Fly Up! 42
武の動きは悪くない。動きの滑らかさと速さならば、身体が温まってきたことで序盤よりもむしろ良い。それは相手も同じことなのか、ラリーは長くなり試合が止まる時間が短くなる。
「相手のプレイスタイルって、吉田と西村を足して二で割ったみたい」
早坂の言葉に、少し離れた場所で試合を見ていた吉田が振り向く。言葉が聞こえていたらしく、由奈達に近づいて首肯した。
「最初から見てたけど、あの移動スピードは西村と同じくらいだな。相沢も気づいてるんだろうけど。だから、緩急使って初動自体止めようとしてたんだ」
言葉の響きには終わりが含まれている。その意味を由奈は試合を見ることで知ることになった。
武のスマッシュ、ドロップに対して須永は徐々に反応速度を上げていく。最初は動けずにシャトルを見送っていたのだが、今は多少初動が遅れても追いつき、返すだけの余裕が出てきていた。そして、今度はその動きからシャトルを打つまでの速さに武が翻弄され始めている。
「ポイント。フォーセブン(4対7)」
由奈の頭によぎったのは小学生時代のこと。
試合ではいつも最初は勝っているが、徐々に押されていって最後に大差で負ける。それは体力のなさが原因であり、今の武には当てはまらないはずだ。それでも、その負け癖がなくなっていないのではないかという不安が由奈を震わせる。
「そろそろ止めないと、一気に持っていかれるかもな」
追い討ちをかけるかのように吉田の言葉。それはパートナーを心配するというよりも本当に赤の他人に言うような乾いた響きしか生まれていない。
「吉田も応援しようよ。ダブルスのパートナーでしょ」
由奈の言葉にも苦笑しつつ首を振って返す。
「シングルスだとライバルだよ。それに、俺はここであいつが終わるとは思ってないし。終わったとしたらそれはそれでいい経験だろうし」
吉田と由奈の差。
過去を見ている自分と未来を見ている吉田。その差を自覚した時、由奈の心の中から不安が消えていく。
(そう。もう吹っ切れたんだもの。昔よりも今だよね)
由奈の顔にはかすかに笑顔が見え、手すりに寄りかかって前のめりになりながら、武の試合を観戦する。五点目を取られた時点で、由奈は声援を送っていた。
「ストップー!」
声に引き寄せられるように顔を向けた武に、由奈は拳を握って応える。
武も笑みを浮かべて拳を握った。
五回目の相手のサーブ。武はその場で数度軽くジャンプしてから迎え撃つ体勢を作る。かかとを少し浮かせて、前傾姿勢。それまでも同様の構えで対峙していたにも関わらず、外から見ても何かが違うことが伝わってきた。
「流れが変わるかもな」
吉田の言葉を真っ二つにするかのごとく響く、ラケットに弾かれるシャトルの音。サーブは高さよりも鋭さと距離をシャトルに与えている。低い弾道だけに武はシャトルが落下点に入る前にインターセプトできた。
「おああ!」
弾かれたシャトルは同じような弾道で対角線へと飛んでいく。武の得意技であるドライブクリア。しかしそれも須永にはもう通じず、更に同じ技を返されることは分かっているはずだった。
(やけになってる? いや、そうじゃない)
由奈の脳裏に一瞬見える、光。
勝利への方程式はすぐこぼれていったが、武はそれを見事実践していた。
対角線に打ったドライブクリアを須永はストレートのドロップで返す。そこでいつもならば上げていた武は、ヘアピンでネット前に落としていた。これまでずっと後ろに飛ばしていたという事実は、打ち終わってすぐ中央に構えているはずだった須永の位置を少しだけ後ろに下げ、その分前に届かなくなる。
結果、慌てて打ったことで浮かんだシャトルを武は冷静にプッシュで押し込んでいた。
「サービスオーバー。セブンフォー(7対4)」
「一本だ」
須永に聞こえるように言い、シャトルを軽くラケットで跳ね上げながらサーブ位置に立つ。それも通常のサーブ位置よりも外側に。センターラインの傍に立つのが普通だが、武が今いる場所はそこから真横に離れた場所。
何のつもりなのか由奈は理解できない。それは相手も同じだったのか、鋭い目線で武の動きを見る。一本、と叫んで振り切る武のサーブはまがいもないロングサーブ。しかし、その速度と高さは今までよりも早く低い。先ほどの須永のそれよりも。
「ぶつからない!?」
弾道が低いサーブは普通はネットに引っかかる。しかし、武のサーブによるシャトルはラインぎりぎりを超えていき、須永へと襲い掛かっていた。
反応しきれない須永の横を抜けていくシャトル。一度上に浮かび上がり、下に落ちる。コート後方に落ちたそれを須永は呆然と見ることしか出来ない。
「ポイント。エイトフォー(8対4)」
「しゃ!」
久しぶりのポイントに武が叫ぶ。一瞬の爆発。コート全体を覆っていた暗雲を振り払うかのような炸裂音は客席の由奈達の身体をも震わせるような力がこもっていた。
「あれが相沢だな」
吉田はそう言うと手すりから離れてラケットを準備しだす。少し遅れてアナウンスが響き、林の試合がコールされた。ちょうど下で橋本の試合の線審を行っていた。
「早坂、しばらく試合ないだろ? 勇馬と変わってやってくれない」
「いいよ」
二人が並んで降りていく。その後姿が似合っていると思いながら向けた視線を戻し、由奈は首を振って武の試合を見る。ポイントはすでに二桁になっていた。一度流れを掴んでから一気に畳み掛ける。シャトルがコートに付いた分、武は咆哮する。
汗を拭い、息を鋭く吐いて構える姿は様になっていた。
「いっぽーん!」
高々と上がるシャトルに狙いを定める須永。そのままスマッシュを放つも武は完全に弾道を読んでいた。シャトルが来た方向にラケットを構えていて、バックハンドで振り抜くとスマッシュの威力そのままにシャトルはコートへと突き刺さった。
「ポイント。イレブンフォー(11対4)」
もう大丈夫、と由奈が安堵したところでアナウンスがかかる。その言葉の中に自分の名前を聞き、ついに来たという思いが身体を震わせる。しかし武の「しゃ!」という叫びを聞き、由奈の中の震えが止まった。
「がんばってくるよ、武」
由奈も遂に戦いの場へと歩き出した。
◆ ◇ ◆
(相手が良く見える)
シャトルを相手のコートへと叩きつけて武は拳を掲げてから、腰の傍へと振り切った。傍目から見ればガッツポーズだけで体力を消費してしまうと心配するほど。だが、テンションが高まり続けている武には多少の疲れなど関係なかった。
集中力が研ぎ澄まされ、須永の動きが手に取るように分かる。
(――右だ)
動こうとする方向の逆サイドにシャトルをドロップで落とす。須永は方向転換してラケットを伸ばしたが触れるのが精一杯で、シャトルはネット前に浮かんでしまう。
そこに詰めてきた武がプッシュで須永の頭上をえぐる。シャトルは中央を切り裂いてバックライン傍に落ちた。
「ポイント。サーティーンファイブ(13対5)」
「しゃあ!」
須永の瞳に力はまだある。武はそれを肌で感じ取り、わざと目の前で気合を乗せた声を発した。まだまだ自分が油断していないという牽制でもある。
ゆっくりと立ち上がりサーブラインで構える須永に武はショートサーブを放った。
「!?」
完全に予想外のシャトルの軌道に須永は慌てて前に出る。掬い上げるシャトルの弾道に重なる、武のラケット。
「はっ!」
須永が打ったシャトルを武はネット前で叩き落していた。通常ならば到底無理だろうが、須永のサーブに対応する位置が悪かったことが幸いし、シャトルの弾道が通常よりも低くなった結果、ラケットを伸ばせば届く高さで武のコートへと入ってきた。それでも、軌道に完全に重ねるのは至難の技。
「ポイント。フォーティーンマッチポイントファイブ(14対5)」
「ラスト一本だ!」
「ストップ!」
それまで感情を表に表さなかった須永が叫ぶ。顔に浮かぶのは窮地に立たされた者が持つ闘志。どんな状況になっても相手へと牙を突きたて、活路を見出そうとする戦士の証。
(一ゲームだけど……一気に手ごわくなったな)
表に気合を出していく武と正反対に、須永は攻撃が決まっても決められても無表情のまま試合に臨んでいた。
対戦していた武だからこそ分かる。
須永の試合への熱意はそれほどなかった。刈田の情報が正しければ、中学から始めた須永にとってまだバドミントンの試合に気持ちを込めるほどこの競技にはまっていなかったのだろう。
だが、武に追い詰められたことで須永の中に負けたくないという意思が生まれたらしかった。
「ラスト一本!」
もう一度叫んで武はサーブを放つ。天井へと届かんとするサーブ。空を舞い須永へと落ちていく間に、コート中央で体勢を整えて迎え撃つ。
「らぁあ!」
その構えていたど真ん中へと届くスマッシュ。コースを狙わず、渾身の一撃を叩き込むことだけを考えて放たれた一撃。逆に武の裏をかき、一瞬だけ反応が遅れる。それでもバックハンドでシャトルを捕らえると須永のいる逆サイドへと弾き返した。
しかし須永も狙われる方向を分かっていたのか、サイドステップで追いすがる。走ってきた勢いと腰の捻り。踏み込みのタイミングを合わせて右から左へとラケットを振り切る。ラケットがしなるほど勢いをつけた一撃は武の顔面を強襲した。
(こいつ!)
体勢を斜めにずらしてドライブで弾き返す。須永もラケットを素早く持ち替えてドライブを打つ握りを作り、前に押し出す。
平行に打ち抜かれるシャトル。シングルスでダブルスの平面の戦いを繰り広げる。外から見ればスピード勝負の間にクリアを上げてしまえば反応しきれないだろうと思える。 しかし勝負をしている当人ではそのタイミングが掴めない。
(下手にクリアを打とうとすれば速さに失敗する……ドライブで打ち勝つしかない、か?)
一歩も引かないドライブ勝負。お互いにこの状況を切り抜けるタイミングを図っていた。
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