Fly Up! 352
相手の顔面――正確には頭の左側をえぐる軌道を飛んでいくシャトル。
ハイクリアで放たれたシャトルをどうやって打ったのかは藤田には分からないが自分が伝えたように、星の打ち方を真似したのかもしれない。
落ちてくるシャトルの真下ではなく横に入り、思い切りサイドストロークで打ち抜く。ドライブ自体、ダブルスで平面の戦いをするためのものでラケットを振り切るというようなことはしないが、星の独特な打ち方は一回だけならば真似しきれるかもしれない。
飛んで行ったシャトルを宇佐美はバックハンドで打ち返す。
だが、反応が一瞬遅れただけではなく頭の横というラケットを出しづらい場所にシャトルが飛んできたことで、上手く打てなかったのだろう。シャトルはフレームに当たってネット前に飛んでいた。
「はっ!」
藤田は飛び上がってシャトルを打とうとする。目の前によぎったのは宇佐美と岬の空振りの場面。だが、藤田は力の限りラケットを振り切って二人の映像ことラケットで断ち切った。
シャトルがコートに着弾し、羽が一枚折れてひらひらと舞う。着地と共にスマッシュを決めたことに声を出し、次に清水へと左手を掲げた。
「ナイスショット!」
「ナイスドライブ!」
互いに手を打ちつけ合うと共に、武の「ナイスショット」という声が届く。
奇襲ということ以外は思い浮かべていなかったが、成功したのだから後は考えずにもう一点を取る。
一点取る度に、勝利へと近づくたびに脳裏に勝つ瞬間の想像と恐怖が体を満たしていくが深呼吸をして体の外へと出す。
審判が新しいシャトルを放ってきたのを受け取り、サーブ位置につくと北北海道側も宇佐美と岬へと声をかけていく。
「委縮すんな!」
「絶対逆転しろ!」
先ほど試合を終えた山本と星が大声で宇佐美達に言葉をぶつける。
強い言葉は更に委縮させるのではないかと藤田には思えたが、ふいに立ちあがった西村が吼える。
「俺らに回すな! お前らならできる!」
その言葉を聞いた時に藤田は一瞬、体の細胞が動きを止めたような錯覚を覚えた。
張りのある大声は空間を揺らし、コートを突き抜ける。
コートの中へ入った時に感じた外側との空気の違いは今でも感じており、武達の応援はどこか薄膜に遮られるように思えたが、西村の声はその膜を突き破って直接、宇佐美と岬に届いたように思える。
(あ……やばい)
何が、とは思わなかった。ネットを越えた先にいる宇佐美と岬の顔が西村の声によって苦痛から普通の表情へと戻る。
それまで体にまとわりつかせていたプレッシャーがなくなったように見える。宇佐美も岬も笑顔を見せて、高いトーンで「ストップ!」と同時に言っていた。
明らかに今までと違う二人の気配に藤田は一気に現実を見る。
得点は12対8と四点差。しかし、全く安心できない。むしろ点差があるだけにじわじわと追い詰められていく恐怖がこみあげてくる。
西村の一言によって宇佐美と岬は息を吹き返した。
体力の消費量も、セカンドゲームの終盤であることも関係ない。今、サーブ権を取られてしまえば逆転されてセカンドゲームを取られ、ファイナルゲームはただただ力の差を見せつけられるだけとなるだろう。
(ダメだ。もう、負け――)
藤田の心を折るような言葉が自分自身から浮かび上がってくる。しかし、最後まで言う前に言葉はかき消されていた。
コートの外からはっきりと聞こえてきた声に。
「藤田! 終わりじゃないぞ!」
西村と同等――藤田にはそれ以上に響いたと感じる、武の声。いつの間にか俯いていた顔を上げると、視線の先に見えたのは立って拳を握る武の姿。更に突き上げて、藤田へと告げる。
「サービスオーバー取られたからって終わりじゃねぇ! もう一度取り返せばいいんだ! でも……そんなこと今は気にする必要なんてない! 今は何も考えずに一点取るんだ!」
武の大きな声には流石に審判も注意を促し、すぐに武は謝って椅子へと座った。
しかし、鋭い視線を藤田のほうへと向けてくる。
西村は言葉で優勝を宇佐美達が決めろと告げたが、武と、その隣に座っている早坂は視線で藤田と清水に告げている。
『自分達に回せ』と。
(終わりじゃない、か……あんたじゃないんだからさ)
武達は自分と同じようなレベルを求めているとしか思えない。
実力が下で、更に唯一の弱点だった相手の緊張も解けてしまった。これから先に待っているのはいい勝負などではなく、一方的に攻められる姿かもしれない。それでも、武と早坂を初め、仲間達は信じているように見える。
藤田と清水の勝利を。
(ほんと。無茶振りじゃない)
口元が緩んでしまう。大したことがないはずの自分に注がれる期待。
仮にそうするしかないのだとしても、そうやって期待される自分を少しだけでも信じていいのではないか。
ミックスダブルス要員として参加したのは分かっていても、そちらでは全くと言っていいほど活躍できなかった。その先にあった、この試合。
「よし」
ひと言だけ呟いて、藤田はサーブ体勢を取った。
しっかりと前を見据え、既にラケットを掲げて構えている岬へとロングサーブを打ち上げる。
前に来ることを少しだけ気にしつつも、ほとんど後ろに迷わず移動した岬は咆哮と共にスマッシュを打った。
それまでとは明らかに違う速度で、シャトルはサーブを打った後に腰を落として構えていた藤田の胸部へと向かってくる。バックハンドで深く打ち返せたのは運だと自分でも思えるほどに、鋭い軌道。
(やっぱり、これが本来の力なんだ)
シャトルに追いついた岬が次に打ち込んでくるのはドロップ。
スマッシュの次にきた軌道はゆっくりで、それだけでも体が硬直する。
序盤の頃よりは反応できたものの、前に出てしっかりとロブを上げようとした。
しかし、宇佐美の姿が目に入り、自分のラケットの軌道の先に宇佐美のラケットがあると直感的に感じ取る。
(やばい――)
そこで咄嗟にヘアピンに変えることが出来たのは藤田の中でも奇跡に近かった。
跳ね上がるはずだったシャトルは白帯を少し超えたところで落下し、ロブを打ち抜こうとしていた宇佐美はラケットをシャトルに合わせる分だけ時間が生まれた。
強打ではなく軽くプッシュで藤田の横を抜く。そのシャトルを拾ったのは清水。
後方からしっかりと上げられたシャトルを確認して、藤田は左側へと下がった。
「くるよ!」
清水の声に息をつく間もなく岬の第三打へと集中する。
スマッシュ。ドロップと打ってきた後で何を選択するのか。
読もうとして頭を使うが、次に放たれたドライブによって藤田は慌てて後ろへとステップを踏んだ。
ドライブと言うよりはドリブンクリア。藤田は高い身長を生かしてラケットを伸ばし、シャトルがコート奥へと向かう前にインターセプトして打ち返す。
同じように床と並行して放たれるドリブンクリア。
しかし、軌道が低くなったシャトルに追いつけたのは藤田だけではなく宇佐美もだった。
「やっ!」
気合いの声と共にシャトルに触れた宇佐美。
シャトルは白帯を越えて清水達のコートへと落ちていく。
だが、シャトルに向けて素早く駆け寄った清水が再びロブを大きく上げる。
今度はインターセプトできずに宇佐美は悔しそうな顔を清水へと向けた。
「藤田! 攻めて!」
岬が放つハイクリアによってシャトルが飛んでくるのと同時に、清水が声を出す。藤田は声に反応してジャンプしてラケットを伸ばしていた。
(一回だけでいいから!)
シャトルに向けて飛び上がり、スマッシュを放つ。
ジャンピングスマッシュとは言えないレベルの、ただ高い位置で打ち下ろしたシャトルは白帯へとぶつかった。
やってしまったと驚愕に顔を歪めた藤田だったが、シャトルは藤田達の側へは跳ね返らずにシャトルコックを軸として宇佐美達のサイドへと侵入する。完全にタイミングを外された形になって宇佐美と岬はほぼ同時にシャトルへと食らいつくも、落ちるのが一歩早かった。
「ポイント。サーティーンエイト(13対8)」
「きゃああ!!」
「ラッキー!」
シャトルの行方を見ていた清水が嬉しさを全身で表現する。
相手が本来の力を出し始めた時に得点をもぎ取れたことは大きな一歩となる。その手段が運に頼ったものだとしても、一点には変わりがない。藤田は胸元を抑えて深呼吸をしながら今のプレイを忘れることにした。
(一点は、一点。次も……取る)
何度か呼吸を繰り返す間に羽を整えた宇佐美が藤田へとシャトルを返す。
視線には必要以上な闘志を燃やしていることは感じられず、これまでの自分達通りの力を発揮しようとしている。
相手が本当にいつも通りならば、自分達もいつも通りは最低条件。後はそこにどれだけ上乗せできるか。
「もっともっと狙っていいよ。左側!」
サーブ位置へと立つ藤田に向けて清水が声を出す。相手に聞こえることなどお構いなく、自分が腰を落として身構える位置から移動しないまま言う。当然宇佐美達も反応したが、自分達の弱点は分かっているのか特に動揺もせずにサーブ体勢を取る藤田に向けていつでも迎え撃てるように身構えていた。
(あと私達に残されてるのって、それくらいだよね)
試合の当初から相手のバックハンドを狙っていくという作戦だったが、攻撃を耐えきるという戦法を貫いてきたことで自分のほうからバック側を攻めるということはほとんどなかった。
これまでの展開で多少は狙っていったものの、単発では相手も取ってくる。
おそらくバックハンド側への攻めは連続攻撃が大前提のはず。
続ける度に打ち返すのが苦手な場合は飛距離がなくなったり、空振りしてしまう。
「一本!」
心の中で覚悟を決めて、藤田はロングサーブを打つ体勢を取った。
シングルスと同じようにバックハンドではなくフォアハンド。
力強くシャトルを打ち上げるという気迫を押し出す。
宇佐美は一瞬だけ体を震わせたものの、上半身をまっすぐにしてラケットを持つ腕を肩口くらいまで掲げて力を抜いて藤田に向き合ってくる。
余計な力など入っていないのが藤田にも分かるが、意を決してサーブを打ち上げた。
(いまさら何を怖がってるのよ!)
元々、格上で怖い相手に更に怖がっても意味はない。
サーブを確実に入れた後で来るであろうスマッシュやドロップをいかにして高く打ち返すか。自分が考えるべきなのはそれだけだ。
「やっ!」
宇佐美から放たれたのはスマッシュともドロップといえないような中途半端なショットだった。
スマッシュと言うには遅く、ドロップと言うにはネット前から離れて藤田の前に落ちていく。
いぶかしく思いつつも落とさないためにロブを打ち上げる。
油断なくしっかりと打ち上げたつもりだったが、タイミングがずれてしまいシャトルはフレームに当たってネット前に上がっていた。
「あ――」
「はっ!」
ふらふらと上がったシャトルに対して飛び込んでくる宇佐美の勢いは最初からこの展開を読んでいたように藤田には見えた。前への突進の力とラケットの振り。
取れる確率はゼロに近い。
それでも、藤田は前に出た。
「あぁああああああ!」
宇佐美がラケットを振るのとほぼ同時に藤田もラケットを振り切る。
宇佐美との一瞬の視線の交差の先に、藤田のラケットは空を切る。
シャトルは藤田の真正面ではなく、逆サイドを守っていた清水の足元へと落ちていた。あまりの速度に全く動くことが出来なかった清水は、自分の前に跳ねて転がるシャトルを見送るしかなかった。
「サービスオーバー。エイトサーティーン(8対13)」
「やあ!」
「ナイスショット!」
宇佐美と岬はまるで試合が決まったかのように抱き合う。
普通ならば大げさと思うかもしれないが、それだけ彼女達にとっては厳しい戦いだったということが見てとれる。
逆にいえば、長いトンネルを抜けてようやく視界が開けた瞬間。
藤田と清水にとっては、窮地に立たされたことを意味する。
(点差なんて関係ない。これで、私達は。でも)
藤田の脳裏によみがえるのは武の言葉。
サービスオーバーを取られただけで終わるわけではない。たとえ相手が本来の力を出してきたとしてもそれだけで最後までいくわけがない。現実は厳しいかもしれないが、まだ終わっていないのは確かだ。
「藤田。まずはストップしよう」
シャトルを拾った清水は羽を整えつつ藤田へと告げる。静かに頷いた藤田は先にレシーブ位置へとついた。清水はその姿を見て笑みを浮かべるとシャトルを相手へと返す。シャトルを受け取るのは宇佐美。表情は少し前とは打って変わって晴れやかで、自信に充ち溢れている。心の中にあるのは「本来の力を出せるなら藤田達には負けない」という気持ちだろう。
「ストップだ! 藤田! 清水!」
再び届く武の言葉。コートと外の境目を越えてくる言葉は力を持ち、体が軽くなる。あくまで気持ち的なものであり、体力は消耗して実力的にも差が埋まって分が悪いはずなのに。
(ほんと。相沢には感謝しなくちゃね)
振り返れば、少し異性として気になって告白したこともあった。
恋愛感情かと問われれば今は微妙だが、それでも告白したのはこうしたところに惹かれたからかもしれない。
無名だったところから一気に駆け上がった成長を支え続けている熱い気持ち。その熱を他人にも伝染させる力が武にはある。
「よし、ストップ!」
ラケットを掲げて宇佐美のサーブを待ち受ける。
呼応するように宇佐美は高らかに「一本」と宣言してショートサーブを打った。
前に出てロブをしっかりと上げる。
サーブ権が奪われようとやることは変わらない。相手から放たれるシャトルをしっかりと返す。今はそれにスマッシュなど攻撃できるなら攻撃して、バックハンド側を攻める。
取るべき道は決まっているため、あとはそこを攻められるかどうかだ。
「はっ!」
高く上がったシャトルを岬がスマッシュで打ち込んでくる。
それは先ほど藤田が受けたのと同じ、中途半端な速度のシャトル。
タイミングを外されたひとつ前のことが脳裏をよぎり、歯を食いしばって前に一歩踏み出す。
「あぁあああ!」
今度はしっかりと芯で捉え、シャトルはコートを高く飛んでいく。再び構える岬を視界に収めて、藤田は打ち返すことだけに集中して行く。いつかチャンスが来ると信じて。
女子ダブルスセカンドゲーム。スコアは8対13
藤田と清水の正念場が訪れる。
Copyright (c) 2018 sekiya akatsuki All rights reserved.