Fly Up! 346

モドル | ススム | モクジ
「うぉおおああああ!」

 コートの最も奥へとシャトルは打ち上げられる。
 しかし、山本が咆哮と共にラケットを振り切ると、空間は一瞬で縮められた。
 安西は自分のバックハンド側に切れこんでくるシャトルをかろうじてラケットで打ち返す。しっかりと奥に返すことで相手の攻撃を一度止める効果は十分あるが、それも連続でこられてはいずれチャンスとなってしまう。山本が渾身の力を込めてラケットを二度、三度と振り切ると共に安西は追い詰められていき、相手コートの半分くらいまでにシャトルが浮かんだ。

「フンッ!!」

 打ち頃のシャトルはジャンピングスマッシュによって叩かれ、吉田の股の間を通ってコートを跳ねていった。

「ポイント。シックスティーンオール(16対16)」

 審判は得点を告げ、自分の隣に置いてあるシャトルケースからシャトルを取り出す。吉田の股下を通っていったシャトルは既に羽がちぎれ、使えないことは明白だった。
 セティングポイントになってからすでに二つ目――正確に言うならば、山本がラケットを変えてから二つ目のシャトルが壊れた。山本の渾身のスマッシュにシャトルが耐えきれないのかもしれない。そう思えるほど一瞬でシャトルを体の傍へとテレポートさせてくる。

(スマッシュの速度なら……多分、淺川のほうが速い。あいつのは、きっと取れない。だから、山本のスマッシュはあくまで速く見えるくらいだ……そのはずだ)

 何度かラリーをした上でスマッシュを受けたからこそ分かる。
 山本のスイングスピードが凄まじいためにごまかされるが、スマッシュの速さ自体は武や吉田とそこまで変わるわけではない。だが、スイングスピードの速さを使って、山本は意図的にスマッシュを打つ時のタイミングをずらしていた。
 より速く捉えるのはまだ反応できるが、ギリギリまで引き付けた上で、一瞬で空気を切り裂いていくスイングは、早いタイミングに慣れた安西や吉田を惑わせる。そしてもう一つ、同じ相手を執拗に狙った末に最後はもう一人のほうへとプッシュやスマッシュを叩きつける方法も二人に焦燥感を募らせた。
 選択肢が広がったことで、狙われていないほうも全く気を抜けず、常に「次は自分のところへとスマッシュが飛んでくる」という思いに精神を疲弊させていく。

「一本!」

 吼えてシャトルを持つのは星。ショートサーブから来たシャトルを叩きつけようと身構える吉田に向けて一つ息を吐いてからシャトルを打ち出す。
 ショートサーブの体勢を最後まで取った上でのロングサーブ。
 弾道が低くなっていることで吉田のラケットも十分届き、インターセプトして前に落とす。星は打った瞬間に前に詰めており、吉田との勝負を避けてロブを上げた。
 シャトルには安西が追い付いて視線を相手コートに走らせる。どこに打てばいいか見極めるためだが、安西には山本の守備範囲がコートの奥に広がっているのが視覚的に見えた気がした。
 闘志を相手に突きつける。プレッシャーが自分を押し潰す。
 これまで体験した感覚もあくまで「気がする」ということであって、本当にあるはずがないもの。
 ならば、自分が見えたものが何なのかと自問する時間もない。

「はっ!」

 安西はシャトルをストレートに貫く。
 だが、打った次の瞬間には取られるという悪寒が背中を駆け上り、着地してからすぐに自分達へと向かってくるシャトルへ追いつくため、腰を落として構える。シャトルはサイドラインギリギリに落ちようとしていたが、山本が即座にカバーに入ってクロスに打ち返した。吉田が追う前に声をかけて、安西自らがラケットを振りかぶり、落下点へと飛ぶ。次に打つのは最短距離であるストレート。右側のライン端。たとえシャトルの軌道が読まれて取られるのだとしても、こうしてシャトルを上げさせている間は攻められることはない。
 攻撃は最大の防御といわんばかりに、上から下へと落としていくことが点を取る近道になるはずだった。

「はあ!」

 シャトルを打つ瞬間に力を入れる。だが、放たれたシャトルがコートを区切るラインからほんの少しだけ外れたのを山本は見逃さなかった。シャトルへと伸ばしたラケットを止めて、シャトルが床に着弾するのを見送る。その位置はシャトルコック一つ分、ラインをはみ出していた。

「ポイント。セブンティーンシックスティーン(17対16)。マッチポイント」

 ギリギリのコースを狙ったことでのマッチポイント。次を取られれば本当に負ける。両肩に疲労だけではない重みが加わってきてラケットを掲げること自体が辛くなっていく。
 サーブは星から自分へと向かう。もしもシャトルを上手く打てずにアウトにしてしまうか、ネットにかけてしまうかしただけで負ける。

「安西」

 軽く背中をラケットで叩かれて振り返ると、吉田が笑顔を見せていた。
 汗は安西と同じように流れているはずだが、辛さは全く見せていない。

「無理しないで上げさせよう。レシーブからチャンスを作る」
「いいのか? 攻撃し続けるって作戦だったけど」
「もうお前は限界近いだろ?」

 相手にも聞こえそうな声で言った吉田の真意は安西には分からない。だが、安西は心の中に残っている炎がほんの少しだけ揺らめき、大きくなった気がしていた。体力的にごまかしきれないくらい消耗していることで吉田も堂々と言ったかもしれないが、安西は鋭く頷いて星に向かい合う。

「一本!」
「ラスト一本!」

 星の言葉をほんの少しだけ上書きする山本。北北海道側からも応援は熱を帯び、山本達が勝利をもぎ取る瞬間を後押ししている。それを遮るように武や岩代を始めとした男子の声に女子も導かれるように声を出し、吉田と安西の体を崖っぷちで支えている。

(これで応えないと……男じゃないな)

 ラケットを掲げて星のサーブを待つ。吉田に言われたことで心の中に灯った炎には、怒りが含まれていた。冷静に現状を分析した結果として出た言葉に、それを事実と認めざるを得ない自分への怒り。そして「おそらくは」と安西は思う。

(相沢なら、ここでも引くなって言うだろうな)

 星がショートサーブを放ち、前に出る。安西はラケットを前に出したままシャトルへ向けて飛び出した。
 シャトルがラケットに触れるまで一秒よりは多く、二秒よりは少ない。ほんの少しの間で安西は判断を下して、ラケットを振り上げた。
 シャトルが星のラケットヘッドの防御範囲を越えて跳ね上げられる。シャトルが落下する先には山本。安西は左サイドの中央に腰を落としてスマッシュやドロップ。更にハイクリアにも対処できるように身構えた。

「ふっ!」

 息を鋭く吐くと同時にラケットが振り切られ、安西の目の前にシャトルがやってくる。バックハンドで前に突き出したラケットを、手首を固定して振って安西はネット前へクロスショットで打ち返した。シャトルが落ちていく先に星が移動してヘアピンを打つが、吉田がラケットを掲げてプッシュを放つ。
 角度をつけられなかったために飛距離が長くなり、山本が追い付いてネット前へと打ち返した。シャトルはストレートではなく、クロスへと向かう。星がブラインドになって吉田は反応が遅れたが、強引にラケットを伸ばして追いついた。
 自分を追うように移動してくる星を最後まで視界に入れたまま、ラケット面にシャトルが触れると手首を使って飛ばす。
 シャトルは星の頭上スレスレを越えるように打たれたことで、ラケットで打てる範囲の内側を抜けていく。
 落ちようとしたシャトルを取ったのはまたしても山本。
 次に打ったのはクロス、ではなくストレート。しかも、吉田の真正面だった。
 安西にも、おそらく吉田にも星の体で見えなくなっていただろう。更には、あえて人がいる場所へと打つ理由が思い当たらなかった。
 星の頭を越えてやってきたシャトルに反応して吉田が腰を落とす。そのままではラケットで打てる範囲の内側になるため強引に打てる場所まで体を移動させる。横でも後でもなく、下しか動きようがなかった。
 そのことが、全てを決定させていた。

「吉田!?」

 吉田が足を滑らせて倒れるのと、シャトルが吉田の頭に当たるのはほぼ同時。そのままシャトルは後方へと落ちて転がった。
 大きな音を立てて倒れた吉田はしかし、視線を後ろに向けたまま動かなかった。安西も目の前の光景を見たまま動けない。自分の呼吸の音がうるさく、周りの音が遮られる。それでも、審判の声ははっきりと届いた。

「ポイント。エイティーンシックスティーン(18対16)。マッチウォンバイ、山本・星。北北海道」
『おぉおおおお!!』

 コートの外から吼えるように歓喜する北北海道のメンバー達。そして、山本と星は声を張り上げて左手を打ち合っていた。
 安西はゆっくりと立ち上がって歩き、シャトルを拾う。次に倒れたままの吉田へと手を伸ばした。

「すまん」
「俺も、な」

 手を握った吉田は短く謝ってくる。安西も同じくらいの短さで答えて引っ張り上げて体を起こした。
 近づいてきた審判にシャトルを渡してから、ネットの向かいに立つ山本と星に改めて向き合う。

「ゲームカウント2対1で、山本・星ペアの勝ち」
『ありがとうございました!』

 声だけは負けないようにと同じくらいの大きさで言って握手を強く交わす。といっても安西にはもう体力が残っておらず、握る力もすぐに弱くなった。

「楽しかったよ。次は、お互いに正規パートナーでやりたいな」

 山本はそう言って安西から手を離し、次に吉田とも握手を交わした。先に告げた言葉は安西に対するものか、吉田へのものか。あるいは両方なのか。星は淡々と握手をして手を離してからそそくさとコートの外へと出て行った。山本も言葉を紡いだ後は無言で、握手してからすぐに手を離し、星に続く。二人の後を追うように安西と吉田もコートから出た。
 コートのエンドが逆になっているために少し歩いて仲間達が待つ場所へと戻ると、誰もがどう声をかけたらいいか分からないという表情をしていた。安西は申し訳ない気持ちで一杯だったが、それでも気合いを入れて口に出す。

「すまん。負けちまった」
「……よくやったよ、安西」

 山本の言う『正規』パートナーである岩代がタオルを差し出してくる。
 それを受け取って吉田の様子を見ると自分よりも重症であるかのように、椅子に座ってうつむいていた。同じくパートナーの武がタオルを頭から被せて飲み物を勧めているが、吉田はかすかに動くものの反応はほとんどない。
 自分よりも落ち込んでいる人間の姿を見ると逆に落ち着いて、安西は吉田コーチの傍によって頭を下げた。

「勝てませんでした。すみません」
「よくやったぞ。あれだけの勝負をして、負けたことに文句を言う人間はいないだろう」
「でも……」

 頭を下げたまま、次の言葉を言えずに歯を食いしばる。自分達が負けたことでチームは一勝二敗。次の女子ダブルスは瀬名が出られないために清水と藤田が出ることになる。まっとうな評価をすれば、団体のメンバーではレベルが一つも二つも落ちる。藤田はまだ数試合に出たが、清水はほとんど出番がないままここまで来たのだ。
 男子シングルスを真っ向勝負で挑むということを決めた時から最悪の事態を想定して、女子シングルスと男子ダブルスは優勝のための大前提だった。
 姫川は無事に勝利を掴み、自分達も相手が正規ペアではないために十分可能性があった。
 だが、敗れてしまった。

(あいつらに……次勝ってもらうしかないのに)

 どうしても藤田と清水を信じきれない自分。悔しさに震える安西の肩を、吉田コーチが軽く支える。

「確かにピンチだが、お前達はよくやった。お前達を信じてよかったと思っている」
「吉田コーチ……」
「だから、今度はお前が仲間を信じろ。藤田と清水を」

 吉田コーチは安西の肩を軽く叩いてから藤田と清水のもとへと向かう。二人は緊張に青い顔をしていたが、それでもしっかりと立っていた。緊張はしていても、逃げる気は全くない。真正面から試合に向き合おうとしている。

「作戦はシンプルだ。出来ないことはするな。出来ることだけやり通せ。ヒントは今の試合にある」

 吉田コーチの言葉が聞こえて安西は息を飲む。自分達の試合に次の試合への参考になることがあるのか分からないが、清水と藤田の視線が自分を向いたことで体が硬直した。
 二人はまだ緊張した表情を浮かべていたが笑いかけてきた。安西や吉田を気遣ってか、自分達を安心させるためになのか分からなかったが、効果はあって安西もようやく緊張が解ける。タオルで顔の汗を拭きながら椅子に座って二つ隣の吉田の様子を見た。
 武の隣に座ってタオルで顔を隠して俯いている姿は、男子シングルスで負けた小島の姿を想起させた。今は小島も顔をあげているが、他の仲間へと声をかけるまでは回復していないらしい。吉田のことも視線を向けるだけで何も言っていない。

(勝ちたかった相手に、負けたから、か)

 ふと思い浮かんだことを振り返り、自分が思ったよりも早くダメージから回復できたことに合点がいった。自分にとって勝ちたい相手に負けるというのは試合の度にあることだった。吉田と武のペアに負け、橘兄弟に負け。リベンジの機会と思った学年別では勝負をすることが出来なかった。
 そして、今回の敗北。違うペアだったが、勝ちたかったという思いは変わらない。その思いが届かないこともいつも通り。

(だからこそ……次は勝つって回すのかもしれない)

 自分ばかり狙われていたが、最後に狙われてシャトルを落とされたのは吉田。もしかしたら自分が足を引っ張ったことで負けたのかもしれない。そう考えたところで岩代が背中を叩いてくる。隣に座った岩代へと視線を向けると頭を横に振って、告げる。

「もし、自分のせいで負けたっていうなら違うからな。お前……俺とダブルスする時より生き生きしてたぞ」
「マジで? それは、悪いことしたな」
「次は俺らで山本も、西村も倒すぞ。でもその前に、応援しよう」

 岩代は次を見据えつつ、今の勝利をもぎ取るために女子ダブルスへと意識を移している。吉田と安西が負けたことは事実であり消えない。しかし、まだ首の皮一枚繋がっているなら。イーブンに持ち込めるならば、応援するしかない。

(そうだな。岩代と瀬名は……自分で何とかすることもできないんだ)

 応援するしかできない岩代と瀬名には、小島や姫川、吉田と安西の試合はどう映ったのか。
 応援することで物理的に作用があるかなど分からない。気休めにしかならないかもしれない。でも、二人はこの決勝戦が始まってから誰よりも声を出していた。吉田コーチが清水と藤田に告げた「できることをする」ことを二人は実践している。

(そうだな。まだ、消えてない。二人を、信じる。頼む)

 安西はコートの中へと入っていく二人へと視線を向けながら祈る。試合が始まれば、精一杯声を出せるように気息を整えながら。
 男子ダブルス。
 吉田・安西VS山本・星。
 ゲームカウント2対1で山本・星ペアの勝利。
 追い詰められた南北海道の運命は、女子ダブルスにかかることになった。
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