Fly Up! 351

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「はぁああ!」

 角度が甘くなった宇佐美のスマッシュを、藤田はドライブ気味に打ち返していた。
 弾道は低いがそれでも前衛で構えている岬のラケットは届かない。
 ジャンプすれば届いたかもしれないが、その余裕がないことは藤田にも分かっていた。バックハンド側に返された宇佐美は追いついたものの角度がついたためにバックハンドで打ち返すしかなく、ドライブ気味にストレートに打ち込むしかない。
 そこにあったのは清水のラケット。前に差し出して掲げるだけでシャトルはラケット面に当たって跳ね返り、岬のラケットも間に合わずにコートへとシャトルは落ちて行った。

「ポイント。ナインエイト(9対8)」
「ナイスショット!」
「やー!」

 振り返って笑顔を見せる清水に親指を立てて吼える藤田。そして気付かれないように深く息を吐いて、体内の熱を外へと出した。
 試合も終盤にさしかかる頃で、自分達にも相手にも変化が現れていた。
 最初に崩れてきたのは宇佐美と岬。スマッシュで攻め込んできた時には清水と藤田のどちらかを集中攻撃してきて、苛烈な攻撃に耐えられなかった二人はシャトルを後逸してしまっていた。そこから点差を広げられたのだが、五点を過ぎた頃から攻撃が弱くなっていた。
 スマッシュが減り、ドロップやハイクリアで清水と藤田の体勢を崩そうとする場面が増えたことで二人は必死に食らいついていき、やがて相手のミスによってサーブ権を取り、得点を得た。
 藤田から見ていても何が起こっているのかは明らかだ。

(相手の体力が減ってきてる……)

 シャトルが返され、清水はサーブ姿勢を整える。
 ネットの向こうから相対する岬の顔は気合いこそ十分乗っているものの、それまでのように吼えて前へと押し出さない。余計な体力の消費を抑えてラケットを振ることに集中させるつもりなのだということは、実力に差があろうとも分かった。
 詳しくは藤田も知らないが、宇佐美も岬もこれまで勝ち上がってくる中で何度か試合をしているはず。そこで体力を消費していたのは間違いない。
 その疲労が、決勝のこの試合で長い時間粘られていることで足かせとなってきているのだろう。

(私も、どれだけ持つかな)

 自分もまた、体力が尽きてきているのが分かるからこそ、藤田には確信が持てる。
 準決勝の前でも負けたとはいえ試合には出ている。準決勝も女子ダブルスとして試合に出ていた。
 特に姫川がカバーしてくれたおかげで体力消費は抑えられてもこなした一試合は市内ではなく、全国レベルのもの。一試合の重みが全く違う。

「一本!」
「一本行こう!」

 この中で最も体力が余っているであろう清水こそが、自分達の最大のアドバンテージ。藤田は疲労感を外に押し出すように吼えて、清水を後押しした。
 清水はこれまで通り躊躇なくロングサーブを放ってすぐにサイドへ広がる。
 右側を任された藤田は岬のストレートスマッシュを前に出て打ち返す。ロブを高く上げつつカウンター気味に返すことで、岬が構えるまでの時間を少しでも短くする。
 シャトルがいつもより早く帰ってきたことで岬もタイミングがずれたのか、スマッシュを打とうとしていた気配のままドロップを放ってきた。
 ストレートではなくクロス。藤田ではなく清水のほうへと。バランスを崩しながらも前に出た清水は体を沈めつつもバックハンドでシャトルを打ち上げる。宇佐美のラケットを躱して相手コートへと飛んだが、飛距離が足りずにコートの中央から下へと落ちていく。

「はい!」

 後方に移動しようとした宇佐美を止めるように岬が吼えて前へと飛ぶ。
 シャトルに向けてラケットを振りかぶり、前へとつんのめるようにスマッシュを放った。
 前に移動する体を支え切れずにたたらを踏むが、シャトルは清水の左側を抜けてコートへと落ちていた。

「セカンドサービス。ナインエイト(9対8)」
「しゃあ!」
「ナイッショー!」

 苦しさに顔を歪めながらも吼える岬と宇佐美を見ていると、辛そうに見えるのは嘘で自分達を騙そうとしているのではないかと藤田は不安になる。
 嫌な妄想を頭から外してシャトルを受け取ろうと清水に近づくと、ちょうど拾ったシャトルの羽を整えているところだった。

「ごめんね」
「大丈夫。一点取ろう」

 清水の顔には汗が浮かんでいるが、息はまだ荒くない。少なくとも、藤田よりは。
 相手の様子が本当であれば、こちらの体力の方があってもおかしくない。
 攻撃をされ続けることで相手の体力を奪い取った清水の戦法は結果として今、生きているのかもしれない。

「藤田。失敗したかもしれないけど、少しだけ挑戦していいよ」
「え、でも」
「私も、思ったより限界近いかもしれないから」

 静かに言った言葉が藤田の心臓に突き刺さる。清水は藤田の肩に手を置いてから離れた。藤田のサーブを屈伸しながら待つ。一度息を吸ってからゆっくりと吐いてサーブ位置に歩いていくと、ネットの向こうから宇佐美が鋭く視線を向けてくる。

(清水も限界ってこと? そんなに……)

 苛烈なスマッシュに耐えてロブを返している清水を見ていて、受身であることがそこまで体力を消費しないと思っていた。だが、実際にスマッシュを放たれるまではどこに飛ぶかは分からず、集中してシャトルの動きを追っている。その分、精神を疲弊して行くのだ。
 これまで何とか食らいついてこれたのは、清水がしっかりとロブを返し続けてきたことによる。その結果、ほぼ満タンだったはずの体力が削られてしまったのかもしれない。

「一本!」
「一本!!」

 背中から聞こえる声は疲れなどみじんも感じさせない。清水もまた、抗っている。
 自分達では届かないような頂で試合をする機会を与えられてもそこは飲み込まれればひとたまりもない激流の川のような場所。歯を食いしばって、全力で流されないように踏ん張っている。
 藤田はそこまで考えて、シャトルをショートサーブで運んでいた。
 後ろに体を移動させた宇佐美が咄嗟に前に出てロブを飛ばす。
 ほんの一時だけのアドバンテージ。シャトルは高く上がり、待ち構える清水のほうへと落ちていく。前衛にとどまったままの藤田の目からは、サイドバイサイドの陣形を取ったもののどう動こうか迷っている二人の姿が見える。藤田は追い打ちをかけるために声を大にして言った。

「打って! 清水!」

 藤田の言葉に宇佐美達が腰を深く落として身構える。
 だが、藤田にとっては清水がスマッシュを打とうがハイクリアを打とうが関係なかった。おそらくはハイクリアを打つであろう清水の後押しをするためにフェイントの効果を狙ったもの。結果、清水は自分のできることをしてハイクリアを打ち、コートに縫いとめられた宇佐美は腰を落とした状態から後方へと移動しなければならなくなった。

「はっ!」

 宇佐美はシャトルに追いつくために上ではなく後方へとジャンプして文字通り飛んで追いつくと、ラケットを振り切る。コースを狙う余裕がなかったのかストレートに来るシャトルを取るのは清水。下から上へとラケットを振り上げて再びロブを奥へと返す。宇佐美は体勢を崩した状態から元に戻し、左手を掲げてラケットを後ろへと持っていく。
 スマッシュか、ハイクリアか。あるいはドロップか。
 ドロップならば自分が取ると藤田は腰を落としたが、考えていたどの軌道にもシャトルはこなかった。

「あっ!?」

 宇佐美のラケットはシャトルにかすることなく振り切られ、コートに一直線に落ちていった。まさか自分が空振りするとは思ってもいない宇佐美はラケットを振り切った状態から固まって床に落ちたシャトルを見ている。
 その間に審判が次の得点を告げていた。

「ポイント。テンエイト(10対8)」

 それでも藤田は素直に喜べなかった。この試合が始まってから付きまとっている違和感。それは自分達にとっては良いことだと思っていた。すなわち「自分達が善戦できているのはおかしい」ということだった。
 確かに体力は試合をこなしてきたことで清水以外は少なくなっている。
 それでも清水と藤田からすれば負ける可能性は高い。おそらく普段通りの力を相手に出されたなら、こんなに接戦にはなっていない。つまりは、相手の調子はかなり悪いほうに入ると予想できる。

(なら、早く決めないと……復活されちゃうかもしれないのよね)

 藤田の中に生まれる焦り。しかし、生まれたものを自らかき消して、藤田はラケットをわきに挟むと両手で頬を叩いた。

「ふぅ……じゃあ、一本行こう」

 脇を締めたままで言う藤田の格好がおかしかったのか、清水は笑いをこらえながら頷く。かすかに重くなりかけた空気が霧散するのを感じて藤田はラケットを握り直す。
 藤田の準備が整うのを見てから宇佐美は自らが落としたシャトルを打って返してきた。
 中空でラケットを使って取るというようなことはせずに、無理せず手で受け止める。
 シャトルはまだ羽も折れず、少し乱れている程度。
 自分でも少し指でこすって整えてからサーブ体勢を取った。
 次の瞬間、サーブを打つ相手の岬が眼を見開くのが見えた。いったいどうしたのかと思ったが、自分のサーブ体勢を改めて考えると当然かもしれない。

(シングルスじゃないのに何やってるのよ私)

 藤田は無意識にシングルスで用いるサーブ体勢を取っていた。
 背筋を伸ばしてラケットを後ろにやり、半身になって左足を前に出す。力強く高く遠くへとシャトルを飛ばすための姿勢であり、いくらダブルスでロングサーブばかり打ってきたとしても、ここまであからさまにロングサーブを打つということをアピールはしなくてもいいはずだった。
 岬と宇佐美がどう思っているかは藤田には分からないが、心なしか顔が曇り、怒りを湧きあがらせているようにも見える。

(わざとじゃないって言っても信じてくれないよね……)

 無駄に相手の怒りを誘発するつもりはなかったが、仕方がないと割り切って藤田は「一本!」と高らかに宣言する。
 後ろから清水が。前からは岬と宇佐美が声を出し、プレッシャーを突きつけてきた。
 不可視の風が自分を後ろへと押しているように感じられるが、あくまでも感じるだけで本当ではないはず。藤田はせっかくだからと思い切り高くシャトルを打ち上げた。

「はっ!」

 スマッシュを打つ時と同じくらいの力でシャトルを打ち上げる。サーブによってシャトルは高く飛び、弧を描いてまたコートへと落ちていく。
 飛距離はその代わり伸びず、すぐに岬は下でオーバーヘッドストロークの準備を整える。
 スマッシュを打たれるのは覚悟してのサーブだったが、これで取られても仕方がないという割り切りのなせる技。
 そして、ラケットが振り切られた瞬間に藤田は前に出てラケットを出し、インターセプトを試みる。自分のできること、の範疇からは越えているがまたしても体が動いていた。そして、シャトルは再び岬達のコートを越えることはなかった。
 ネットに引っ掛かって下に落ちていくシャトル。コートに落ちた所に滑り込むような形になってラケットを突き出したまま藤田は右足で体を食い止める。危うく倒れそうになったものの無事に上体を起こすと仲間達が声をあげていた。

「ラッキー!」
「ナイスサーブ! 藤田!」

 早坂と武。次の試合に進むために、自分達にこの試合の勝利を託した二人。
 二人から視線を岬に戻すと、自分のスマッシュ失敗が信じられずに茫然としていた。拾う気配もなく、ラケットを伸ばせばすぐ取れることからも自分で引き寄せて手に取った。
 スコアを頭の中で繰り返す。
 11対8と三点差。二回連続の相手のミスによって一気に勝利へと近づいていく。藤田の目から見ても明らかに自分達のプレイに動揺しているのが分かった。心臓が体力の消費とは別の意味で高鳴っていく。
 勝利という名の文字が頭に浮かんでくると肩が急に重くなる。

(怖い……失敗したら……)

 勝利の可能性が見えると共に広がる嫌な予感。
 セカンドサーバーであり、サーブ権を取りかえされたら三点差は簡単にひっくり返される。そのまま連続で得点されてしまったら逆転負けだ。緊張から体が固まり、思うように動かなくなったところで、清水が背中にラケットを軽く当てていた。

「藤田。まずはじっくり一本」
「清水……」
「できることできること」

 笑顔を見せる清水だったが、藤田は空いている左腕がかすかに震えていることに気づく。清水もまた徐々に近づいてくる「勝利」というプレッシャーに潰されるのを回避しようとして、出来る限り考えないようにしているのだ。
 清水から視線を前の二人に戻すと、悲壮感を押し殺して藤田を見ている宇佐美と岬がいる。彼女達もおそらくは始めから、勝利することのプレッシャーを感じていたのだろう。だから調子を崩して、点差が開きかけた時に焦ったまま決めようとして失敗した。

(でも、もしかしたら……さっきの空振りはふっきれるかもしれない)

 普段の自分からはあり得ない空振りをしたことで、緊張から逆に解放されるパターンはある。点差は自分が考えた通りまだ十分逆転可能だ。今の藤田が持つサーブ権を奪い返すことで普段通りの力を出せれば簡単に追いこせるだろう。

「清水。攻めよう」

 後ろを振り向いて相手に極力聞こえないようにしたうえで呟く。清水も動揺を浮かべないようにして静かに言葉を返した。

「私は攻めるのは……」
「ドライブだよ」
「ドライブ?」

 藤田は力強く頷く。脳裏に浮かんでいるのは吉田と安西の試合。
 その、相手である星が放っていたドライブだった。力強くネットと並行に突き進むシャトルが相手のラケットをかいくぐって落ちる様子が藤田の頭の中には浮かぶ。そのイメージを清水へと伝えるためには時間が足りない。それでも、伝わると信じる。

「それで宇佐美や岬のバックハンドを狙う。ここまで防御ばっかり続けてきた清水だから、利くはずなんだよ。私は……私達は、最後まで相手を驚かせて点を取るしかないんだ」

 ふっきれていても、空振りに動揺していても。今、攻めに転じることはプラスになるはず。藤田はもう少し会話したかったが審判や宇佐美達の視線に負けてサーブ位置に移動する。清水も特に何も言わないまま藤田の後ろへと付いた。

(一本ずつ、取るよ。清水)

 藤田は決意と共にロングサーブを放つ。これまでと変わらないロングサーブ。そして、次から変わるはずのプレイ。
 気合いの咆哮と共にスマッシュを放ってくる宇佐美に対して、清水は深くロブを返した。シャトルはしっかりと奥へと返るのは今までと同じ。そこから宇佐美がハイクリアで清水を奥へと追いやった時、藤田は躊躇なく前に出ていた。

「はっ!」

 後ろから聞こえた声。同時にライン際をドライブで突き進むシャトルが視界に映っていた。
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