Fly Up! 343

モドル | ススム | モクジ
 星のシャトルが空間を斜めに切り裂いていく。かろうじてシャトルが突き進む方向へとラケットを伸ばした吉田は打ち返していた。
 威力を完全に殺してネット前に落とすが、そこには山本が回り込んでラケットを立てている。瞬時に手首をひねってクロスヘアピンを打つその動きの隙のなさに吉田はなんとか食らいついてロブを上げた。
 咄嗟に後ろに下がろうとした体を押しとどめて星のドライブを待ち受けるが、視界を遮るように立ちふさがる山本のプレッシャーに半歩右足が下がった。

(この野郎!)

 それでも踏みとどまって次のシャトルを予測する。今は左サイドに山本とともに固まっている。スペースも少なく、クロスの開いている位置に打ったほうがエースの確率は高くなる。しかし、それを読んでこちらも待ち構えているのは星も分かっているはず。
 裏の裏を読むか、裏だけを読むか。
 互いの思考が一瞬で交錯した結果、星はストレートにシャトルを打った。

(なんだと!)

 予想はしていたが、それでも実際に放たれると驚きを隠せない。
 シャトルは左サイドのライン上を、空気抵抗をものともせずに突き進んで吉田の一瞬の反応の遅れを突き抜けていった。
 安西もまた逆サイドに来ると予測して移動しかけていたために、体を反対側へと向かわせることができずにシャトルはコート奥のライン上へと落ちていった。

「ポイント。テンシックス(10対6)」

 追いつきそうだったところからまた少しだけ離される。
 あと五点取れば相手がこのゲームを取り、男子ダブルスの敗北は決定する。
 ファーストゲームとは段違いのプレッシャーに吉田は肩が一気に重くなったように感じた。
 頭を思い切り振って感覚を霧散させると、深く息を吸って思い切り吐き出した。

「しゃ! ストップ!」

 折れていないところを相手に見せつけるように吼えて、自分のレシーブ位置へと戻る。まだファーストサーバーの攻撃中であり、星からのサーブを受けることになる。だが、構えようとしたものの、すぐ横に安西が来ていることで動きを止めた。

「どうした?」
「吉田。調子悪そうだな」

 安西の言葉を否定しようとしたが、止める。山本が前衛になり、星がドライブで攻め始めてからどこか調子が狂っていた。
 ラリーが一つ落ち着くたびに少しだけ深く考えていくと、そこが直接的な原因ではないと悟る。相手がプレイスタイルを変えてきたことで、自分達もまた変えざるを得ない時に来ているかもしれないとどこかで考えていたからだと気付いた。
 そして、その考えは背中を見ていた安西からも理解できたのだろう。とすれば、向かい合っている相手にも伝わっているかもしれない。

「ローテーションに戻そう」

 安西の言葉には、力がこもっていた。
 一瞬怯んだ吉田だったが、申し出を断ろうと口を開こうとする。だが、安西の指先が審判のほうへと向き、吉田には見なくても次のプレイを促していることが伝わった。

(俺が前にいる分、安西への集中攻撃が止まった。だから何とか均衡を保てているんだ……)

 ファーストゲームの途中から安西を狙った集中攻撃によって、最後まで押し切られた。それを防ぐためにトップアンドバックに固定して吉田が前衛で攻撃をシャットアウトしようと決めてここまできた。
 それもまた、相手ペアの攻撃の変化によって崩されようとしている。タイミングを間違えれば、また勢いで押し切られてしまって試合が終わる。

「ストップ!」

 吉田は迷いを吹っ切って吼えた。
 星がショートサーブを放ってすぐに後ろに飛んだことで前に出てくる山本を避け、吉田はロブをあげる。そこから後ろへと下がり、サイドバイサイドの陣形になった。

「安西! 任せた!」
「任せろ!」

 再び安西に集中攻撃がくるかもしれない。それでも、吉田は共に試合をしているパートナーに任せた。
 星がドライブをストレートに、安西に向けて叩きつけるように打ってきたが、安西は一歩前に出てバックハンドで力強く打ち返す。これまでと明らかに跳ね返るシャトルの音が異なり、生きたシャトルが空を舞った。
 安西の返球の変化にネット前に陣取る山本も顔をしかめた。
 自分達の想定から外れた展開に違和感を覚えた表情を隠すこともない。

「はっ!」

 再び星からのドライブ。だが、それも安西はしっかりとシャトルを上げる。出来るだけ綺麗に、高く遠くへとロブを飛ばすことで星をコートの奥へと釘づけしておき、山本もフォローに入れずラケットを掲げるだけになった。五度、六度とシャトルが互いのコートを行き来してもこれまでと異なって安西の返球が甘くなることはない。むしろより鋭くなり、星がドライブを打つ際に窮屈になっていった。
 そして。

「だあ!」

 安西のほうへと飛んだシャトルが白帯にぶつかって跳ね返り、山本の足元へと落ちていた。

「セカンドサービス。テンシックス(10対6)」
「おし!」
「しゃあ!」

 安西の声に合わせて吉田も吼える。閉塞感に包まれていた思考が一気にクリアになり、相手の攻撃に付け入る隙があるように見えてくる。たった一回のラリーを制しただけなのに一体何が起こったのか。
 すぐに吉田は気付いて安西へと近づいて左手を振り上げた。その手に自身の左手を叩きつけて安西は笑顔で叫ぶ。

「っし! もう一本取るぞ!」
「おう!」

 吉田がずっと前にいる間、後ろで安西もただ、取りこぼされたシャトルを打ち返していたわけではなかった。吉田が星や山本の動きを読むように、安西もまた攻撃の癖や動きを分析していた。
 パターンを変えても細かい点は違わない。それは攻撃スタイルを向こうが変えてから取られた二点の間に把握していた。その二点は、吉田がラリーを長引かせてくれたもの。時間と攻撃機会の増加によって、必要な情報が得られた。

(そうだな。まだ心のどこかで安西をパートナーとしてなかったのかもしれない)

 安西は狙われる弱い選手ではない。共に強敵を打倒するためのパートナーだ。なら、背中を預けて戦えばいい。
 経験の差など関係なく、同じ地区の最大のライバルであり、仲間である安西を信じることによって吉田の思考に幅が出来たことが視界のクリアに繋がったのだ。

「よし。安西」

 手短に次の作戦を話す。セカンドサーブの山本が、安西に向けてシャトルを放とうと構えているのを尻目に吉田が口を閉じると、安西は笑って頷いた。
 レシーブ位置に立って山本からのショートサーブを受け取った安西は、無理せずにロブを上げる。サイドバイサイドに戻って次の星のシャトルを待とうとした時、安西は気楽に前に出た。
 試合中であることを忘れているような、構えを解いた上での移動。あからさまな誘いと分かった上で、星が受けるかどうかを吉田は見極めるつもりだった。
 今の吉田の位置はコート中央寄り。安西にも出来るだけ打つように言っているが、ドライブが放たれた瞬間に腰を落として構えるように指示しているため、後逸してもカバーできるように陣取っている。

「はぁああ!」

 そして、星は安西のほうへとシャトルを渾身の力で打っていた。咄嗟に腰を落とした安西だが反応はそこまでで、シャトルを後逸する。自分の守備範囲に到達したシャトルをバックハンドで打ち返した瞬間に、吉田は自分の失敗を悟った。

(この範囲……山本の!)

 クロスに打ち返したシャトルの軌道は少し低く、前衛で飛び上がった山本のラケットが届いている。そこから振り下ろされるのは明らかで、インターセプトからのスマッシュにより得点が入る。
 一度攻撃を止めた先の追加点を何としてでも取らせるわけにはいかないと、吉田はシャトルの動きに意識を全て傾けた。

「おああああ!!」

 山本のラケットがシャトルを触り、振りぬかれる軌道を感じ取り、ラケットを出す。差し出されたラケット面に衝撃が走るのを吉田は堪えて踏みとどまった。シャトルは叩かれた勢いを跳ね返る強さに変換し、ネットを越えていこうとする。
 そして、白帯にシャトルコックが当たった後でひっくり返り、ネットに触れながら相手コートに落ちて行った。

「サ、サービスオーバー。シックステン(6対10)」

 審判も一瞬何が起こったのか分からなかったのか、シャトルが山本の足元に落ちていたことに気づいてサービスオーバーを告げる。
 安西は拳を握って腰に引き寄せて吼え、吉田は無言のまま体中に力を入れる。絶体絶命の時に集中し、相手のシャトルの軌道を読んで打ち返した。あてずっぽうではなく、本当に『見えた』のは前衛でのインターセプトの時の感覚に近い。山本が前に出た時から消えかけていた感覚が復活して、今まで以上に研ぎ澄まされることに吉田は手ごたえを覚える。

(ローテーションでいつものリズムが戻ってきてる。血の流れみたいに)

 山本からシャトルを受け取ってからサーブ位置に戻ってサーブ体勢を取る。
 後ろに安西が腰を下したことも理解して、バックハンドでシャトルを打ち出すために星へと視線を飛ばす。星は通常よりも上体を倒してラケットを斜め前に突き出し、プッシュをするために特化した構えを取っていた。安西が見せたようなあからさまな誘い。ロブを低い弾道で打たせて途中でインターセプトをするつもりだろう。吉田は少しだけ考えて答えを決めて安西に後ろ手でサインを送る。
 横目で安西を見ると笑顔で頷いてきた。吉田の好きなように、と目が語っていた。

(俺は俺で、貫いてやる)

 吉田は深く息を吸って「一本」と呟くと、シャトルを静かに打ち出した。
 誘いがこようともショートサーブ。星がヘアピンを打ってコートの後ろへと下がり、山本が前に出てくるところを狙いすまして山本の目の前へとシャトルを打った。移動直後に自分の体の最も近くに放たれて、窮屈そうにしてバックハンドでロブをあげた。
 吉田はラケットを掲げて、できるだけ腰を落とす。
 打つシャトルは決まっている。
 安西を信じれば、このタイミングで上げさせたシャトルで打つのは一択。

「はあっ!」

 安西のスマッシュは吉田の頭上を抜けて、山本の真正面へと飛んでいった。慌てて再びバックハンドで取った山本だったが、浮いたシャトルをすぐさま吉田がインターセプトしてコートへと叩き落とす。羽が壊れて舞い散り、シャトル本体は強く跳ねてコートの外にまで転がって行った。

「ポイント。セブンテン(7対10)」

 審判はポイントを告げつつ新しいシャトルを用意する。
 その間に吉田は自分の側にきた羽の残骸を拾い上げてコートの外へと出した。山本も同時に拾って出したために、コートの外で目が合う。鋭い山本の視線に、もう吉田は怯まない。

(安西があそこのコースを狙えるなら、十分勝負できる)

 星が見せた小さな隙間を縫うようなドライブに対して、安西も吉田の頭部にぶつかりそうなラインを越えてスマッシュを放った。まぐれにせよ可能な技量にせよ、今の安西の力は星に負けていない。試合を続けていくことで力がさらに上がっていっている。

「一本だ」
「ストップ」

 互いに小さく言い合って自らの場所に戻る。次はちょうど山本へのサーブを打つ順番。安西の前に立って山本の隙を探そうと意識を集中するが、どこに打ってもプッシュを打たれるように感じられる。強打を許すつもりはなかったが、ここで本当に勝負してもいいのかと思考する。

(ここでロングサーブを打つのも手だろうし。別に逃げるってわけじゃないかもしれないけど)

 貫くと決めたこと。壁がないなら無理やり作り、こじ開ける。
 最も力を抜いた繊細なサーブで、曇りがない壁にひびを入れて割る。
 選択肢を一つにまとめてシャトルを丁寧に軌道に乗せた。
 予定調和のようにネット前に飛んで行ったシャトルを山本はプッシュで押し返そうとする。予想通りの行動に吉田はラケットを掲げて出来る限りコースを遮った。
 効果があったのか吉田のラケットが届く範囲から離れるようにラケットを振って、シャトルを移動させる。
 そこに後ろから安西が飛び込んでくる。吉田の届く範囲は前衛で何とかすると信頼し、空いているスペースに飛び込んでカバーすることに意識を集中していた。

「はあ!」

 完全に読んだ上でロブを高く打ち上げる。相手の左サイドのラインに落ちるような軌道のロブの横へと移動した星はラケットを振りかぶり、ドライブを放つ。だが、安西は星がラケットを振った瞬間に前に飛び出して、自分へと向かってくるシャトルに完璧にラケットを合わせていた。
 強烈なショットに対して力強く返球する。シャトルは空気が爆発するような音を立てて星のほうへと弾き返された。威力は強く、
 星は躱してシャトルをアウトにしようとするが、急激に失速したシャトルを見て慌てて前に飛び出る。ネットより下に行ってしまったシャトルをドライブでは打てず、ロブが安西のほうへと上がる。
 だが、安西はそのまま前に出てネット前に腰を落とした。
 当然、後ろには吉田。

(ここで……決める!)

 シャトルに狙いを合わせて飛び上がる。より高く、より角度をつけるための跳躍からの、ラケットの振り切り。
 残像を残していったラケットは、一瞬にしてシャトルをコートへと突き刺していた。

「ポイント。エイトテン(8対10)」
「おっしゃあ!」

 着地と同時に吼える吉田。武のような力強いジャンピングスマッシュを見せたことで仲間達もテンションが上がり、吉田に向けてエールを送る。今は外にいるパートナーの武もまた、吉田の大技に興奮して拳を掲げていた。

(まずは、同点だ)

 ローテーションに戻して安西から吉田に攻撃の重心をスイッチする。あくまで前衛で攻めていたことを後衛で実行しているだけかもしれないが、ファーストゲームからほとんど前衛の動きばかり見せていたことで吉田の後衛に戸惑いが感じられる。吉田は飛んできたシャトルを手にとってサーブ位置につくと、自分を鼓舞するように言った。

「まずは同点だ。行くぞ、安西!」
「応!」

 吉田の言葉に迎えうつ星の表情が変わる。戸惑っていたものから何としてでもサーブ権を奪い返そうという気持ちが発揮された顔へと。
 相手の付け入る隙を自分から取り除いたのかと吉田は思ったが、すぐにそれでもいいと不敵に笑う。

(全力で戦って、勝つんだ)

 心の中に炎が灯る。吉田の発する闘志が安西も刺激し、コートの中を熱くしていく。それは星や山本にも伝わっていき、シャトルが向かう先の星もまた、これまでよりも闘志をむき出しにして叩きつけてくる。

「ストップ!」
「一本だ!」

 ぶつかり合う闘志で揺らぐ空間に、吉田はシャトルをショートサーブで打っていった。
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