Fly Up! 64

モドル | ススム | モクジ
 カーテンの隙間から日差しが顔に当たり、武は瞼を開けた。ぼんやりとした頭に響く、携帯のアラーム。半ば反射的に手を伸ばして止めてから起き上がって背伸びをする。睡眠中に弛緩していた筋肉が徐々に張りを取り戻していく。

「うぁ……」

 欠伸で空気中の酸素を取り込んで。脳もようやく動き出した。涙目で携帯に表示される時間を見ると、午前六時半。ちょうどいい時間だと呟いて立ち上がると、カーテンを開く。
 外は雲ひとつ無く、蒼空を見せていた。

「絶好の試合日和だね」
「武! 起き……ろって、起きてたのね」

 言葉と同時に荒々しく扉が開かれる音。武は呆れたことを最大限に表現するような声色で声の主に向かって言った。

「若葉。いきなり入るなって何度も言ったろ」
「浅葉中バドミントン部団体のメンバーであるお兄様が遅刻したらと考えるととても昼間寝られなくて夜は安眠でしたのほほほ」

 元ネタが分からないような真似をして、若葉は階下へと消えていった。武は一つだけため息をつき、後を追う。若葉の言葉を脳内で反芻しながら。

(とうとう試合、か。団体戦)

 部内戦は結局、武と吉田が第一ダブルスとして勝ち上がった。第二ダブルスは三年生の阿部と小谷ペア。シングルスは金田。この組み合わせで、今日の試合は行われることになる。安西と岩代との練習を最初に会った日から毎週続けたことも勝因だと武は思う。試合レベルの練習を続けたことで、部内でもそのテンションのまま戦えたこと。張り詰めた空気の中でスマッシュを決める自分を想像出来たことは大いにプラスになった。

(一年の時、憧れて見ていた団体戦、か)

 桜庭ら自分にとって偉大な先輩が、活躍していた団体戦。それに、一年後に自分が出ている。現実感がいまだになかったが、それは体育館にいけば生まれるだろう。

「よっしゃ!」

 顔を一度叩いてから階下へと向かう。若葉の言う通り遅刻してはいられない。
 中学最大の大会が、もうすぐ始まる。自分の働きに浅葉中の一勝がかかっていることはプレッシャーだったが、嫌ではなかった。高揚感と共に階下へ向かい、食事等を済ませる。
 由奈がチャイムを鳴らしたのは、武がちょうど顔を洗い終えてラケットバッグを背負ったところだった。そのまま居間から出て由奈を迎える。浅葉中のジャージ姿。いつも遅刻ぎりぎりの武でもジャージの下に直接ユニフォームを着ている今のような格好ならば支度にそれほど時間もかからない。

「おっす。今日は遅刻なし」
「当たり前でしょ! 団体戦は個人戦よりも先にやるんだから遅れたら大変だよ」

 当たり前のことを堂々と、という言葉が聞こえてきそうな由奈のため息交じりの声。武は気づかない振りをして靴を履いた。

「ささ。いくか」
「あれ、若ちゃんは?」
「待てー! 置いていくな!」

 声はすれども姿は見えず。不思議に思っている由奈に武は助け舟を出す。

「いや。汗かいたからってシャワー浴びてるんだよ。今は身体拭いてるところじゃない?」
「暑くなって来たもんねー。まだ五月なのに」

 由奈は腰を下ろしてラケットバッグを横に置いた。どうやら待つことにしたらしい。武もその隣に同じように腰を下ろす。中学生二人が並ぶには少し狭く、自然と寄り添う形になる。

(なんか緊張するな……)

 心臓が自然と高鳴っていくのを武は感じた。由奈はどうなんだろうと少しだけ顔を向けると、特に変化の無い由奈の顔が見える。自分だけが緊張していると知るとそれが馬鹿馬鹿しくなった。

「はは!」
「いきなり笑わないでよ。びっくりしたなぁ」

 悪い、と呟いてから前を向く。今以上に由奈を見ていれば妙な気分になりそうだった。

(親も居間にいるしな)
「もう少しだけ待って!」

 浅葉中のジャージ姿で若葉が風呂場から出てきた。髪をタオルで拭きながら二階へと上がっていく。いつもと逆のシチュエーションに、武は何か嬉しくなって立ち上がった。

「先に外出てようぜ」
「うん」

 由奈も武の気持ちが分かるのか、笑みを返してついていった。
 外に出ると日差しは強い。朝起きた時に見たような、雲ひとつ無い青空。障害物がない分、日光は一気に武達に降り注ぐ。起きてからまだ一時間ほどしか経っていない身体が目覚めるには十分の光量だった。屋内でやるとはいえ、絶好の試合日和。

「絶好の試合日和だね」
「屋内だから凄い暑いだろうけど」

 自分が思っていることと同じ事を口にした由奈に、武は内心で笑った。
 若葉の準備が完了するのを待って、武と由奈は自転車を走らせた。少し後ろから怒りつつ追ってくる若葉に笑みを向けながら。夏に向かう空気の中を駆け抜けていくと、それだけで身体の中に力が生まれる。今日一日を乗り切れると思える力を。

(身体が軽い。今日は、いいところまでいけるかな)

 そう考えているうちに体育館に着く。時刻は八時前。ちょうど体育館が開く頃。集まっているメンバーに手を振りながら自転車を加速する。結局、武が早起きをしてもぎりぎりに着いたことになる。

「相沢は団体レギュラーになっても遅刻寸前だな」
「いや。今日は若葉だよ」
「またまた」

 吉田に窘められ思わず武は反論する。しかしその場の誰もが武を信じず、若葉は笑いながら「武は仕方が無いなー」と同学年の女子部員に言っていた。

「よし。皆そろったところで」

 金田はそう言って注目を集めさせる。男女の視線を一身に受け止めても、金田は堂々と立っていた。隣にいる庄司とそれほど変わらない。

(とても一つ上には思えないよな)

 部長という者にふさわしい姿だと、武は思った。

「今日は団体戦と個人戦。全部取る気で望む。勿論、他の学校もそうだろうけど。絶対、気持ちで負けるな!」

 金田の声に部員達が呼応する。武も自分では考えてもいない声量で叫んだ。身体が試合モードに切り替わるスイッチが、頭の中で鳴った。吉田の傍に武は寄って、手を上げる。その意味するところを理解したのか、そこに思い切り手を叩き付けた。

「今日は優勝狙うぞ!」
「おう!」
「個人戦には俺達も出るんだけどな」

 苦笑交じりに笠井が金田を指しつつ言う。武と吉田は顔を見合わせて笑った後に、二人同時に言っていた。

「勿論。勝ちに行きますよ!」

 それはけして虚勢でも、おごりでもない。誰もが分かっていた。学年別の優勝。その後の練習への取り組み。積み重ねてきたものだけにあるオーラを武と吉田は持ち始めていたのだ。

「よし。行くぞ!」

 金田を先頭に体育館へと入る。その後に続いていく中で視線を少し遠くに向けると、他の中学も入り始めていた。今度は学年を越えた相手に会える。その興奮に武の心は高ぶった。


 * * *


 フロアにテープを張ってバドミントンコートを作成し、短いながらも開会式が始まる。前回の団体優勝チームはトロフィーを返すことになっていて、金田がその役を負った。桜庭が残した功績を今度は自分達のものにするために、金田や、武達が挑む。
 開会式を終えると各自が空いている場所を見つけて基礎打ちを始めた。いつも見慣れた光景。一年前は先輩達が打ち合うのを見ていた武。今は一番端のコートの、更に端で打っていた。一つのコートに三列になって打ち合うことで、あまり大きく振りかぶれない。結局は、軽く汗をかいて筋肉をほぐす程度しか動けなかった。

(まあ、こんなもんだよね)

 それでもフロアに立つことと客席で見ていることの差は大きい。団体戦の次に個人線という順番から、今打っているのは優先的に団体戦のメンバーだ。二年の中では後は早坂以外、客席の自分達のスペースで試合のプログラムを眺めていたり話していたりと思い思いの行動をしている。

『練習を止めてください』

 アナウンスが流れ、名残惜しそうに響かせていた音も消え、自分達のスペースへと戻る。ちょうど人の波が収まったところでコールされる。打ち合っていた人々以外はプログラムを見てすでに言われる中学は分かっていた。

『第一試合。浅葉中、明光中。第一、第二コートにお入りください。第二試合……』

 アナウンスが続けられている間にも、メンバーはフロアへと降りていく。コート二面使っての試合。第一ダブルスと第一シングルス。両方勝てば第二ダブルスは試合途中で終わる。
 オーダーはすでに考えられていた。試合前に両校のキャプテンが試合の順番が書かれた紙を交換する。本来ならばもう少しだけ前に決められていたのだろうが、金田が身体を温める時間が欲しいと家から考えてきたらしい。武もコートを作っている最中に教えられて驚いた。

「では、第一ダブルスの選手はコートに入ってください」

 学生の大会は敗者審判が一般的だ。団体戦もその例に漏れないが、最初は今日の試合を統括する役員が審判をする。

「第一試合。明光中、大沢・高見。浅葉中、吉田・相沢」

 第一ダブルス同士の対決。しかし、相手は金田と笠井組に告ぐ実力者だった。

「俺とお前らで勝って、一気に決めるぞ」

 シングルスとして出て行く金田に声をかけられ、武と吉田は頷いた。
 武達もコートに入ると、相手のペアは少し困惑していた。おそらくは金田と笠井が第一ダブルスで来ると思っていたのだろう。当然、学年別を制した武達も予想には入っていたのだろうが、まさか初戦の一番手として使ってくるとは考えていなかったのだろう。
 その動揺もすぐに落ち着き、顔に見えるのは多少の余裕。

(俺達なら勝てると思ってるんだろうな)

 少しだけ腹が立ち、すぐに収まる。考えれば分かること。たとえ学年別で一位だとしても、学年が上がればレベルも異なる。自分達が井戸の底にいるのか、それとも大空へ飛んでいるのか。少なくとも相手ペアには井戸の底から上を見上げているように映っているだろう。

「相沢」

 吉田に肩を叩かれ振り向くと、軽く笑みを浮かべていた。しかし、その中に潜む不快感を武は感じることが出来た。

(負けず嫌いというか。いやまあ、俺もだけど)

 武にも感じられた、相手が自分達に油断している気配。負けず嫌いに加わるプライドによって、吉田は闘志を高めた。そこで気負いすぎるような人間じゃないと武は信じている。

「よっし。いっちょ勝ちますか」

 いつもなら言わない軽口が自然と出た。ネットを挟んでそんな口をきいた武に一気に視線が集まる。二対の鋭い視線が。それを気にしないようにして、握手を交わす。

「お願いしまーす」

 あくまで気にしていない振りを続けながら、武は吉田がじゃんけんをするのを待った。結果は負け。相手からのサーブ。
 自分達のポジションに戻る際に吉田がささやくように言った。

「よく言った。アレで本気になってくる」
「おうよ」

 油断されていては、倒しても面白くない。全力の相手を倒してこそ、嬉しい。学年別の決勝で感じた興奮を再び、何度でも手にするために。
 武は走り始める。

「フィフティーンポイントスリーゲームマッチ。ラブオールプレイ!」

 審判が開始のコールをする。試合時間は長くなるが、点数は十五点。通常通りの男子ルールとなる。吉田が構える隣で武も構えた。前と後ろ、いつでもどちらかに移動できるように。

「一本だ!」

 相手のファーストサーバー、大沢がサーブを上げた。セオリーとは異なるロングサーブ。武は前に詰め、吉田がスマッシュを放つ。まずは様子見――とは行かず、スマッシュは速度を落とさずに跳ね返された。

(すごい!)

 二年初の試合の幕開けだった。
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