Fly Up! 36
「早坂。試合しようぜ」
「試合? シングル?」
タオルを肩にかけてストレッチをしている早坂の傍に立つ武。早坂の身体は柔らかく、武からは軟体動物のように見えた。自分の中では褒めているのだが、ストレートに言うのは失礼だった。だが他に掲揚する言葉が見つからなかったためそこには言及しない。
「違うよ。ダブルス。俺と吉田とやってよ。早坂と清水だったろ?」
視線を壁に手をついてアキレス腱を伸ばしている女子に向けながら言う。自分の名前に反応して、その女子――清水香奈は振り向いた。
「ん? 相沢君達とやるって?」
ストレッチを止めて近寄ってくる清水を見て、早坂との違いが良く分かる。
スレンダーな早坂と違って清水は多少ぽっちゃりしていた。女子の体重事情は分からないが、相対的に見て太めだろう。
それもストレートに言うのは失礼で、他に掲揚する言葉が見つからなかったから武は言わなかった。
「そ。今のところ一年女子では一番だろ? たまには違う相手ともやりたいんだ」
「私は良いけど、先生は良いって言う……」
「いいぞ。たまには」
気づけば、庄司が武の後ろに立っていた。早坂達からはちゃんと見えていたようだったが、武は唐突な登場で飛び上がってしまう。
勢い余って目の前の清水にぶつかってしまった。
「相沢君……セクハラ止めてよ」
抱きつかれた状態にも関わらず清水は冷静に言ってきた。そのことで武も顔を真っ赤にしつつ身体を離し、庄司に向き合って試合の了解を取る。
「新鮮だろう? それに、吉田とお前のダブルスに足りないものが見つかるかもしれん」
「足りないもの、ですか?」
首をかしげながら繰り返す。足りないものなどたくさんあるはずだ。それが埋まった時は、ダブルスで全国を制覇できるだろう。それでも、今そうやって言ってきた庄司には武が考えているものとは別のものがあるはずだった。
「じゃあ、吉田の審判が終わったら始めよう」
「はい」
武は首肯して自分の荷物のところに戻った。
男子の試合が終わったところで、武は自分の提案が通ったことを吉田に説明する。他の面々も特に渋い顔もせず、一年男女の頂上決戦を見たいと願っていたようだった。
早坂と清水が男子のコートにやってきて、シャトルをラケットで跳ね上げる間に吉田も素振りやストレッチで身体をほぐす。
「相沢。分かってるだろうけど」
「うん。本気でやるってことだろ?」
早坂の強さを知っているからこそ、男女の違いだけで実力の差と捕らえる愚を犯さない。特にダブルスは一人の実力の数倍の力が出ることを武は先輩達との練習で知った。二年の最強ペア、金田と笠井を除けば他のダブルスには勝てるようになっていたのだから。それでもシングルスをすれば誰にも勝てないだろう。
早坂と清水。一人一人には勝てるとしても、ダブルスで勝てるかはやってみなければ分からない。
「油断しないで行くぜ」
「おう」
靴紐のきつさを確認して吉田はコートの中央に歩いていき、武もその後をついていく。
ネットを挟んで握手をしてからじゃんけんでシャトルを取り、四人はそれぞれポジションについた。審判は大地が務める。
「フィフティーンポイントワンゲームマッチ、ラブオールプレイ」
『おねがいします!』
四声が混ざり合う。普段ならば似た音色だが、審判をする大地には新鮮な響きだ。
「一本!」
「応!」
吉田が腰に回した左手の小指を立て、ショートサーブのサインを送る。了解したという意味合いで咆哮し、武は両足のつま先を立てた。
バックハンドで放たれるショートサーブ。コート上ぎりぎりを通る軌道。それでも、早坂は的確にプッシュで武の左サイドへとシャトルを返してきた。
「はっ!」
体重移動。インパクト。一連の流れをスムーズに、武は相手コート奥へとクリアを上げる。そのまま横に広がって陣形を整えて清水の一打を待った。
「やあっ!」
清水の気合。それを背にして武の予想を越える速度のスマッシュが飛んできた。
(速いっ!?)
それでも体勢が十分だったことと真正面だったことで、難なく武は清水のいる逆方向へとシャトルを飛ばした。内心の動揺を悟られないように鋭く息を吐く。
(角度はないけど、スピードがある!)
武の身体を試合時の感覚が支配した。
「はっ!」
シャトルを上げるたびに二人は躊躇なくスマッシュを放ってきた。スピードにすぐ慣れた武と吉田は来るたびにシャトルを上げ、相手の体力を奪う作戦に切り替えたが、心の中にはかすかな不安が残っている。
(これだけ打ったなら体力なくなることは分かってるだろうに)
スマッシャーだからこそ分かる思考。体力の消費と共に得るのは今までならば相手の油断だった。実力が勝るペアに勝つためには頭を使うしかない。今のスマッシュ攻勢も布石のひとつと考えて間違いなかった。ならば、どこかに罠がある。
「やっ!」
(よし)
清水のドライブ気味のスマッシュを、武はネット前へと落としてそのまま前に進んだ。早坂がカバーに入り、武のヘアピンを更にぎりぎりで返してくる。武も何とかネットにラケットをつけないように返したが、かすかに浮かんだところを早坂にプッシュで押し込まれる。
(しまっ――)
「あげるぞ!」
押し込むことに集中したためか、早坂のシャトルは吉田の真正面に向かっていた。冷静に高く上がったシャトルを視界に納めつつ、武は真後ろに下がる。吉田はあいているコートへと戻り、サイドバイサイドで迎え撃った。
(何か、分からない……)
早坂達の思考が読めず、武はあせりを感じていた。場数だけなら吉田に負けていない早坂。そのダブルスが仕掛けてくるだろう罠に武は警戒を隠せない。
「相沢! 惑わされるな!」
吉田のスマッシュが早坂達の間に突き刺さる。得点が動き、ゲームが止まった。
「吉田……?」
「俺達は強い。いつも通りやれば勝てる。お前は少し警戒しすぎだ」
「警戒しす、ぎ?」
吉田の言っていることが徐々に浸透していく。意味は分かるがそれでも十分に理解するには時間が足りない。だからなのか、吉田は笑って肩を叩いた。
「相手は強いが、俺達もやることをやろう」
そう言いながらサーブの体勢を取る吉田の後姿に、武の熱に浮かされていた頭が冷えていった。
* * *
「ポイント。フォーティーンエイト(14対8)。マッチポイント」
「スト……ップ!」
吉田のカウントに息切れしたまま早坂が答える。息切れして肩が上下していても闘志は緩んではいないが、動きは明らかに鈍っていた。スマッシュの威力も全身を使っていて最後まで落ちていないが、武達のレシーブに翻弄され場面が増えている。
「ラスト一本!」
「おう!」
サーブの構えを見せた吉田に呼応する武。早坂と清水が構えた瞬間に放ち、そのシャトルは高く上がる。武はすぐ下に入り、スマッシュの狙いを定める。
(そこだ――)
吉田の身体越しに相手コートの状態を見る。二人の中にある隙を探しあて、武はそこへ全力のスマッシュを叩き込んだ。
「はぁっ!」
空気を切り裂いて飛んでいくシャトル。向かう先は早坂と清水、二人のちょうど間。お互いが遠慮してしまい、エースが決まりやすいと呼ばれるスポットだった。まだ身体が慣れてない序盤では取れない可能性が高いが、終盤まできていたなら反応はできるはずだった。
武と吉田が試合の間、ずっとコースを付いてスマッシュを打っていなかったら。
最後の最後に二人の間を狙う、武の十四点越しの作戦だった。
(決ま――)
勝利を確信する武の視界に映ったのは、狙い通り空間を走るシャトルと、そこに現れた片方のラケット。
早坂が一歩前につめてシャトルをインターセプトしようとしていた。
(読まれてた!?)
早坂のソフトタッチが、シャトルの勢いを完全に殺してヘアピンを返してくる。得意技の、相手から離れるように飛んでいくクロスヘアピン。タイミング、威力十分の武のスマッシュが完全に殺されて最悪の返球となる。
「甘い!」
それでも、吉田の動きが上回った。
中央からシャトルを追って動いた吉田の速さがシャトルに追いつき、ラケットを立てたまま触れるように落とす。
そのままシャトルは早坂の前に落ちていた。
「ポイント。フィフティーンエイト(15対8)。マッチウォンバイ吉田、相沢」
武達の完勝、だった。
「負けたか……」
清水は悔しそうに、しかし顔は笑顔のまま呟いた。試合に負けたこと自体は悔しいが何かの手ごたえは感じたらしい。普段と違う相手との対戦で何かを得るというのは武にも経験はあった。
早坂や刈田との試合で。
「最後までスマッシュが衰えなかったの凄いよな。あれって練習してたの?」
最後にぼんやりとだが二人が狙っていたことに気づいて、武は握手を交わした清水へと問いかけた。汗で赤くなった顔を手で軽く隠しつつ、返答してくる。
「うん。最後まで攻撃の手を緩めないようにっていうコンセプトだったんだ。女子ってレシーブで粘って勝つっていうイメージだから」
「そうなんだ」
記憶の糸をたどってみても、確かに清水の言う通り女子の試合はエースが決まるよりも返されたシャトルに対応しきれずに甘いシャトルを打ち上げて打ち込まれるのと、追いつけずに落としてしまうことが多かった。男子ならばスマッシュで押し切ることが特に男子は多い。
試合展開も性別に関係しているあるようだ。
「だから私達は攻撃で押し切ろうって思って。早坂は本気でシングルスとダブルス優勝狙ってるようだし」
優勝。その言葉に武は身体がしびれる。
彼女自身は確かにそのレベルだろう。そして、試行錯誤してパートナーと共に上を目指そうとしている。
(俺ももっと頑張って吉田と上を目指さないとな)
確かに、いつもと違う相手と戦うことで得るものはあったと、武は笑みを浮かべていた。
迷ったときは自分を信じること。
そして、自分が目指す先を。
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