Fly Up! 68

モドル | ススム | モクジ
 決勝のコートに立ち、ネット越しに握手をする。武の前には刈田。頭一つ高い位置から見下ろしてくる視線にも、今の武は動じない。

「お前とやれないのは残念だけど、うちらは勝つぜ」
「やってみないとね」

 初めて会ったころに、刈田の身体つきに萎縮していた自分を思いだす。そして、遠い過去としている自分に気づく。変わったところは本当に変わった。変わらないのはこうして試合に出ることへの憧れと、強さへの興味。

(あのダブルスとやってみたい)

 一年生ダブルス。他校の三年を圧倒して見せた実力。特に捻ろうと相手がしなければ、当たることになる。
 握手も済んで、キャプテン同士がオーダー用紙を交換した。浅葉中は金田が、翠山中は刈田がそれぞれのオーダーを相手に渡す。コートの外にある自分達のスペースに戻って確認すると、武の予想通りだった。特に捻ることなく、第一ダブルスと武達。刈田と金田。第二ダブルスと阿部・小谷ペアという対戦になった。
 金田の一声で円陣が組まれる。

「よし。いいか。全力でいくぞ」

 金田はそう言って手を前に出した。そこに重なる二つの手。

「俺らまで回すなよ。個人戦楽したいし」
「言えてる言えてる。一戦もしないで優勝」

 阿部と小谷の言葉に場が緩む。緊張が途切れるというわけでなく、程よく和らぐというように。

「俺らも同学年以下には負ける気ないんで」

 吉田は言外に『上級生にも負けない』と含ませながら言い、手を置いた。残りは一人。

「勝ちます」

 それだけ。多くはいらない。語れない。自分に出来るのは結果を出すだけだと武は分かっていた。力が無いものが何を言っても通じない。団体メンバーの中で最も実績が無いのは自分だと、ずっと下にい続けたからこそ分かっていること。
 言葉に力を与えるのは、実力だ。
 最後に手を沿えると同時に、息を吸う音が同期した。

『浅葉中、ファイト!』

 特に調子を合わせたわけでも、そうすると決めたわけでもなかった。
 唯一つの勝利のために、皆の心が一つになった証拠。
 重なった手達が振り下ろされ、一箇所に固まっていた手がばらばらになる。それでもメンバーの闘志が身体の中に流れてくるように武は思った。
 最初の試合と同じようにまずは第一ダブルスとシングルスが行われる。第一コートでは武と吉田。第二コートには金田が残る。相対するのは、武達には一年二人。金田には刈田。試合の注目は共に学年を代表するスマッシャーであるシングルスに集まっているようだった。

「みんなあっちに集中してる分、気楽だろ」

 吉田の言葉には頷いただけだったが、武は心の中で安堵していた。優勝を決めるという経験は二回目。一度目は個人戦だけに、負けても自分達のせいで終わるが、団体戦は違う。プレッシャーはあまり感じないとは思っていたが、それでも不安はあった。蓋を開けてみなければ分からないものもある。
 そんな武の胸中を、吉田は見越していたのだろう。

「うん。助かった。思い切りやれそうだ」

 試合時間となり、二人はネット前に歩み寄る。同じように近づいてきた長身と短身コンビはまだまだ小学生の面影を残していた。

(当たり前か。つい一月前は小学生だったんだから)

 それなのに三年生を差し置いて団体戦に出てくる。それだけの実力が先ほどの試合で垣間見えた。相手は確かに一年だが、強敵には間違いない。

「お願いします」

 武が差し出した手に重なる手。だが、目線はあわさずに呟くように「お願いします」と言ってからすぐ戻っていく。不思議に思いつつレシーブ位置まで戻ったところで、サーブ権をどちらが取るかを決めていないことに武は気づいた。
 同時に吉田がじゃんけんを提示している。長身の男が慌ててネット際までやってきてじゃんけんを始めた。

(緊張、してるのかな?)

 そういうこともあるかもしれない、と武は考える。いくら強いとはいえまだ中学生になって二ヶ月ほど。精神的に幼すぎるのかもしれない。

「おい、相沢」

 サーブ権を取得したのは翠山中のペア。ネット前まで決めに行っていた吉田が戻ってきて耳打ちする。

「もし今、あいつらが緊張してると思ったんだったら、さっさとその考え棄てるんだ」
「……なんで?」
「思い切り嘘だ。詳しく伝える時間は無い」

 そこまで言って吉田はレシーブ位置で構える。視線はすでに試合モードへと切り替わっていた。

「これより、藤本君、小笠原君翠山中。吉田君、相沢君浅葉中の試合を始めます」
「よろしくお願いします!」

「一本!」
「応っ!」

 先ほどまでのどこかおどおどとした態度とは打って変わって、張りのある声で気合を入れる二人。長身の藤本がまずショートサーブを打ってきた。吉田は浮かせずにヘアピンで右端を狙うが、そこに飛び込んできた藤本がロブを上げる。
 シャトルは高々と上がり、落下点は後ろのライン傍までやってきた。下に入った武は驚きを隠せなかった。

(あそこに打たれて、これくらいしっかりしたロブが打てるなんて)

 今まで何度も吉田のヘアピンには助けられてきた。相手が取れずにエースとなることもそうだが、ネット前の勝負を避けてシャトルを上げる際に、浅くなることでチャンス球となっていたのだ。それを武が叩く。前と後ろで最大限の攻撃をするための起点となる技。
 それが初めて、見事に返されていた。

(それでも、やることは変わらない)

 最高のスマッシュを打ち込む。自分に出来ることはそれだと武は分かっている。振りかぶり、腕のしなりを利用して伝達した力をシャトルへと解き放つ。ガットの中心に捉えられたシャトルは、相手ペアのちょうど間へと突き進んだ。

(これなら――)

 討ち取ったと思ったのもつかの間。サイドに分かれていたうち、短身の小笠原がバックハンドでスマッシュを打ち返した。

(くっ――)

 決まったと思い、一瞬動きを止めた武だったが、すぐさまシャトルを追い、またスマッシュを放つ。今度は小笠原の右側。ダブルスの外側ライン上へ。速度は今度も申し分なかったが、小笠原が威力に押されることもなく前に落とした。
 そこに待ち受けていたのは吉田。小笠原の前で更にヘアピンを打つ。すぐ目の前にいることで少しでも浮き上がればプッシュを打たれていたはずだ。だが、結果はラケットを出せず、小笠原はクロスヘアピンでシャトルを武達のコートへと運ぶ。

「そこ!」

 その瞬間、吉田が吼えた。クロスヘアピンは文字通り斜めにネットをクロスして相手コートへとシャトルが向かう。その軌道は、ストレートよりも長く相手の目の前を通り抜けた。ちょうどネットの中心をシャトルが越える瞬間。吉田が狙ったのはそこだった、ネットに触れることなく、一瞬の反発力でシャトルを叩き落した。

「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」
「っし!」

 シャトルを打ち落とした吉田に、小笠原がシャトルを軽く跳ねて渡した。正確に手元へと戻ってくるシャトルに吉田は相手のほうを見る。
 その時、吉田が震えたように武には見えた。

「一本」

 相手の視線に答えるように吉田は呟く。視線を外してサーブ位置に戻ってきたところで、武は尋ねる。

「どうした? なんか一瞬震えてたけど」
「いや。もう敵意むき出しだからさ」

 吉田は笑みを浮かべていたが、気配は張り詰めたまま。余裕はある。しかし気を抜くことは出来ない。相反するようでしない二要素。武はまだまだ顔を緩ませることは出来なかった。相手の力ははっきりと分かる。安西達と戦った時か、それ以上の気配が身体を支配する。

「よし、一本だ!」
「おう!」

 藤本達と同じように言い、構える二人。吉田のサインはショート。バックハンドで相手のサーブラインへと置いていくように、放つ。
 同時に飛び込んでくるのは藤本。ネットの上ぎりぎりを飛んでいくシャトルを、触れさせること無くプッシュする。武のバックハンド側へと。

「っら!」

 体勢は十分。バックハンドに握りを変えて、シャトルを打ちぬくと低い弾道で相手コートへと向かった。だがネットを越える瞬間に差し出されたのは藤本のラケット。
 シャトルはインターセプトされて武達のコートに戻されていた。

「セカンドサービス」

 審判が告げる声を後ろに、吉田がシャトルを取りに行く。ラケットで拾うとそのまま武に投げた。

「ドンマイ。ロブを打つなら確実に上げよう」
「ごめん」

 シャトルを手渡されながら、武は動揺を隠せなかった。ネット前につめて、打った瞬間に返ってきたドライブ気味のシャトルに対応できるなんて。
 武も考えなく打ったわけじゃなかった。対応できない弾道で放つことで相手の返球が甘くなるようにしたつもりだった。
 その考えを根底から否定された形になる。

(並大抵の反射神経じゃないな。しかも、あれで後衛型なんだ)

 清華中との試合では、藤本は主に後衛でスマッシュを打っていた。小笠原が前で落とし、藤本が後ろから攻める。武と吉田の役割と似た二人。だが、武が今のシャトルに反応できるかと自問自答すれば、今はノーと答えるしかない。

(いや、今できることをするしかない)

 武のサーブも同じくショート。しかし、打った瞬間にミスショットと分かるほどシャトルは浮いてしまっていた。レシーバーである小笠原はそれを逃すような相手ではなかった。前に飛び出すタイミング、ラケットを振る速さがネットを越えた瞬間のシャトルに終結する。勢い良く叩かれたシャトルはコートに叩きつけられるように、武には思えた。いや、その思えた一瞬と吉田がそれを弾き返す一瞬は同じ。
 駄目と思った瞬間には、吉田が相手コートへとロブを上げていた。

「広がれ!」

 絶叫に近い声に身体は反応し、武はすぐサイドバイサイドの陣形を取った。いつもの吉田に比べたら弾道も精度も低いロブ。しかし相手のエースを防いでのカウンターとしてなら上出来と言える。むしろ、本当ならサービスオーバーになっていたかもしれないラリーなだけに何も言えない。
 藤本が後ろで、小笠原が前で。相手も自分達の陣形に持ち込んだからか、プレッシャーが更に増した。そのプレッシャーを後ろから突き破るように放たれるスマッシュ。今度は武もしっかりとロブを上げた。打った場所の反対方向へ向かうシャトルにサイドステップで追いついた藤本は、横っ飛びでジャンプしながらクロスで武へとスマッシュを打つ。

(あのバランスも似てる……)

 後衛の動きはまるで自分を見ているようだった。ならば完全にバックハンド側のシャトルも背中を向けて打ち返すのではなく、強引に身体を捻ってスマッシュを打つのだろうか。
 それを確かめたいと思う前に、武は一歩前に踏み出した。それだけシャトルが到達するのが早くなるも、その分だけ素早くラケットを振りぬいて打ち返した。シャトルは武の狙い通り、藤本の左側に飛ぶ。横っ飛びで追いつくのは難しい弾道。

「おおお!」

 強引に身体を横に捻り、シャトルを打ち抜く。武と似た強引なショット。それを武は前に落とし、そのままトップアンドバックへと移る。小笠原がヘアピンで返したところで武はドライブ気味に後ろへと飛ばし、また広がる。
 一瞬で入れ替わる二人。行き交うシャトル。徐々にスピードアップしていく武達。止まらないラリーに徐々に客席から人が吸い寄せられていった。
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