Fly Up! 340

モドル | ススム | モクジ
 シャトルが静かにコートに落ちる音を聞いて、吉田はほっと息を吐く。
 自分の体内に溜まった熱が吐息と共に外へと漏れて、想定以上に疲れていると分かる。準決勝を戦ったとはいえ、余力は十分あると思っていたが、疲労が溜まる速度が上がっていた。小島と同様にダブルスのエースとして他のチームに存在感を示してきた吉田と武。それだけに、自分の気付かない間に疲労がたまっていたのかもしれない。

(でも、疲れるだけのことはしているからな)

 スコアを横目で見る。8−4で吉田と安西のリード。
 サーブ権はセカンドサーブだが、まだ自分達の手にあった。ファーストゲームの序盤からヘアピン合戦で星相手に勝利を重ねた分だけ、リードを保っている。
 吉田としては山本の攻めを引き出してプレイの性質を把握しようと思っていたのだが、中盤を過ぎようとしている今になっても特に手を出してこない。後方に上がったシャトルをスマッシュやドロップで打ち込んでくるも、攻める合間のフェイント程度にしか使ってこないため、ほとんどの攻撃を星が担っている。吉田は前衛に出て一歩も引かずにヘアピンを打っていき、負けた星がロブをあげて飛んできたシャトルを安西がスマッシュで打ち込み、山本がネット前に返す、というサイクルがしばらく繰り返される。

(何もしてこないってのは……不気味だが)

 吉田は一度考えを止めて息を吐く。サーブ姿勢を取ってシャトルをバックハンドに構えたラケット面につけると、軽く打ってネットを越えさせる。これまでとほとんど変わらないように外から見えても、星にとっては打てるシャトルだったのかプッシュで力強く叩きつけてくる。後ろにいた安西がラケットを伸ばしてもシャトルに追いつくには半歩足りない。結果、シャトルは高く飛んでしまい、星はスマッシュを吉田がいない方向へと正確に叩きこんでいた。

「サービスオーバー。フォーエイト(4対8)」

 サービスオーバーを取っても星は拳を握るだけで大きく吼えもしない。
 感情を表に出すタイプではないと分かったが、それだけに次に何を仕掛けてくるのか読みづらい。だが、明らかに読みやすい行動をいた上でフェイントをかけてくる相手よりは想像しやすかった。
 さらに、吉田には星が誰に似ているのか何となくではあるが想像がついていた。

(そうだ。星のプレイ……あと、雰囲気。林に似てるんだ)

 小学校からの友人で、中学からはバドミントン部の仲間となった林勇馬。
 今は地元で部活をしているはずだった。初心者ながらゆっくりと成長し、武や吉田も感心する威力のドライブを打ったり、ネット前の動きをする。星のプレイは、林に重なるのだ。

(体型も似てるしな。別に驚くほどじゃない……でも……)

 林と似ているからこそ、違う部分も感じ取れる。全体的にレベルが高い他に、まだ武器を隠し持っている気配。吉田はラケットを掲げて気を引き締めると星のサーブを待つ。

「一本」

 星はぼそっと呟いてショートサーブを打ってきた。ネットの上をするりと抜けてくるシャトルに吉田はプッシュで星の頭上を抜けて飛ばす。
 これまでよりも際どいシャトルの軌道に上げざるを得なかった部分はあるが、タイミングをずらしてラケットを掲げられない場所へと打ち込んだつもりだった。
 だが、吉田の眼にはシャトルへとラケットを伸ばす星の姿が見えていた。
 上半身を思い切り仰け反らせ、後ろへと倒れ込むようにして星はシャトルをとらえた。本来なら打ち抜かれるはずがないシャトルが弾丸のごとく空間を突き抜けていく。吉田はあまりのことに、顔面に当たるのを防ぐために躱すことしかできなかった。上体を屈ませながらも視線は星の動きを追っている。後ろへ倒れた星はしかし、停滞なく後方に回転して立ち上がるとすぐに前に出た。身のこなしの素早さは想定以上。吉田は警告の意味を込めて安西の名前を呼んでいた。

「安西!」
「おらあ!」

 警告の意味を理解したのかしなかったのか。
 同時に打ち込まれたシャトルはドライブ気味にまっすぐに飛んでいく。ちょうど屈んだ吉田の頭上を越えて。コースがストレートなのは倒れた星に向けて打ち込んだつもりだったのだろうが、既に前衛に飛び込んでいた星はラケット面を立ててシャトルを吉田の背後へと叩き落としていた。

「……ポ、ポイント。ファイブエイト(5対8)。大丈夫ですか?」
「すいません。大丈夫です」

 審判が気にかける声に星は冷静に答える。体をひねり、首を左右に倒しても特に問題ないことをアピールする。
 実際に問題ないのだろう。あくまでパフォーマンスであり吉田の目から見て、明らかに狙った動作。いつでもできる動作だ。

(まさか、あんなアクロバティックなやつだとはな……)

 見た目や雰囲気が林に似ているということがブラインドになって気付かなかった。違和感はあっても、その違いがここまで違うと吉田は苦笑いするしかない。林のような忠実なドライブを打つかと思いきや、セオリーを無視した動きで相手を撹乱してくる。今回のラリーに限って言えば、完全に飲まれていた。

「すまん、吉田」
「ん? いや。してやられたって感じだよ」

 星と山本から視線を外して振り返ると安西が申し訳なさそうに顔を歪めていた。
 本来ならば体勢を崩した相手に向かってシャトルを打つのは正しい。よく見ていれば体勢を立て直したことが分かるかもしれないが、星からの返球はその余裕を与えないほどの速さと低さだった。安西の視界が狭まるのを見越して打ったとすれば、作戦は成功している。

(そうだ。そう、見越して打ってきた、と考えるほうがいい)

 せっかく予想をするなら悪いほうへ。もし偶然なら気にしなくてもいいかもしれないが、狙い通りだとしたらこれからも同じような場面が増えてくる。

「あいつがあんな動きをこれからもやってくるとしたら。迂闊にスマッシュやドライブができないかもしれない」
「……どういうことだ?」
「見れば分かるかもな。ひとまず続けるぞ。攻めるのは変わらないけど、同点までは取られても諦めよう。見極めるぞ」

 今は持っている点差を使って分析する。どんな展開になろうとも最後の点を取ればいい。
 言葉の外に緊張感を持たせて安西に静かに言うと、吉田の気持ちが伝わったのか身体を震わせた。
 これからサーブを受ける安西に向けて、少しでも相手の力を見極めるためにと告げる。同点まで、と言ったのは力を見せ始めた相手のプレッシャーに飲まれないようにするためだったが、伝わるかどうかは不安だった。だが、少しの時間でも相手から意識をそらしたくないという思いが詳しく話すことを拒む。
 安西はサーブ位置についてラケットを高く掲げた。
 その身体から噴き出す闘志が後ろに腰を落とした吉田にも伝わってくる。
 無論、ネットを挟んだ向かいにいる相手にもだろう。

「一本」

 星が少しだけ大きく声を出してショートサーブを放つ。安西は最初からプッシュをする気がなかったのか落ちていくシャトルをしっかりとロブで上げる。そのシャトルのコースに星がラケットを滑り込ませようとしてきたが、届かずにシャトルは奥へと飛んでいた。即座にサイドバイサイドの陣形を取る吉田と安西。吉田は内心でほっとする。

(届かなくて良かったけど……明らかにインターセプトを狙ってる)

 積極的に前衛で来たシャトルを落とそうとする。その動作はいくら届かなくてもシャトルを打ち返している側にとってはプレッシャーになる。インターセプトの恐怖にロブを上げることしかできなくなり、自然と相手がスマッシュやフェイントのドロップを打ちやすい土壌を作りだしてしまうのだ。
 吉田は山本のスマッシュをバックハンドで返す時に、覚悟を決めてドライブで右サイドを打ち抜く。

「でやっ!」

 まるで弾丸のように飛び込んできた星のラケットが勢いづいたシャトルを打ち返し、吉田の胸部に吸い込まれたのは打ち終わって体勢を戻そうとしたその瞬間だった。

「ポイント。シックスエイト(6対8)」

 審判の声を右から左に聞き流しつつ、吉田は自分が受け止めたシャトルがコートに落ちる前に左手で受け止めて、ほころびた羽を指で丁寧に整えると、自分の中に渦巻く動揺もまた徐々に治まっていく。
 反応速度が自分と同じかそれ以上。西村に匹敵するのではないかと思えるほど、星は素早くネット前を移動してきた。実際にそうかを考えるには材料が足りず、また意味もない。問題なのは、スマッシュをドライブで返すという、これ以上ないほど難しいカウンターへとラケットを完璧に合わされたという事実。先ほどと同じようにまぐれならばいいが、狙っているのなら星のラケットが届く範囲にシャトルを打つことは危険になる。

(二度あることは三度ある、か? 分からない。やってみるしかない)

 シャトルを返してからサーブ位置につく。星に向かい合い、声を上げる前にショートサーブでシャトルが運ばれた。タイミングを微妙に外されながらも吉田はヘアピンでコートの端へとシャトルを運ぶ。星がスライドしてラケットを伸ばし、シャトルを現在の位置から真逆の方向に打ち返した。完全なるクロスヘアピン。余りに切れ味に吉田も追いつくのがやっとだったが、前のめりになりながらも出したラケットが届き、プッシュを叩きこめた。

「しゃあ!」

 星の打つ軌道を完全に読み切ってプッシュを打ち込む。立ち上がってから吉田はひとつ前に考えた星の動きへと答えを保留にする。

(星の反射神経が鋭いってのは保留だ。確かに前衛として磨かれているかもしれないが、今の俺みたいに読んでる可能性もある)

 ダブルスとしての経験値。星の中にどれだけあるかは分からない。だからこそ、考えずに見たままの情報で判断するしかない。吉田は安西に向けて頷く。安西も吉田が言いたいことは分かったのか、ラケットを軽く振って応えた。

「ストップ」
「おう」

 次のサーブは山本から安西へ。後方に下がり腰を落とした吉田は山本と安西の闘志の鍔迫り合いと同時に星の姿を視界に収める。山本がセカンドサーブを打つ間は後ろに位置している。だが、おそらくはシャトルを山本が打った瞬間に入れ替わるはずだ。吉田の予想が正しいとは、すぐ後に答えが出る。

「一本!」
「ストップ!」

 山本のショートサーブに食らいつく安西は、ラケット面を立てて無理せずヘアピンで落とす。白帯を越えたシャトルに押しつけるようにラケット面を出して、触れさせるとシャトルは一瞬だけ跳ねて星達のコートへと落ちていく。だが、次の瞬間には山本と前後を入れ替えた星が強襲し、ヘアピンで安西から離れるようにシャトルを運ぶ。安西は横にスライドしてラケットを伸ばし、再びヘアピンを打ったが相手コートのエリアにシャトルが入った瞬間に星のプッシュが安西の防御を貫いた。

「はっ!」

 シャトルの軌道にラケットを滑り込ませてドライブで空間を切り裂く。
 狙いは空いているスペース。だが、もうひとつ、星が追い付けるかどうかという点の確認。
 星がいたのは安西の目の前であり、コートの左端だ。そこから中央に打ち込まれたシャトルを吉田は斜めに打ち、左サイドに行くように打った。シャトルがネットを越える頃にはほぼ相手から見て右側のほうへと向かうことになる。このシャトルに星が追い付くことができるのか確認できれば、ポイントを与えてもいいと思っていた。

「だっ!」

 星は気合いの声を上げながらラケットを差し出し、シャトル目掛けて突進する。そして、シャトルはラケットに触れずに後方へと飛んで行った。既に後ろでカバーに入っていた山本はすんなりシャトルを拾うと、星の身体をブラインドにして同じようにクロスで打ち返す。
 角度がついたシャトルに、星の身体で隠れたタイミング。
 二つが重なって、安西は厳しいところに打つのを断念してロブを上げた。

「ナイス!」

 一言で安西を労い、同時に左右に広がって防御姿勢を取る。ラリーを一度止めて体勢を立て直すのは間違っていない。山本がシャトルに追いつき、安西に向けてスマッシュを打ってきたが、またロブを上げて応戦していく。三度、四度とスマッシュを打ち返しても山本は狂った機械のように安西を狙い続ける。

(安西を先に狙い撃ちにしてきたか)

 吉田は常にシャトルが来ることを警戒しつつ、安西を信じるしかない。
 だが、スマッシュを打ちこまれるたびに安西のロブが微妙にだが安定性を欠いていることにも気づいていた。山本のスマッシュは特に速くもなく角度もなかった。だが、連続して打たれる度に威力が徐々に増し、角度も変わっていっているように見える。おそらくは意図的に変えて打ち返すタイミングを微妙に逸らそういうのだろう。策略は見事にはまり、やがて安西はロブをミスして中途半端なシャトルを上げてしまった。

「よし!」

 前衛にいた星がコートの中央付近まで下がり、飛び上がってスマッシュを打つ。
 ジャンピングスマッシュとは言い難いが、それでも威力と角度がついて安西は左足の太ももにシャトルが当たるのを躱せなかった。
 痛みに顔をしかめつつも無言でシャトルを拾い上げる安西の息は、外から見ても荒い。
 集中的に狙われて、ただロブを上げることしかできなかったという状況は体力と精神力を一気に消費させる。
 安西は羽を整えようとして致命的に折れている部分があるのを見つけ、審判に換えるように要求してからコートの外に放り投げると自分のレシーブ位置へと戻った。

「ストップ」
「ああ」

 吉田と近づいても一言だけで通り過ぎる。安西なりに体力を少しでも回復させるために無駄な会話を避けるつもりだろうと思い、吉田もそれ以上は言わない。

(でも、ここはお前の力で乗り切るしかない)

 点差が一点差になり、おそらくは最初のボーダーライン。ファーストゲームを戦う上で同点までは許したものの、追いつかれ方が悪いと一気に持って行かれる可能性がある。山本の視線が自分を向き、サーブ位置に立って身構える。
 ネットの網を越えてやってくる山本のプレッシャー。それだけではなく、後方に控える星もまた、いつでもインターセプトを狙ってシャトルを撃ち落とすという気迫を見せていた。

(星を何とか抑えるしかない。そのためには……)

 ラケットを掲げてショートサーブをロングに打ち返す。するとすぐに安西へとスマッシュが打ち込まれた。ひとつ前のラリーと同じようにロブを上げる安西だったが、山本は焼き増しのように安西へとシャトルを集中させていく。余裕があるうちは左右に打ち分けるということをしていても、やがては打ち返すことだけしかできなくなり、最後に押し切られる。

「はあっ!」

 山本が吼えつつ打ったシャトルは安西のラケットが振るわれるより早くコートへと落ちていた。

「ポイント。エイトオール(8対8)」

 同点をなった審判の言葉がすぅっと自分の体内に入り込んで悪寒を走らせて、吉田は身体を震わせた。
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