Fly Up! 39

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 軽く汗を流した後の開会式は、武だけではなく他の学校の面々も同じく退屈だったらしい。挨拶をしているのは地元のバドミントン協会の会長で、副市長という人物。客観的に見ればかなり上の人物ではあるのだが、中学生にとってはあまり関わりがないため、全くと言っていいほど注意をしない。
 結果、挨拶が終わっても武は何を言っていたのか分からなかった。

「ようやく終わったな」
「偉い人の話が長いのはどこでも同じだよな」

 あからさまにうんざりする杉田に笑いながら答える武。終業式、始業式の校長の話を思い出しているのだと分かったからだ。そこで笑顔になれるのもようやく公式戦が始まるからであり、つい先ほどまで不安にさいなまれていた男の姿はそこにはない。
 吉田に諭されたこともあるが、中学になって初の公式戦。元々負けず嫌いな面がある武にとって、近くなれば臨戦態勢となるのは必然だった。
 自分達のスペースに戻ってからラケットをすぐさま持ち、身体をねじりつつ出番を待つ。
 そこへ、庄司が試合のプログラムを持ってきた。

「よし。お前ら一つずつこれを取ってくれ」

 順番に配られたところで武は一気にページを開く。自分がどの位置にいるのかなどまったく分からない。小学生の時は常に最初のほうに試合をして一回戦で負けていたのだから、今回も近い場所にいるのではという思いがあった。
 最初にダブルスのトーナメント表を見つけ、自分の名前が最初にあるのを確認するとまたその思いが浮かんできた。

「そんなぁ」

 また一回戦の第一試合からなのかという気持ちと、ならばそこからふっきるという気合と。一人闘志を燃やしていると背中を叩かれると共に声が聞こえてきた。

「うちらは第一シードだな。がんばろうぜ」
「え? 第一、シード?」

 吉田の指に誘われて視線を向かわせると、武の名前の上に吉田の名前――ダブルスだから当たり前だが――があり、対戦を示す棒線が一本他よりも長く伸びていた。

「……第一シード!?」

 周りがその声量に振り返ることにもかまわずに、武は叫んでいた。
 あまりの驚きに口を開けたままの武を見て周りも笑い出す。その声が聞こえてきてようやく自分の痴態に気づいたのか、縮こまりつつトーナメント表を見ていった。
 武と吉田は第一シード。吉田の名前が先にあるのは小学生時の順位によるものか。他の端には明光中が二組。翠山中が一組。

(明光中の二組は……安西達か)

 以前から半年は会っていないにも関わらず、どんな姿形かを武は覚えていた。ダブルスでは安西と岩代。川瀬と須永という組合わせになっている。翠山中は聞いた事がない名前が二人。

「あれ? 刈田はダブルス出ないんだ」
「あいつはシングルスプレイヤーだからなー。生粋の」

 武の呟きに答える吉田。その余裕は何故なのかを考えてみれば、当たり前のことだった。

(吉田にとっちゃ、小六の時とそんなに変わってないんだよな。自分が一番強くて、他から追いかけられる立場なんだ)

 学年が分かれているということはつまり、今時点では吉田を倒したという事実を持つ者はいないのだ。それこそ、転校していった西村以外は。

「よし、そろそろ時間だ。タイムテーブルは分かってるか?」

 庄司の問いかけには一年の誰もが答えない。誰もが中学ではじめての公式戦だということで舞い上がっていたのだろう。各々がダブルスやシングルスのトーナメント表しか見ていない。

「最初にベスト4までダブルス、シングルスの順番で試合するんだ。そこから少し休憩が入って、ベスト4が同じ順番で行われる。両方で勝ち進むと結構きついぞ」

 嘆息する庄司に代わって答えたのは金田だった。武は素直に頷き、ある事実に気づく。

「つまり、俺は最初出番無しか」
「そういうことだな。他の部員のウォーミングアップを手伝ってやれ」

 金田はそこから部員全員を見渡せる位置に立ち、声を張り上げた。

「いいか。今日は新しい体制のバドミントン部になってからの一区切りの試合だ。今までやってきたことを十分発揮して、浅葉中バドミントン部の新世代を他の学校に見せてやれ!」
『おおー!』

 金田に同調して二年男子、そして女子が咆哮する。その熱さに飲み込まれて、武も声を出していた。

「おっしゃー! 皆頑張ろうぜ!」

 一年男子も女子も、声を上げるのは恥ずかしがっていたが、武を笑わない。
 思いは、一つだった。
 金田が気合の咆哮を放った後すぐに、試合の準備が開始された。
 コートは全てで八コート。一年と二年が四つずつ分け合い、その四つを男女で二分する形で試合は行われる。それでも成り立っているのはそれぞれの学年で出場する組が少ないからだった。ダブルスは十四組でシングルスは十六。三回勝てば優勝へとたどり着ける。

(そりゃ、これ以外の大会は上級生も混ざって一つのトーナメントだから当たり前か)

 武はそう思いつつ、眼下に広がるコートを眺めていた。ウォーミングアップを手伝えと庄司には言われたが、ダブルスの場合、その相手は自分の組む相手だ。結局、武はやることがなく、座りながらアキレス腱を伸ばしつつ他人の基礎打ちを見ることだけ。

(こうしてみると、皆凄く上手く見える。錯覚なのかもしれないけれど)

 小学生の時の一回戦負け根性がまだ多少はあるのかと、武は笑う。それでもかまわないという気持ちもある。武の原点は紛れもなく、一勝も出来なかったその頃なのだから。

「武ー。基礎打ちでもしてない?」

 声に導かれるように顔を向けると、由奈が立っていた。避けられていると思っていた相手から声をかけられたのは驚きだったが、それに困惑が加わる。
 由奈はダブルスには出場していない。女子で出ているのは早坂と清水。そして若葉と藤田雅美の二ペアだけだった。まだ残っている女子もいたが、シングルスで精一杯という理由で止めていた。だから、由奈の出番は武よりも更に後だ。

「もう打つの?」
「だって暇だもん。ここから出たところでドライブ軽くしてようよ」

 とりあえず申し出には答えておく。武からすれば、由奈との距離を少しでも近くしておきたい。それには地道に歩いていくしかない。出来るだけ、自然に。

「んじゃ、行くか」
「おうー」

 いつもの由奈。距離が離れたと思う前の。今までとの印象の変わりようを不思議に思いながらも、武はフロアの外へと由奈を連れて歩いていった。
 外のスペースもある程度の広さがあった。総合体育館という場所だけあって、選手達のウォーミングアップが出来るようにフロアの観客席もその外もランニングなどの場所をもうけているらしい。実際、ストレッチを念入りにやっている選手もいた。二人は開いている場所を見つけて向かい合う。

「軽くドライブね」

 由奈が言うと同時にシャトルを本当に軽く打ってきた。武は反射的に力を入れようとするが意識がそれを拒絶。結局、中途半端な返球をしてドライブにならない。少し上に飛んだシャトルを由奈は軽くジャンプしてラケットで叩く。そこからは武もコツをつかんだのかまっすぐ、しかし軽く返球できるようになった。
 規則的に流れる打球音。一定のリズムを保ち続けられるのは互いの力量が一定程度以上あることの証明だ。ドライブのコツはラケットを前に水平に押し出すようにシャトルをインパクトすること。押して引いての反復動作が安定しなければドライブにはならず、その動作が実は難しい。

(由奈、これが一番苦手だったよな、たしか)

 武は小学生の時の由奈を思い出す。他のショットが出来てもドライブだけは苦手だった。どうしてもスマッシュになり、ネットに引っかかってしまっていた。それが今は武と打ち合いを続けられるようになっている。

(お前も強くなってるじゃん)

 自分だけじゃなく、誰もが練習するたびに成長している。そんな当たり前のことが武はうれしかった。特に由奈の成長は自分のことのように思えた。
 小さい頃から共に居た、まさに半身とも呼べる存在だったから。

「武」

 返球の威力をラケットで殺して、由奈は武の名前を呼んだ。サイクルを止めた理由が分からず、名を呼ばれた本人は首をかしげる。

「何?」
「今日の試合終わって雨が止んでたらさ、一緒に帰ろうよ」

 その申し出に武は少し驚いた顔を向けていた。今日の由奈は今までとは違い、気まずくなった雪の日以前に戻ったようだった。それは嬉しいことだったが、そのきっかけが武には見えないため変わりように不安になる。

(なんだろ、本当)

 ドライブを再開しても脳裏から由奈の言葉が離れない。しばらく離れていたが元に戻るというのはあるのだと思えるが、実際に納得できるかといえばまた違う。人間がそれまでの行動をいきなり変えるのはやはり何かあると思えた。

「なあ、由奈――」

 悶々とするよりは聞いたほうがいいと、武は口を開く。だが、別のところから声が届いた。

「由奈ー。若葉とふーちゃんのダブルス始まるよ!」

 女子部員の澤田ひとみが駆け寄ってきたことで、由奈は武が飛ばしたシャトルをラケットに当てて勢いを殺す。そのまま返事をして武へと振り向いた。

「武も若ちゃん応援しよ?」
「あ、ああ」

 完全にタイミングを外されて、武は促されるまま由奈についていく。自分に振り向いた時の由奈の顔に心臓が高鳴った自分を自覚しながら。

(なんだろ。やけにいま……)

 声にならない言葉を胸中にしまって、武はフロアへと戻る。そこは先ほどとは全く別の空間だった。コートで試合をする選手達を応援する各校の声が響き渡る。声に熱がこもっているかのように、気温は急上昇していく。

「うわ……」

 自然と口から出る感嘆。声の洪水の中前に進み、コートを見下ろせる位置に歩み寄る。由奈の隣に陣取ったが、すでに武には目の前に繰り広げられてる試合に目が行っていた。

「若葉! 一本だ!」

 若葉がシャトルを持ちタイミングを計る。サーブ体勢に入ってからでは集中を乱すからと、その前にエールを送った。それは功をそうしたようで、若葉は武のほうをちらりと見て、笑った。
 リラックスした状態から放たれるサーブ。相手は上げるしかなく、藤田が後ろからスマッシュを叩き込む。
 だが相手も負けてはおらず、スマッシュを難なく返して藤田を左右に走らせ始めた。

「相手は……明光中か」
「あそこ、一年女子は強い人多いみたい。今やってるのも早さんと小学生の時に準決勝とかで対戦してた人達だもん」

 由奈の解説になるほどと納得する。自分と同年代の、他の学校の選手。
 ついに学年別が始まったと、武は血が滾った。
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