Fly Up! 338

モドル | ススム | モクジ
 シャトルが高く舞い上がり、コートを侵食していく。姫川は真下まで追いついたが一瞬だけバランスを崩した。それでも強引に体を起こして飛びあがる。バランスを崩して打つタイミングが遅れた分は、飛んでカバーしていく。

「はっ!」

 スマッシュでストレートに打ちこまれたシャトルを御堂はラケットでからめ取り、前方へと落とす。左前には既に向かっていた姫川は右足を踏み込んだと同時に、クロスヘアピンで左から右へと流した。白帯から少し離れたところを狙いすまして御堂がプッシュを打ち込むも、際どいためにコースを意識することはできなかった。
 結果として、姫川の予想通りのコースへとシャトルが飛んだためにラケットを出してコート奥へ弾き返すと、御堂は頭上を越えたシャトルを取ることができなかった。

「ポイント! イレブンオール(11対11)!」
「しゃー!」
『ナイスショット!!』

 コートの向こう側からの応援も熱が入る。
 これまで首の皮一枚が千切れかけていたが、諦めずに押し切って遂に同点に追いついた。セティングで終わりの点数が伸びたものの、御堂には常にリードされてしまい、一点取られれば負けるというところまで追いつめられた。
 だが、何とかサーブ権を奪い返して逆に得点したことで逆に王手をかける。

(これで点を取れば……私の、勝ち)

 姫川は荒れる息を抑えるが、どうしても収まらない。それでも顔はポーカーフェイスを保ち、視線は御堂の隙を探していく。もう序盤のように次のプレイを読めないということはなく、ボディ狙いを継続してきた御堂の動きを逆手にとってカウンターを返せるようになった。
 お互いに体力がなくなってきているところでのラリーの応酬。
 勝利を決めるのは互いの気力だと姫川は思う。

(でも、追い詰められてるのは私よね)

 一ゲームを取っているからと言って、このゲームを取られてしまえばファイナルを戦いきる自信はない。御堂も疲れているとしても、姫川ほどではないだろう。単純にラリーを続けていれば姫川自らショットを失敗していって、ゲームセットになるはずだ。
 姫川としてはこのターンで点を取らなければいけなくなる。

「さあ、一本!」
「ストップ!」

 御堂の表情も笑みの形をしているが不安がにじみ出ていた。
 ここで点を取られれば試合が終わってしまう。
 それはチームの勝敗というよりは自分が楽しむ場が終わってしまうことへの不安だろう。
 最後まで御堂は自分が楽しむために試合をしていた。その意識に流されて混乱させられたが、姫川にとっても良かったのだ。

(私も楽しかった。だから、勝って終わらせる!)

 ロングサーブを放ってコート中央につく。腰を深く沈めた時に右足が震えたが、ラケットの柄を太ももにぶつけて気合いを入れる。御堂はラケットを振りかぶり、シャトルへと思い切り叩きつけた。シャトルは試合の中で最速を持って姫川へと向かった。

(それはもう、読めてる!)

 顔面の前にラケットヘッドを出してインターセプト。そのまま前衛に入ってコースを塞ぎ、息の根を止める。姫川の作戦通りにシャトルはネット間に落ちて、御堂はネット前へと突進してきた。
 ネットを挟んで向かい合う形となる二人。
 姫川がラケットヘッドを掲げるのと、御堂がクロスヘアピンをギリギリのラインに乗せて打つことはほぼ同時。ロブだと思っていた姫川にとっては完全にフェイントとなり、ラケットを伸ばしても取ることはできなかった。

「サービスオーバー。イレブンオール(11対11)」
『ナイッショー! ラスト一本行こう!!』

 今度は逆に、姫川の隣から北北海道のエールが御堂へと届く。チャンスが一転、崖っぷちに立たされてしまったが、姫川は深く息を吸い、吐きだすと御堂の体を包み込むように視線を向けた。

(もう一度取り返せ。そうしたら十分チャンスはあるんだ。最後の一点まで気を抜くもんか!)

 姫川がラケットを掲げて迎え撃つと、御堂はシャトルを自分の肩の高さまで上げていた。ラケットはハイクリアを打つ時のような体勢のままで、サーブを打とうと構えている。窮屈そうにも見える体勢だが、シャトルが飛ばされるとまずラケットの軌道がほとんど見えなかった。
 終盤にして最速の腕の振りから放たれるサーブ。
 シャトルが一瞬消えて見えなくなったように思えた姫川は、反射的に後方に飛んでいた。シャトルの軌道は変わらずに、コート奥へと飛んでいく。
 姫川の感覚がシャトルをアウトだと告げていた。

(どうするの? 打つの? 打たないの? これ、は……)

 内に生まれる迷い。もしも見逃して入っていれば最悪の形でセカンドゲームを取られてしまう。自分の判断ミスで得点を取られるというのは精神的にもダメージが酷く、プレイにも影響するのは間違いなかった。今の体力ならば精神の糸が切れた段階で試合をすることさえもできないかもしれない。

(アウト!)

 覚悟を決めて、姫川は後方に体をずらしてシャトルから離れた。落下を続けるシャトルは高度を下げて、遂にはフロアへと着弾する。線審に見えるように場所を避けていた姫川には、インにもアウトにもどちらともとれたが、線審はゆっくりと手を真横に広げた。

「アウト!」
「アウト。サービスオーバー。イレブンオール(11対11)」

 線審と審判の判定に姫川はほっとして体の力が抜けそうになった。
 自分の選んだ選択だったが、もしかしたら打っていても良かったかもしれないと再度後悔に苛まれる。
 しかし、心が揺れては勝てるものも勝てない。このサーブのアウトは自分に風が吹いてきている証拠だと姫川は思うことにした。
 ラケットでシャトルをすくい取り、羽を整えようとすると、一枚羽が完全に折れてなくなっていた。姫川が立っていた足元を見ると自分の持っているシャトルについていたであろう羽が落ちていた。

「すいません」

 シャトルを掲げてアピールすると、審判は新しいシャトルを姫川へと渡してきた。同時に線審が傍に置いてあったモップで姫川や御堂の周りにある羽の残骸を拭き取る。暫定ではあるが綺麗になったコートで、再びマッチポイントをかけてシャトルをもった。

(最後の一本……じゃなくて、次の一本)

 無駄に気負わないためにラストではなく十二点目と考える。自分にのしかかるプレッシャーを少しでも緩和させるために、姫川は再度吼えてロングサーブを打った。今度は一目見てもコート内に収まると分かる軌道と高さ。そして飛距離は御堂がほとんど動かないまま真下に入れるくらいだ。
 何か感じるものがあったのか、御堂はストレートのハイクリアでシャトルを飛ばした。姫川はカットドロップの体勢に入り、すぐにストレートのドロップに切り替える。これまで何度か試して御堂の混乱を招いたショットだったが、今回はタイムロスなしにシャトルへと追いつかれた。ヘアピンを打たれたもののロブを返してコート中央に立てば、また御堂の連続した打ち込みが始まる。
 どんなコースに返しても、とにかく姫川のところへと打ち込んでくる姿に姫川も驚きを通り越して呆れた。読まれているということを悟っていてもとにかく同じように打ち続けることが相手の防御を抜ける道だと愚直に信じているように。
 その執念には姫川も耐えられなかった。
 完全に捕らえたと思っていたシャトルが後方へと飛んでいき、再び姫川はサーブ権を失った。

「サービスオーバー。イレブンオール(11対11」

 コートに落ちているシャトルを見て、姫川は頭を振って忘れる。ミスは取り消しできない。まだ、上書きをするチャンスがあるならばそこに賭ける。

(このゲームが取られても……ファイナルが……いや、そんなこと考えるな!)

 脇にラケットを挟んでから姫川は両手で頬を張る。乾いた音の後には両頬からひりひりと痛みが伝わってくる。しかし、目覚めにはちょうどよかったようで頭の中がすっきりとした。
 落ちたシャトルを拾い上げ、羽部分に問題ないことを確認してから御堂に渡す。御堂は姫川がレシーブの体勢をとったところですぐに打ち上げた。逸る気持ちを抑えきれない行為でも、姫川もタイミングは分かっている。シャトルは前回と同じように飛び、ぎりぎりアウトになるような軌道を落ちていく。

「やっ!」

 だが、今度は迷わずに姫川はスマッシュをストレートに打ち込んだ。ライン際というコントロールが難しい場所を狙っての一打。それまでコントロールに自信がないためにより内側で打っていたスマッシュだったが、最後の、しかもアウトになれば負けるという展開で打ち抜く。御堂も読んではいたものの、今までよりももう半歩踏み込まなければ打ち返せないシャトルに対して、ラケットはその半歩分ずれて上手く跳ねかえらず、御堂のコートへと沈んでしまった。

「サービスオーバー。イレブンオール(11対11)」

 またしてもサービスオーバー。
 互いに首元にナイフを突きつけていても決定打を欠いて突くことができない。ミスをすれば負けるという状況の中で姫川はついにポーカーフェイスを崩してしまった。汗が流れ、空気を取り入れるために口を大きく開けて吸っている。膝の上に置いている両腕は震えており、ファイナルゲームの続行は不可能に近いくらい体力を削られてしまっていた。
 御堂も肩で息をしていたが、うつぶせになっている姫川を見下ろすのはまだ余裕がある。
 しかし、顔をあげて見下ろしている御堂の顔を見てから、姫川は笑顔を作っていた。作り笑いではなく心の底からの笑顔。胸の内からこみ上げてくる気持ちを素直に表現したら、自然とほころんでいた。

(楽しい。こんなに疲れて、楽しいのは久しぶりだった)

 シャトルを持ってサーブ体勢を取ると、御堂はこれまでの顔と異なって困惑していた。姫川がこの場面で笑うことの意味が分からないのだろう。

(自分は楽しくて笑うのに、ね)

 それはあまりにも気軽で、リラックスした先に放つサーブだった。お互いが体勢を整えて、いつ打っても文句は言われないタイミング。
 それまで御堂も行っていた、すぐさまサーブを打つ方法。姫川もまた、相手の準備が整ったところでラケットを振っていた。
 自分自身でさえも、サーブを打つつもりがないようなタイミングで。
 決勝戦のファーストゲーム。セカンドゲームを通してだけではなく、これまで全道や全国大会で経験してきた試合が自分の中から溢れた時、楽しかったと思えたのだ。チームの一員として勝つために頑張ってきた先にあった決勝戦。
 そして、ラスト一点という状況。
 腕も脳も自然と力が抜けていた。

「あ――」

 御堂が口を開いて致命的な悲鳴を上げかける。シャトルが飛んでくるのを硬直したままで見送ろうとしている自分を動かそうと、悲鳴を押し殺していた。その効果があったのか体は動き、サーブライン上に落ちようとするシャトルをすくいあげた。
 だが、斜線上には姫川のラケットがある。

「だっ!!」

 姫川はシャトルを見ていなかった。ただ、この位置に返ってくるはずだという予測の下でラケットを掲げただけ。予想通りにシャトルはラケットに跳ね返り、御堂の傍へと落ちていく。
 この時初めて、姫川は顔をあげて御堂の次の手を予測する。
 予選や全道大会ならばこれで終わっているかもしれない。だが、御堂がシャトルを拾い、打ってくると自然と信じられた。ここまで試合をこなしてきて、彼女の力が分かっているからこその信頼だ。
 着地してから今度もシャトルの飛んだ方向を見ずに、姫川はラケットを左側に伸ばして足を蹴った。
 突きだした先に見えてくるシャトル。ゆっくりと感じられる時間の中、ラケット面がシャトルに触れさせてネットスレスレのヘアピンとして返し、落ちていくのと一緒に姫川はその場に崩れ落ち、倒れた。
 大きな音と共に悲鳴が上がる。コートの外から姫川を呼ぶ声が聞こえたが、倒れた衝撃で頭がくらくらする姫川は額を押さえながら呻く。

「……痛った……」

 床にぶつけた部分をさすっていたが、シャトルがどうなったのかを思い出して探してみる。
 目当てのシャトルはすぐに見つかった。御堂の側のコートのネットの下に転がっていた。

「――ポイント」

 審判が控えめにカウントする。姫川の容態を心配していたが、無事に起き上がったのを見たからだろう。一言ずつ噛みしめるように言う。

「トゥエルブイレブン(12対11)。マッチウォンバイ、姫川。南北海道」

 審判の後に歓喜の声を出したのは南北海道チームの面々だった。
 その中でも、小島と早坂が特に大きく。その後に武が吼えている。それを最初は他人事のように見ていた姫川だったが、勝ったのが自分だと思いだすとゆっくりと立ち上がる。
 頭を打った後遺症というわけでもないだろうが、それまで必死に動き回っていたことから解放されたとたんに体の節々が悲鳴を上げる。だが、もう少し耐えようと決めて深く息を吐いた。
 同時に、ネットを挟んだ前に御堂が現れる。

「楽しかったよ。ありがとう。負けちゃって、悔しい」
「あんまり悔しそうじゃないよね」
「うん。私は悔しいけど、仲間が勝ってくれるから。だから私は楽しく打てるんだ」

 御堂の言葉にあるのは仲間への全幅の信頼。それが試合の間の天真爛漫さに繋がっている。それは、自分の中にもあった思い。小島や武、吉田。早坂や瀬名がいれば自分がもしも負けても勝ってくれると。

「私も。なんか仲良くできそうだよね」
「試合終わったらメルアド交換しよー」

 ネットの上から掴んだ掌は熱く、震えていた。笑顔を浮かべていても、体は正直に悔しさを表現している。それでも姫川はその点は追及せずに手を離した。それだけで倒れそうになるほど体力を消耗したため、早く座りたかったのだ。

(これだけ疲れたの……学年別の時以来?)

 全国での闘いもここまで振り絞ったのは初めてだった。そして、振り絞って、勝てたこと。自分がこれまでの試合を通して成長した結果だと思うと嬉しくなり、口元が緩む。

「またやろうねー、詠美ちゃん」
「……いきなり呼び捨てしないでよね、御堂」
「七星でいいよー」

 すっかり気を許して、御堂は手を振ってコートをから去って行った。姫川も次の試合に備えてコートから出て自分の居場所へと戻る。
 仲間達が待っている場所へ。

(ようやく……休めるなぁ)

 迎える仲間達の声に囲まれながらも姫川は気だるさと眠気に襲われて、倒れそうになるのを堪えるのに必死になっていた。

 全国バドミントン選手権大会団体戦決勝第二試合。
 女子シングルス。姫川詠美勝利。
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