Fly Up! 67
ポイントはまだ一点取られただけ。しかし、前のゲームから続けて四得点。これ以上連続で取られたならば一気に押し切られる可能性が高い。早坂もそれは分かっていたが、打破するための手が見えない。
(完全にドロップは読まれてる。そんなにパターン作ってたかな)
シャトルを持ち上げて相手に返してから、サーブを待つ位置に戻るまでの短い間に思考を回転させる。しかし、それらしき展開は思い浮かばず謎は深まるばかりだった。
(これでドロップを止める……と思ってくれたらいいんだけど)
無言で構えると瀬名と視線がぶつかり合った。その顔に浮かぶのは自信。早坂のフィニッシュショットを封じたということで優越感に浸っているということがありありと伝わってきた。それでも早坂は顔を崩さない。例え辛くても表に出すことはない。
「ストップだ!」
少しだけ表情が崩れた。その場では一際目立つ声量。小学生の頃から聞いてきた声。傍ではうるさいだろうけれど、声援となれば一人で数人分の元気をもらえた気が早坂はしていた。
(そうだ。相沢ほど早くない。なら、取れる)
ドロップショットを封じたと思っているのならば、相手のフィニッシュショットを封じればいい。勝負は五分五分だということを突きつければ、まだやりようがある。
「ストップ!」
静かに、鋭く紡がれた声。瀬名がサーブを打つ瞬間に放たれた声は微妙に彼女のコントロールを狂わせた。センターラインよりに飛ぶシャトルの真下に入り、一瞬だけ視線を瀬名へと向ける。ちょうど左前が空いていた。絶好の位置。
そこで、早坂はハイクリアを放った。瀬名のスマッシュを打ち返すため、あえて打たせるように。しかし瀬名は前に飛び込んでいたため慌てて引き返してハイクリアを返した。シャトルはサイドアウトになるほど外れていった。
「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」
瀬名の連続得点が終わり、早坂の下にシャトルが返って来た。乱れた羽を整える間に次の手を考える。いかにして相手のスマッシュを返せば、最もダメージが大きいか。
(ラリーの間に見つけるしかないか)
サーブ姿勢になって、瀬名が構えるのを待つ。準備が整ったところで一度だけ深呼吸。
「いっぽーん!」
良く通るアルトがコートを突き抜けていく。
シャトルをロングサーブでコート奥に飛ばすと、瀬名は軽々と追いついてスマッシュの体勢に入った。早坂は膝を曲げて身体を沈める。
カウンターなど狙わない、完全な防御体勢。来たシャトルを打ち返すだけに感覚を特化させる。
「やぁ!」
瀬名のスマッシュが早坂へと迫る。サイドではなく、コート中央。早坂がいる場所へと渾身の一撃を叩き込んでくる。ボディアタックがサイドを狙う次に有効であること。瀬名自身がスマッシュを威力に特化させたためサイドを狙うコントロールがないことから、必然的に生まれた有効打。
今までは攻める姿勢を見せていたから取れなかったシャトル。しかし返すことだけに集中した早坂には楽なコースだった。バックハンドに切り替えてシャトルが進むコースに置く。威力がガットに吸い込まれ、弱められて跳ね返る。結果、ふわっとしたシャトルがネット前に落ちていく。
打った体勢から前に飛び出した瀬名だったが、間に合わずシャトルはコートに落ちた。
「ポイント。ワンオール(1対1)」
ナイスショット、と応援が聞こえる。二年女子に混じり、男子も。声の判別はすぐにつく。吉田や林、橋本と、武。
(相沢よりも遅いスマッシュなら、取れる)
バドミントンは体感のスポーツ。速さと技量がものをいう。日頃接している速さに試合の中で対応するのは難しい。特に女子シングルスは男子よりも四点も少ないために、慣れるためにスマッシュをたくさん受けるという戦法も自分を追い詰めることになりかねない。並の選手ならば瀬名のスマッシュをゲーム中に取るのは難しかっただろう。
早坂は並ではなく、それ以上のスマッシュを経験していた。
「一本!」
またロングサーブをコート端ぎりぎりへと飛ばす。またスマッシュを放ってきた瀬名だったが、一点目と同じ結末を辿った。
「ポイント。ツーワン(2対1)」
瀬名の目の色が変わるのが、早坂には分かった。自分のフィニッシュショットを破られた時の動揺が手に取るように分かる。先に自分がやられたことだったから。
(これで条件は五分……じゃない。ここから全部、私が持っていく)
突破口に目掛けて、早坂はシャトルを打った。
上がるシャトルに対して三度目に瀬名がとった行動はストレートのハイクリアだった。二度続けてスマッシュを取られたのならば、それだけ防御姿勢であり、ハイクリアで奥に飛ばせば体勢が崩れるはずだ。
そう考えた瀬名の思考を、早坂は読んでいた。少しだけ身体を浮かせて後ろへのシャトルに備える。予想通りの軌道に追いつき、ラケットを上から振り下ろす。
「はっ!」
中央に戻った瀬名を再び左端に縫いとめるスマッシュ。瀬名はラケットを伸ばして何とかシャトルを返すことには成功する。しかし、ネット前につめていた早坂はクロスヘアピンで三点目を決めていた。
「ストップ!」
場を支配しようとしている自分を感じる。その自分を認めようとしている相手を感じる。早坂の中に情報が流れ込んでくる。相手の思考の流れ。動きを一ゲームを通して目に焼き付けた結果。
「一本!」
今までと同じく掛け声。そしてサーブ。
違うのは、同じ軌道でショートサーブを打ったこと。早坂の得意技の一つ。
同じ腕の振りから放たれたショートサーブに瀬名はその場に固まってしまった。何も出来ずに、顔をしかめたままシャトルを見送った。
「ポイント。フォーワン(4対1)」
応援にもいよいよ熱が入る。第一ゲームのラストから第二ゲームの一点目までの連続得点。その流れをそのまま早坂が受け継いでいる。一気に試合の流れが偏る。
(油断せずに、一本)
明らかに流れが来ているにもかかわらず、一度呼吸を置く余裕がある。それが早坂の強み。小学生の時から市内とはいえ上に立ち続けた者が持つ力。下から追い上げてくる瀬名を迎え撃つ。
「一本!」
再びショートサーブ。今度はまだ反応出来た瀬名だったが、中途半端に上がったロブを叩き落すようなスマッシュで返されて五点目を献上してしまう。
(分かる。相手の困惑が、はっきりと)
早坂の攻撃が読めない。瀬名の顔に走る動揺が、早坂へと困惑を伝えてくる。どうすれば点が取れるのか思考する力が、次々とくる早坂の手によって余裕を奪われたことで消えていく。徐々に、ただシャトルを返すだけの存在へと落ちていく。
「いっぽーん!」
もう早坂が負ける要因は完全に消えていた。
一本、また一本とシャトルが決まっていく。力ある音よりもシャープな、鋭さが増した音がコートを支配する。十一回。一ゲームをもぎ取り、更にファイナルゲームをも覆い尽くす。
第三ゲーム。最後の一点。早坂は勝利を目の前にしていた。
「ラスト一本です!」
揃えられた歓声。すでに第一ダブルスは勝利し、第二ダブルスも二ゲーム目の終盤に入っていた。勝利すれば残っているほうは強制終了だが、このままならばどちらも最後まで続けるだろう。
「いっぽーん!」
ともすれば、間延びしているように聞こえる声。しかし気負いも何もない。ただ平常心だけがそこにある様が伝わるような声質。相手にとってはかなりきついはずだった。試合を続けていれば当然体力を消耗するが、その度合いが見えない早坂のポーカーフェイスと声に自分だけが疲れているのではないかという錯覚が生まれる。
精神の疲労は肉体のそれを凌駕する。終盤では致命的になり得る疲労。
「ストップ!」
出来るのは萎えそうになる闘志を精神力で無理矢理引っ張ること。
サーブで打ち上げられたシャトルはコートのロングサーブラインに落ちていく。あと一点で終わるかもしれない。そんな試合の終盤でもまだコントロールは失っていない。
「はぁあ!」
残り少ない体力を一矢報いるために使うのか、瀬名は渾身の力でスマッシュを打ち放つ。小細工も何もない。ただ早坂へ目掛けての一撃。一ゲーム目は試合を支配したその一撃も、もう通じることはなかった。
早坂は少し身体を後ろにそらして、バックハンドで構えたラケットはその中心にシャトルを捉える。ゆっくりと跳ね返ってネット前に落ちていくシャトル。そこに飛び込んでくる瀬名。ヘアピンを同じく返す。しかし飛び込んできた勢いを殺せる脚力は無く、強く跳ね返してしまったためにシャトルは浮かんだ。
早坂の前に。
とん、と音が聞こえたかと思うと、シャトルは瀬名の頭の上を抜けてコート中央へと落ちる。柔らかで、確実なプッシュ。勝負が決まる瞬間が目の前に現れてもついに冷静さは崩れなかった。
「ポイント。イレブンラブ(11対0)。マッチウォンバイ、早坂」
「よっしゃ!」
早坂の勝利に重なって、観客席の武が叫ぶ。続いて由奈や若葉達二年女子が歓声を上げる。そこで初めて、早坂の顔にも笑顔が浮かんでいた。
全員の礼が終わり、場は歓喜の渦に包まれた。地区大会。一番初めの大会だから楽勝ということはない。皆で掴んだ勝利を、団体メンバーは喜び合う。一人、二年だった早坂も三年に十分すぎるほど溶け込んで笑っていた。
「早さんも凄かったね」
「あいつならあれくらいできてもおかしくないよ」
由奈の言葉に返す武の声には、言葉とは裏腹の安堵感があった。勝つとは思っていた。しかし勝負に絶対は無い。思考し、勝利を引き寄せた早坂に武はほっとすると同時に畏敬の念を抱く。
(上に立つってほんと大変だよな)
ダブルスでは自分もその立場となったからこそ、分かるものがある。
「よっし。次は俺らだな」
「勿論」
武は右の拳を左掌に打ちつけ、吉田も手すりにもたれたまま足首と手首を回し始める。早坂の試合を見て身体に火がついた。
「頑張ってね」
そう言い残して由奈は他の二年女子と共に早坂の下へと向かっていった。その言葉が更に武に気を引き締めさせる。
「ほんと、お前らいいカップルだよ」
「カップルじゃないし」
吉田の言葉に反論する武だったが、その言葉に棘はない。そう言われることを望んでいる自分がいる。
(どうも中途半端だけど)
それでも、いい方向に気持ちが高揚するのならば今の関係でも十分だった。
『次の試合のコールをします。男子団体決勝。浅葉中対翠山中。第一、第二コートに入ってください』
アナウンスがかかると客席に座っていた三年が一斉に立ち上がる。その中から金田が叫ぶ。
「よし、一気に優勝するぞ!」
『おう!』
気合を入れてコートに向かう。その後ろに武と吉田もついていった。
「相沢」
「ん?」
「あの一年ダブルス。今後の敵になるぞ」
今後。その言葉に一瞬だけ武の思考に違和感が過ぎる。それが何なのかはコートに近づいていくごとにはっきりとしていった。
(俺達。このままダブルス続けていくんだよな)
シングルスかダブルスか。その答えは学年別大会の中で一応の決着はついていた。二人で上を目指す。優勝した際に、武はそう感じていた。改めて確認するまでもない。それならば、今後の試合でも安西や岩代のようなライバルとなり得る。どうしてまた確認してしまったのか武には分からなかった。
(今は試合に集中する時か)
先にコートに入っていた翠山中の面々を見て、武は雑念を振り払った。
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