Fly Up! 339

モドル | ススム | モクジ
 戻ってきた姫川が椅子に座ってすぐに目を閉じるのを見て、吉田はラケットを握りなおした。
 全力でフットワークを使ったのは学年別大会での早坂との試合以来で、途中でガス欠にならずに乗り切った姫川は、誰よりもこの大会の中で成長したと言ってもいいだろう。全員が、姫川がこのチームに貢献してくれたことを理解している。
 当人は既に小さな寝息を立てていた。完全には眠っていないだろうが、体力の限界を迎えていつ気を失っても仕方がないという状況。しかし、隣に素早く早坂が座ってペットボトルを差し出すと、手を震わせながらも受け取って飲んでいた。

(姫川は大丈夫だろ。後は、俺達だな)

 吉田は頬を強く張り、前に出る。コートは一度モップがかけられて綺麗な状態にリセットされていた。しかし、そこで行われた試合の熱気は消えることなく残っている。それは吉田の闘志をくすぐり、たぎらせるものだ。

「安西。絶対に勝つぞ。これで王手をかける」
「姫川があそこまでやったんだ。俺らも負けてらんねぇよ」

 安西の言葉の中にも気負いはない。入れ込みすぎという可能性もあったが、その段階を越えてちょうどよい緊張感を保っているようだ。吉田と同じく、姫川と御堂の試合に身体がうずき、試合をしたくて仕方がないといったところだろう。
 その願いも、もうすぐ叶う。

「それでは次の選手はコートに入ってください」

 モップがけが終わり、審判が再開を告げたと同時に吉田と安西はコートへと足を踏み入れた。向かいのコートからも同じように対戦相手が足を踏み入れる。そして、コートの中の空気がそれまでと明らかに変わった。熱気を受けてユニフォームの下に浮かんでいた汗が一瞬、止まる。毛穴が閉じるような寒気が過ぎて、吉田と安西は同時に相手コートを見ていた。
 自分達を見てくるのは山本龍。高い身長に筋肉がついた身体。明らかにスマッシュが速そうな男だが、それでも淺川亮よりは速くないと吉田は心の中で結論付ける。

(あいつほど速くないなら、とれる)

 コートの外と中とは違うが、それでも小島の試合をずっと見て、淺川の速さや技術を目に焼き付けた。観察し続けることで自分の試合の時にも何か還元できるように。結果的に身体能力の差を感じてあまり反映できるものを見出すことはできなかったが、スマッシュの速さにはタイミングを合わせるイメージトレーニングは取れた。

「俺が基本的に前衛で相手に上げさせる。安西は、攻めろ」
「オッケイ。頼りにしてるぜ」

 もう一度安西のほうを見て、左手同士をぶつけあう。力強い音が響き渡り、二人は吼えた。

「しゃ! いくぞ!」

 ネット前に進み出て、山本ともう一人、星と握手を交わす。二人とも掌は厚く、力強かった。
 よく鍛え上げられていると感覚的に理解する。ただ筋肉をつければよいということではないが、筋力が付けば自然とショットの力強さと、何よりも安定感が増す。星も山本も正確で力強いショットがきっと得意だろうと当たりをつけて、吉田は気を引き締める。

(武と一緒に、西村と山本と試合できないのは残念だけど……勝つためだ。ここで王手をかける)

 安西とのダブルスは全国大会でも試し、だいぶ形になってきていると吉田は感じる。正規ペアの岩代と比べてもそん色ないとさえ思うほどだ。吉田と武両方に足りないものの、近い技量を身につけて前衛と後衛どちらでも苦にしないユーティリティプレイヤーになりつつある安西はライバルに戻る四月以降は怖い存在だが、同じチームメイトとして頼もしい存在に成長したと思える。
 じゃんけんをしてサーブ権をとり、サーブ位置に立つと背後に安西が腰を落とす気配。その存在感は武に勝るとも劣らない。

(余計なことはもう考えない。山本、星組を倒す)

 深く息を吸い、吐き出す。同時に審判が試合の開始を告げた。

「ファーストゲーム、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 その場から微動だにせずに吼える四人。すぐに互いの気合いを解放するとちょうど中央にあるネットが熱気で揺れた、様な気がした。吉田に錯覚させるほどのプレッシャーをかけてくるのはファーストサーバーである星。山本は安西と同じように星の斜め後ろで腰を落として待っている。吉田がプッシュをしかけて落とすシャトルを。

「一本!」

 吉田はバックハンドでラケット面の前にシャトルを置いた状態から再度吼えた。星の隙を探しても全く見えないことで、真正面から挑もうとシャトルを打つ。
 シャトルはネットの白帯を越えてすぐに落ちていく。その軌道はちょうど相手の前サービスライン上に落ちるような軌道。迂闊に手を出せばネットにラケットをぶつけてしまう。だが星は、下から上にシャトルコックをかすらせるようにラケットを移動させてヘアピンを打ち返してきた。

(この!)

 吉田もすぐに前に出ていたためにシャトルに触れるのは容易だ。だが、問題は狙う場所。星はコート中央で吉田の次の手を待っている。絶妙なサーブを同じくらい綺麗なヘアピンで返したことでピンチがチャンスへと切り替わる。
 ロブをあげれば難なくピンチは脱出できる。その後に山本からの攻撃を受けることになっても、ここで無理をしてミスをするよりは良いかもしれない。
 だが、吉田は本能的に気付いていた。ここで弱気になってロブをあげた瞬間に畳みかけられると。

「はっ!」

 ロブを打とうとするフェイントをかけて、吉田はラケットを止めてヘアピンを放った。コースは左ライン際。中央にいる星を最も遠くへと移動させる場所へと。
 星の表情に一瞬焦りが生まれるのを吉田は見逃さない。それでもネットと並行に移動してラケットを伸ばし、シャトルを捉えた星はストレートのヘアピンを吉田のバックハンド側に返してきた。厳しいところへと入ってくるシャトルに対して吉田も引くつもりはなく、目の前に星がいるという状況で真正面へとシャトルを落とす。今度こそ星は顔を驚きに歪ませてラケットを伸ばしたが、シャトルに触れたと同時にネットへとラケットが触れてしまった。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「しっ!」

 ネットを挟んだすぐ向かいで気合いを入れる吉田。体勢的に星から見上げられる形になった吉田は、すぐに体勢を戻して奥へと下がる。星はすぐにシャトルを軽く打って渡してきた。ラケットで絡め取って左手に持ち、サーブ位置で姿勢を保つ。

「ナイスヘアピン。絶好調だな」
「ああ。そうだといいけどな」

 安西からの言葉に自分でも分からない理由で不安を口にした。当然、安西も気になって続きを聞こうと口を開いたが、相手の準備が整って気合いを発してくるほうが早い。頬を焼くような闘志に安西も無駄口を叩くのを止めて、足をできるだけ開いて腰を落とす。吉田はサーブ姿勢を保ったままで、山本の闘志を受け切っていた。

(山本も、やっぱり隙がない。星と同じようにプッシュしてくるか)

 一度息を吐いて身体の中から濁った空気を抜く。新鮮な空気を取り込んで、全身に行き渡ったと感じ取ると、吉田は「一本!」と吼えてショートサーブを放った。
 ロングサーブを打つという選択肢は頭にはない。どんなに厳しいコースに打たれようと、ロングサーブを打っただけで逃げの気持ちが生まれる。その気持ちが、この試合を分けるように吉田には感じてしかたがなかった。

「はあっ!」

 想定通り、山本はネットギリギリでも強烈なプッシュを放ってくる。しかし、吉田が上手くコースを塞いだことで開いている場所へと放たれたシャトルは、安西の防御圏内へと入っている。

「おらっ!」

 安西がドライブ気味にロブを突き上げる。しかし、シャトルが相手コートへと入った瞬間に、プッシュを打ち終わっていた山本が即座に右腕を伸ばしてラケットでシャトルに触れた。勢いを完全に殺されたシャトルはほぼ垂直に落ちていく。
 ネットを越えて吉田達のコートへと。
 距離がないのは先ほどの星の場合と同じ。しかし、吉田はラケットヘッドがネットに触れるか触れないかという場所を見極めて、ラケットの動きを止める。シャトルがガットにぶつかって跳ねてストレートヘアピンで山本の目の前へと落ちて行った。山本は星と同様に下から上へとラケットを切り裂くようにスライスさせる。シャトルにはスピンがかかり、さらに吉田のいる場所とは逆方向へと飛んでいく。虚を突かれた吉田だったが、右足で床を蹴り、身体を反転させてバックハンドでラケットをシャトルに追いつかせた。

「おああ!」

 気合いと共に放ったプッシュは星の股の下を通ってフロアに突き刺さっていた。

「ポイント、ツーラブ(2対0)!」

 吉田の気合いに背中を押されるように審判も気合いを込めてカウントを取る。
 審判なのに熱くなっていることにきづいたのか、一度咳払いをして冷静さを取り戻した上で最後カウントする。星は股の下から後ろに抜けて行ったシャトルを拾い上げて羽を整えてからゆっくりと前に歩いていき、軽く放ってシャトルを吉田へと渡す。せっかく整えてもシャトルを打ってしまえばまた羽が乱れると思ったのかもしれない、と吉田は自然と星について分析を始めていた。

(山本は西村と一緒にいるから、注目度も高いし、ある程度研究はしている。だが、星は情報がない……)

 自分が怪我で棄権したとはいえ、万全な状態で試合をしても勝てるビジョンがほとんど浮かんでこなかった西村と山本に対して、吉田はある程度プレイを想定してきた。しかし、星は同じ中学であることは分かっているが公式戦では名前を見た記憶がない。一文字という苗字なら全道大会に出ていれば印象に残りそうなものだが、どうしても思い起こせなかった。ならば、今から触れるデータを積み重ねるしかない。

(星のプレイ。誰かに似てるんだよな)

 自分のヘアピンやプッシュで二点を取り、次は三点目を狙う。たった二点だが、ラリーを進めるなかで星が誰かに被っていた。バドミントン以外の交友関係はあまり広くない吉田にとっては、つまりバドミントン関係者に似ている人物がいる。おそらくはプレイの質が。

「一本!」

 情報が少ない相手が誰かと似ているなら、そこから類推できるかもしれない。吉田は星の状況を見たうえで、低い弾道でシャトルを打ち出した。

「はっ!」

 ラケットを掲げて構えていた星は即座に反応してシャトルにラケット面を当てる。勢いがついたシャトルは完全に殺されて、カットドロップのように鋭くネットを越えてくる。下にラケット面を置いてヘアピンで返した吉田だったが、星はすぐに目の前に飛び込んできてクロスヘアピンでシャトルを切れこませる。

(くっそ! 嫌なところ!)

 左足で床を蹴り、身体を右側へと飛ばす。ラケットを伸ばしてシャトルに当てると右側のラインへと落とすようにコントロールしていった。バスケットボールのレイアップシュートのように、丁寧に置いていく感覚。
 星は左から右へと迷いなく進んでラケットを差し出してストレートにヘアピンを放った。自分に対して真っ向から勝負を挑んでくる相手の気迫に飲まれにないように、右足を打ちつけてクロスで逆サイドへと打つ。ちょうど星の真正面を通るために、インターセプトしようとラケットを立てる。
 そして吉田はあえてその場から横に身を躱した。

「はっ!」

 ネットに触れるギリギリであるため角度だけがついたシャトル。威力がない分、後ろにいた安西もラケットを届かせることができた。吉田は躱した先で止まり、安西に次のシャトルの軌道のサインを送る。

「らあ!」

 安西は吉田のサインに気付き、勢いよく右足で床を踏むとラケットがシャトルに当たる瞬間に右腕を止めていた。勢いを直前で完全に殺したことでシャトルは無重力の中を進むようにふわりとネット前に飛んでいく。いましがたネット前でシャトルをプッシュした星がいる前衛に再度打ち返すのは、傍から見れば正気の沙汰ではない。相手がいない場所を作りだし、打ちこんでいくスポーツであるバドミントンにも関わらず、吉田は安西までも相手へと打ち返させていた。

「おらぁああ!」

 星はラケットヘッドをスライスさせてクロスヘアピンを打つ。
 だが、その方向には吉田。安西が星へとしたように相手にシャトルを向かわせる打ちまわし。それでも吉田はラケットを上手く操作してタイミングを外すと、初めてロブをあげた。
 シャトルは星のラケットと頭の間の空間を通っていったため、ラケットを射線上に置くには遅すぎる。星は自分の頭上を抜けていくシャトルを視線で追うことしかできていない。顎を上げられる角度を超えた先は追えず、シャトルは背後へと落ちていき、山本がフォローする間もなくコートへと落下した。

「ポイント。スリーラブ(3対0)」
「しゃあ!」

 先に声を出したのは安西だった。声に後押し荒れるように振り向いて、安西とハイタッチを交わす。
 これまでの攻防はいきなりひりつくような熱さを持っていたが、自分が競り勝っているという思いがある。星のヘアピンにも負けず、打ち返していたことで少なくとも前衛の技術は自分のほうが上だと確信が持てた。それはほんの些細な差で、油断すれば負ける可能性も勿論ある。だが、吉田は改めて気合いを入れなおした。

(星を抑え込む。仕事は、させない)

 星は悔しそうに顔を歪めてシャトルを整えている。その様子は確かに吉田がリードしているということを示していた。だが、心の中に広がる不安感が徐々に増していっている。序盤の攻防でアドバンテージを見せることで、試合を優位に見せることに必要以上にこだわっている気がしていた。その気持ちがいったいどこから来るのかは、意識をそらしていても自分を騙せない。
 山本龍という男の視線が、その理由。
 星と吉田が前衛で攻防を繰り広げている中で、後方からじっと吉田のプレイを見つめているのは感じていたのだ。まるでわざと星にヘアピン勝負や前衛勝負を挑ませたかのようだ。

(序盤は互いの情報を探り合う、か。お前の情報も引き出さないとな)

 シャトルが放られて、吉田の手の中に納まる。静かにサーブ位置へと移動して身構えると、山本を斜め前に迎える。大きなプレッシャーは身体を委縮させる。それでも吉田は気迫のバリアーを張って圧力を押しあけて自分が穿つ軌跡を見出し、シャトルを通していった。
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