Fly Up! 337

モドル | ススム | モクジ
 シャトルが自分の右脇腹を狙って飛び込んでくるのを姫川はオーバーアクションで躱してスペースを作り、ラケットをサイドストロークで振りぬいた。シャトルはドライブ気味に相手コートへと返り、御堂は同じようにサイドストロークでカウンターのドライブを打ってくる。当然のごとく姫川の真正面へとシャトルは飛ぶ。低く身構えていたために顔面へと向かってきたシャトルを、姫川はラケットを立てながら前進して前に弾き返す。シャトルはネットの白帯に当たり、くるりと回転して落下していった。
 しかし、御堂は躊躇なくお構いなしにラケットを突き出してネットにぶつけてしまった。

「ポイント。セブンオール(7対7)」
「よし!」
「ありゃあ」

 ネットを挟んで互いに正反対の気配を出す。
 姫川は息を切らせながら気合いを押し出し、御堂は肩を軽く上下させながら落胆する。両者の間でどちらが落ちたシャトルを取るかという一瞬の鍔迫り合いが起きた後、御堂が先に動いてラケットでシャトルを拾った。羽を整えてから姫川に渡して「ナイスショット」と呟いて笑う。

「ありがと」

 姫川も誉められた事は素直に認めて頷く。
 他の相手ならば牽制の意味を込めて言うのかもしれないが、こと御堂に対しては当てはまらないとこれまでの試合の中で理解している。御堂は素直に試合を楽しみ、姫川に負けないという気持ちを全面に出し、それでもナイスプレーには賞賛を与えてくる。執拗なまでのボディアタックも性格が悪いというよりは勝つために狙うところへ打っているだけだと肌で感じ取った。
 シャトルには負の感情はなく、純粋に試合を楽しんで、勝ちたいという思いが乗っている。

(私やゆっきーや瀬名っちも。そこは同じなんだけど……役得かなぁ)

 荒れた息を整えながらサーブ位置へと戻る間に思考をまとめる。サーブ権を得た直後に同点に追いつけたのは姫川にとってはプラスだ。序盤からシーソーゲームで得点を互いに分け合ってきたが、そろそろ一歩リードしなければいけない。奇しくも、ファーストゲームで勝負が動いた点数とほぼ同じ。自分の体力とも相談して、賭けに出る必要があった。

(ファーストゲーム以上に体力使って……だいぶなくなってきてるし。微妙なコントロールつけるには、ここしかないかな)

 姫川は御堂からのショットを取るために、これまで以上に動く覚悟を決めた。読み負けたならその隙を補うための速度を出す。それは早坂と学年別大会で試合をした時の戦法に似ていた。
 全力で拾いに行けば御堂のプレイから読めなくてもシャトルを追えるが、その分だけ体力を消費しまう。ファーストゲームを終えてからの体力を考えると、ファイナルに持ち込まれた場合は途中で力尽きるだろうと思っていた。

(セカンドゲームで、決めよう)

 姫川は決死の覚悟で動き回り、結果としてイーブンまで持ち込んだ。ただ、それでもイーブンにしか持ち込めないほどの実力を御堂は持っている。
 早坂ほどではない。
 おそらく、君長凛や有宮小夜子にも届かない。
 それでも今の自分よりは、強い。

(ここで、カットドロップを打つしかない)

 もう一つの覚悟。攻めにもう一つパターンを加えること。
 早坂が得意とするドロップショットの一つであり、通常のドロップよりもシャトルが速さを保ったまま急角度で落ちていく。練習で成功率が低い技を本番に持っていくのは勇気が必要だった。
 こう着状態を打破するための賭けに、姫川は乗った。

「一本!」

 自分を鼓舞するように吼えてシャトルをロングサーブで飛ばす。御堂は落下点から飛びあがって、スマッシュを放った。手足の長さとジャンプしたことからほとんどジャンピングスマッシュのように、高い打点と急角度、そして速度を伴ってシャトルが飛んでくる。しかも、軌道は腰を低く身構えた自分の顔面だ。
 姫川は急きょ、バックハンドで持ち替えてコート奥へと飛ばす。シャトルはスマッシュの威力も手伝ってカウンターとなり、御堂は右から左へとコートを突っ切っていくとハイクリアを飛ばした。ストレートのハイクリアはドロップを打つには手ごろなシャトルだったが、あいにくバックハンド側で姫川にはカットドロップは打てない。

(何とか、右側に打ってもらわないと)

 左奥へと飛んできたシャトルを右奥へと打ち返す。そのままストレートで打ち返してくれれば、姫川がカットドロップを打てる条件が整う。
 しかし、御堂はストレートのスマッシュをライン際に叩きこみ、姫川はそれをロブで打ち返す。何度もストレートで右奥に打っても、御堂はストレートのスマッシュしか打ってこない。スマッシュとロブの応酬は姫川の精神力を削っていく。

(まさか、カットドロップを読んでるの? それとも何かは分からないけど感じ取ってる?)

 姫川は方向を変えて、スマッシュをヘアピンで返す。しかし、急な路線変更はラリーのリズムを狂わせる。姫川が打ったシャトルはネットに阻まれてコートに落ちてしまった。

「サービスオーバー。セブンオール(7対7)」

 御堂は「らっきー」と言いながらネット前に走り寄ってシャトルを自分から拾う。
 サーブ位置に戻る間も軽くステップを踏みながら進んでいて、疲れが目に見えなかった。対して姫川はラリーを終えた後の息切れがひどくなってきている。

(カットドロップにこだわってたら、負ける……やっぱり押し切るしか、ないの?)

 御堂のサーブ体勢に合わせて姫川も身構える。シャトルはすぐにロングサーブで飛ばされて、姫川はストレートのハイクリアで打ち返した。御堂は、今度は逆サイドの奥へと打ってくる。
 すなわち、コート右奥。姫川のカットドロップ打つ条件に重なる場所へと。

(来た!)

 高速移動でシャトルの真下まで来た姫川は大きく振りかぶって左手を上げた。御堂のいる場所はひとまず見ない。カットドロップを打って斜め前に突進すれば自然と視界に飛び込んでくるはずで、シャトルを打つことだけに意識を集中していった。
 ラケットが振りきられ、通常シャトルを当てる面を斜めにすることでスライスさせる。
 斜め前方向へと打つカットドロップは、打つ瞬間に力を抜く通常のドロップよりも腕の振りを犠牲にせずにシャトルを放てる。そして相手から見ればまっすぐ振っているのに斜めに打たれるためフェイントにもなる。だが、コントロールが難しく、失敗すれば掠った音が鳴ってその場に落ちるだけ。
 姫川は試合の間で使ったことがなく、練習でも早坂を真似て打ってみてもほとんど成功しなかった。

「はっ!」

 気合いを入れれば届くということではないが、それでも渾身の力を込めてラケットを振り切る。ぱすん、という気の抜けた音と共にシャトルは斜め左前方へと飛んで行った。姫川は打った直後に斜め前に突進し、シャトルの行く末と御堂の動きを確認する。御堂ならばシャトルを拾うことは分かる。だからこそ、次を狙った。
 だが、シャトルは白帯の数センチ下に当たって姫川側のコートに落ちてしまった。

「ポイント。エイトセブン(8対7)」
「らっきーです!」

 ちょうど追いついた御堂はそう言ってすぐにシャトルをネットの下から取った。そして羽を整えようとしたが顔をしかめて審判に見せる。
 羽のうち一つは半ばから折れており、修復はできそうになかった。

(そっか。カットドロップ打って、羽が折れて軌道が変わったんだ)

 自分のカットドロップが失敗したわけではない。ただ、運が悪く羽が壊れてしまった。ならば、次はと身構えると御堂は即座にショートサーブを打ってきた。姫川は前に出てストレートにロブを飛ばしたが、姫川はすぐにボディ狙いのスマッシュを放つ。バックハンドで弾き返したものの、次以降も烈火の如く姫川の胸部へとシャトルを打ってきた。
 ハイクリアなどあげずに、執拗なまでのボディアタック。リズムを変えようとヘアピンを打ってもヘアピンを返され、際どさにしょうがなくロブを打ち上げればまたスマッシュ。
 新品だったシャトルの羽が徐々に失われていくのを姫川は感じる。苛烈な攻めの中にカットドロップへの警戒心が見え隠れしていた。

(耐えるしかない……絶対チャンスは来る!)

 取りづらいところへと打ってこようとも、打ち返せてはいる。
 チャンスがあれば全身を一気に横にスライドさせて返すなど、不利な体勢を有利に持って行ける。
 シャトルを打ち、ヘアピンを重ねていると遂に御堂も右奥へとロブを上げた。全力の攻撃で決めきれなかったことで、ロブを打つコースが選べなくなっている。御堂の側から緊張が伝わってきて、姫川はチャンスとラケットを振りかぶった。
 二度目のカットドロップ。ラリーによって削られたとはいえ、シャトルはまだ新品。一回のショットでおかしくなることはないはず。

「いっけ!」

 ラケットは思い切り振りきり、シャトルはラケット面でカットされる。鋭い音を出してシャトルは斜め前に切れ込むように落ちていき。
 白帯に当たって返っていた。

「ポイント。ナインセブン(9対7)」
「らっきー!!」

 御堂は嬉しそうに吼えてシャトルを拾う。逆に姫川は両膝に手をつけて俯いてしまった。
 絶好のシャトルをネットに引っかけた。カットドロップにこだわらずにスマッシュや普通のドロップを打っていれば入ったかもしれない。
 後悔が頭をよぎり、体から力が抜けていく。
 これまで体力の消費を精神力でカバーしていた分、崩壊を始めてしまった。

(駄目なの? これだと、ファイナルも……)

 思考が黒く染まり、必要以上に体力が削られる。諦めが姫川の頭を支配しかけたその時だった。

「前を向けよ、姫川!」
「諦めないで!」

 声に反応して顔を上げると、小島が拳を握って震わせている。まるで離れた姫川へと拳で殴りつけたかのように。その隣では早坂が同じように声援を送ってきていた。

「いい感じだよ! あと一息で打てる! 私をイメージして!」

 カットドロップのことを言っているのだとすぐに分かった。
 白帯の下から白帯。確かに相手のコートへは徐々に近づいている。しかし、人間の打つシャトルが理論通りに進むとは限らない。

(そっか。理論通りに進むとは、限らないんだ)

 人間は機械ではない。御堂も試合の中で変わってきていた。なら、自分も変えていくしかない。そのためにカットドロップを打ったのだから。

「一本!」

 早くレシーブ位置につけと知らせるように御堂がシャトルを持ってサーブ姿勢を取る。
 姫川はその場で屈伸運動を何度か行ってから最後に髪の毛をかきあげた。汗の粒が掌につき、ユニフォームになすりつける。自分の体の状態を確認すると、まだもう少し動けた。
 気分が落ち込んでいると体感以上に厳しく思えたのに、自信が戻ってくる。

「ストップ!」

 姫川の声に呼応して、御堂はショートサーブ打った。
 ロブを高く上げてインターセプトを躱してから、姫川はコート中央から左寄りに構える。右側を開けてあからさまに誘いをかけるが、これは御堂に通じるとは思っていない。御堂は相手の居場所などほとんど見ないで自分で感じたところに打つのだから。
 この場合の自分の居場所。それは、左ストレート。

「やあっ!!」

 ストレートに放たれたシャトル。自分の胸元に迫るシャトルを、右腕を突き出して手首だけでコントロールし、右ネット前へと落としていく。シャトルは白帯を越えて落ちようとしたが、すぐに御堂が拾って右奥へと返す。
 三度、カットドロップの位置。早坂の打つ姿をイメージして、そこに自分を重ねた。ラケットを振りかぶり、シャトルを頭上よりもう少しだけ前で捕らえて、放つ。
 御堂が斜め左前に動いたのを見て、姫川は迷わずに打った。
 ストレートのドロップを。

「ぅきゃ!?」

 自分が踏み込んだ方向と逆に飛んできたシャトルを見て方向転換しようとした御堂は、足を絡ませて転んでしまった。その間にシャトルは御堂のコートへとゆったり落ちていく。御堂が転んだ音が響いた後だけに、床にシャトルコックがついた音はどこか静謐に姫川には思えた。

「サービスオーバー。セブンナイン(7対9)」
「ナイスショット!」
「いいよー!」

 仲間達の声の中で特に小島と早坂の声が届く。
 全国大会の序盤で調子が出ずにふさぎこんでいた早坂と、決勝で強い相手に倒されて落ち込んでいた小島。
 二人で肩を並べで自分を応援してくれているという光景に、姫川はほっとして、涙腺が緩んだ。

(こんな光景を見られるんだよね……)

 汗と一緒に少しだけ出た涙をぬぐい、姫川は頷く。勝って、あの場所に戻りたいという気持ちを強くしてサーブ位置につく。
 御堂はシャトルを拾って何度か上空に打ち上げた後に、姫川へと渡した。
 羽の状態を確かめて、姫川は改めて吼える。

「一本!」
『ストップでーす!!』

 姫川のコート外にいる北北海道の選手達が御堂の代弁のように声をぶつけてくる。しかし、姫川は圧力を跳ね返し、ロングサーブを打った。
 シャトルは綺麗な弧を描いて御堂のコートへと落ちていく。姫川自身が驚くほどの美しいサーブ。脳内で描かれる理想に最も近い軌道。御堂は変わらずに姫川の顔面に向けてスマッシュを放ってきたが、逆に姫川は前に飛び込んでネットとの距離をゼロにすると、スマッシュの威力をラケット面で完全に殺し、ネット前に落としていた。打った直後に前に飛び出すタイミングが素早かったため、御堂はスマッシュを打ってから二歩ほど進んだ位置で止まってしまった。

「ポイント。エイトナイン(8対9)」
「しゃあ!」

 姫川は気合を御堂に叩きつける。これまでの緩んだ顔が驚愕と、焦りに染まっていく様を見ながら姫川はシャトルをネットの下からラケットで引きずって取る。

(必ず、取る)

 体力も精神力も、自分の全てをセカンドゲーム奪取に向けて注ぎ込むために姫川は歩きだす。サーブ位置について身構えると呆然と立っていた御堂も慌ててレシーブ位置についた。
 ラケットを掲げて身構えたところで、姫川は脱力してショートサーブを放つ。落ちたシャトルを拾って相手に返すくらいの軽さだったが、シャトルはしっかりと前方のサービスライン上に向かう。
 狙ったわけではなく、完全に虚を突くためのショットだったが、軌道に上手く乗ったことで手足の長い御堂の「内側」へと綺麗に入った。

「きゃわ!?」

 おかしな悲鳴をあげて御堂はラケットを振ったものの、シャトルに触れることはできなかった。シャトルは御堂のラケットを素通りしてライン上へと落ち、審判は9対9とスコアが並んだことを宣言する。
 自分の失態にため息をついた御堂はしかし、すぐに笑顔でセティングを告げた。

「あと三点。たのしんでこーね? まだ続けたいから負けないよ?」
「……うん。楽しんで、私が勝つ」

 御堂の笑みと言葉に、姫川は自然と口元が綻んでいた。
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