Fly Up! 84

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「ナイスショット!」

 早坂のスマッシュが綺麗にコート奥へと決まり、応援していた清水が声援を送る。武はその隣で自分のことのように拳を握りながら「よし!」と呟いていた。
 スコアは十対六。既に早坂が一ゲーム目を取っており、次の攻撃を制すれば勝ちが決まる。けして楽に勝てるゲームではなかったが、見ている側からすれば負けるようには思えなかった。その予感を早坂は確かなものに変える。
 挽回しようとする相手の意思を刈り取るかのごとく、カットドロップが対角線に中空を切り裂いて落ちていく。唐突に放たれたドロップに相手は動けず、シャトルを完全に見送っていた。

「ポイント。イレブンシックス(11対6)。マッチウォンバイ、早坂」

 団体戦を共に戦っている部員が駆け寄る。早坂も笑顔で彼女達と会話を交わし、すぐさま試合をしている第二ダブルスの応援に回った。第一ダブルスは負けている。早坂が勝つことでイーブンとなったが、第二ダブルスは劣勢だった。

「勝てそう? 第二ダブルス」
「分からないなぁ。宮川先輩達が負けるの自体想定外だったからさ」

 武の問いかけに清水はため息混じりに呟いた。女子部員で最強のペアが第一ダブルスで。そして早坂でシングルスを取るのが女子団体での作戦だった。というよりも、予選でもその手で勝って来た。第二ダブルスになると力が明らかに落ちることは浅葉中女子の弱点であり、全地区予選までの短い間には克服できなかった。
 そこを突かれた形になったのだろう。現部長である宮川達第一ダブルスに相手のエースをぶつけられて、接戦の末敗れたのだ。

「でも……それでも勝つのが本当に強いってことだよね」

 清水の言葉は武がまさに今、思い浮かべたことだった。エースをぶつけられたならば、その相手を倒せばいいだけのこと。早坂は予定通り勝ったのだから。勝ち上がるとはそういうこと。実力があるから勝つのだ。

「やっぱり他の学校はもっともっと練習してるんだろうなぁ」

 清水の呟きは武に向けられたものではない。誰にも届かない言葉に、武は返さなかった。
 清水の寂しさの意図を武は分かる。半数以上が辞めていくとはいえ、女子部員は多い。特に中体連の時期はまだ予想外の辛さに辞め始める者が出てくる時期だけに、練習場所は自然と削られるし後輩へのアフターケアもある程度しないといけない。
 本気の練習に割く集中力をそがれる形となっているのだろう。

「無いものねだりしても仕方がないだろ。俺らは俺らで強くならないと」

 武の言葉に反論せずに、清水は頷く。その後は無言で試合の続きを見ていた。
 勝負は接戦になってもつれたが、勝者は一組。

「十五対十。マッチウォンバイ、坂上・益田」

 試合を終えた瞬間、相手中学校のペアが喜びの衝動に任せて抱き合っていた。悔しそうに見ていたこちらの第二ダブルスは、声を押し殺して泣き出す。大声を上げなかっただけまだ意地が残っていたのだろう。部長である宮川や早坂に肩を借りながら整列する。
 二対一。早坂の一勝のみで浅葉中女子バドミントン部の全地区大会は終わった。

「次は男子の二回戦か……。相沢、勝てそう?」
「さあ。いつも勝つ気だから」
「凄い強気だね」

 清水の言葉に武は頬を緩める。確かに地区予選の時の自分からは考えられない強気な台詞だった。いわゆる勝負根性の無さを先ほどの試合で克服したからかもしれない。それも、ようやくスタートラインよりも前に立ったというだけでまだまだ鍛えがいがあることに変わりは無い。

「そうだ。これからももっと強くなる。もう後ろ向きになったりしない。前だけ見ていく」
「相沢は、強くなったね」

 清水は手すりに乗せた腕に顔をうずめて呟いた。その様子があまりに寂しそうで、武も清水の不安に気づく。

「どうした?」
「別に。最近、伸び悩みなだけだよ。早さんも、若葉ちゃんも、由奈も強くなってる。でも私だけ置いてかれてるんだ」

 その感覚は武にも分からないでもない。
 ただ、それは強くなった自分を更に置いていく吉田から向かってきた感情であり、自分が強くなっているという前提がある。
 でも清水にはその達成感がなく、ただ離されて行く感覚だけがある。

「私、こんな身体付きだし、どうしても動くのは遅れちゃう。今はもう団体戦や練習限定になったけど、早さんとペアを組んでいてもどんどん動きが遅れてくんだ。だから途中からずっと狙われ続けて……私が足を引っ張ってる。負けないようスマッシュとかドロップとか練習しても……どうしても上手くいかない」

 武にはかける言葉が見つからなかった。
 清水は小学校までの自分だった。上手くなろうと努力しても試合には勝てない。単純に体力の問題だったが、清水は女性からすればスレンダーではなく動きも緩慢だ。動いていれば先に体力が尽きて狙われるのだろう。

「そりゃ、そうだろうさ。弱いやつを狙うのがセオリーだし」

 真正面を向いて口を開く。清水の顔を見ながら言うのは気が引けていた。
 沈んでいる気持ちに追い討ちをかけるかもしれないと武は思ったが、逃げていては始まらない。誰もがいずれは通る道のはずなのだから。
 清水は今の自分に近い。吉田よりも劣る、ダブルスの弱点ということ。

「だから、逃げるわけには行かないんだよ。俺は俺より強いパートナーに出会っちゃったんだしな。何より、あいつに負けたくない」

 自分の中にある気持ち。中学からも部活をやろうかと迷っていた自分を引っ張られた。
 初めて体育館のドアをくぐった時に飛び込んできた背中に。今でもそれは武の中に強くある。あの背中を守れる男になりたいと、思った。

「吉田は目標だけど、ライバルでいたい。あいつに頼られるくらいに強くなりたい。そう思って練習してれば、いつか足手まといにはならなくなる、と思う」
「相沢は、自分が足手まといだと思ってるの? まだ」

 意外そうな声音に武は清水のほうを振り向いた。呆気に取られた表情には、先ほどまでの暗い気持ちが見えない。清水にとっては突拍子も無い発言だったのかと武は自分の言葉を思い返してみる。
 結論は。

「そんな変なこと言ってた?」

 自覚など全くなかった。

「そりゃ、変だよ」

 清水はそう言って笑い出す。武には意味が分からず、逆にきょとんとするだけ。

「吉田君、相沢にはかなり頼ってると思うよ。外から試合見てると分かる。信頼してないと後ろは任せられないでしょ」

 清水の言葉に武は顔が熱くなる。自分にとってはまだまだ吉田は上の存在であり、追いついていないと思っていた。確かに頼られてはいる。清水の言うように実感はしている。
 それでも信頼に足るのかと自信を持っては言えない。それを清水は言い切った。周りから見れば完全にパートナーとして力を持っていると思われているのか。

「そう、かな」
「そうだよ。でも、私は違う。パートナーの足を引っ張るだけ……」
「なら、強くなればいいだけよ」

 声の先には、早坂が立っていた。

「清水はまだまだ足りないから。だから狙われるし。相沢だって才能あったから強くなったわけじゃない」
「そんなこと、思ってない」

 早坂のまとう気配は清水までも不機嫌にしていく。武は二人に挟まれる形になってどうしようかとおろおろするばかり。

「誰よりも努力したから、相沢は強くなったんだよ。それに比べたら清水は全然努力してない」
「そうだよ。そうだけど……」

 ふと、武は思いつく。早坂が何故怒っているのか。早坂の言葉に出てくるのは自分。けして早坂のことではない。
 清水が相沢に向けて努力についての愚痴を言ったことに、早坂は憤りを感じている。

「そこらへんで、いいんじゃない?」

 恐る恐る言葉を差し挟む。それで早坂の怒りの視線は武へと向けられた。久しぶりに浴びる光に、背筋がぴりぴりと痛む。昔のように怯えないだけましになったと武は心の中で笑った。

「清水だって頑張ってるんだしな。お前に追いつくために。俺が吉田に追いつこうと頑張ってるみたいにさ」

 早坂は厳しい視線のままで言葉を返してこない。武が何を思っているのか気づいたのか、それ以上何かを言うことはない。ようやく武も背筋から力が抜けて言葉を続ける。

「大丈夫だって。清水は強くなるさ。お前の思う通りに」
「え?」

 清水は驚きを隠さずに武を見る。早坂の、特に動じることの無い姿勢に武は自分の考えが正しいことを知る。

「期待するからそうやって怒るんだろ。でもさ、俺もそうだったけど自然と頑張るもんなんだって。早坂も、分かるだろ? 俺と清水を重ねてるなら」
「私と、相沢を重ねてる?」

 清水の口調に含まれる動揺。武は視線を清水へと向けずに、早坂に向けたまま。武自身もそれは感じていた。
 清水が早坂に向ける感情と、武が吉田に向けるものは似通っている。
 同学年の中で二番手という立ち位置も。
 個人戦で組むことはなくなったとはいえ、ダブルスのパートナーという関係も。
 強さに憧れる点も。だからこそ、早坂の清水への気持ちが分かる。強くなれるはずなのにどこかで蓋をしていることがもどかしい。一歩だけ足を踏み出せば、必ず一ランクは上がるだろうことを知っているから。

「早坂も吉田と似て、中々本心出さないけどさ。清水は強くなれるってことだよ。心配するなってことだ」
「はぁ。ほんと、小学生の時とは違うわよね」

 早坂の顔に笑みがこぼれた。

「私がちょっと見たらビクビクしてたのに」
「そりゃ、怖かったしな」

 武も笑い返すと、張り詰めていた場の空気が緩やかに流れ出す。早坂と共に客席のスペースに戻ってきていたのだろう。女子部員達の声が少しずつだが武と清水の耳に入るようになる。

「俺ももっと頑張って強くなるさ。俺でよければ練習相手になるよ?」
「そうね。考えてみる」

 最後に残った清水にもようやく笑顔が戻り、先ほどまでの空気は完全に霧散した。早坂と清水は女子のスペースに戻っていき、武はまたコートへと視線を戻す。
 次の試合はもうすぐそこ。第一シードの中学の実力を肌で感じることが出来る機会に武の身体は震えていた。それに気づいたのも手すりを持ったことで振るえが止まったからに他ならない。

(早く試合始まらないかな)

 そう思った武だが、先ほどの試合の疲れはまだ身体に残っている。欠伸がたまに出たり、身体の反応も思い描く動きより鈍い。それでも試合になれば全力を出せるだろうと思っていた。体力は十分にある。小学生までの武ならば間違いなく動けなくなっていただろうが、それは遠い日の記憶だった。

(だから、清水も頑張れよ)

 口に出すのは気恥ずかしく、内心で思うだけに留める。そこで試合のコールが流れた。

『団体戦第五試合。滝河第二中学と浅葉中学の試合を第一、第二コートで行います』

 コールが終わると同時に、右拳を左掌へと軽く叩きつける武。気合を入れてからラケットバッグを取りに早足で自分の場所へと向かう。
 視線の先には金田や吉田達がいた。阿部はまだ体力が回復しないのか椅子に座ったままだった。たどり着いたところで阿部に声をかける。

「阿部さん。大丈夫ですか?」

 阿部は弱々しいながらも笑みを返して、大丈夫じゃないなと呟く。冗談めかして言っていることは武も分かったが、阿部の体力は冗談に聞こえないほど低下している。

「阿部さんはここで見ていてください。何とか勝って来ます」
「おう。期待してる」

 その言葉だけで武には十分だった。
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