Fly Up! 56
武が新しい学年となり、初めての部活。それは今までと変わりはない。
素振り、フットワーク、シャトルの基礎打ちと続けていく。春休みの間は二年に混じってコートでシャトルを打っていたため、それほど新しい感じはしない。
一つ、違いがあるとすれば竹内の存在だった。部活の正式な勧誘は始業式から一週間後となっており、それを考えれば積極性があると武は思った。
吉田との基礎打ちの間にも思考を続ける。
(そういや、吉田も俺が入る前からここで打ってたんだっけ)
一年前に部活の届けをしぶっていた武は、体育館で金田と試合をする吉田を見て、庄司に励まされてバド部に入ることを決めた。改めて部活動という中での繋がりを意識する。
(小学校の時って後輩とか、あまりなかったしな)
町内会のサークルでも後輩はいた。だが先輩後輩というよりは単純に年上年下の関係。それは武が一年を通して感じてきたものとは一線を画している。
(竹内も来年は俺みたいに思うのかな)
一年も先のことを考えている自分に口元をほころばせる。中学一年はがむしゃらに部活で汗を流し、強くなった。二年では部活を運営していく立場が近づく。金田達三年生が引退するのは遅くても夏休み。その後は、武達の代が部活の上に立つ。
いつか吉田に言われた言葉が蘇る。
(吉田が部長で、俺が副部長、か。実際はどうやって決めてるんだろう? やっぱ多数決か?)
「よし、基礎打ち終了!」
金田の号令と共に男子の基礎打ちが終了する。これから先はフットワーク強化のためにノックが行われるはずだった。だが、金田は顎に手を当てながら竹内を見る。
「えーと」
「竹内元気です! 宜しくお願いします!」
金田に対して自己紹介をする竹内。さすがに学年別二年連続チャンピオンを前にしているのか、緊張で声が高くなった。
「じゃあ竹内。お前は、相沢と試合」
「え?」
急に自分の名前が出たことで、武は気の抜けた声を出した。金田の目線は武に向いている。
「ん? 別に吉田でも橋本でも誰でもいいんだが」
「いや、別に嫌じゃないです。驚いただけで」
金田の心象を悪くしたかと慌てて弁解し、武は竹内へと視線を移す。そこには挑戦的な瞳があった。
(む、少し腹立つかも)
武の記憶から引き出されるのは刈田と初めて試合をした体育館での、視線。
この相手になら勝てるという意味を含んでいるように、武には思えた。
空いているコートの一つに入る武と竹内。審判や線審は特に置かない。自分達でやれと言い残し、金田は他の部員とのノックをしに去っていった。
「相沢先輩。学年別でベスト8でしたよね」
「そうだけど」
先ほどの視線のこともあってか、ぶっきらぼうな受け答えになったと武は失敗を悟る。しかし、竹内は気づいた様子もなく、悪びれもせず先を続けた。
「実質、吉田先輩の次に強いんでしょ? なら倒せば一気に株があがりますよね」
「そうだね」
疑う余地もなく、挑発。誰もが離れた時に言うところが狡猾だと武は思った。同時に込み上げる怒り。声は隠しようもなく黒い。
「あれ? 怒っちゃいました? 嫌だなー。勝てるわけないですよー。先輩だし」
「そうだね」
竹内の言葉はもう武には届いていなかった。脊髄反射で単調な言葉が紡がれる。今度は竹内が顔を不快感で歪ませた。自己否定を他人に肯定されることがどれだけ怒りを引き起こすか。
自分に返ってくることで初めて自覚する。
「さっさとやろう。俺もノックしたいんだ」
武も不快感を偽らなかった。身体の外へと毒を吐き出し、残るのはバドミントンプレイヤーとしての自分。竹内も無言で頷くとじゃんけんに応じた。武が勝ち、シャトルを持ってサーブ姿勢をとる。
「一本!」
学年別以来、部活では潜めていた闘志を最大限に開放する。すでに身体は試合時のモードへと切り替わっている。全力で、後輩を相手にすることに決めていた。
(年下だろうが同じ部活だろうがライバルだろ!)
ロングサーブを打ち上げて相手の様子を見る。フットワークは早く、竹内はシャトルの落下点に余裕で入っていた。ここからどう展開するのかを見極める。
竹内はストレートのハイクリアを打ってきた。しかし、飛距離は出ずコートの中央から少し後ろに下がったあたりで下降していく。すでに武は下でスマッシュを打つ体勢に入っていた。
「はっ!」
スマッシュで竹内の身体を狙う。どう捌けるかを見極めるつもりだったが、シャトルはすんなりラケットに弾かれてコートに転がった。
呆けた顔のまま、シャトルを見ている竹内。
(まだ身体が温まってないのか?)
いぶかしむ武の視線に気づいたのか、竹内は慌ててシャトルを取り、武へと返した。
受け取ったシャトルの羽を直しながら、武はこれからの流れを考える。
(クリアで散らしていってチャンス球をスマッシュで打ち込む。簡単だけど俺の力がどう通用するか試すにちょうどいい)
シンプルな攻撃ほど地力が求められる。竹内の自信からして小学生時にある程度上位の成績を残してきたのだと武は考えた。中学に入ってから町内会のサークルとは疎遠になり、小学生の大会も観にいくことはなかったから情報が入ってこない。
(庄司先生は知ってるんだろうけど)
庄司の姿を探すとステージの上に立って、ノックしている男女に指示を飛ばしていた。すでに他のコートではノックが始まっている。先ほど竹内に言ったことは挑発への返答だが、真実だった。試合形式も楽しいが、武はノックでシャトルを追いかけることのほうが燃えるタイプだった。
「よし。一本!」
サーブ姿勢を取り、竹内が構えるのを待つ。力が篭った身体。シャトルに絶対に追いつこうという気合が武へと伝わる。
そこで武は、ラケットを思い切り振りかぶり、インパクトの瞬間に力を抜いた。少し浮いたシャトル。しかし後ろに行こうとしていた竹内には十分フェイントとなった。
「うわ!」
悲鳴をあげて前に走り出す竹内。慌てて打ったためにシャトルは軽く前に飛んだ。ネットを越えた瞬間、武は竹内のいる場所と反対側にプッシュでシャトルを叩きつける。
「ポイント。ツーラブ(2対0)」
ネットを挟んで向かい側。悔しそうに武を睨み付ける竹内。試合開始から一瞬で主導権を握られたことに動揺しているのか、ラケットを何度も無駄に振りながら立ち位置へと戻っていった。
(当てが外れたか?)
武の頭に黒い考えがよぎる。思い上がった後輩を、徹底的に叩き潰す。実力の差を見せ付けて、二度と逆らえなくなるくらいまで。
だがすぐに頭を振ってそんな考えを消した。
(俺って嫌なやつだよな。敵意向けられただけで返すんだったら相手と同じだろ)
タイミングを外すために息を吐き、竹内を視界に収める。武から見ても明らかに頭に血が上り、スマッシュを叩き込もうという気負いが顔に浮かんでいた。
(なら、挑んでみるか)
シャトルを奥に打ち上げる。武はそのまま中央で竹内のショットを待ち受けた。スマッシュが来てもそれ以外が来ても追いつける。ただ、スマッシュの威力が想定外ならばサービスオーバーもありえる、というくらいの考え。
(フェイントは――ない!)
竹内は武のいる場所を確かめることなくスマッシュを放った。ストレート。渾身の力を込めていると十分理解できる、弾ける音。しかし武は一歩でシャトルを全力で打ち返せる位置に移動し、逆サイドに弾き返していた。
シャトルの勢いは竹内のラケットから放たれて、威力が落ちないままカウンターとなった。渾身の一撃で返されてもハイクリアしかないと思ったのか、竹内の次の動作への繋ぎが遅れる。足を踏み出して腕を伸ばしラケットを突き出すも、シャトルを捉えることは出来なかった。
「ポイント。スリーラブ(3対0)」
「くそ!」
竹内はラケットを自分の右脛に叩きつける。ガットが肉に弾かれる音が響き、武は痛みを想像して顔をしかめた。一方の竹内は怒りで痛みを忘れているらしく、特に変わらぬまま立ち位置に付いた。
「ストップ!」
気合が中空へと消えていく。そんなイメージを武は持った。ただ叫ぶだけの声と気合を乗せての声。同じように大声でも質が違う。
「一本!」
竹内に示すように咆哮する。身体中にみなぎる闘志がラケットに宿るような錯覚。サーブを高く打ち上げ、竹内のショットを待ち構える間に次を予測する。
(クロススマッシュか、クリアでいくか)
ストレートを難なく返されたことでの、竹内の思考の流れを読む。単純な力押しで通じることは、小学生の頃だけ。中学では一気にバドミントンは競技となる。
正確には、小学生の大会で決勝に残るような者達からようやく入ることができる領域。
「だ!」
一つ前の過ちを繰り返すことなく、竹内はハイクリアで武をコート奥へと押し出す。しかし、その飛距離も伸びずに四分の三ほど下がったところで、武は落下点へと入った。ラケットを掲げ、スマッシュの体勢を作る。
(小手先の技術は後――)
自分の最大の威力を、相手へと叩き込む。竹内は一年前の武よりも強い。その相手に、今の自分はどう通じるのか。
上半身を弓のようにしならせ、解き放つ。後ろから前への体重移動。シャトルを捉える位置。全てが十分に合わさった、一撃。
「はっ!」
空気が破裂したような音。
武の放ったスマッシュは中央に構えていた竹内を一歩も動かすことなく、コートへと突き刺さった。すぐ横を通ったにも関わらず。
「しゃ!」
拳を作り、軽く掲げる武。竹内の顔に浮かんだものは、無力感だった。
試合はもう決まっていた。その後も次々と武のスマッシュがコートに突き刺さる。逆に竹内はスマッシュだけでは無理だとドロップを交えて戦況を打開しようとしたが、フェイントがないドロップは武にとって恰好の餌食。コートの中央にいてもドロップが放たれた瞬間に前に飛び出し、プッシュで叩きつける。
「ポイント。テンマッチポイントラブ(10対0)」
コールをしながら、武は自分の体力の消費具合を冷静に分析する。今までの自分の動きを追ってみても対して体力は減っていない。竹内もまた、それほど疲れている様子は無かった。何故なら、疲れる前に点が入っていたから。
「ラスト一本!」
言いながら少し離れた場所にある時計を見ると、もう少しで十分が経とうとしていた。それほどハイペースに飛ばした記憶は武にはない。ただ、ラリーが短く終わってきたからこその時間。
(ラリーを続けられなければ、バトミントンは終わる)
改めてバドミントンの怖さを武は知る。今はスマッシュを打てば竹内は取れずに終わっていた。しかし、上に行けば行くほどスマッシュは取られ、ラリーは続く。
(攻撃力も、防御力も鍛えないと)
最後になるだろうサーブを上げる。十点取ってきたように中央に構え、竹内のショットを待つ。
「うおおお!」
武にはやけになったとしか思えない叫び声。しかし、頭の片隅に微かに残る違和感。前に踏み出そうとしたが、右足を前に踏み出して、勢いをつけて後ろに飛ぶ。
スマッシュと思えたシャトルはハイクリアとして武の頭上を襲う。予感に従ったおかげで簡単に真下に入り、武はハイクリアを相手コート左奥に飛ばす。竹内もそれに追いつき、今度はクロススマッシュを放った。
だが、そのスピードは出ずに武は難なくラケットを追いつかせ、ヘアピンで前に落としていた。そこに必死の形相で飛び込む竹内。
ラケットを精一杯伸ばしても、シャトルはネットを越えることは無かった。
「ポイント。イレブンラブ(11対0)」
武の完勝。シャトルをネットの下からラケットを使って取り寄せると、そのまま手をネットの下から差し出す。
「これが中学レベルだよ。竹内」
「相沢先輩」
竹内に掴まれた手は強く握られ、武は一瞬顔をしかめた。
「次は絶対、まけねぇ」
「本当な生意気なやつだな」
痛みの後は自然な笑みが武の顔を過ぎていった。
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