Fly Up! 38

モドル | ススム | モクジ
 雪が視界を覆いつくしていた。風はないが、大量の雪は一日中降り続けるとカーラジオから流れてくる。今年の北海道は近年でもまれにみる豪雪と呼ばれ、初雪が降り始めた十二月の頭から一気に降り注いでいた。雪をかきだしても数十分後にはまた降り積もるという状況が一ヶ月以上続き、ようやく最近は収まっていたのだが、今日という日にまた豪雪となった。

(試合の当日だからって考えるのは面白いかな)

 車の中から外の光景を見つつ、武は思う。日曜だからと親が車を出してくれたおかげで寒さに震えながら試合をする総合体育館へと向かわずにすんだことは幸運だった。
 ただ、いつもならいるだろう人物がいないことは不運だった。

(由奈……)

 小さな頃から由奈は武の両親も知っている。小学生の時も雨の時などは試合会場には若葉と武、そして由奈の三人が車の後ろに乗って行ったものだった。

(やっぱり、明らかに避けられてるよな)

 心当たりは雪が降り始めた頃、自分の不用意な一言にあったとは分かっていた。それから正月を挟み、冬休みがあけて二月に入る今まで、どことなくよそよそしい態度のまま由奈との関係は離れつつあった。
 普通に話す。共に休日にバドミントンの練習にも行く。
 それまでとやっていることは変わらないのに、武には由奈との間にある溝がはっきりと見えていた。他に見えるとすれば若葉くらいだろう。
 それまで踏み込めていた領域が、はるか彼方へと行ってしまったかのような喪失感が武の中に生まれる。

(思春期、とかいうやつですむならそれまでだけど)

 若葉は「思春期」の一言で武の感じている不安を一蹴していた。確かに、お互いにもうすぐ一年、中学生をしている。武が一年前、見学に来て興奮していた大会に、とうとう自分が出るのだ。時の流れを感じずにはいられない。
 だが、由奈との間に感じる溝はそれだけではすまない気がしていた。

(本当に、このまま……)
「武」

 運転を止めた父親の声に我に返る。気づけばもう会場についていた。入り口は屋根がついていて雪が横から吹いてくるだけでそれほど積もってはいない。若葉はすでに外に出ていた。

「何か集中できてないみたいだが、それで大丈夫か?」

 まっすぐに見つめてくる父親の視線に耐え切れず、武は下を向く。自分の考えを見透かされているように感じたために。

「悔いが残らないように頑張りなさい」

 たったそれだけの言葉。さらりと紡がれた言葉。
 それでも、武の中から迷いが消えた。

「ありがとう、父さん。頑張ってくるよ」

 決意と共にドアを閉める。去っていく車を見送りながら体育館の中へと向かった。
 会場は雪の寒さなど吹き飛ばすかのごとく、温まっていた。時刻は八時過ぎ。本来なら八時から開場する体育館は、今の時間ならまだ人はまばらである。だが、武の目の前にはすべての中学のほとんどの生徒達が集まっていた。誰もが今日という日を待ちきれなかったかのように。
 まだ暖房が入り始めの体育館自体は温まっていなかったが、空気は選手達が準備運動の中で発する熱によって武を包む。
 今まで頂点に君臨していた三年生がいなくなり、これからの時代を背負う者達が集まる場所。それも学年別ということで現時点での同世代の実力分布が分かるのだ。小学生から活躍していた者達は更なる高みを目指して。新たに力をつけた者達は上を倒す牙を遂に剥く。
 それまでの勢力図が今日、大幅に変わるかもしれない。

「凄いな」
「凄いね」

 武とほぼ同時に若葉が呟く。互いに考えていることは同じだったのだと確認して互いを見て微笑んだ。その時、後ろから声がかかった。

「そうしてるとお前らって彼氏彼女みたいだよな」

 振り返ると橋本が人懐っこい笑顔を向けていた。傍には早坂と由奈の姿。二人を見て武は鼓動が急に早くなるのを自覚した。

(緊張すること無いじゃないか。毎日会ってるのにさ)

「おはよ。武に若ちゃん」
「相沢も若葉も体調よさそうね」

 早坂と由奈は普通に挨拶をしてくる。そこからスムーズに会話に参加する若葉とは対照的に武は軽く挨拶をしてから体育館の中に向かう。すぐにウォームアップするというそぶりを見せて。

(そうそう。俺は今日、優勝狙ってるんだから。ダブルスでも、シングルスでも)

 そう思いつつ体育館内に入ろうとした武は、見覚えがある人物を見て立ち止まった。

(あれは……)

 着ているシャツは薄い水色。武達の濃い青でも、翠山中の緑でも、明光中の黒でもない。
 清華中の、水色。
 もう三ヶ月は前になる、雪の日に見かけた男。

(あいつ、か)

 吉田が試合をしているところを初めて見た時のような、感覚的な衝撃。
 手に滲む汗をジャージのポケットのあたりにこすりつけながら、武はその男を見ていた。
 周囲には同じ部活の女子――おそらくは同い年だろう――が四人いた。誰もがその男に好意的な笑顔を向けている。それが嫉妬にならないほど中心にいるのは美男子だった。
 顔が小さく一見すれば女性と間違うような容貌だが、背の高さと紡がれている笑い声の心地よさに、女子が集まるのも納得する。

(でも、あれくらいなら小学生の時から注目集めてそうだけど)

 浮かんだ疑問に顔をかしげていると後ろから由奈達が追いついてくる。振り返って反応を見てみたが、誰もが一様に武と同じく男の存在に首をかしげていた。
 そうしていると、女子の輪から抜けて男が武達に逆に近づいてきた。

「もしかして、浅葉中の人ら?」

 初対面にも関わらずかなり気楽に話しかけてくる。その一瞬で早坂は苦手なタイプだな、と思って武は顔に出さず笑う。だが、次の瞬間、凍りついた。

「吉田香介、いない?」
「ここにはいないわよ」

 即座に返答できなかった武に代わって、早坂が答える。武に向けていた視線を早坂に移した男は、急に顔を赤くして息を止めた。
 それから数秒。言葉を交わすことも無くその場で時が止まる。

(な、なんだ? どっかでこんなことあったような)

 武が思い出すよりも早く、男は口を開く。

「俺、小島正志。九月から清華に転校してきたんだ。君、可愛いね。ぜひ付き合いたいんだけどどうだろう? 彼氏いる? 好みのタイプは? 俺のタイプは前田浩二選手なんだけど」
(前田浩二、ってバドミントン選手だよな)

 最後に出てきた名前が日本のトップで活躍する選手の名というのだけは理解できたが、他は言葉が速く理解に時間がかかった。

「あ、今は時間がないや。なら、今日の優勝は君に捧げるよ」

 そこまで言うと男――小島正志は小走りに去っていった。その場に残される武達。誰もが展開に唖然としてどう動けばいいか分からなかった。

「あー。えーと……誰だったんだ?」
「さあ」

 隣にいた由奈に問いかけ、同じように首を傾げられる。その間は今までの気まずい雰囲気はなかった。
 そのまま当の告白を向けられた早坂に視線を向けると、その顔は少しだけ緩んでいた。

「おかしな男ね」
「まったくだ」

 橋本の言葉で呪縛が解けたのか皆はこぞって自分達の集まる場所へと歩き出す。武の中には一つだけ気になる言葉が残っていた。

『今日の優勝は君に捧げるよ』

 あまりにもさらりと空中に消えた言葉。あまりにも自然に紡がれた言葉。
 だが、その意味するところは軽く流せるものではない。今まで名前を聞いたことがない人物が言うのは普通ならば笑い飛ばせるだろうが、小島正志という人間が口にしても武は笑うことは出来なかった。その場の誰もが聞き流してしまうほど自然に言えることが、逆に相当の自信を感じさせたからだ。

(一体何者なんだろう?)

 気になりつつ皆の後に続いていくと、目の前から吉田がやってきた。由奈達が挨拶をする中でぼんやりとしていた武は挨拶のタイミングを逃す。それに違和感を感じたのか、自分達のスペースに向かう由奈達から武を足止めして、話しかけた。

「どうした?」
「ん……実はさ」

 フロアに入る入り口の前で先ほどの出来事を語る武。吉田は特に言葉を挟まずに聞いていたが、終わると同時に笑い出した。今までそれほど笑った吉田を見たことがなかった武にとってかなり意外な一面だ。笑いが止まるまでしばらくは黙って見ているだけだった。
 やがて吉田は笑いを止め、目に溜まった涙を拭きながら言った。

「早坂のあっけに取られた顔見たかったな」
「いや、そこ突っ込むところ違うし」

 吉田の言葉にげんなりしつつ自分の考えを言おうとするが、続けての言葉に武が知りたい事実があった。

「小島正志は北北海道の小学生チャンピオンだよ。転校前の中学は毎年全国大会に出てるところで、あいつはそこでも上級生に混じってかなり上の位置だったらしい」
「……なん、だって?」
「優勝を捧げるっていうのも分かるよ。おそらく、この大会であいつに完全な実力で勝てるのは誰もいない。金田さんも、多分負ける」

 吉田の言っていることを最初、武は理解できなかった。今、この地区でおそらく最も強いのは浅葉中の金田だろう。学年別も特に彼を脅かす存在はないと開催前からささやかれていた。だからこそ、今回の大会で牙城を崩すと同学年の選手は燃えていたのだ。
 その金田さえも敵わない存在が、小島というのか。

「って、どうしてそんなこと知ってる?」
「そりゃ。父親がバド協会だからさ。それだけの実力者が入ってくるんだから情報が流れないわけないよ」
「それって実はえーと……職権乱用ってやつ?」
「だからわざわざお前だけ引き止めたんだよ」

 なるほど、と納得する自分がいる反面、気になることもあった。
 それは一気に武の中に不安をかきたてる。それを払拭するには吉田に尋ねるしかない。自らも職権乱用の共犯者になろうと決めて武は口を開く。

「小島ってダブルスも出てくるのか?」

 優勝を狙ったダブルス。それが、試合の始まる前から目を詰まれてしまうかもしれない恐怖。小学生の時から負け続けた武が始めて優勝などと言えるようになったのだ。
 中学に入ってからの十ヶ月。その間に身につけた実力とそれに伴う自信を、失いたくはなかった。

「ん? 出てないよ」

 さらりと言った吉田の言葉に武は思い切り深く息を吐いた。その様子に吉田は軽く背中を叩く。ダブルスを組んでから何度もされてきた動作。いつも通りの空気に、身体の力が抜けるのを武は感じた。

「相沢。ちょっと力入れすぎ。俺らは俺らの出来ることをするだけだ」

 その言葉が、思い出させる。
 十二月の初めの早坂達との試合。そして、由奈との気まずくなったこと。
 それでも今の武の頭には今日の試合に勝つことだけが広がっていった。

「俺達は俺達のできることをする。そうすれば、優勝は十分狙える」

 ゆっくりと、言い聞かせる吉田。武は言葉を挟まずにうなずいていく。

「ダブルスもシングルスも、十分狙えるさ。お前は本当に強くなった。この十ヶ月で部内ならお前と杉田は凄く伸びた。そして、一番伸びたのはお前だよ」

 少しだけ強く叩かれる背中。ジャージ越しに伝わる吉田の掌の感触。痛みと共に熱が染み込んで来る。

「いいか。バドミントンは技量だけじゃない。頭だ。最も考えた奴が、勝つ。もしシングルで小島に当たったなら考えてみるんだ」
「考えて、みる?」
「そう。実力で劣るなら戦略で勝つんだ。いつも心がけてきただろう?」

 武は目を閉じて今までの練習を振り返ってみる。初めて吉田と西村のダブルスとやったときのこと。刈田と試合をした時、早坂との試合。他にも練習の中で顧問から言われ続けた、思考するということ。

「考えて、考えて」
「考え抜く」

 吉田の言葉に続けて目を開いた武が紡ぐ。知略こそバドミントンの真価だと、武の中で火がついた。

「おっし。やるだけやるか!」
「そのいきだ!」

 熱い思いを押し出して、武と吉田はフロアへと入っていった。

 一年最後の、そして最大の試合が、始まる。
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