Fly Up! 37

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「うー、身体痛い」

 早坂と清水との試合後、しばらく他の部員と試合をした後で部活は終了した。皆と別れて歩みを進める武と由奈。二人の後ろに続く足跡は、雪の深さを見せ付ける。
 部活をしている間に授業で見ていたときよりも深くなっていたらしい。

「それにしても一気に降るな」
「仕方ないよね」

 マフラーで覆われた口元から漏れる白い息。なぜかそれを見て武は胸が高鳴った。隠された箇所に何かしらの性を感じたらしい。幸い、頬の赤らみは周囲の寒さによるものでごまかせた。

「どうしたの?」
「あ、いやいや。なんでもない」

 動揺を隠し切れなかったが、由奈の問いかけをかわす。こんなやりとりを武は自分の思いを自覚してから続けてきた。
 何度も、何度も。

(自分で決めたことだけど……いつまで続けるんだか)

 バドミントンで強くなってから、自分の思いを告白する。
 若葉には別にこだわらなくてもいい、と釘を刺され少し楽にはなっていた。それでも武は今度の学年別大会の結果にこだわっていた。シングルスはまだしも、ダブルスは学年最強である吉田と組むのだから。

「ねぇ、緊張してる?」
「何が?」
「吉田と組むの」

 由奈がいつの間に吉田を呼び捨てにしているのかを、武は思い出せなかった。思えば男子は女子を、女子は男子を呼び捨てにしている。それもまた、時の流れ。

「……まあ、ね」
「じゃあさ」

 返答に由奈が口ごもる。何かを思い顔を向けるとうつむき加減に歩いていた。心なしか頬が赤い。寒さのせいか、それとも武と同じく何かに照れているのか。

「今度の学年別。お互いにご褒美考えようか」
「ご褒美?」

 聞きなれぬ単語に聞き返す。意味はもちろん分かるが、実際に聴くのは十三年間生きてきて初めてだった。

「そう。何か特典があったほうが張り合いがでるんじゃないかな。もし武が優勝したら、一日だけ願いを叶えてあげるよ」

 願い。その言葉に連想したのが一つだけだったことで、武は思わず笑ってしまった。

「じゃあ、お願いしようかな」

 足を止めた武に引っ張られるように由奈も足を止めた。雪の中、二人の間に生まれる微妙な間と空気。それを感じ取ったのか、由奈はそれまでとは違って顔に緊張を浮かべる。
 自分の提案に武が何を言ってくるのか見当が付かない。そのことに対するものと今まで体験したことのない武の雰囲気に飲まれる形になる。
 しかし、次の瞬間、それは霧散した。

「試合のあとでさ、一緒にスキーにいこう」
「は?」

 武の言葉に由奈は口を開いて顔を見つけた。その顔がどう武に映っているのかを考えることもなく。

(こんな顔を見れるのは俺くらいかもな)

 一方の武はそんな由奈の顔を楽しみながら見ていた。自分の申し出が由奈にしてみれば普通のことというのは分かっていた。おそらくは「そんななんでもないことでいいのか」と聞いてくるだろうと武は予測する。
 結果は思い通り。

「そんなことでいいの?」
「ああ。デートで」
「デートねぇ。うん。いいよ」

 武の意図が分からないのか少し怪訝な顔をした由奈だったが、願いが本当にそれだけだと理解するといつもの表情に戻った。武の心臓はそれでまた少しはねる。

(前もたまに二人で出かけたけど、今の段階で二人でって違うし)

 告白する気は、ない。
 だが、二人の時間の中でぬるま湯に浸かりたい。武にも分かっていた。
 告白すれば何かが終わるということくらいは。

「スキーって言えばさ、覚えてる?」
「見事に名詞がないよな」

 武の返答に由奈は笑いながら何についてかを説明する。だが、武の右耳から入った声は左へと抜けていった。急に生まれた恐怖感が、脳の働きをシャットアウトしたかのように。

(告白して失敗したら……この関係がなくなる、のか)

 ぬるま湯の関係。
 いつまでも入っていたい、心地よい温度。自分が気持ちに正直になって由奈へと気持ちを告白した瞬間、二人の間にあった空気が一気に崩壊する。
 そこからまた新たな空気が出来上がる。
 武にとって良いか悪いか分からないが。

「? どうしたの?」

 武の様子のおかしさに気づいた由奈が話を止めて問いかける。しばらくの間は「あ、いや……」とどもりながら場を繋いでいた武だったが耐え切れなくなってため息をつく。少しだけ踏み込んで確かめなければ落ち着かなくなっていた。

「あの、さ」
「なに?」

 話を切り出そうにも何を言っていいものか混乱する武。今までのはっきりしない態度に由奈も不快感を表し始めていた。顔に不振な表情とかすかな怒りが浮かび上がる。

(まずい……そうだ!)

 追い詰められた時、武の脳裏に一つの考えが閃く。それの有効性を考える余裕もなく、口に出していた。

「早坂ってさー。好きなやつとかいるのかな?」
「早さん? 好きなって……」

 突然の質問に困惑する由奈。武は立て板に水のごとく言葉を続ける。

「ほら。あいつって昔からどこか男嫌いってオーラが出てたからさ。誰か好きな男子っているのかなって。やっぱり中学生ともなると好きな異性の話とか、気になっちゃってさ」
「どうして武が早さんの好きな人を気にするの?」
「他人の恋愛話って気になるじゃないか! 由奈は気にならない?」
「確かに気になるけど」

 武は何とか自分の聞きたいことの方向へと話を進められそうだと内心でほっとする。しかし、急にそれは途切れた。

「でもそういうの。あんまよくないよ。私寄るところあるから先行くね」

 武が呼び止める間もなく、由奈は走って武から離れていった。その後姿を見ることしか出来ず、武はただそこに立っていた。

「……ミスった、か」

 後悔は、後には立たなかった。
 由奈の足跡を踏むように歩いていく。その軌跡を追うことで謝るきっかけをつかめるかのごとく。実際、走っていたのは少しの間で、由奈は歩きに切り替えている。武も少し早足になれば追いつけるだろう。そして謝れば、今の話はしこりはすぐ消えないだろうが気にはならなくなるはずだ。
 だが、実際には何も変わらず、二人の距離は開いていく。

(はぁ……一言も二言も多い)

 ため息は白く染まり空へと昇っていく。その間に武が犯してしまったミスが浄化されて消えてしまう……そんな妄想に浸っていても現実は変わらない。
 武は前を向いて小走りに走り出した。頭の中で由奈の早歩きの速度と自分の走る速度。家の位置関係を描き出す。

(ぎりぎり間に合う)

 導き出した結論はしかし、一秒ずつ不可能になっていく。武は走りながらも更に速度を上げていた。余裕を持って追いつき、謝る。それだけでもかなり違うはずだった。一日遅れてしまえば謝りづらくなり関係が悪化してしまうのは明らか。
 しかし、武の足は途中で止まっていた。

(あれは……)

 視線の先に見えたのは、雪の中を走るジャージ姿の男だった。
 無論、上には冬用のジャンバーを着て、下にも重ね着していることだろう。あくまでジャージは走りやすさから選んでいるだけだ。
 武が視線を向けたのは単純に雪の中をランニングしていることに驚いたのだが、由奈の去った方向から近づいてくる男を見ているうちに、身体の中から何か熱いものがこみ上げてくる。

(なんだろ。この感じ。前にも……)

 ただ立ったままの武の隣を通り過ぎる男。視線はずっと前。武がいることさえも映っていないかのごとく、過ぎ去っていく。
 その瞬間、武の中に生まれた感覚の正体が分かり、勢い良く振り向いた。走っていく相手の背中にかける言葉はなく、ただ口をかすかに開けて見送るだけ。
 雪の量が多くなり、男の姿は消えていた。そして、由奈の姿も。
 追いかけたい二人をどちらも見失って、武はその場所にしばらく立っていた。


 ◇ ◆ ◇


(どうして、武が早さんの好きな人を気にするの?)

 由奈は乱された心が表れているかのような足取りで歩いていた。まっすぐ踏まれるべき足跡は左右にばらついている。バランスを取らねばならないほどの量ではない。むしろ雪国で育った由奈ならば何の苦も無く歩けた。
 それを妨げている心の乱れの張本人は、追ってはこない。かすかに追いかけてきて謝罪する武を想像していた由奈は二重にショックを受けていた。

(武のことだもん……何か言おうとして早さんをクッションにする気だったんだろうけど……でも、でも!)

 由奈自身、ここまで動揺する自分が信じられず、どうすればいいか分からなくなっていた。ずきん、と痛む胸を右手で掴みながら歩く速度をあげていく。一刻も早く家に帰ってベッドに包まりたい。心地よい暖かさの中でならきっといい夢を見れるし痛みも忘れてしまえるはずだった。
 だが、由奈自身それを嘘だと知っていた。

(私は早さんに嫉妬してる)

 醜い自分が目を覚ますことを認めたくない心と、認めざるを得ないと言う思考が対立する。

(武が取られるかもしれないって、心配してる)

 今更ながらオブラートに包もうとする自分に自重めいた笑みが浮かぶのを由奈はとめられない。

(ずっと一緒にいたから、ほとんど他人とか意識したことが無いから)

 小学生の時は、多くの友達がいたが最後に語って一日を終えるのは武とだった。遊び終わっての帰り道。最後の時まで共にいる、隣にいるのは武だった。
 しかし、徐々にそんな関係は終わりを告げる。
 武は飛躍的にバドミントンの実力を上げ、由奈を置いていく。それについていけるのは、早坂だけだ。

(同じ世界を、あの二人は見ることが出来るんだ……)

 鼻の奥がツンとして、瞳からかすかに雫が落ちた。由奈の中で何かが、しかし大切なものが崩れ落ちていった。
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