Fly Up! 77

モドル | ススム | モクジ
 吉田のショートサーブからスタートした試合は、すぐにトップギアへと移行した。相手の中学にとって信頼できるはずのエース、鮫島が阿部に苦戦している様子を見て、浅葉中を侮れない相手だと確信したらしい。

「らぁ!」
「はっ!」

 鈴池、菊池は双方ともスマッシュを得意としていた。鋭いスマッシュを武が強引に返してもすぐさまもう一人がラケットを振り下ろす。吉田と武は防戦一方でスマッシュを受け続ける。

「やばいな。いつまでも攻められてちゃ勝てるものも勝てないぜ」

 先ほど終わった試合の疲れを隠せず、金田はタオルで顔を何度も拭いながら武達の試合を見ている。隣では笠井が同じような動作を続けながら、しかし金田とは対照的な顔をしていた。
 余裕とも取れる笑みを。

「笠井?」

 笠井がはらむ気配に気づいたのだろう。金田が顔を向けると笠井は笑い返した。阿部も本来の実力差から盛り返され同点。武達も常に攻められ続けている。この状況で何故笑えるのか金田には分からなかった。

「金田。気づかないってことは結構疲れてるな」
「いやま、確かに。教えてくれ」

 素直に疲れを告白する。逆に笠井は疲れていないのかと尋ねようかと金田は思ったが、止めておく。疲れていないはずがない。笠井は試合が終わるまでは弱みを見せないと思っているのだ。団体戦は自分達の勝負がつけば終わるわけではない。応援している間もまた、メンバーは戦っている。
 立ち上がってタオルを肩にかけた金田に笠井は「なんか親父くさいな」と呟いてから、語る。

「阿部は確かに押されてるけど、相沢達はそうじゃないってことさ」

 言われてもう一度戦況を見てみる。相変わらずスマッシュを打たれ、それを返すという構図。ネット際に打っても相手のヘアピンに対して吉田が上げて、それをまた強打される。武も前に落として相手に上げさせようとしているようだが、それに乗らず、相手はヘアピンを打ち続ける。

「ん?」

 試合を包む違和感に、金田は気づいた。
 試合は激しくシャトルを叩き込まれているが、点数は動いていない。
 一対一。金田達が見守っている間にお互いが取った点数。見た目の激しさとは裏腹に、試合はまったくと言って良いほど動いていなかった。

「だろ。相沢達はあえてシャトルを受け続けてる。どういうつもりか知らないけどな」
「やりたいことは分からなくは、ない」

 笠井は金田の声色に視線を向ける。そこに見えたのは不敵な笑み。武達が狙っていることを理解したのか、「よくやる」と呟きながら笑っていた。

「よくやるって?」
「あいつら。スマッシュを受けきって相手の心を砕いてから勝つ気だ」

 金田は腕を組んで背筋を伸ばすと、武達に檄を飛ばした。

「相沢! 吉田! 一本だ!」

 シャトルが跳ね上がり、菊池の上空から落ちてくる。それを幾度目かの強打で打った菊池だったがネットに引っかかってしまった。

「ポイント。ツーワン(2対1)」

 金田の力を得たかのようにタイミングに、二人は拳を向けて答える。金田も満足したのか用意された椅子へと座って二人の試合の様子を見た。

「俺は阿部のほう見てるわ」

 笠井はそう言って阿部の試合に身体を向ける。ちょうど一ゲーム目終盤。十四対十三。鮫島の一点リードだった。

「阿部! ストップだ!」

 攻撃を止め、一点を取ればセティングにいける。まだ勝利のチャンスは残されていた。しかし阿部は顔を流れて視界を遮る汗を拭っていた。

(やっぱり、かなり疲れてる)

 まだ一ゲームだと言うのに体力の消耗具合は阿部のほうが上だった。実力差を埋めるためにどう打てばいいか常に考え、思い描いた位置へとシャトルを打つこと集中したせいだろう。体力の消耗はかなりのものとなったはずだ。

(相沢達が勝つことに賭けるのか)

 当初の考え通りに話が進みそうだというのに笠井は良い気分ではなかった。今まで三年間同じように部活に励んできた仲間が負ける姿を見たくない。しかも、勝てる可能性が薄い相手にあえて挑むことで。

「ストップ!」

 高く上がったシャトル。阿部はその下に入り、振りかぶる。そこから打たれたのは、何の変哲もないドロップ。
 それでも、あっさりとネット前に落ちていた。

「え?」

 あまりの簡単さに笠井も驚きの声を上げていた。
 鮫島のほうを見ても、困惑した表情を浮かべたままだった。自分でもどうして取りにいけなかったのか分からないと言った表情。何か、阿部がトリックでも仕掛けたというのか。体力も限界に近いはずの阿部が。

「うっし。まずは一本!」

 阿部は足首を回しつつ、上半身は左右に捻っていた。先ほどまでの疲れ具合は全く見せず、顔にも笑みが浮かんでいる。

「疲れた振りをしていたのか?」

 笠井は呟きながら思考をまとめようとするが、体力があることとドロップが決まったことはそれほど関係ないように思える。笠井に気づかないフェイントを使っていたのかもしれない。

(でも本当に普通のドロップに見えたがな)

 そう考えているうちに阿部のサーブ。ロングと見せかけて、ショートサービス。しかし鮫島も後ろには下がらずに前に出てロブを上げ――ネットにぶつけていた。

「ポイント。フォーティーンオール(14対14)」
「よし! セティングお願いします」

 審判のコールとほぼ同時に阿部はセティングを宣言する。しかし鮫島も審判も呆気に取られて固まった。笠井も意味が読み取れずに思考停止してしまう。

「あ、君。セティングは追いつかれたほうが宣言するんだ」
「おっと。失礼しました」

 阿部は頭を下げて簡単な柔軟を始める。阿部流のかく乱なのか、単純に熱くなってミスをしたのか読めない。

(これも作戦か?)

 笠井は考えることを止めた。今は十四対十四となったことが、事実。そしてそれよりも気になることがある。
 改めて審判が鮫島へ尋ねると、セティングが申請された。これで三点をどちらかが先にとればこのゲームは勝ちとなる。これでまた阿部が鮫島と同じ場所に立てたが、笠井は二回連続のミスが気になっていた。

(どういうことだ? 鮫島がこうもあっさり……)

 昨年の全道大会にも出ている鮫島の強さは笠井も知っていた。直接見たことはなかったが、バドミントンの雑誌にも名前は写真付きで出るほどで、三年になった今年は全国大会へと駒を進めるだろうと言われている。その鮫島が、格下の相手に追い詰められているというのは、阿部が身内とはいえ納得できなかった。

「一本!」

 阿部は再びショートサーブを打つ――モーションから軽く上へとシャトルを上げた。中途半端な軌道。簡単に渾身のスマッシュを打たれてしまうような。
 しかし、鮫島が打ったのはハイクリアだった。大きく飛んだシャトルはコートの奥を更に超え、外に着地する。

「ポイント。フィフティーンフォーティーン(15対14)」
「しゃ!」

 阿部のガッツポーズにどよめきが起こる。相手もこちらも、考えても見なかった善戦に驚きを隠せない。

「っし! いっぽーん!」

 シャトルが大きく弧を描き、どよめきの海の中を颯爽と翔けていった。



「ポイント! セブンティーンフォーティーン(17対14)。チェンジエンド」

 阿部のドロップが三度決まり、遂に一ゲーム目を先取した。叫んで喜びを表すだろうと思われていた阿部はしかし、特に何も言わずにラケットバックのところへと向かう。逆に鮫島はラケットを自らの足に叩きつけて不甲斐なさを悔いていた。

(凄いな。完全に試合のペースを握ってる)

 笠井は組んでいる自分の手が震えていることに気づいた。何について驚いているのか。考えてみると一つしかない。

(何となく分かってきた。でもそれを意識してやっているのなら……なんてやつだ、阿部)

 試合は静かに立ち上がる。阿部がロングサーブを打ち、鮫島は鬱憤を込めたかのごとくスマッシュを放つ。シャトルはしかし、ネットを越えずにネットにぶつかって鮫島のコートへと跳ね返って落ちた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「しゃおら!」

 いきなりの声に笠井は驚いて阿部を見た。そこには左拳を震わせて突き上げている阿部の姿。一ゲーム目を取った時には見せなかった気合。鮫島も呆気に取られた表情で視線を送っていた。

「も、もう少し声は抑えてください」
「はい。すみません」

 動揺から一足早く立ち直った審判が阿部に注意を促す。あまりにも相手を威嚇するようなことはルール上反則になっている。自分を奮い立たせるくらいならばまだしも、明らかに今回の阿部の咆哮は大きすぎた。

「んじゃ、いっぽーん!」

 ロングサーブのようで、中途半端な軌道が鮫島へと行く。ちょうど真正面。その場から動かずにラケットを上から振ればスマッシュが打ててしまうような浮き方だった。それでも鮫島は一度左にずれてからロブを上げた。阿部は追っていってドロップで落とす。ネット前から離れた場所に着地しようとしたシャトルを、鮫島はヘアピンで阿部のネットへと落とした。阿部のショットとは逆にぎりぎりを通って落ちるシャトルに阿部は対応できず、久しぶりにサーブ権が移動した。

「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」
「しゃ!」

 鮫島は阿部の轍を踏まないように短く小さく、しかし鋭く吼えてからラケットを両の手で持て遊び始めた。

(やばいな。鮫島も阿部の狙いに気づいてた)

 当然と言えば当然だ。相手は全道まで行っている。実戦経験なら向こうが上。こういう事態を収める方法も分かっているだろう。
 鮫島は帰ってきたシャトルを数度小さく跳ね上げてからラケットだけを使い空中で捕まえた。落ちてくるシャトルに合わせてラケットを下へと滑らせ、横に面を変化させることで上に載せる。落ち着かなければ出来ないことだ。第一ゲーム終盤の状態ならば恐らく出来なかっただろう。つまり、もう鮫島は落ち着きを完全に取り戻しているということだ。

「さあ、一本だ」

 低く静かに呟いて、鮫島はサーブを打った。高く上がるシャトルに合わせて阿部はドロップでネット前に落とす。今まで決まっていたフィニッシュショットに頼る。それは、自分の技術に自信があるのなら当然の行為。しかし笠井は阿部の変化に気づいていた。

(阿部は、焦ってる。というよりも、手がなくなったのか?)

 前につめた鮫島がネットを越えた瞬間にプッシュで阿部へとシャトルを飛ばす。真正面に来たシャトルをかわしながらロブを上げ、体勢を整えようとした。
 しかし、シャトルの弾道は低く、鮫島はジャンプしてラケットを軌道へと割り込ませていた。
 強打ではなく、軽く当たるだけ。それでもネット前に落ちていく。

「うら!」

 阿部が前にダッシュしてラケットを伸ばした。体勢を崩しながら拾ったシャトルは甘く浮いて、格好の餌食となる。強烈なプッシュがシャトルをコートへ打ちつけて跳ね飛ばした。

「ポイント。ワンオール(1対1)」
「しゃ!」

 阿部を前に拳を握りガッツポーズをする鮫島。すぐに身を翻して自分のサーブ位置へと戻り、シャトルが返されるのを待つ。阿部も顔は全く変わっていない。大人しくシャトルを拾いにいって優しく返した。

(どうする? 今までのアドバンテージは消えたぞ。どう戦うんだ阿部)

 コート上の二人のポーカーフェイスに代わり、外で見ている笠井は焦りを浮かべた。
 打てる時に打たなかった。叫ぶときに叫ばなかった。フェイントを織り交ぜて戦っていたのにいきなり何の変哲もないショットを打つ。
 阿部が今まで鮫島に仕掛けていたのはプレイスタイルを絞らせないことだった。
 当たり前の行動を取らないこと、何を狙っているのかはっきりさせないことで思考の幅を広げ、細かい部分の意識をかすませる。
 つまりは、実力の差は全く埋まっていない。単純に相手をかく乱させていただけだったのだ。
 笠井の耳に、どこかで歯車がきしむ音が聞こえていた。
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