Fly Up! 83

モドル | ススム | モクジ
「勝った……」

 武の半ば呆然とした呟きは周りの歓喜にかき消される。走ってくるチームメイトの姿を視界に収めていても、武の中にはまだはっきりと勝利の鼓動が迫ってこない。

(本当に、勝てたのか?)

 金田や笠井、阿部からも肩を叩かれるなど手荒い賞賛を貰ったことで合わせて笑うが、それでも現実と境目が出来ている。
 何故そのような感覚に陥るのか武は理解できない。何かが足りない。勝利したと実感する、何かが。

「相沢」

 吉田の声に振り向いて真正面に姿を納める。笑顔で手を掲げていて、ハイタッチを要求しているのだとは分かった。でも、動けない。
 一瞬、武の様子に吉田は眉をひそめたが、一言呟いた。

「勝ったぜ、俺達」

 それが、武の中の扉を開く鍵となる。足りなかったものが一瞬で埋まるのを武は感じた。
 地区大会の敗戦から今まで、武の中にたまっていたもの。
 練習で積み重ねてきたもの。
 何もかもが一緒に外へと出ていく。気づかずに堰き止めていた思いが開放されたことで武は破顔していた。

「――ゃ」

 あまりにも大きい感情の波が一度に出ることに身体が耐え切れず、喉元で止まる。それもすぐに慣れ、準備が整ったところで武は手を掲げて叫んだ。

「よっしゃぁああ!」

 半ば打ち付けるようにして吉田の左掌に右掌を叩きつける。甲高い音と武の急激な変化に他の部員達は驚いて身体を震わせるほどだった。それでも今の武には気にならない。勝利を自覚したことで周りのことが見えなくなる。

「やった! やったなぁ、吉田!」
「本当だよ。よく頑張ったな」

 武をなだめるように言う吉田の顔にも笑みが浮かぶ。込み上げるものは吉田にもある。ただ、それを出していないだけ。今の勝利は、二人のものだった。

「お前ら。喜ぶのはそれくらいにして整列しな」

 金田に言われて武もようやく落ち着いた。返事を一つ返して吉田と共にネット前に並び、そこで凍りつく。

(あ……)

 泣いている鈴池と菊池の姿。阿部と試合をした鮫島も涙を目に浮かべて肩を震わせている。武の中にある勝利の達成感は後味の悪さに消えかかった。その時、左に立つ吉田が手首を握ってくる。咄嗟に振り向くと厳しい顔で首を振っていた。武の中に浮かんだ感情を否定するように。

(そうだな。勝つって、こういうことだ)

 他校の、他人の無念を刻んでいく。それが勝負事の宿命。どんなに相手を気遣ってもそれは侮辱になるだろう。

(この嫌な気持ちも包んでいくしかないんだ)

 武は前を向き、菊池の涙を見ながら試合終了のコールを聞いた。

「一対二。浅葉中の勝ちです」
『ありがとうございました!』

 声を揃えて握手し、離れる両校。武は、真正面から自分達を見て挨拶を口にした相手に内心驚いていた。涙を浮かべていたのも挨拶までで、その時にはもう立ち直り、悠然と歩いていく。
 自分達の出番は終わったとけじめをつけて。

「凄いな……」

 声がもう届かない場所へと離れたところで武は呟く。その呟きを拾ったのは金田。武の考えていることを理解したのだろう。曖昧な笑みを浮かべて口を開く。

「別に悔しくないわけでも割り切ったわけでもないだろう、あいつらは」
「でも、どうしてあんな風に振舞えるのか、俺には分からないです」

 自分の敗北した時を思い出す。ぼろぼろになって、人に見せられるようなものじゃなかったと赤面してしまう。
 金田は少しだけ考えて、呟いた。

「自分らが全力を出したってことだろさ」

 金田の言葉に含まれる微妙な揺れが気になったが、次の試合のミーティングのために場所を移動することになる。
 結局、その先を聞けずに武は歩き出した。自分の中で金田の言葉を反芻する。

(全力を出して負けたらそれこそ悔しいんじゃ……でも、全力を出せなくても悔しい。結局、負けたら悔しいってことじゃないか?)

 負ければ悔しい。全力を出しても、出せなくても。でも金田は鮫島達はそれで何かしらの達成感を得たということを示唆している。

(やっぱ、分からないなぁ)

 考えながら歩いていたからか、足が遅くなって集団から離れ気味になる。走って追いつこうと踏み出した時、前から歩いていくる人物に気がついた。

(あれは――)

 滝河二中のユニフォーム。そして、朝に見た双子の片割れ。半分ほど目を閉じてイヤホンから流れる音楽に身体を揺らしながら武のほうへと歩いていく。少し漏れているのはロック系の物。激しくかき鳴らされるギター音が耳の奥から湧き出していた。
 武は少し身体を壁側に寄せて歩く。たまに目を開いていることから見ていないわけではないだろう。そのまま横を通り過ぎる。
 その時。

「お前、良いスマッシュ持ってるジャン」

 武は反射的に脚を止めていた。足音がなくなり、響くのはイヤホンからの音楽だけ。振り向くと満面の笑みを浮かべた相手が立っている。

「でも俺には全部防ぎきる自信があるぜ。次当たったら見せてやるよ」
「なんでそんなことをわざわざ?」

 同級生かを確認しなかったが、武の口調は自然と荒くなる。空気の変化に気づいていないのか、気づいていても受け流しているのか相手は言葉を続けた。

「しょーじきに教えてやらないとこう、胸がムカムカするっつーかなー。俺が気持ち悪いわけよ」

 相手の態度は完全に武を見下している。不快感を隠さず睨み付けていた武に向かい更に畳み掛けてくる。

「恐らくさぁ、俺のスマッシュは全道でも通用する! とでも思ってるんじゃないかなぁ。だとしたら甘いね。あれくらいのスマッシュ打つ奴ならごまんといるぜ。経験者は語る」

 経験者、という言葉に握っていた手が少しだけ緩む。態度が最悪なことこの上ないが、それが実力の上から来ているとなると話は別だ。

(口だけ、くらいしか言えないもんな今の場合)

 初対面で散々見下された経験など武にはなく――そもそもここまで悪意を突きつけられた経験もない――出てくる言葉が圧倒的に足りない。それが実際に経験した者からの言葉なら尚更だ。地区予選で負けたような自分は何も言えないと一歩引いてしまう。その気配を掴んだのか、相手は愉悦に満ちた表情で語る。

「それにスマッシュだけで他が駄目ジャン。何あのヘアピン。あんなに浮いてたらプッシュ打たれて当然ジャン。お前のパートナーが取ってくれてるから大丈夫だけどさー」
「そこまでにしておけよ、海人(かいと)」

 言葉の洪水に飲み込まれ、何も言えなくなっていた武の後ろから聞こえてきた声に相手は口を止める。振り向くとそこには同じ顔。前から後ろにワープしたのではと武が錯覚するほど同じ顔。しかし雰囲気は多少違う。

「あまり人を貶めるなよ。ここに勝ち上がるまでも大変なんだ」
「でもよー、空。こいつ、個人戦にも出てないんだぜ。団体だけならそりゃからかいたくもなるだろ」
「バドミントンだけそこまで性根が悪くなるやつも珍しいよな、弟ながら」
「その血はお前にも流れているのだー」

 完全に二人だけで会話を重ねる様を呆然と眺めるだけになってしまっている武。止まっていた思考が動き出すと共に、一つ納得がいく。

(なるほど。双子はやっぱり同じかもしれない)

 空と呼ばれた男も武を気にかけたのは初めだけで、もう眼中にないようだった。口に出さず、態度が武を排除している。

(俺と若葉を考えれば、当たり前かもな)

 自然と笑いが込み上げて、息が漏れる。それを聞きつけたのは海人だった。

「あ、何が可笑しいんだ?」
「ごめんごめん。俺も双子でさ。同じだなーと思ってた」

 武が言った瞬間に二人の顔が一変する。
 それまでは、スポーツマンにしては長めの前髪の間から柔らかい光を放っていた瞳が見えていた。しかし、それも武の全身を射抜くような鋭さに変わっている。

(なんだ? 双子ってのが悪かったのか?)

 不快な気分にさせたなら謝ろうと思った武だったが、その前から不快にされっぱなしだったことを更に思い出す。

(そうだよな。それを言ったら先にしかけてきたのはあっちだ。俺が謝る義理なんてどこにも無いじゃないか。どうしてこんな思いしなきゃいけないんだよ)

 理不尽な出来事に対しての怒りが、武をその場に留まらせる。そそくさと立ち去ってしまえば双子は追ってこないとは思ったが。このまま引き下がるのもよしとしない。

「なん、だよ」

 とりあえず睨まれているだけの状態から先へと進めようと、武は問いかけた。その声が予想以上に詰まり、言った後で後悔する。

「お前も双子っつたよな」
「うん」
「俺らって同じと思うか?」
「は?」

 質問の意味が分からず武は気の抜けた声を出してしまった。聞こえなかったと思ったのか、海人は更に続ける。

「だから。俺らは双子だから何もかも同じとか言うんじゃねぇだろうな?」

 意味は武も理解できる。双子ならば顔も似ているし性格も似るところはある。自分と若葉を比べてみて、いくつも共通点は挙げられる。
 それでも違う人間というのは事実だ。

「まさか。双子なんて顔が似てるだけの他人だろ」

 思ってることを率直に伝える。急にバドミントンに関係が無いことを振られて、武の怒りは急速にしぼんでいった。言うことを言ったので去ろうと背中を向けた時、右肩と左肩を同時に掴まれていた。

「そうだよな! 当たり前だよな!」
「もしかしてお前も苦労してきたんだな!」
「いや、ちょ!」

 強引に双子のほうに身体を向けられた武が見たのは、先ほどのどこか馬鹿にしたような笑みではなく完全無欠の笑顔。心の底から「会えてよかった」という気持ちが溢れている。意味が分からないまま身体を硬直させていると、二人を呼ぶ声が後ろから聞こえてきた。

「おい、空海! 次の試合のミーティング始まってるぞ!」
「あ、いけね」
「お、いけね」

 武の肩を離して、二人は声の方向へと進みだす。

「俺は橘空人(あきと)。で、こっちが」
「海人だ。よろしくな!」

 空人と海人は楽しそうに手を振りながら去っていく。開放された武は腹の底から息を吐き出した。まるで台風が過ぎた後のように自分の髪の毛が乱れているような気がして、頭を触る。無論、乱れてはいない。

(小島といい、上手い奴らってみんな、あんな感じなのか)

 自分の実力を自慢のようにさらけ出し、それでいて行動を曲げない。馴れ馴れしくなる時はとことんなる。最初はその強引さに引いてしまうがいつの間にかその強さに引き寄せられてしまう。

「相沢ー。どうした?」
「あ、ごめんごめん」

 いつまでも来ない武を探しに来た吉田に答えて武は歩き出す。隣に並んだところで吉田が囁くように話しかける。

「今度、俺達は第一ダブルスらしい。金田さんと笠井さんが第二ダブルスということで進めてる。やっぱり阿部さんは無理っぽいから、シングルスは小谷さんだ」

 なるほど、と武は内心で呟く。次の相手は基本的に自分達よりも力が上だ。組み合わせの妙で勝てるとは思えない。誰もが負ける確率が高いなら、自分らが出来る最善をするしかない。金田と笠井、武と吉田でゲームを取る。
 小細工なしでぶつかるしかないということは、策が尽きていることに他ならないが背水の陣とも呼べた。

「あの双子はどっちかな」

 ダブルスと聞いて自然と口が開く。先ほどまで二人と話していたことは吉田は知らないはずだった。その通りで、特に何かを気にすることもなく吉田は答える。

「ん。多分第二ダブルスじゃないかな? 多分第一はエースダブルスだろうし」

 吉田の言葉に武は首をかしげた。一体何が引っかかっているのかと自問して、気づく。

(そうか。吉田のやつ。あいつらがエースじゃないって確信してるんだ)

 武は双子のプレイを見たことが無い。個人戦ダブルスの組み合わせを見てみると、第一シードは彼らではなく三年のペアだった。そこから判断して当然第二ダブルスで来るだろうと思うのは正しいだろう。それでも武はすっきりしていなかった。

(なんか、引っかかるんだよな)

 目に見えるものではなく見えないもの。実績以上の何かを彼らは持っている。そんな気が武はしていた。

(誰が来ても、勝つしかないんだけれど)

 前を歩く吉田には何も言えず、歩いていった。
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