Fly Up! 40
「ポイント。フィフティーンテン(15対10)。マッチウォンバイ、相沢、藤田」
審判がコールを告げて、若葉と藤田の手がハイタッチを交わした。湧き上がる歓声は浅葉中の場所から。相手との握手を終えて自分達のスペースに戻ってからは更に賞賛が起こる。自分達の中学の一番手として初の勝利を得たことで、勢いづくということだろう。
「やったな、若葉」
武も賞賛の輪に入って労う。若葉はうなずいてタオルで顔をぬぐっていたが、目に浮かぶ涙に気づいていた。それを隠すためにも、タオルを使ったのだろう。
(若葉も嬉しかったんだろうな)
共に小学生の時は良い成績とは言えなかった。若葉はたまに勝つことは出来たが、それでも年数を考えると結果は出ていなかった。今回はそれよりも高いレベルでいきなりの一勝。感極まったというところだろう。
「次は第一シードが相手だし、がんばらないとね」
藤田が若葉に語りかけつつ武をちらちらと武を見てきた。その視線の意味を完全には分からなかったが、何か声をかけてほしいのだろうと予想して思ったことを口にする。
「諦めなければ勝てるよ。だって、バドは――」
一勝もしてない自分が言っていいものかと言葉を止めようとする武だったが、息の流れによる勢いと自分を奮い立たせる意味として、口に出す。
「バドは、実力差を考えて埋めるんだからさ」
武の言葉に場に驚きが広がっていく。あたかも小波のように。緊張は高まったが、もう止まりはしなかった。
「先生もより考えたほうが勝つとか言ってた気がするし」
「そうだな」
輪の外で庄司が頷く。バドミントンをやる上で必要で、しかし忘れてしまいそうになること。技術体力。そして運ではなく思考。
より考えた者にバドミントンの神は微笑む。
「次からの試合もより考えていけ。結果も大事だが、惰性で勝っても成長しないぞ。最後の最後までどうすればポイントを取れるか考えるんだ」
『はい!』
庄司の声に全員が答える。それと共に二年生も試合へと入っていった。
学生の試合は必ずと言っていいほど試合をする当人達が審判をする。一回戦だけは協会役員の大人達が審判をするが、線審はそれぞれの学校の部員。その後は敗者審判という形で進行していく。
そのため試合への参加人数が多い学校は自然とその学校のスペースにいる人数は少なくなる。浅葉中も参加数は最も多く、一回戦が集中する序盤は誰もいなくなっていた。
ちょうど武一人だけ庄司と共に荷物番となる。
「早く出番が来てほしい」
「全くだ」
答えた声に振り向くと、少し離れた場所で刈田がコートを眺めていた、視線の先には翠山中の女子と浅葉中の二年女子ダブルスが試合をしていた。応援という雰囲気でもなく眺めていて、翠山サイドが得点すると「ナイスショット」と気の抜けた声を飛ばしていた。
「お前、何しに来たんだ?」
「自分の学校の応援に決まってるだろ」
全く言葉に説得力がない。そこまで考えて武は一つの可能性に思い至る。自分の立つ場所の後ろの椅子に置かれていた試合のプログラムを取ってダブルスの時間表を眺めた。
そこに答えが書かれていた。
「若葉の試合はまだ先だぞ? 気が早いな」
「試合と私情を一緒にするな! 俺は別に」
「分かりやすいなー」
言い訳を聞きながら武は内心でほっとしていた。一人で他人の試合を見ていると自分の番を求めて気がはやり、気疲れしてしまいそうだった。刈田の登場で気持ちが和むのを感じる。
「そうか。刈田ってシングルだけだもんな。まだまだ先か」
「お前は吉田のパートナーだから遅いんだよな」
刈田の言葉に棘を感じ、武は顔をしかめた。あっさりときついことを言うのが刈田だと初めて会った時から分かっていたが、今回はどうやら確信犯らしい。
「小学校の頃から吉田を知ってる奴らは分かってるさ。パートナーが弱点だってな。シングルスで勝てないならダブルスでもう一人の名前も聞いた事がないやつを狙えば勝てる――そう、思ってる」
「なるほどな」
「意外と落ち着いてるな」
辛らつな言葉を冷静に受け止める武に、意外そうな顔で言葉を続ける刈田。はは、とため息混じりに笑って言葉を返す。
「当たり前だしな。吉田が強くて、俺が弱い。狙うのは当然だよ。バドは考えて考えて、相手を追い詰めるんだから。弱いほうを狙うのは普通さ」
「それをしのぎきる自信は?」
「試合をしてみないとな。でも」
武は一度言葉を切り、試合に目を向ける。一つ試合が終わるたび、自分へと近づく足音。戦いへと誘う、誰かのそれを聞きながら武は言い切った。
「俺一人ばっかり狙えるとは思えないし、それをしてくるならそれを乗り切らないと優勝は無理だから」
「言いきったな」
刈田は隠そうともせずに豪快に笑う。その笑いはけして嘲笑ではない。スポーツをする以上誰もが目指す場所を言い切ることは、それだけ厳しいものとなる。その覚悟を武は持っていると感じたからこそ、刈田は武を認めたのだ。
「ダブルスもいいが、シングルスは今回、勝たせてもらうぞ」
刈田は笑ってその場から去っていた。順当に勝てば、武は二回戦で刈田と当たる。実績がない武にとっては見慣れた位置。シードのすぐ下にいないことだけでも珍しかった。
(ダブルスは絶対。シングルスは……いや、ここまできたらもう消極的なことを言ってる場合じゃない)
自分の席に戻りラケットを取る。その場で軽く素振りを始めたところで吉田が帰ってきて自分のラケットを取った。
「相沢」
言葉にこめられる力。その意味するところを理解すると同時にアナウンスが響いた。
『次の試合。浅葉中吉田・相沢、翠山中鹿島・美濃の試合を第五コートで行います』
コールに導かれるように足を踏み出す武。吉田もうなずいて、二人は並んでフロアへと降りていく。ちょうど、試合を終えた部員の応援を終えてあがってきた由奈達と会い、激励の言葉が飛ぶ。
「上からちゃんと見てるからねー」
応援の洪水の中で武の耳に飛び込んできたのは、由奈の言葉だった。
由奈に向けて手を上げる。その他大勢がいたために特定の誰かとはその手を向けられた本人さえ分からなかっただろう。フロアに出ると一気にアドレナリンが放出し、気合がほとばしる。
「初戦だからって硬くなるなよ……ってもう遅いか」
「え?」
ぽんぽん、と吉田が武の背中を軽く叩く。その瞬間、気合で張っていた筋肉が程よくほぐれた。自分でもその変化が分かる。
「ど、どうやったんだ?」
「これを見越していつも肩叩いたりしてるんだけどな」
吉田は笑いながら答える。足はコートへと歩ませながら。
「こういうの習慣にしてると身体がいつもと同じって錯覚するんだよな。緊張するなっていうのも無理なやつは無理だし。だから身体に『いつもの練習と同じだ』って思わせるのにこうして軽く叩くわけ」
頭ではなく身体に覚えこませる。吉田の言うことのなんとなくの凄さに武は「はー」と驚くことしか出来ない。だが、それも目の前に試合の相手が現れたことで消える。
「さあ、俺達の初試合だ。楽しもうぜ」
「……うん」
ラケットを一度振り、武達はコートへと入った。
「握手をしてからサーブ権を決めてください」
審判をするのは同じ翠山中の二人だった。武達が見ていないところでついさっき負けたようで、まだ汗が引いていない。視線を転じると大地と杉田も別のコートで審判とラインズマンをしている。
敗者は審判となり、その後は応援だけ。過去の自分が重なる。
「お願いします!」
しかしそれも握手と共に霧散する。対戦相手が力を込めてきたと同時に武も対抗していた。すぐに離れたが、手をひらひらと動かしている相手を見て思わず優越感に浸る。
「あいつら。わざと握手強めてきたな」
「あっちも気合十分か」
風がないコートに起こる、気配のない風。
対戦する四人だけが感じることが出来る空気の流れが、徐々に強まっていく。
「吉田・相沢サービスゲーム。ラブオールプレイ!」
「一本!」
吉田の咆哮とショートサーブ。絶妙な高さでネットを越えたシャトルは高く跳ね上げられて空を舞う。後ろには体勢が十分の武。
(見せてやる!)
真下で力を十分に溜め、シャトルへとラケットが振り切られる。
「おああ!」
ガットを歪める音とコートにシャトルコックが叩きつけられた音。
二つが時間差で鳴り響き、二人の戦いの幕を上げた。
「ポイント、ワンラブ(1対0)」
武のスマッシュに相手も部活の仲間でさえも動きを止めた。その後に来る行動は全く逆でドンマイ、と励ます声と歓喜の声。まだ一回戦だというのに周囲には他の中学の選手達も集まっていた。
「ナイスショット」
吉田がまた軽く肩を叩く。武は笑いながらその掌を軽く叩く。
「今度はハイタッチでいくぜ」
「おう」
サーブ位置に戻り、構える。相手も今の攻撃でクリアを上げるのは危険だと感じたのだろう。前傾姿勢になりショートサーブを確実に返しつつヘアピンを狙えるようにという意識をむき出しにしていた。
「一本!」
一瞬のこと。サーブの段階で静まった場を切り裂く吉田の声。そして跳ね上がるシャトル。
当然、相手もロングサーブは警戒していたはずだった。武から見ればあからさまな前傾姿勢はロングサーブを打たせる試金石。たとえ正攻法でショートサーブを打ってもプッシュかヘアピンを返されてしまうだろう。
それでも、相手は吉田のロングサーブを後ろにそらしてしまった。ラインから少し手前に離れた場所へと落ちるシャトル。
あまりにも鮮やかな軌道だった。
「ポイント。ツーラブ(2対0)」
またしても浅葉中サイドからは「ナイスコース」の合唱が起こる。翠山中も試合に臨んでいない数名が対抗していたが、武達の猛攻をとめることが出来ない。
上げれば武のスマッシュ。低く勝負しようとしても吉田がことごとく前に落とし、ネットに引っ掛けるしかない。
ラリーを続けて吉田を後ろにしても、武とは違う種類の鋭いスマッシュが懐をえぐった。
あまりにも圧倒的な戦力差。その上、武達は相手の弱点を見つけそこに畳み掛けていく。
時間は瞬く間に過ぎていき、誰の目にも勝敗が明らかになる。
今までその身体を包んでいたベールが解かれていく。
武と吉田が生み出す世界に誰もが飲み込まれていった。
そして。
「ポイント。フィフティーンラブ(15対0)。マッチウォンバイ、吉田相沢」
二ゲーム。フィフティーンラブ。相手を完全に寄せ付けず、二人は公式戦初勝利を上げた。
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