Fly Up! 63

モドル | ススム | モクジ
 次のサーブはセンターラインぎりぎりまでのロング。一瞬、アウトかと思った武だったが、すぐに思い直してスマッシュを叩き込む。狙うのは左端。だが、シャトルはシングルスラインを割ってアウトとなった。一瞬の躊躇がコースを逸らさせた。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」
(狙ってやったんだ)

 カウントを聞きながら今のサーブを振り返る。コート中央ぎりぎりに飛ばされたシャトル。それも十分な距離を持って。追いつきやすい反面、シャトルのコースは限定されていた。ストレートに打てば間違いなく、十分な体勢の吉田に拾われてネット前に落とされる。武はそれを嫌ったことと、コースを突くことから左端を選択し、結果アウトとなった。
 選択した様でその実、吉田に操られていた。

「一球でいくつも封じられるんだな……」

 吉田には聞こえないほどの呟き。武は一度後ろを向いてガット間隔を調整しながら気分を落ち着かせる。また同じようにきた時はどうするか。

(よし)

 振り向いて構える。吉田の整ったサーブフォームに一瞬目を奪われるも「一本!」という気合の咆哮に意識はシャトルへと集中した。
 飛ばされたシャトルは再びセンターライン。同じ轍を踏まないために武はハイクリアをストレートに放った。吉田がサーブでやったことと同じ事を返すために。

(さあ、どう出る?)

 武では攻めることが出来なかった。ハイクリアで体勢を立て直すだけ。ならば吉田はどうするか、その目で見るためにも返球は必要だった。

「はっ!」

 武のバックハンド側へのスマッシュ。何の迷いもなく打ち込まれたシャトルに武は反応できず、サイドラインの隣に着地した。シャトルコック一つ分内側。
 偶然ではない。狙ってそこへと打ったという事実。

「ポイント。スリーラブ(3対0)」
「凄い」

 シャトルを拾いながら嘆息混じりに呟く武。気分が高揚しているのが自分でも理解できた。
 武が狙って外したコースを何の迷いもなく選び、しかもぎりぎりに落としてくる。しかも、武が学年別の試合で見た吉田の技量にはまだ届かない。吉田もまた試合モードに切り替わる時があるのだろう。
 まだ自分は、吉田の本気を引き出せていない。その事実は武の負けず嫌いの血を沸騰させる。

(やってやるよ、吉田。お前の本気を引き出したい)

 気合を入れなおしてシャトルを返すも、武には特に策はない。まだ身体が温まっていないだけで、自然と吉田は本気を出してくるかもしれない。今のままでも勝てると思って出さないかもしれない。

(俺としてはがむしゃら……いや、考えるしかないんだよな)

 先の先まで考えること。どう打てば相手に隙が生まれるか。強い相手に一発は決まらないことを武は理解している。

(打って打って。打ちまくる!)

 上がってきたシャトルをスマッシュで返そうとする。しかし最後の一瞬で床と平行に叩き、対角線に飛んでいった。ストレートスマッシュに備えていた吉田の動きが一瞬硬直し、すぐさまシャトルを追っていく。武の得意技、ドライブをハイクリアの打点で打ち込む『ドライブクリア』は落ちるのも早く、吉田もロブを上げるしかなかった。

(よし。これで行くしかない)

 ドライブクリアを主軸に攻める。分かっていてもそう簡単に取れない軌道がある。身体へのスマッシュであったり、ネット前ぎりぎりのヘアピンであったり。武のドライブクリアも反応は出来てもなかなか攻撃的には返せないはずだった。

「らぁ!」

 上がったロブを再びドライブクリア。今度は左奥。吉田も素早く追いつき――

「はっ!」

 放たれたストレートスマッシュは左ラインぎりぎりに叩き込まれていた。

(な、なんで?)
「ポイント。フォーラブ(4対0)」

 さっき軸にしようとしていた攻撃がすでに無効化される。それは少なからず武を動揺させた。得意技が封じられたことは明らかだ。しかも、吉田の動きが一気に速度を上げたことで。

(あの動き、西村みたいだ)

 吉田のパートナーだった男、西村。その移動速度で吉田の後衛からどんなシャトルでも拾い、攻撃をしていた。共に浅葉中の部員だった期間は短いが、西村のプレイ中の動きは転校してから一年経っても武の目に焼きついている。
 誰よりも速いその動きに、吉田のそれが被った。

(あいつも、進化してる。俺は……)

 グリップを握り締める。吉田がスピードならば、自分はパワーだと言わんばかりに。単純な小細工が通用する相手ではないことは身体が理解した。

「ストップだ!」

 シャトルを返しながら武は吉田に向き合う。背筋がぞくぞくするのを感じながら。


 * * *


「ポイント。フィフティーンセブン(15対7)。チェンジエンド」

 吉田のスマッシュを身体でキャッチした体勢で、武は淡々としたコールを聞いた。一ゲームだけにも関わらず体感的にはもうファイナルゲームまで乗り切ったような疲労感を武は覚えていた。次のゲームに移ろうと足を動かすも、コートの途中で止まる。

「相沢。止めておくか?」
「や、やる……よ……」

 息も切れ切れに言う武に、吉田はため息を一つ付くと近寄った。何をしにきたのか様子を見ていた武は、いきなり膝の裏側を突かれてその場に尻餅をついた。

「おわ!?」

 いわゆる『膝カックン』に耐え切れなかった。そのまま吉田は武の足の前に屈み、ふくらはぎをマッサージし始める。最初はむずがゆさを覚えたが、すぐに筋肉のほぐれを感じて力が抜ける。

「久しぶりに全力で動いた気分はどうだ?」
「最高、だな」

 緊張感も完全に消えたのか、武の顔は弛緩したまま。つま先を脛側に曲げてアキレス腱を伸ばしながら、吉田は続ける。

「最近の相沢はどうも現状に満足してるっぽかったからさ。心配だったんだ。このままだと成長止まるんじゃないかって。でも心配無用だったな」
「そんな心配されてたんだ」

 吉田が一人だけ誘った理由がようやく分かった。
 学年別大会からもう数ヶ月が経過し、練習を続けてはきたものの試合感は鈍っていた。そして二年生になって後輩が出来たことで、武が自分の実力を上げることに関心が薄くなったのではと吉田は思ったのだ。
 武はそれに気づき、笑った。

「つーか、吉田。本当に同い年かよ」
「気が回るってのはいろいろ大変なんだよ」

 一通りマッサージを終えたのか、武の足から手を離して立ち上がる。武も続いて立ち上がると、足のだるさはかなり軽減されていた。

「二ゲーム目をやりたいところだけど、どうやら時間がないみたい」

 吉田は言って指を客席のほうへと指す。視線を追っていくと、そこには――

「あ、安西達じゃん」

 安西と岩代。学年別の決勝を闘った二人が、同じ場所にいる。武はそれだけでも緊張したが吉田は待ってましたといわんばかりに手を振った。

「お疲れ」
「そっちこそ。いい試合やってたじゃん」

 学年別の時には見えなかった笑顔が、そこにはあった。

「こっちはちょっと準備運動にはきつい試合しちゃったから、しばらく休ませてくれ」
「おいよ。よし、岩代。打つべ」
「了解」

 武たちと入れ替わりでコートに入る安西と岩代。ここまでくれば武も状況を理解した。吉田が安西達といつの間にかコンタクトを取り、こうして休日に一緒に練習をするような仲になっていたということだ。

「一体いつの間に」

 浮かんだ疑問を素直に吉田へとぶつける。吉田はといえば、特に考える様子もなく語った。

「ああ。折角あれだけ手ごわい面子なんだから、付き合っておいて損はないだろうと思って。まあ、こうして呼べるようになったのは偶然本屋であったからなんだけど」
「ふーん」

 浅葉中と明光中は単純に自転車では三十分はかかる距離にある。完全に生活圏は離れていて、街中のデパートに行って制服を多少見かける程度。しかも生活の基盤自体、街中にいかなくとも大型スーパー等が近隣にあるため武は今まで数えるほどしか中心街には行っていなかった。

「ちょうど欲しいCDが無くてさ。街中のデパート行ったら安西がいたんだよね。あいつも俺と同じの探してたんだ。そこで意気投合したってワケ」

 嬉々として語る吉田。バドミントンをしている時の吉田しか知らないことに武は少しだけ胸が痛んだ。バド部の仲間ではあるけれど友達ではない。そんな気がして。

「どんなCD?」

 少しだけ、踏み込む。それは勇気が必要だった。一年間も一緒の部活で過ごしてきて、こんなにも距離が遠かったのかと武はショックを受けた。それでも。

(他の学校の生徒に負けたくないよな、さすがに)

 ダブルスのパートナーとして。同じ部活の仲間として。同じ学校に通う友人として。
 他校生に負けたくないという気持ちが強くなった。

「ん? ああ。『紅』の新曲」
「あ。それ俺も好き」
「ほんとか? てか、一年も一緒の部活で知らないってのも受けるな」

 今、人気のヴォーカルグループの話題が一致して、二人の間に笑いが広がる。

(なんか、初めてかもな)

 ここまで吉田に気を許したのは。そう思いながら武は会話を続けた。安西達が身体を解し、自分達の体力が回復するまで。



 結局、武が安西達とのダブルスから解放されたのは午後三時を回っていた。昼食は売店で売られていたおにぎりで済ませ、二時間ほど試合をし続けた。決着は三度。三度とも武と吉田のペアが勝ったが、試合の中でも安西と岩代が成長していく様を武は肌で実感していた。口に出すことは無かったが。
 自転車のペダルを漕ぎながら武はふと思った。

(吉田。相手も強くしてどうするんだろ)

 それでも自分にとってはかなり練習になったのは明らかだった。部活ではどうしても互いの手の内を読めている。強くてもそこを攻めればというポイントが分かっているため、必然的にそこを狙う。相手もまた何とか守ろうとする。答えが分かっている計算問題を解くようなものだ。答えが異なった時は途中の方法が間違っているとすぐに分かる。逆に答えが合えばどんな計算方法だろうと良いと判断してしまう。
 バドミントンに限らずスポーツは筋書きがないドラマだ。その間の戦略も多様。相手の弱点なども試合の中で見つけ、組み立てねばならない。その力が部活ではなかなか養えない。今回のように他校生との練習試合というのは実践で必要なことを鍛えられる良い機会だった。

「結局、なんで秘密だなんて……あ」

 赤信号に差し掛かったところで思考に一つの答えが出る。秘密という言葉をいぶかしみつつも、結局は吉田の言う通りに呼び出され、今回の体験をした。逆に最初から安西達と練習するということを告げられていたとしたら、自分は行っただろうか。

(やっぱり橋本とか由奈とか誘っちゃうよな。それだと今回みたいにずっとダブルスの試合なんて出来なかった)

 吉田はつまり、誰にも邪魔されずにダブルスに専念したかったのだ。最近まで一年の指導をしていたため、武と組んで練習するのは必然的に部活の終わり頃となる。そして十分に組んで練習できないまま一日が終わっていた。吉田も不満はなかったはずだ。率先して一年の面倒を見て、自分でも無いと言っていた。それでも物足りなさはあったのだろう。その上で、偶然安西達とのラインが繋がったことから、濃いダブルスの練習をした。学年別の決勝で闘った相手ならばもってこいということだ。

(もっと吉田を俺らは支えないと駄目なんだろうな。もっと、対等な存在になりたい)

 武は心から、思った。
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