Fly Up! 350

モドル | ススム | モクジ
 セカンドゲームのためにエンドチェンジの末にコートに足を踏み入れた時、藤田は背筋を悪寒が駆け抜けた。
 ファーストゲームの時も同じような感覚を得ていたが、更に強くなっている。それは仲間達のいるエンドから、北北海道の面々が横に座る場所へと来たからかもしれない。態度が悪いということではないが、自分達への厳しい視線が向けられているのが分かって呼吸が荒くなる。
 しかし、何度も深呼吸していくうちに体も硬さが取れていく。
 ファーストゲームを終えて体が温まっていることもあるが、何よりも先制出来たことも大きい。
 考えたくはないが、万が一セカンドゲームを取られることになったとしてもファイナルゲームが残っている。
 落としたら負けというプレッシャーによって宇佐美と岬の動きが硬くなればいいと思うが、元々格上なのは明らかな二人がそうなる見込みは薄いだろう。

(ファーストゲーム取られたんだし。堅実に試合進めるとか、そんな感じでしょうね)

 藤田はシャフトを持ち、ラケットをクルクルと回しながら清水の後ろへと付く。
 ファーストゲームが終わり、次に入る前に吉田コーチから受けたアドバイスは「現状維持」だった。特に自分達から攻めていたスタイルを戻したことは誉められ、セカンドゲームも同じ調子で行くように告げられている。
 無論、攻撃するとすれば宇佐美のバックハンド側だとは言われたが、言葉の感触からもできるだけ守ってばかりにしろという気配が感じ取れる。

(確かに、上手く行ったんだけど、ね)

 最初に忍耐が切れたのは自分。藤田は防御策を続ける清水と自分に痺れを切らして攻撃して行くことを提案した。その結果、スマッシュやドロップによって出来た隙を突かれ、リードしていた点数も追いつかれるギリギリのところまで来た。
 スコアとしては3点あるが、一瞬で連続得点により追いつかれる差。
 最後に得点できたのはスマッシュやドロップを打ち上げ続け、相手からのハイクリアや甘いロブを攻撃に使わなかったことによる。
 ラリーが終わるのに時間はかかるが、隙が生じづらいために相手が打ち疲れるまでしのぎ切れれば勝機が生まれる。実際にファーストゲームの得点のほとんどは相手のミスによるものだ。

(清水は私と違ってやりきった。ほんとに、自分にできることだけをやろうとしてるんだ)

 ラケットを回転させるのを止めてちゃんとグリップを握る。
 単調になりがちなラリーの中で自分なりに打開策を見出そうとスマッシュやドロップ、ドライブ気味のショットを繰り出してみたが、基礎技術が上の相手にはいなされチャンスを見出されてしまう。
 多少通じることがあってもそれはあくまで偶然に近い。
 これまで出てきた淺川や御堂、西村や山本に比べれば相手も弱いことは間違いない。だが、自分達よりも数段強いことは変わりないため、むしろファーストゲームが出来すぎたのだろう。

「藤田」
「何?」

 試合がもうすぐ始まろうとしているタイミングで、サーブ位置に構えた清水が振り返る。表情は緊迫してもいいはずなのに、緩んで笑みを形作っている。

「できること、やろう」

 この試合のキーワードと言ってもいいと思えるほど、何度も口から出た言葉。清水に合わせるように、自分の中に染み込ませるように呟く。

「できること、やろう」
「うん」

 藤田の言葉は自分への囁きだったが、清水は反応して答えた。
 自分のことを理解して、手を伸ばせば届く程度の範囲までしか伸ばさない。
 冒険をしなければ成長しないかもしれないが、冒険をした結果、失敗したら自分達だけではなく仲間達の試合も終わる。
 藤田は改めて自分が立っている場所を見回した。
 南北海道の、本来ならば一緒に戦うことがなかった他校の仲間達。
 自分よりも実力がある選手もいたにも関わらず、ミックスダブルスで力になるからと参加したチームで、結局は女子ダブルスで出ている。
 しかも、決勝戦で、一勝二敗と後がない時に。
 横を向けば北北海道チームの選手が自分を見ている。
 ファーストゲームを取られて、宇佐美と岬に逆転勝ちを望んでいる。
 そこに並ぶ選手全員がシングルスでプレイすれば、自分はラブゲームで負けるだろうと思えた。

(私は……弱いんだ)

 この大会の間で少しでも力をつけようと強い選手のプレイを見たり、試合に出た時には精一杯考え、出来る限り相手の隙を狙うように心掛けた。
 それでも力がついたとは思えない。小島や武や吉田は、試合のたびに強くなっていくように思えたのに、自分にはただ負けてしまったり、パートナーのおかげで何とか勝てたりしたという感覚しかない。

(力もないのにこの場所に立ててるんだから。できることをするしかないんだ)

 審判がセカンドゲームの開始を告げる。
 三人が同時にあいさつをするのを清水の後ろから眺めつつ、腰を下ろす。
 清水は藤田が感心するほどに防御に徹していた。
 サーブはミスや相手から攻められる可能性が低いロングサーブ。
 飛距離が足りないために、あえて思い切り高く打って滞空時間を稼ぐ間に並んで構える時間を作る。
 しっかりとサイドバイサイドの陣形を整えていけば、スマッシュやドロップなど決めに来るシャトルも拾える。
 元々人間が集中して構えていれば返せないシャトルは理論上存在しない。
 返し続けることが出来れば負けることはない。だが、逆に相手の攻めを止めることもできない。
 攻めきられるか受けきるか。
 その選択に清水は勝ったことになる。

(私のほうが強いって思ってたけど、そんなことはないのかもね)

 早坂に劣るものの浅葉中のシングルス代表として少しだけある矜持が、このメンバーの中では全く役に立たない。それでも、自分にできることがあるだけでも良かった。

「やっ!」

 叩き込まれるスマッシュを、力を込めて打ち返す。スマッシュを打つ人間が岬から宇佐美へとスイッチし、クロスにシャトルがえぐりこまれる。清水は一歩下がってシャトルとの距離を十分にとると、ゆったりとしたロブを上げた。
 カウンターになるように打ちこむことさえせず、一歩引いて。

「くそっ!」

 宇佐美の焦り声が感情を十二分に表していた。シャトルは清水のバックハンド側を襲い、少しでもシャトルを甘く上げさせようという意図が見える。
 相手の焦りを飲み込んで清水がレシーブを続けた結果、次に狙われたのは自分。スマッシュが右の脇腹のほうへと飛び込んでくる。窮屈にならないようにラケットを前に出して、より前の位置でインターセプト。だが、シャトルを打とうとする先には既に岬が陣取っている。
 中途半端に伸ばした腕では綺麗なロブを上げられないと分かっていて、わざと仕向けたのだと悟ると同時に藤田は前に足を踏み込んでいた。

「はっ!」

 自分の体を強引に前に移動させたことで伸ばされた腕を折って遊びを作り出し、ラケットを振り切る。シャトルは高い弾道でロブが上がり、岬のラケットの範囲を回避してコート奥へと飛んでいく。
 インターセプトしそこねた岬は舌打ちをしながら前衛に陣取り、後ろで宇佐美が追い付いている。
 スマッシュをストレートに藤田の左側へ狙いを定めてくると、藤田は力を抜いてラケットを軽く振った。
 シャトルは乾いた音と共に弾かれてネット前に落ちていく。
 余りにもあっさりと自分の場所へと返ってきたことで岬も咄嗟に反応できず、ヘアピンを打つのが精いっぱいだった。

「やあ!」

 返ってきたシャトルに突進した清水は横っ跳びでラケットをシャトルへとぶつける。
 一瞬だけ力を込めて弾くだけで、岬の背後と宇佐美の前へとシャトルは落ちていく。ひとつ前の山本や星のようにカバーすることが宇佐美にはできず、シャトルはコートに静かに落ちた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「ナイスショット!」

 清水へと声をかけると申し訳なさそうな笑顔を藤田へと返しつつ笑う。清水のようにロブを返すことに特化しようとしても、体は勝手に相手の隙を作り出そうと動いてしまう。清水も同じような感覚を得ているのならば、精神力で抑え込んでいるのだろう。

(でも、清水も攻めた)

 反射的にヘアピンを放ってしまったこと。藤田自身、思ってもみなかったショットだったために岬も反応が遅れたのだろうが、それでも厳しいヘアピンで返してきたのは流石としか言いようがない。
 だが、返ってきたシャトルに追いつけた清水も、普段の反応速度より上のように思える。そして、ファーストゲームならばロブを上げていたかもしれないシチュエーションで今度はプッシュを放った。

「藤田。少しずつバックハンド側狙っていこう」

 サーブ位置に戻ってきた清水が藤田へと呟く。
 宇佐美のバックハンドを狙うのは試合前からの作戦だ。
 それでも自分達からスマッシュなど沈むショットを打たないため、現在の時点で宇佐美はほとんどバックハンドを使っていない。時折低くなったショットをバックハンドで返したこともあったが、こちらに分かるほどの不得意さは見せていない。

「バックハンド側って、岬も?」
「うん。宇佐美ほどじゃないかもしれないけど、苦手そう」
「分かるんだ」
「早坂とか、吉田とか。上手い人見てるとね」

 あっさりと言うが、藤田は見ても分からなかった。
 清水の眼は何か相手の弱点を見ることができるのかと驚きの表情のまま視線を送るが、当人は気付いて首を振る。

「変なこと思ってそうだけど。前衛に入って近くで見ることが多かったからだよ」

 清水の口調がどこか自嘲気味であることに藤田はそれ以上言うのを止めた。
 特殊な力や鍛えられた先の力というものを持ってみたいというのは、自分も清水も同じだろう。
 おそらく早坂も武も吉田も、自分達よりも努力した結果として今の力を身につけることが出来たのだ。自分達も努力していたが、それはあたり前のことで周りの強い人間は呼吸をするかのように鍛えていく。
 幻想には浸らない。自分達に力などない。
 だからこそ、清水は「できることをやる」と言い続けている。余計なことを考えないように。

「よし、一本行こう」
「うん」

 サーブ位置でバックハンドに持った清水。後ろで腰を落としてシャトルが来るのを待つ藤田。
 相手を見た時、自分の中から何かが押し出されてネットを揺らしたような気がした。
 同時にネットの向こう側で体を震わせる岬。
 何が起こったのか分からないが、清水が淡々とロングサーブを打ったことですぐに右側へと移動して岬がスマッシュを打ってくるのに対峙する。
 シャトルが真正面に打ち込まれてくるのを清水と同様に一歩下がってバックハンドで軌道が高くなるように打ち返す。
 ネット前に現れた宇佐美は横移動しながらラケットを振ったが、シャトルは触れることはできない。
 岬が再びスマッシュを、今度は清水へとクロスで放ってきた。同じ方向へと打ち返す時の清水の打球も宇佐美のラケットからは遠く離れていた。
 同じような動きを繰り返す宇佐美。同じようにロブを上げ続ける自分達。
 サイドバイサイドの陣形になって清水と並んで相手を見ると、藤田にも宇佐美の動きの意図が見てとれる。
 岬のクロスドロップに合わせて清水のラケットが振られたが、二度目は一度目よりも弾道が低い。その分、ジャンプしてラケットを伸ばす宇佐美には届いていた。

「はっ!」

 限界までに伸ばしたラケットがシャトルをとらえ、ネット前に落とす。伸びきった状態で振ることが出来なかったため、勢いを削いで藤田達のコートへと落とすことが目的。
 それでも、目的のほとんどを達成できるといっても過言ではない。
 前に飛んできたシャトルに反応して高い位置で打ち返す芸当は、清水にも藤田にもできない。どうしても一瞬だけ体が硬直してしまって前に進めなくなる。動けるようになって足を踏み出しても、既にシャトルはネットの白帯から下へと落ちている。ラケットでロブを上げるには角度が足りず、ヘアピンをするには技術が足りない。
 清水がラケットを出してシャトルをヘアピンで返すも、白帯から浮き上がった時には宇佐美のプッシュの餌食となった。

「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」

 審判の言葉と同時に喜ぶ宇佐美。そして岬とハイタッチを交わす光景を一瞬だけ見てから藤田はシャトルを取りに行った。前に詰めていた清水より自分が近かったという判断だが、シャトルを拾って振り向くとすぐ傍に清水が立っていた。

「どしたの?」
「私が取ろうとしたら藤田がいたんだよ」

 藤田はシャトルを軽く打って相手へと渡す。サーブ権を奪われて次は自分へと打たれるため、早々に迎え撃つ準備をしておかなければと思う。その藤田の背中へと清水は声をかけていた。

「藤田。できること、もっとあってもいいと思うよ」
「できることが、もっとある?」

 清水は軽く手を振って自分もレシーブ位置へと戻っていく。清水の言葉の真意はどこにあるのかと考えても、藤田はすぐには思いつかない。レシーブだけではなく攻撃もできると言いたいのかもしれないが、ファーストゲームはそれで負けるかもしれないところまで追い詰められた。清水のようにレシーブを続けることが単調で、流れを変えるためにスマッシュやドロップを放ったが、速いシャトルはタイミングを早く打ち返されるために打ち終わった後の隙を狙われてしまった。
 スマッシュもドロップも宇佐美のバックハンド側を狙って打ったはずなのに打ち返すことを苦にしているようには見えなかった。自分や清水レベルが攻めても意に介さないということなのかと折れかかる心を押しこめて、攻めることを止めた。
 結果、十五点を先に手にしたのだから間違っていないはずだった。

「一本!」
「いっぽん!!」

 宇佐美と、後ろから岬が声を重ねてくる。藤田はラケットを掲げ、シャトルが前に来たらすぐにロブを上げようと決めていた。波乱はなく、シャトルがネット前に来るのをロブで打ち返す。即座に射線上に飛び込んできた宇佐美がラケットを振るも、紙一重の差でシャトルは抜けていった。

(どんどん思い切りがよくなってきてる……)

 藤田達の戦法に痺れを切らしたのか、粘られることを割り切ったのか。
 宇佐美は藤田達が失敗したショットを打てばすぐにインターセプトするという気配を押し出していた。
 サービスオーバーの時も、それまで毎回ラケットを振って圧力をかけてきた先にあったこと。こちらもレシーブをずっと続けていればミスをしてしまう時がくる。そのミスを外さないという精神力が試される攻防へと互いにシフトしているのかもしれない。

(負けない……こっちのほうが、待つのは慣れてるんだから)

 藤田は改めて気合いを入れつつ、シャトルを迎え撃っていた。
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