Fly Up! 41
最後のスマッシュを決めた瞬間、武の中には特に何の思いも浮かばなかった。
公式戦初勝利の興奮や、相手を倒したことでの優越感。勝利に関わりがあるような感情が、試合を終えた直後には訪れなかった。
「ありがとうございました」
握手をし、離れる手。ラブゲームで抑えたとはいえ休みなく動き続けた身体は水分を求めているはずだった。しかし、それほど息を乱さず汗もかいていない自分に武は徐々に違和感を感じ、驚きを隠せなかった。
「効率よく動いてたってことだな」
コートから共に出た吉田が壁に寄りかかりながら言ってくる。武も隣に並んで寄りかかり、自分の試合内での動きを思い出していた。
吉田が前に落とし、相手が上げ、それを自分が叩く。
振り返ってみればその繰り返しがほとんどで、武が動いたのは左右しかない。多少前でプレイすることもあったがすぐにローテーションで後ろへと動いている。
スマッシュも大抵一発で決まり、相手が打ち損じてふらっと上がったシャトルを吉田が前で叩き付けた。
(そりゃ疲れないはずだ)
自分の動き、特にスマッシュが吉田に生かされていたことに、武はようやく気づく。チャンス球を上げさせる吉田の技量が高いことが今の武になら分かる。それを狙ってしていたわけでもないだろうが、けして漫然と試合をしていたわけではない。計算して、そうなるよう目指していたのだ。
武も相手の隙を探すということに頭を使ったが、吉田は更に返球も考慮していた。
「やっぱり凄いわ、吉田」
「ん?」
ラケットと共に持ってきていたスポーツドリンクを飲みながら、吉田は聞き返す。だが「なんでもない」と武は先に控え席へと歩き出した。
(いきなり八強で勝ったから、あと二勝すれば優勝だ。吉田となら、きっとやれる)
吉田とダブルスを組むと決まってから目指していた優勝。それでも試合が始まるまでは、武の中でその頂は霞んでいたかもしれない。見えないものを見えるというために何度も心で、言葉で優勝を誓っていたのかもしれない。
だが、今の武にははっきりと頂上が見えていた。少し前で手を伸ばす吉田の姿と共に。
「お疲れー!」
二階への階段を上ろうとしたところで由奈が走ってきた。その声があまりに嬉しそうで、武も笑みを浮かべてしまう。
目の前にきたところで手を上げると、そのままハイタッチを交わした。
「ありがと」
「初勝利おめでとう!」
初勝利。その言葉が心に染み込み、武を温かくする。
そして初めて気づく。
(由奈に言ってもらうことが一番嬉しいんだよな)
人生初の勝利を、一番初めに大事な人に喜んでもらえること。それは何よりも嬉しく、幸せに武の顔はほころんでいた。
「サンキュ」
笑みと共に漏れた感謝の言葉に、由奈は一歩後ろへと下がる。武にとっては素直に気持ちを表しただけだが、何か変に取られたかと不安になった。
「どした?」
「なんでもない」
心なしか顔が赤い由奈を見ても、理由が分からない。結局、その理由は問わないままフロアに上がるため共に階段を歩む。
「スマッシュ、よく決まってたね」
「吉田の配球のおかげだよ。俺は打ってればよかった」
先ほどのことはすぐに消え、試合の会話に入る。由奈との会話から先ほどの試合の光景が蘇り、身体の奥から炎が燃え上がった。闘志を引き出し、また奮い立たせる炎が武を覆っていく。
熱っぽく語る武の耳に入ったのは由奈の笑い声だった。
「武ってさ」
「ん?」
二階のフロアに入る直前。扉の取っ手に手をかけた由奈は前を向いたまま呟いた。
特に声を潜めるわけでもなく、しかしあえて言葉を向ける本人には伝わりにくいように。
「バドしてる時、凄くかっこいいね、やっぱり」
武が聞き返そうとしたのと同時に由奈は扉を開けて中に入っていった。後を追いかけてもそこにはもう他の選手達がいる。うかつに聞けるような話題ではなかった。
(なんなんだ? なんか由奈、違うよな)
体育館に来た当初に浮かんだ違和感が蘇る。それまでどこか避けられていたのに、急に前のように接してきた由奈。前と同じだが、それは良く考えてみるとかすかにずれがある。部屋の掃除前と後で同じように本を並べても、全く同じにはならないのと同じだ。微かに、違っている。
(由奈の接し方も変わったってことか、な)
それが良い方向なのかどうなのか、自然とラケットを持つ手に力が入る。そこで、新たなアナウンスがかかった。
『これより、男子シングルスの一回戦を始めます』
ダブルスとほぼ平行してのシングルス。どうやら女子の試合がタイムテーブルより早く終わったらしく、その合間を利用して一気に男子一年の試合を消化するようだった。自分の出番を意識してプログラムテーブルはある程度覚えている。
『一回戦第四試合。浅葉中、相沢君。明光中、須永君。第四コートにお入りください』
「マジか……」
ため息と同時に言葉が出ていた。
フロアに降りようとドアを開けると、ちょうど吉田とぶつかる。廊下にもアナウンスは聞こえていたようで、その顔には「運が悪かったな」という文字が並んでいた。しかし武は満面の笑みで答える。
「どした?」
吉田からしてみればほぼ連戦である武を労ったところだが、それは必要ないことだった。
「めっちゃ嬉しいわ」
きょとんとする吉田の横を通り抜け、降りていく。その間にも武の闘志は掻き立てられていた。その理由が由奈の言葉だというのにも気づいている。
(俺も分かりやすいよな。でも由奈じゃなくても女子にそう言われたら嬉しいだろうさ)
言い訳というのも分かっていたが思わずにはいられない。見えない誰かに訴えつつコートに出ると、すでに相手は待ち受けていた。
明光中の須永。武は無論、小学生の時にも彼がいたのかなど分からない。吉田が特に何も言ってこなかったということで、中学から始めたのだろうと予想する。
(でもそんな予想に意味はない。どう勝つかを考えないと)
バドしている姿を、もっと由奈に見せる。優勝に、もう一つの目的が生まれる。より長く試合をすることで、由奈へと自分の姿を見せたくなった。
(俺がどれだけ成長したのかを)
共に歩んできた友人だからこそ。好きな人だからこそ。
同じスポーツに関わる者として、自分の試合を一試合でも長く。
『第三コート、試合を始めてください』
隣のコートにコールがかかる。そこには橋本が立ち、ストレッチをしながら相手を見ていた。先ほどのコールで気づかなかった自分を笑い、橋本へと声をかける。
「橋本!」
ストレッチを止めて自分のほうを見る橋本に、武は親指を上げて左拳を突き出した。
「二人で勝つぞ」
橋本は答えず、ただ右拳を突き出した。それだけで十分だった。小学生の時からの動作。勝利から見放されていた二人がずっとやり続けていたこと。
(やってやる)
ラケットを持たない左手で拳をまた一回握ってから、コート前へと歩き出した。
握手。サーブ権取得。武はコートの中央に立つ。深呼吸をして放出されていた闘気を身体の中に循環させる、つもりになる。歴戦のプレイヤーを気取ってみても実際はようやくさっき初勝利したばかりの男なのだ。無理に自分を良く見せることもない。だが、そうすることで自分を臨戦態勢に持っていくことは成功したようで、一試合終わった直後に抜けた緊張感が戻ってきていた。
「一本!」
緊張も何もかも吹き飛ばす声とロングサーブ。
武が最も頼りにするパワーで押し出す。
勢いよく飛び出したシャトルはライン奥へと飛んで行って相手を追い込むが、真下に移動した須永は飛び上がり、全身のばねを使って打ち返してきた。
ハイクリアのラケット軌道でのドライブ。武はしかし、とっさに伸ばしたラケットでそれをインターセプトした。そのままネット前にシャトルを落とし、拳を握る。
「ポイント。ワンラブ(1対0」
ネットの下からラケットを通してシャトルを取る武を、須永は驚きを隠せない顔で眺めていた。普通の相手ならば奇襲となる一撃。それでも武は完全にそのシャトル軌道を捉えていた。
最初の五ポイントは相手の癖などを読み取るというのがバドミントンのセオリーだ。そこを狙って反応できない一撃を叩き込んでサーブ権を取り返そうという作戦だったに違いない。
(奇襲にならなかった。当たり前だよ)
またロングサーブ。今度は須永もハイクリアでストレートに返してきた。コート右奥に陣取って、シャトルの落下を待ちながら武は右手に力を込めた。
(だって、俺の得意技も――)
普通のハイクリアを打つ場所から、一歩下がる。前に体重を移動させながら平行に叩きつけると、シャトルは対角線を突き進んでいく。先ほどの須永のプレイを見ているかのように。
ただ違うのは、須永のラケットの先を越えてシャトルがコートのライン上に跳ねたことだ。
(ドライブクリア、成功)
一発のショットから流れは一気に武へと流れていく。
次のサーブもコート奥へと飛んで行き、須永はドライブクリアでストレートに返してきた。同じ技の使い手に会った衝撃は武にはない。先に決めている分、余裕がある。
(こいつの弱点は――)
文字通り跳んで武はシャトルへと追いつき、後ろに下がりながらドロップを放つ。後ろへと逃げた力とラケットの振りによって通常の打ち方よりも鋭くネット前へと進んでいく。渾身の力で打った分、次の行動に入るのにタイムラグが生じた須永は速度のあるドロップを拾いきれず、ネットに引っ掛けてしまった。
「ポイント。フォーラブ(4対0)」
順調にポイントを稼ぐ。それでも武の中にかすかに不安がよぎった。
(なんだろ? このままじゃすまない気がする)
その原因が分からないまま、ゲームは進んでいく。
◇ ◆ ◇
「相沢、調子いいみたいね」
試合を終えた早坂が汗を拭きながら近寄ってくる。由奈はうなずいて肯定するが、心に広がるのは不安だった。
(なんだろ。このままじゃすまない気がする)
由奈は知りえなかったが、武も同じ時に同じことを思っていた。むしろ上から二人の動きを見ていた由奈は武よりもその不安を直接的に感じている。その気配を感じ取ったのか、早坂も由奈の隣に立って武の試合を集中して見始めた。汗を拭く手は止まっている。
「相手はあまり上手くないわね。ドロップとかヘアピンがネットに引っかかってるし」
「そうなんだけど、ね」
素直に不安だという自分を伝える由奈。それを受け止める早坂。小学生の時も何度か同じようなやり取りをした。その時はまだ武のほうが弱かったが。
「あ」
早坂の口から漏れる軽い驚き。その理由を問い返そうとした一瞬の間に、武のコートへとシャトルが突き刺さっていた。
「サービスオーバー。ラブセブン(0対7)」
須永にシャトルを渡してすぐ構える武。そこに更にすぐサーブを打ってきた須永。結果として、慌てた武はなんとか返すもシャトルはネットにぶつかってしまう。
「ポイント。ワンセブン(1対7)」
須永は無表情のままシャトルを拾ってサーブラインの後ろに立った。
「一筋縄ではやっぱりいかないわね」
「え!?」
早坂の声に乗る緊張に、由奈は武へと視線を移すしかなかった。
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