Fly Up! 336

モドル | ススム | モクジ
 御堂がシャトルを追って行き、後方にジャンプしながらラケットを振る。
 姫川の視点からは窮屈そうに見えたが、躊躇なくクロスドロップを放ってきていた。切れ味のあるドロップで逆サイドというのは選択肢として十分有りだが、打った体勢が崩れている中ではもろ刃の剣。
 姫川も反応してシャトルを追う。白帯を過ぎたところでシャトルをプッシュすれば難なくファーストゲームを取れるはずだった。
 しかし、シャトルは白帯にぶつかると跳ねてラケットのフレームにぶつかっていた。

(しまった!)

 プッシュで角度をつけて落とすつもりが中空に跳ねてしまう。御堂は斜めにコートを突っ切って跳ねたシャトルに飛びつくと、ラケットを思いきり振りきってドライブを放った。
 シャトルを打ち返せたのは完全に運。姫川の差し出したラケットにたまたまシャトルがぶつかって大きく返っていた。
 バランスを崩して床に尻もちをついたものの、左手を使った反動で立ち上がり、すぐに腰を落とす。跳ね返ったシャトルもそこまで遠くに飛んだわけではなく、コートの中央付近で御堂がラケットを振りかぶっていた。

(スマッシュ……?)

 早坂に負けない腕のしなりによって、ラケットが前に出てくるのが遅い。タイミングが違ったことで、姫川は一瞬硬直してしまった。御堂はその隙を意図して狙ったようにスマッシュを姫川の胸部へと叩きこむ。

「やっ!」

 胸元に来たシャトルを上半身の力だけでネット前に跳ね返した姫川は、その場で少しだけ真上に飛んだ。
 緊張などの負の呪縛を解除し、リズムを取り戻すための方法。
 効果はすぐに表れて、御堂が追い付いてヘアピンを打ったところへと飛び込む。
 姫川は渾身の力で踏み込んで、ロブと見せかけてヘアピンをストレートに打った。勢いを完全に殺しきれずにネットから離れたが、勢いに押されて後ろに下がった御堂には厳しい距離となる。結局、御堂はロブを上げてラリーを振り出しに戻した。

(ほんと、ラリーが長くなるよね……この人と打ってたら!)

 落下点に入った姫川はストレートにスマッシュを放つ。ライン際とまではいかないが近い所に着弾するコース。御堂がラケットを伸ばしてインターセプトし、ヘアピンで落としてくるのも分かっているため、前に出てクロスのロブを上げる。シャトルを追って左奥に向かった御堂はシャトルの落下点より後ろから飛び、シャトルに食らいつく。

「たあっ!」

 これまで姫川が見た中で最速の腕の振り。
 だが、シャトルは勢いを殺されてネット前へと落ちていく。スマッシュを打つと錯覚させた上でのドロップに硬直した体を強引に前へと押し出して、ラケットを伸ばす。

(届く!)

 イメージの自分と重なっている今なら届く。その通りにラケットはネットを越えたシャトルの下へと入り、ストレートに返る。
 ネット越しの視界に飛び込んでくる御堂の姿と、シャトルが重なった。
 シャトルへと御堂が追い付くのは予想済み。あとはどこに打たれるかだけ。
 予測は最小限に、シャトルが打たれた方向を一瞬で判断して足を踏み出せるように身構える。

「あっ!」

 だが、御堂の声と共にシャトルはネットの白帯に当たって跳ね返ると、御堂の足元へと落ちていった。
 姫川はシャトルが落ちても何が起きたのか把握できず、審判がファーストゲームの終わりを告げたことでようやく自分が勝ったことを悟った。

「ポイント。イレブンエイト(11対8)。チェンジエンド」

 審判の声に従って姫川は内心ほっとしながらコートの外に出た。

(……危なかったのは変わらない……でも……まずは一つ……)

 相手にミスさせて終わったというのも自分の実力の内。
 気分を切り替えて前を向いたところで、仲間達からナイスゲームと何度も声をかけられた。今の勢いでこのまま行くようにとアドバイスされて笑顔で答える姫川に最後は吉田コーチが声をかける。

「姫川。このままでいいが、カットドロップも駆使していけ」
「カットドロップ?」
「お前が早坂のプレイを真似ているのは見ていて分かる。なら、あいつの伝家の宝刀も打つべきだ。今のままだと、いつか捕まるかもしれない」

 吉田コーチの言っていることは理解できた。
 今は通用しているが、御堂もこのまま最後まではいかずに姫川のショットに対応してくるだろう。ファーストゲームの終盤で優位に立てたのは早坂の打ち方を真似した結果、ミスショットをしても相手が勝手にタイミングをずらしてしまったり、想定より速い速度で御堂へとシャトルを突きつけたからだ。
 しかし相手も全国クラスの選手。終盤の展開から誤差を修正してくると考えた方がいい。
 ならば、これまでとは別のショットを織り込みながら攻撃をするしかない。

「カットドロップ……真似したことはありますけど、あんまり決まらないですよ?」
「最初の一回や二回成功できればな……だからお前にとっても諸刃の剣だ。使うかどうかはお前のタイミングに任せる」

 吉田コーチの言葉に頷いて、姫川はコートへと入った。
 セカンドゲームは逆サイドに入り、北北海道の面々の視線に晒される。小島も経験した場所は、ネットを越えてくる対戦相手のプレッシャーの他に相手チームの応援という別のプレッシャーがのしかかる。それでも姫川は胸を張って御堂と対峙すた。
 御堂はラケットのガットを一つ一つ整えながら姫川の準備が整うのを待っていた。なかなか四角が綺麗にならないからか、口を尖らせている。

(ガットかぁ)

 足元のシャトルを取らずに、姫川も自らのラケットのガットをいじり始めた。始めてみると簡単には綺麗にならず、少し考えることが必要だった。だが、コートに入ってもガットをいじっている二人の姿に審判も呆れながら声をかけた。

「二人とも。試合を再開してください」
「あ、ごめんなさいー」
「すみません!」

 試合を忘れていたといわんばかりに緩く謝る御堂と、慌てて謝る姫川との対比。
 姫川はすぐにシャトルを拾い上げてサーブ体勢を取った。

「一本!」
「ストップー」

 姫川の気合に対して御堂はやはり緩く迎え撃つ。シャトルをロングサーブで飛ばして奥に追いやっても、まるで踊りのように軽やかにステップを踏んで真下まで到達し、飛びあがってストレートのハイクリアを返してきた。姫川は御堂の体から光の粒が零れ落ちていくように錯覚する。汗だと冗談めかすくらいでおさめるが、相手の綺麗な動きが必要以上に脳内で返還されている証拠だ。

(相手が綺麗さなら……私は?)

 シャトルの真下に素早く移動する。単純な移動速度なら自分のほうが上だという自信はあるが、次にどう繋げるか迷いがある。シャトルが打ちごろの位置まで落ちていく中で決定できず、クロスのハイクリアで打ち返すに留めた。御堂は真横にスライドして、左腕を掲げて飛び上がった。

(――スマッシュ?)

 姫川は脳内で描かれた軌道に従って右サイドへと移動する。御堂は姫川の移動先に合わせるようにストレートのスマッシュを打ってきた。サイドライン上に落ちていくシャトルとコートの間にラケットヘッドを差し込んで打ち返す。シャトルは綺麗に弧を描いてネット前に落ちて行った。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「ドンマイー!」

 御堂に向けて姫川の隣から声が飛ぶ。御堂は頭を書きながら仲間に向けて謝って、次にシャトルを取りに行った。シャトルを拾って羽を整えると姫川に向けて軽く放る。シャトルを中空でラケットを使って絡め取ってから、次のサーブ位置に向かう間に今のラリーについて違和感を抜きだす。

(思った通りにシャトルがきた……たまたま?)

 動きを予測できないとはいっても全くできないわけではない。ファーストゲームを経験していればをこなしていれば少しは動きをパターンとして無意識にでも理解して、勘が働くのかもしれない。ただ、姫川の中ではどこか感覚が異なっていた。ファーストゲームの間も予測が当たることはほんの少しだがあった。しかし、その時と今とでは何かが違う。同じ結果だとしても、プロセスが異なっているように思えて仕方がない。

(悩んでも仕方がないか。打っていかないと)

 サーブ体勢を取って御堂の方へシャトルを向ける。御堂はうつむき加減で何か呟いているようだった。不可解な行動に首をかしげるが、やがて自分へと視線を向けてきたことで準備ができたとして、ロングサーブでシャトルを飛ばした。

「はっ!」

 シャトルの落下点に入って腕をしならせてのスマッシュ。高い音を立てて体の正面に打ち込まれたシャトルを姫川は間一髪でラケット面を挟み込み、ネット前に打ち返す。苦し紛れの軌道だと読まれていたのか、御堂はすでにネット前へと近づいており、ラケット面を立ててプッシュを放つ。二度目の攻撃にラケットを動かせず、シャトルは姫川の腹部に当たってからコートへと落ちて行った。

「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」
「ごめんなさい!」

 御堂は勢いよく頭を下げてすぐ上げる。姫川は左手を軽く上げて問題ないことを示すとシャトルをラケットで拾い上げる。ボディアタックの連続。今までになく攻撃的な御堂の様子にファーストゲームにはないものが含まれているのを感じ取る。

(もしかして。本気出してきた?)

 シャトルを打って渡し、ネットごしに見える笑顔を観察する。ファーストゲームの時と変わらないように見えるが、サーブ位置に移動するために後ろを向く直前に口元の形が変わったように見えた。
 無論、離れている御堂の顔を正確に確認できたわけではない。口元の変化も自分の思い込みが見せたものかもしれない。だが、もしもファーストゲームを取られて御堂が姫川に対して対抗心を燃やしたのならば、彼女の思考の流れが透けて見えるかもしれない。

(まずはストップよね)

 レシーブの体勢を整えて御堂のサーブを待つ、と決めた瞬間に御堂はショートサーブを打ってきた。
 慌てて前に出てシャトルをロブで上げるが咄嗟のことで高いロブを上げられない。低い弾道で飛ぶシャトルの射線上に御堂のラケットが入り、勢いそのままに弾き返されてきた。
 姫川の頭上を越えようとするシャトルになんとかラケットを突き出して返すも、ネット前に浮き上がる。そこに御堂は飛んでラケットを振りかぶった。

「やぁあああ!」

 これまでにない気合いの咆哮と共に姫川の鳩尾にシャトルが突き刺さる。痛みは一瞬で、すぐに消えたが着地した御堂は慌てて謝罪してきた。しかし姫川は一瞬の出来事に呆然として答えることができない。

(あっという間に取られた……気を抜いたつもりなんてなかったのに)

 サーブを打つタイミングは準備ができればいつでもいい。姫川も即座に打たれるのを見越して油断なく身構えたつもりだった。だが、構えて意識をレシーブにシフトするその刹那。切り替わりの意識の間隙を縫って放たれたショートサーブに反応することができなかった。
 意識の間隙などというものに狙って打てるとは姫川も思っていない。もし出来るとしたら、女子シングルスでもダブルスでも敵などいないことになる。

(そうだ。今のは偶然。運が悪かっただけ)

 直前の失敗を切り替えて、シャトルを拾う。呼吸を何度か繰り返しつつ羽を整えてから御堂に渡して次の場所へと移動する。今度はレシーブをするという意識をしてから構えることにする。
 そうすると同時にショートサーブが放たれて、姫川は厳しいところを狙わずに高くロブを上げた。

「やっ!」

 御堂が気合いの声と共に飛びあがってラケットを振る。ラケットはシャトルの軌道から外れていたが、力強い風切り音が姫川の耳にも届いた。御堂は着地するとすぐに後方へと移動してシャトルが落ちていく真下に入るとハイクリアで体勢を立て直す。姫川もシャトルの下に入り、ストレートにハイクリアで打ち返した。御堂は中央に戻りかけた右足で床を蹴って文字通り飛んでシャトルを追う。そこからストレートのハイクリアの応酬が始まり、二人は何度もコート中央から右後方へと移動し、戻るという動作を繰り返していく。

(ハイクリアの軌道も、変わらない? どういうつもりだろ?)

 姫川はただのハイクリアでもタイミングを外すために弾道の高低をコントロールしていた。しかし、御堂から返ってくるシャトルは体感的には同じもの。なんの意図を持ってハイクリアを打っているのか考えても分からない。

「やっ!」

 そして、唐突にその時は訪れた。
 鋭くクロスに落ちていくドロップ。ハイクリアを打ってから中央に戻ってきた姫川には直線上に当たる位置のため、止まらずにそのまま足を踏み出す。ラケットと右足を突き出してシャトルを拾おうとしたが、右足を踏み込んだ時に体が止まらなかった。

「きゃっ!?」

 右足の踏み込み位置がずれたがすぐに立て直す。だが、シャトルにはその一瞬が命取りとなりラケットに当たったシャトルをコントロールすることができずにネット前に浮いてしまう。それでも、白帯からほんの数センチ浮いただけで並の選手ならばヘアピンをするのが精一杯だ。
 御堂が並の選手ならば。

「やあっ!」

 まるでこの結末が見えていたかのように勢い十分に飛び込んできた御堂はプッシュで姫川の顔面のすぐ横を抜いた。シャトルはコートへと強く叩きつけられ、姫川は躱したことでバランスを崩して尻もちをついてしまった。
 どだん! と大きな音が響いて一瞬、南北海道の仲間達が騒然となる。

「姫川!?」
「大丈夫か!」

 姫川は尻を打った痛みに顔をしかめたが、声の方向に顔を向けて笑顔を作った。
 吉田コーチの他にもう一人声をかけてきたのはいつも大きな声で声援を送る武、ではなく小島だった。さっきまで疲労や他の感情に打ちのめされてタオルを頭にかけたままうつむいていたにも関わらず、立ちあがって視線を向けてくる。
 小島の立っている姿を見て心の中に温かいものが広がるのを感じつつ、問題ないというアピールをしながら立ちあがって尻をさする。今感じている痛みも後で消えるだろう。何度か右足を床に軽くぶつけても、足を痛めたわけでもない。
 ただ、前に飛び込んだ時に踏ん張りが利かなかったのは気になった。

(ハイクリアの応酬で足が疲れた、の?)

 御堂が狙っていたのならば、自分は完全に作戦にはまったことになる。そう考えて、それこそが彼女の思うつぼだと否定した。
 ファーストゲームよりもボディアタックが増えたことは確かに姫川を意識している証拠かもしれない。最もシャトルを取りづらいところは体に近い部分。これまで相手を倒そうとする意思をあまり感じさせず勝手にシャトルを打っていた御堂だったが、徐々に姫川に取らせないように打ってきている。そうであれば、攻め方が想定できて動きの先を読めるかもしれない。
 だが、御堂のスタイルはやはり自分の好き勝手に打つことなのだろう。姫川の思いもよらないタイミングで予測できないところへ打ってくる。強引に拾った結果、チャンス球を体に叩きつけられる。

(私も、覚悟を決めないと)

 吉田コーチに言われたこと。
 そして、もう一つ。
 姫川は深呼吸をして自分の中に生まれていた困惑など負の感情を外へ押し出した。
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