Fly Up! 345

モドル | ススム | モクジ
「うぉおおあああ!」

 安西の咆哮がシャトルの後ろを押し出すようにして突き進ませた結果、星のラケットの軌道を掠めてシャトルはコートへと突き刺さった。
 羽が飛び散り、一目で換えが必要だと理解できるほどに崩壊するシャトル。両ダブルスの力を受けて新品のシャトルが壊れる頻度はファイナルゲームの終盤になるほどあがっていった。

「ポイント。トゥエルブサーティーン(12対13)」
「しゃおら!」
「あと一点!」

 安西の気合いに乗せるように吉田も叫ぶ。ファイナルゲームの間も何度となく離されかけた背中を追い続けて、同点に追いつくためにトライするのも何回目かと数えるのは止めた。
 あるのは全て敗北の記憶。過去の敗北より未来の勝利を掴むために、全力で前を向かなければ勝てない。
 ファイナルゲームの序盤に一度だけリードしたものの、サーブ権が移って逆転されてから、吉田と安西は常に星と山本を追ってきた。一点差に詰め寄って同点にできそうだとなっても要所要所でシャトルを決められてサーブ権を奪われ、その後に必ず点を取られる。同じことを繰り返してもけして気持ちを切らさず、チャンスがあると信じてここまできた。

(ここで取れないと……負ける可能性がかなり上がるな)

 安西は、吉田が新しいシャトルを受け取ってサーブ位置に立つのを肩で息をしながら見ていた。既にセカンドサーブであり、このターンでシャトルを沈められてしまえば相手が二つのサーブ権の間に二点取る確率がぐっと上がる。
 そうなれば敗北が決定し、南北海道としても窮地に立たされる。

(正直……俺はいつ倒れてもおかしくないかもな)

 腰を落とし、上半身を斜めに倒して下を向いてしまっている。力を込めて上半身を上げようとしても、なかなか自分の意思通りに動かない。

「安西」
「すまん」

 吉田に名前を呼ばれたことがきっかけになって顔を上げ、謝ってから顔を掌で拭く。
 掌にべったりと付いた汗をハーフパンツに汗をなすりつける。自分の一連の行動にも怠さが消えず、吉田にも相手にも伝えてしまっているだろう。
 それだけ攻撃に回してきた体力の大きさを物語る。
 それでも、当初の目的である山本の奥の手を見ることはこの段階でもできていない。

(奥の手がないのか。あったとしても隠したままなのか、分からない、か)

 自分達は星を狙い、相手は安西を狙う。
 互いにターゲットを決めてシャトルを打っているために、互いのパートナーの消耗は激しい。ファーストゲームとセカンドゲームに比べてファイナルゲームの終盤が違うのは、星からのドライブがほとんどなくなったことだ。星もまた肩で息をしており、狙われてもロブを返すのが精いっぱい。その中でミスをすれば吉田がシャトルを打ち込む。逆に、安西がレシーブを失敗すれば山本が的確に決めてくる。
 攻められる選手が同時に攻撃を任され、相手の隙を作り出したところでもう一人が決めるという構図が13点もの間、繰り返されてきたことになる。

(ここで同点に追いつくことは、絶対条件。そうじゃないと勝てない……)

 自分の両拳を何度か握って、まだ力が入ることにほっとして身構えた。吉田がサーブを山本に向けて放った瞬間にシャトルが自分の下へと飛んでくる。試合の終盤まできてもぶれない相手の精神に安西は自然と笑みがこぼれる。
 無理せずにロブをあげてサイドバイサイドの陣形を取ると、先ほどプッシュを打ったはずの山本が星をわざわざ逆サイドに移動させてまで後方に下がり、ラケットを振りかぶる。

(来るなら……こい)

 ラケットをバックハンドに持ち替えて胸の前に上げる。さっきから力はあまり入れずに楽な体勢でシャトルを迎え撃つように立つと、相手のシャトルの動きが見えた気がしていた。
 山本が放ったスマッシュは安西の目の前にやってくる。正確には胸に向けて。
 バックハンドで構えていた安西はラケットをただ前に出すだけでインターセプトに成功し、そのまま前衛へと入った。シャトルに追いつくのは星。山本がスマッシュを打った瞬間に前へと飛び込んで、安西の打ったシャトルをフォローしようとしたのが分かる。山本がわざと打ち返させたのかもしれないと思った時には星のラケットが動く。

「この!」

 自然と声が出ていた。ここで決められれば負けるという思いが形になって現れる。声と共に差し出したラケットはシャトルをとらえて打ち返し、星の頭上を越えて相手コートへと落ちていく。

「星!」

 反転しようとした星を制したのは山本の一声だ。苗字を鋭く呼ばれてシャトルに詰める山本を見て、下がろうとした体を押しとどめる星。だが、シャトルが打ち返されたのを目で追ったことがこの試合で見せた一番大きな隙だった。
 後ろに下がる安西と、前に飛び出す吉田。
 前衛できわどい勝負が出来るのは吉田だけだと安西が下がるタイミングと、星に生まれたこの試合最大の隙を狙って飛び出した吉田のタイミングが完全に一致した。

「おおおあああああ!」

 吉田は咆哮と共にラケットを鋭く振る。ネットにぶつけないために最小限の動きと一緒に、シャトルは星の足元へと落ちていた。

「ポイント。サーティーンオール(13対13)!」

 審判もこれまでとは少しだけ違い、気合いをこめて告げる。これまで届きそうで届かなかった同点へと遂に到達したことは、吉田と安西にとってまだ首の皮一枚繋がったことを意味する。セティングポイントの権利がある星と山本はすぐに審判へと申請した。
 これから五点、先に取ったほうが勝つ。

「吉田。ナイス!」
「安西もよく下がったな」

 左手を打ち合う二人は次にがっちりと握手を交わす。互いに汗が出て息も荒いが、勝利へ向かう闘志は衰えていない。神がかり的なタイミングを制したことで流れは間違いなくこちらにあると安西は深く息を吸って吐きつつ徐々に呼吸を整えていく。

(ここから、五点)

 伸ばされた得点が自分にとってプラスになるのかマイナスなのか。考えようとして頭を振る。たとえ悪かろうとよかろうと、シャトルを最後に叩き落とすまで気を抜かないことには変わりがない。

「一本。大事に行こう」

 追いついた熱を一度冷ますための言葉は、自分が思うよりも弱かった。
 吉田が心配を込めた視線を向けてくるが、けして言葉には出さない。弱いところを見せれば相手にもチャンスになる。それが安西にも分かっているから、一度ラケットを脇に挟んで顔を両手で挟み込むように叩いた。

「っし。いくか」
「ああ」

 シャトルをもった吉田がサーブ位置に立つ。同じファーストサーバーである星へと向けてシャトルを構える姿は、終盤になっても変わることなく形を保っている。その背中を見ながら腰を落とすことは、体は疲れていても負担に思わない。堂々とした仲間の姿に体力を分けてもらっているようだ。

(相沢がどう思ってるかは分からないが……吉田はほんと凄いよな)

 自分達明光中の仲間とは違い、吉田も武も小学校から続けてきたバドミントン選手だ。
 特に吉田は全道や全国にいずれ行くだろうと言われていたのだろう。この団体戦で一緒に全国に出場し、優勝目前のところまで来ていることは自分や仲間にとっても大きなプラスになるに違いない。

(だから、勝ってもっとプラスにするんだ)

 吉田の「一本!」という咆哮に合わせて吼える。
 気合いの圧力を二人で星に叩きつけるようにして、吉田のショートサーブを後押しした。シャトルは白帯を越えて相手コートの前に落ちる軌道。ここまで来ても外すことがないように見える吉田のサーブ。星も見送ってアウトかどうか判定することは最初から捨てているのか、より前でラケットでのインターセプトを試みる。ストレートでほぼ垂直に落とされたシャトルも、吉田はクロスヘアピンで華麗に逆サイドへと打っていた。星のラケットが追いつく頃には白帯を越えており、やむを得ず下から上へと跳ねあげる。
 ネット前に残った吉田の姿を見ながら落下地点にラケットを掲げて走る安西。少しだけ距離があったが、後方にジャンプしながらラケットを振り切ってシャトルを相手へと届かせた。

「はああっ!」

 自分でもガットの中心に当たったことが分かる。そして、威力もこれまでより速い。体力が尽きかけて力も入らなくなったが、代わりに余分な力を入れないスムーズなフォームになっていた。
 シャトルに追いついた山本はストレートのドライブを放つものの、すぐに吉田がネット前でインターセプトして、シャトルを叩き落とした。

「ポイント。フォーティーンサーティーン(14対13)」

 久しぶりのリードに吉田が全身を使って得点の歓喜を表現する。
 一点目を取った時以来のリードは試合の流れを加速させる。自分達に流れ込んでくる勝利への道筋。目の前の中空を横切っているその道へと、二人は手を乗せていた。
 しかし、安西は目に飛び込んできた光景に眉をひそめる。
 山本が審判にタイムと宣言してからコートの外に出ていた。南北海道の面々がいる場所とは反対側に置いてあるラケットバッグの中に手を入れると一本のラケットを取りだした。
 緑と黒で彩られた少し地味なラケット。
 だが、安西はその姿に見覚えがあった。

(確か……もう売られてないラケット、だっけ)

 バドミントンを始めて自分のラケットを買う時にスポーツショップへと買いに行った際、古いカタログに載っていたそのラケットが値段も手ごろで買おうと思っていた。しかし、もうほとんど生産されていないことと、もっと性能が良い新しいモデルが売られていることから、結局は似た性能の別ラケットを購入したのだ。
 デザインや色合いが好みだったことでカタログ内でも目についただけに、安西はしっかりと覚えていた。

(なんであんな……年代物? のラケット)

 不思議に思う反面で、安西の頭には厭な予感が広がっていく。
 この終盤にガットが切れたわけでもないラケットをわざわざ換えるという行為が何も意味をなさないわけがない。これまで許さなかった逆転を受けたことでの行動ならば、再び自分達を追い抜くためにラケットを換えたに違いないのだから。
 どんな意味があるのかは分からないが、警戒しておいて損はないと安西は吉田の後ろへとゆっくりと息を吐きつつ腰を下ろす。そこで初めて吉田の顔が緊張にこわばっているのが分かった。

「吉田?」
「……すまん。大丈夫だ」

 安西の傍に近づいて呟いた吉田は、シャトルを受け取ってから更に呟く。

「山本が本気を出すかもしれない。見極めよう」
「分かった」

 聞かれたくない会話は早く終わらせる。吉田の言葉を受けて安西は自分の中に生まれた怖さが理解できた。かつて見たことがある光景に似ているからだ。
 全道大会の女子シングルス決勝。
 早坂対君長の試合で、シューズを別の物に履き替えた君長はこれまでよりもフットワークの速度と精度を高めて早坂を苦しめた。山本が醸し出す雰囲気はその君長に酷似している。吉田のサーブを迎え撃つためにラケットを掲げた山本の姿を見て、安西はパズルのピースがかちりとはまったような気がした。

「一本だ!」
「一本!」

 背筋を駆け上ってくる悪寒をかき消すように吼える安西。
 背中を押されるように叫ぶ吉田は気迫に反して静かにシャトルを打ち出す。
 ショートサーブに反応する山本はラケット面をネットに並行にスライスさせてクロスヘアピンを放つ。よりスムーズになったと感じるラケットワークにも吉田は反応してロブをしっかりと上げた。
 吉田が下がるのに合わせて逆サイドに広がり、腰を落とす。シャトルを追っていったのは星。そして、ほとんど打たなくなっていたドライブを再度打って、自ら前に詰めていく。
 後方に山本を回してスマッシュを打たせようとしているのだろうと予測はつく。
 吉田はさせじとネット前にシャトルを落として星に上げさせようとした。

「はあっ!」

 数回ヘアピンを繰り返した先に星がロブをあげる。後ろに控えていた安西は相手二人を視界に収めてから星のほうへとスマッシュを叩きつける。
 実力が劣る方への攻撃は止めない。星は胸部へのスマッシュをしっかりと高いロブで打ち返し、スマッシュの打ち終わりからバランスを崩した安西は逆に追いつくことが厳しくなった。それでも横っ飛びに近い形でシャトルに追いついてから無理せずストレートのハイクリアでシャトルを返した。
 視線の先に映ったのは、前衛に入る星と後衛でシャトルの落下点でラケットを構える山本。どんなに速くても今の自分達ならばしっかりと身構えている今、エースは決められない。
 そう考えて無理せずに返せる体勢を整えた。
 だが、安西は次の瞬間にシャトルが自分の方向へと進んでいることに気付いていた。目に見えた時点で躱すことが遅れ、ラケットも出せずにシャトルは安西の肩口を掠めるようにコートへと落ちた。

「サービスオーバー。サーティーンフォーティーン(13対14)」

 何が起こったのか安西には理解できなかった。シャトルを取ろうとして構えてからシャトルが来るまでの時間が削り取られたかのような錯覚。実際に耳はシャトルが打たれる音を聞いていた。目も山本がラケットを振ったのは見ている。それでも、シャトルがあっという間に自分のところへと来て打ち返す余裕もなかったのだ。

(なんだ? 淺川よりも速いっていうのか? スマッシュが)

 見た目の筋肉質な体に見合うようなパワーショットかというとそうでもない。
 たとえば同じパワー重視に見える刈田も武も、ラケットを振ってシャトルに当たる際には大きな音を立てていた。空気を叩きつけて変形されるようなパワーが凝縮されたシャトルがスマッシュでコートへと落ちる。着弾した時には大きな音が空気を震わせるような気がしていた。
 だが、今の山本のスマッシュはその気配が極端に少ない。武達が砲丸を投げつけるようなパワーなら、山本は鋭い弓矢で打ち抜くかのよう。

(鋭さ、か)

 安西はようやく自分の記憶の中に類似したものを見つける。視線は自然と記憶の先にいる人間――吉田へと向かった。
 吉田が放つスマッシュは武とそこまで速度は変わらないが、威力という面では武のほうが勝っている。吉田の打つシャトルはカミソリのような切れ味に感じるほど、懐をピンポイントで切り裂いてくるのだ。それは鍛えられたスイングスピードに裏打ちされたもの。
 安西の視線に気がついて振り向いた吉田が、傍へと近づきながら呟く。

「安西も気づいたか」

 通り越してシャトルを拾い、羽を整えながらも吉田は安西に向けて言葉を重ねる。出来る限り短く、素早く。

「山本のラケット。あれはもうほとんど売られてないんだ」
「ああ。前に見たことある」
「あのラケットは軽すぎる。だからあまり人気が出なかったんだ。それを山本はスイングスピードを引き出すのに使ってる」

 そこまで言うと時間稼ぎも限界だと、シャトルを打ち返す。山本がシャトルを取る姿から目を離さない吉田は、それでも安西に告げる。

「山本の本気が、これだ」

 心臓が体力の消費以外で鼓動を早める。腕に鳥肌が立つのを感じながら安西は緊張を紛らわすために唾を飲み込む。
 しかし、次から次へと背筋を走る悪寒は止められなかった。
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