノートにシャープペンを走らせていく。所々止まりながらもペン先は淀みがない。一つ一つクリアしていく様が朝比奈自身と被って見えた。

(美緒にとっては、やっぱり寂しくないことなんだろうな)

 あゆむの中で朝比奈のこれまでの人物像から導き出す。朝比奈の言葉も思いも無理はしていない、本当のことなのだろう。バドミントンに関しては中学で達成したい夢があり、その夢が叶い、引退したことで一区切りがついて開放された。今後、高校からまた新しい目標を見つけていくのだろう。恋愛に関しては、バドミントンに区切りがついたところで遊佐という初めてのパートナーを得た。良い意味でも悪い意味でもバドミントン馬鹿である二人は、ゆっくりと着実に進んでいくはずだ。勉強もしかり。
 そんな挑戦漬けの生活で寂しいと思う気持ちはないに違いない。

「やっぱり、変だよ、美緒」
「え? 何か言った?」

 問題集に集中していたからか、朝比奈にはあゆむの呟きが聞こえなかったらしい。なんでもない、と首を振ってからあゆむも勉強の続きを始めた。雑念を排除して、勉強に集中しようとする。
 雑念とはすなわち、朝比奈の持つ雰囲気の変化だ。
 中学一年の時に北海道の外から転校してきた朝比奈は今よりも表情は少なく、あまり人と話さないような少女だった。人と話す暇を惜しんでバドミントンをしているような、悪い意味のバドミントン馬鹿。小学校の時からバドミントンをしていても、市内で負けるような実力だったあゆむにとって、朝比奈とのレベル差は驚きしかなかった。その力は入部してわずか一ヶ月でインターミドルの市内大会への部内エントリーリストに名前が載るほどまで。
 最初に発せられていた人を寄せ付けない雰囲気。それが、部での時間を過ごしていく中で徐々に消えていく。その過程を朝比奈の一番近くで見てきたという自覚があゆむにはあった。

(最初に友達になって、それから、二年半か。長かった、よね)

 振り返れば短い、と言うのは歳を取ってる人の言い方のようで、あゆむはあえて否定する。まだ出会って二年半くらい。しかし、あと半年もすれば離れることになる。

(やっぱり、美緒と離れるのは寂しい)

 最初の思考に逆戻りしていることに気づいた時には、朝比奈は問題集を閉じていた。同じところを解いていたはずだが、いつの間にか追い越されてしまったらしい。とっさに付けていた腕時計を見ると午後五時半。二十分ほど時間が過ぎていた。

「はぁあ、終わった。じゃあ、私行くね」
「え? あ、部活行くんだ」
「うん」

 反射的に一緒に帰ろうと言おうとしてあゆむは口を噤む。学力テストは三年生だけで、一年と二年は通常通り部活をしている。朝比奈は椅子の隣に置いておいたラケットバッグを背負うと、音を立てないようにゆっくりと図書館の扉の前まで行き、そのまま静か扉から出ていった。周りを見回すと時間も遅いだけに人数が一回前に見た時よりも減っている。閉館時間は夜六時。あと三十分ほど。これからまた勉強となると中途半端なところで終わるかもしれない。
 帰ろうと決めて机に広げていた問題集を閉じ、鞄の中に入れる。その時、廊下を走る上履きの音があゆむの耳に入ってきた。その音は徐々に大きくなり、やがて図書室の前で止まる。向こう側がぼんやりと見えるスモークガラスの扉には、身長が高い人物が写っている。シルエットだけだが、あゆむはピンとくるものがあった。その答えは静かに開かれた扉から入ってきた。
 その人物はあゆむを見つけると軽く手を挙げてから早足で駆け寄ってきた。

「おす。まだ帰ってなかったか」
「美緒は部活行ったよ? どしたの、遊佐」

 先ほどまで思考の大半を占めていた相手――遊佐修平はあゆむの隣に腰を下ろしてあゆむの横から真っ直ぐに顔を見つめてきた。
 そして、端的に用件を告げる。

「宿題、教えてほしい」

 肩から下げていた鞄からノートを取り出して、遊佐は頭を下げてきた。
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