Fly Up! 349

モドル | ススム | モクジ
 藤田のスマッシュが風を切って相手コートに飛び込むのを前衛で眺めていた清水は、咄嗟に「取られる」と判断して右に動いた。
 動く方向は完全にあてずっぽうで、結果的にレシーブをした宇佐美が逆方向へと打ったことから取りに行くことが出来ずにシャトルが落ちるのを見送る。審判が得点を告げた瞬間、まるで爆発したかのように宇佐美と岬は声をあげて手を叩きあう。

「ポイント。トゥエルブフォーティーン(12対14)」
「ナイスヘアピン!」
「やー!」

 格下の相手に先にゲームポイントを奪われたことで9対14と追いつめられてからの三連続得点は、調子づくにはちょうどいい。
 攻める勢いに乗せていくと普段は決まらないようなショットも決まるようになる。
 スマッシュやドロップが多少甘くなっても、何かしらの要素が働いてミスショットとなり、宇佐美や岬のスマッシュの餌食になる。
 清水は調子づく相手のプレッシャーが強まって、自分を押し潰しそうになっているのを自覚する。
 重くなる体に気のせいだと声をかけてレシーブ位置についた。

「ごめん」
「何が?」

 謝ってきた藤田へと清水は振りかえり、意味が分からず問い返す。
 一方の藤田は清水の反応の意味が分からず、ため息交じりに付け加えた。

「私が攻めたいって言ったから攻めて、追い上げられてるから……最初から変わらないようにレシーブだけしてればよかったかなって」
「……でも藤田が攻めたから十四点までこれたんだし。結果的に追い詰められてるけど。良かったと思うよ」

 清水は考えていることをそのまま口にする。
 正確には、現状についてそこまで考えられているか自分にも分からなかった。
 試合が始まってからずっと付きまとっている違和感。その正体は試合を合間に湧き起こる思いを受け入れていくことで、分かっていくような気がしていた。
 宇佐美や岬からのスマッシュやドロップをしっかりと奥に返すことだけに集中してきた清水。
 その状況に一石を投じようと攻めに出た藤田。
 結果的に追い詰められているかもしれないが、まだゲームを取られたわけではないのだ。

「相手のコートに二回シャトルを落として、サーブ権を取り返す。それが私達の今できることだよ」
「できる、ことね」

 清水は頷いて改めてレシーブ位置に移動する。
 9点から始まった攻撃は岬がサーブを打つ番のまま藤田へと向かい合う。
 相手を威圧するかのような岬の様子に藤田は委縮しているのか、ラケットの高さが心なしか低い。
 それを見極めたのかは清水には分からなかったが、岬はロングサーブでシャトルを奥へと飛ばした。慌ててシャトルを追う藤田と、横に避ける清水。
 そして、シャトルの軌道を見て叫んでいた。

「取らないで!」

 声に押されるように倒れ込む藤田。床に重い音を立てて倒れてからすぐに後ろを振り向いた藤田の視線の先には、後方のサービスラインを越えた所で転がっているシャトルがあった。

「セカンドサービス。トゥエルブフォーティーン(12対14)」
『ラッキー!』

 清水と藤田は同時に吼える。追い詰められている今、この時に相手のミスは大きい。藤田はシャトルを拾い、羽を整えながら藤田へと近づくと静かに呟く。

「もう一つあったね」
「うん」

 相手コートにシャトルを沈めること以外の解決策。それは、こちらのアウト側へと打たせること。
 宇佐美と岬にとって今の状況は、清水達が思う以上に緊張してしまうのかもしれない。
 藤田は羽を丁寧に整えてからわざわざネットに近づいて、相手に届くように放る。ラケットで打ってしまえばまた羽が崩れるかもしれないと考慮したこともあったが、清水にはそれがタイミングを外すことを目的としているように思えた。

(私達、見ることだけはしてたもんね)

 藤田はまだ出番はあったが、清水は初日の高知との試合に出場してから全く出番はなかった。
 試合にミックスダブルスの要員としてエントリーはされていたものの、全ての試合で自分につく前に勝負はついていたのだ。だからこそ、清水はいつでも自分の出番が来てもいいように、試合を見続けた。
 その目に刻んだ仲間達の戦い。
 シャトルの打ちまわし以上に清水の印象に残ったのは、試合の合間のタイミングを外す動作だった。
 攻める時は畳みかけ、攻められている時は一度タイミングを外す。
 相手の攻め気を、汗を拭いたり靴紐を結んだりなどちょっとした動作で食い止める。
 レベルが高い選手というのは、その間の取り方が清水からすれば絶妙だった。
 特に早坂、小島、武、吉田は同じ歳とは思えないほど。
 安西や岩代、姫川や瀬名も自分達から見れば十分凄い。
 自分がこの場で最もレベルが低いのだと自覚すると共に、自分がレベルアップできる要素がたくさん詰まっているのを目にすることができた。

(形だけの真似かもしれないけど、見てきたことは吸収して、生かさないと)

 視線を向けると宇佐美が清水の体勢が整うのを待っている。
 レシーブ位置についてラケットを掲げたところで、宇佐美はすぐにショートサーブを放ってきた。宇佐美もまた、清水のタイミングを外すために準備が整った瞬間に打ってきたのだ。
 意図に乗ってしまってバランスを崩す清水だったが、何とかラケットを振って大きくロブをあげる。前に出てきた宇佐美のラケットから辛くも逃れてシャトルはコート奥へと飛んでいく。後方へ移動していく岬は落下点にきたところで高くジャンプしてスマッシュを放った。
 後ろに下がる清水へ向けて打たれるスマッシュ。
 シャトルはピンポイントで清水の頭部へと向かう。

「やっ!」

 ラケット面を立てたまま前に突き出して、シャトルをカウンター気味に打ち返す。
 そこには既に宇佐美がいてラケットを強く振っていた。強打されたシャトルは清水の胸元へと飛び込むが、更に清水はラケットを置いていて、弾き返す。
 強く打ち返すことが出来なかっただけだが、強打した直後で反応できなかった宇佐美はわざと体勢を崩してロブを上げるしかできなかった。

「藤田!」

 尻もちをついた状態から藤田へと声をかけ、清水は即座に立ちあがる。
 ネットを越えた先にいる宇佐美はしかし、清水よりも立ち上がるタイミングが遅れていた。
 そこを狙ったわけではないかもしれないが、藤田のスマッシュが宇佐美のバックハンド側へと打ち込まれていく。
 体勢を崩しているだけではなく苦手なバックハンド。
 それでも宇佐美はラケットを振らず、シャトルに当てるだけでネット前に落としてきた。清水は急激な変化に流されつつもロブを高く上げてから後方へと下がる。

「やっ!」

 岬からのスマッシュをバックハンドで打ち返す。
 少し弾道が低いだけで宇佐美が飛び上がり、ラケットを差し出してインターセプトしていた。まっすぐ前に落ちていくシャトルの下にラケットを滑り込ませて再びロブをあげる。
 同じ軌道だけに宇佐美のラケットが振り切られるかと清水はひやりとしたが、宇佐美のラケットの横をシャトルは抜けていった。

(このままだと、危ないかな)

 ロブを上げ続けることで、相手が攻め疲れるということも徐々になくなってきたように思える。逆に清水と藤田もレシーブをする自分達の体力が切れてきているのを感じていた。
 相手のスマッシュもドロップもそれだけだとそこまで脅威ではない。
 全道レベルだと分かっていても、これまで触れてきた全国クラスと比べれば、一歩劣る。それよりさらに数歩劣る自分達でも迂闊に攻めなければ相手が自滅をしてくれた。
 その自滅がなくなってきているのなら、攻められる側はいつか貫かれる。

「はっ!」

 清水ではなく藤田を狙って放たれるシャトル。後ろにいる藤田に向けてロブが飛び、飛距離が長いスマッシュが飛ぶ。攻める陣形を作ったことで清水は前衛で藤田が後方から攻めるのをサポートしようとするが、スマッシュやドロップを打つ藤田に対してロブを上げていく。
 自分達がしていたことをいつしか相手がしている。何とか抜けだそうとしても、宇佐美も岬も藤田に対してシャトルを集中させていくのを止めなかった。

「この!」

 藤田が力強くラケットを振り切ると、シャトルが白帯にぶつかった。清水も藤田もしまったと小さな悲鳴を上げ、宇佐美達は歓喜に顔をほころばせる。
 だが、次の瞬間に二組の表情は一変していた。
 シャトルは白帯に当たった衝撃に負けずに前に飛び、ネットを越えてひっくり返るとコートへと落ちていく。完全に油断していた宇佐美も、後方にいた岬もシャトルには届かなかった。

「サービスオーバー。トゥエルブフォーティーン(14対12)」
「……ラッキー!」

 清水は自分でも驚くほど大きな声で叫んでしまっていた。
 すぐに茫然としている宇佐美と岬に謝って、ネットの下にラケットを通してシャトルを引き寄せる。ボロボロになったシャトルを審判に見せて換えをもらい、サーブ位置に立つ。
 そこまでスムーズな動きで進んできた清水は、一度動きを止めて深呼吸をした。
 後ろにいる藤田を感じながら、目の前の宇佐美のプレッシャーを受け取る。
 ネットの穴を貫いてやってくる視線の強さに体中を突きさされるような錯覚を覚えた清水は、怖さに背中を悪寒が駆け抜ける。
 しかし、頭は冷静に自分が今受けていることを考えていた。

(これが……早坂や相沢が感じてる世界なのかな)

 本来ならばプレッシャーというものは形にはならない。
 あくまで視覚や試合の雰囲気から受け取る不可視のもので、存在しないものだ。
 試合を外から見ていると、気合いが入っていることは分かってもコートの中で何を感じているのかは分からない。
 コートの外側と内側という世界の違い。
 中に入ることで分かることがある。

「一本」

 静かに呟いてラケットを振る。
 その時だけ、自分の意識と体が完全に離れていた。
 いつもより弱く振ったラケットに宇佐美は初めてショートサーブの気配を感じ取り、前に出る。だが、清水のラケットはシャトルをスイートスポットで捉え、力を抜いたスイングでも綺麗にロブが上がった。
 完全にショートサーブだと思い込んでいたためか、宇佐美は前に突進して体をネットに近付けてから全力で後ろに切り返す。
 シャトルは緩やかなカーブを描いてコートに落ちていくが、速度がないことでギリギリ追いつき、渾身の力でロブを上げていた。

「任せて!」

 後ろに向かった藤田の声に無言でうなずいて前に出る。
 ネット前から左右に広がる宇佐美と岬を視界に収めて、藤田の次のショットを予測する。だが、ひとつ前のラリーを思い出すとまた集中攻撃を受けてしまうのではないかと不安になる。
 その不安を払しょくするように、藤田はハイクリアをストレートに飛ばしていた。
 藤田は前を向いたまま軌道を確認して右後方へと下がる。そうして隣に腰を下ろすのとほぼ同時に、清水も防御姿勢を取った。
 シャトルを追った宇佐美がスマッシュを放ち、飛び込んできたシャトルを清水はロブをしっかりと打ち返す。
 藤田が攻め始めてから、これまで少しだけ早くなった試合展開が再び遅くなる。
 宇佐美や岬からのスマッシュやドロップを、清水が出来る限りロブで打ち返す。また攻めさせようと中途半端なシャトルを相手が打っても、清水はもとより藤田もハイクリアで打ち返していく。

「あっ!?」

 打った瞬間に声をあげてしまう藤田。自分の二重の失敗に気づく前にシャトルはコート奥のラインを越えてアウトとなる。わざとアウトになるような軌道に打った宇佐美は控え目にガッツポーズを作ってから、シャトルを拾い上げて打ち返した。
 新品だった羽は長い打ち合いの末に既に少しほころびていた。
 受け取った清水は羽部分を整えてから藤田へと渡しつつ言う。

「ドンマイ」
「ごめん。気をつける」
「いいよ。むしろ中途半端に飛ばしたらスマッシュ打たれるからさ」

 清水はラケットを藤田の背中へと軽く当ててから後方で腰を落とす。
 藤田は清水が気にしていない理由が分からないのか、首をかしげつつサーブ姿勢を保つ。
 そして岬に向かい合って硬直した。
 清水が受けたプレッシャーと似たものを受けているのかもしれない。そう思った清水は普段よりも大きな声で言う。

「藤田ー! ロングサーブお願いね!」

 はっとして後ろを見た藤田の表情が徐々に柔らかくなっていく。
 笑顔になった藤田は頷いて岬のほうへと顔を向ける。同じプレッシャーを受けているはずだったが、今度は固まることもなく「一本!」と言ってロングサーブを放っていた。
 ショートサーブを打つそぶりさえせずに打つロングサーブには岬も追いついている。
 ラケットを振りかぶってスマッシュをストレートに放つと、藤田は少しだけ角度が急なロブを上げた。
 届かなくても構わずにラケットを差し出した宇佐美だったが、シャトルがラケットにかする音と共にふらふらと舞っていた。
 打とうとしていた岬が小さく悲鳴をあげてシャトルが落ちるのをそのまま見送り、コートへと落ちた所で審判が告げる。

「ポイント。フィフティーントゥエルブ(15対12)。チェンジエンド」

 ロブを上げた藤田も次のシャトルを待ち構えていた清水も、審判の言葉が右から左へと抜けていく。
 次のシャトルが何故放たれないのか。
 シャトルがコートに落ちていることの意味は分かっていても、頭も体も反応しない。
 相手の攻撃を受け続けることを考えて、耐えてきた試合は長かったが確実に一ゲームは終わりへと近づいていた。
 それでも、あまりのあっけなさに意識がコートから離れかける。
 だが、コートの外から聞こえてきた武の咆哮に我に返された。

「一ゲーム取ったぞ! 清水! 藤田!」

 音の爆弾が傍で爆発したかのような煩さに、二人は同時に耳を抑える。
 二人の様子を見て口を閉じる武だったが、次に声を張り上げたのは早坂だった。

「二人とも! その調子で行って!」
「早坂……」
「早さん」

 感情を表に押し出して喜んでいる早坂を見るのは二人とも初めてだった。
 部活でも市内大会でも感情を押し出すことなくクールに試合を進め、人と接して行く早坂と、今の喜びを全身で表わす早坂。
 どちらも同じ人間のはずなのに違和感を覚える。
 それだけ、自分達が普段と違うことをしたのだとようやく清水は理解した。

「藤田!」
「うん!」

 清水が上げた左手に藤田が同じ手をぶつける。
 乾いた音が響き、同時に感情が弾けた。
 15対12というスコア。12が自分達ではないと時間を経て理解するとともにこみあげてくる嬉しさ。
 それでも、喜びを全身で表現するのはまだ先だと耐えるのに必死になりながら、清水はコートを出た。
 耐えるための試合は、第二ゲームに突入する。
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