Fly Up! 335

モドル | ススム | モクジ
 御堂の腕がしなってシャトルがコートへと叩きつけられた。
 ラケットを伸ばしてもシャトルはフレームから外れてしまい、着弾を見送るしかない。シャトルを打ちこまれても姫川はすぐに笑顔を作って、シャトルをラケットで拾った。
 審判が得点を告げるのを右から左に受け流す。
 シャトルの羽を整えて、崩れないように軽く打って渡した。

(八対七。セティングまで、あと一点)

 御堂の一点リードでこのファーストゲームの終盤まできた。
 点数的には競っているが、重要なところでは御堂のスマッシュやドロップを取れないために後塵を拝している。
 移動速度でシャトルに追いつくことはできても、あと一歩が届かない。
 御堂の奔放なプレイスタイルは先が読めず、自由に打っているために型がない。姫川がこれまでの経験からスマッシュが来ると思っていてもハイクリアを打たれたり、逆にハイクリアだというところでスマッシュを打たれる。中途半端に読むからだと来たシャトルに対抗しようとしても、反射的に体が次の行動を起こそうとして一瞬のタイムラグが生まれてしまう。
 これまでの試合をこなしたことでの体力消費も相まって、姫川も動きが制限されていた。
 だが、少なくとも動きの点は問題なくなってきている。

(ようやく体が温まってきた)

 気怠かった体に血が巡っていく感覚。
 疲れていても動かせば血が通い、筋肉に必要な酸素が運ばれ、残っている筋肉痛も消えていく。
 自分の脳内に浮かぶ軌跡を正確になぞって動けるようになってきたことが、姫川に笑みを浮かべさせる。

「ストップ!」

 御堂に向けて精一杯の気合いをぶつけても、御堂は緩く受け流す。
 全身に最低限の力しか入っていない。ストレスやプレッシャーを感じないことで、リラックスできている結果、筋肉は最小の力で最大の効果を上げている。
 スマッシュもドロップもハイクリアも、ラケットは軽快な音を立てて姫川を追い詰めていく。
 ロングサーブでシャトルが飛んでいくのを追い、姫川は真下へと移動する。コート中央のラインに沿って飛んでいくシャトルを、姫川もまたストレートに打ち返した。普通ならば、両サイドのどちらかに散らして様子を見る。だが、姫川はどちらも選ばなかった。これまで何度か同じ機会があり、実際に右にも左にも打ってみたが効果は薄かったからだ。

(あまり意味ないなら、私も型から外れてみるしかない、かな)

 コート中央で腰を落とし、御堂の次を待ち受ける。何度も体が動いてしまっても、出来る限り予測を廃して次のシャトルの動きに反応することにする。
 スマッシュを打たれてもいいように前傾姿勢。
 体勢だけを整えて、あとはシャトルの動きに合わせる。

「やあっ!」

 スマッシュの腕の振りでドロップが放たれる。素早く落ちていくカットドロップ。姫川の右前に落ちていくシャトルに、左足を蹴り出して体を飛ばした。

(届いて――!)

 心の中で叫びながらラケットを持つ腕を目一杯伸ばす。
 ラケットの先を見ずに腕を突き出し、シャトルが触れた衝撃を軽く感じたところで姫川はラケット面を上にスライスさせた。変則的なスピンをかけたヘアピン。シャトルコックがすれて急回転したシャトルは、空気の波を泳ぐように身を躍らせて落ちて行った。
 御堂も前に出たが、取ることを早々に諦めて立ち止まってしまっていた。

「サービスオーバー。セブンエイト(7対8)」

 落ちたシャトルを御堂が拾いに来るのを遠慮して、ラケットを使って自分の下へと持ってくる。拾い上げて羽を整えながらサーブ位置に向かう間、ずっと次のラリーをどうするか考えていたが、結局、サーブ位置に立ってもいい案は浮かばない。

(もっともっと、攻めてみようか)

 これまでは自分のフットワークの軽さを利用して防御メインで試合を進めていた。相手の攻撃をシャットアウト、あるいはミスを誘って得点を重ねることが多く、攻撃に回ることは少ない。だが、全国大会に出てこれまでの試合でも徐々に攻撃のほうも自分のスタイルを確立しつつあった。
 御堂に対して後手に回っていても読めない部分が多い以上、押し切られる可能性が高い。ならば、攻撃に突破口を見出すことも十分ありだ。

「一本!」

 自分の指針が決まり、高らかに吼える。御堂はすでに身構えておりいつでもシャトルを待ち構えている。シャトルをロングサーブで高く遠くに飛ばし、最奥まで追いやっている間に姫川はコート中央よりも少しだけ後ろに構えた。それでもドロップを打たれれば前に飛びこんでも間に合うくらいの間合いを保っていた。

「はっ!」

 御堂が放ったのはストレートのハイクリア。ライン際ぎりぎりに落ちていくシャトルの下にいつもより半歩速く入り込み、ラケットを振りかぶる。
 イメージするのは早坂のスマッシュ。彼女の練習や、シングルスの試合を隣で見ることができた時、いつも眼で追っていたフォーム。
 力を後ろから前にスムーズに流して叩き込む。早坂のしなやかな筋肉がなければいけないかもしれないが、突破口を見つけるには自分の数少ない経験値を全て出さなければ勝てないと思ったのだ。

「いっけ!」

 シャトルがラケットに弾かれて飛ばされる。これまでよりも派手な音が鳴り、鋭くシャトルが御堂のコートへと飛んでいく。だが、シャトルに角度はなく、ドライブのように飛んで行った。それでも御堂には効果があったのか、シャトルにラケットは届かず、着弾した。

「ポイント。エイトオール(8対8)」
「よし!」

 期待以上の効果にガッツポーズする姫川と対照的に、御堂は頬を膨らませて不機嫌になっているのが分かる。ラケットを差し出した位置が低かったことからスマッシュを予測していたのだろう。姫川もスマッシュのつもりで振り切ったのだが、いつもより大きめに振りかぶったためタイミングがずれたのだ。
 返ってきたシャトルは羽が折れており、審判に換えを要求する。新しいシャトルをもらうとすぐに御堂へと軽く打った。意図を察した御堂もハイクリアを軽く打ってシャトルの飛び方を確認する。姫川の目にも御堂の目にも、これまで使っていたシャトルよりは飛ぶように見えた。

(それならそれで)

 シャトルを打つのを止めて左手の中に収めると、姫川は攻め方を即断した。ラケットを思い切り振りかぶって大げさに見せるところから始め、大きく息を吸い、御堂が構えるのを待つ。

「はっ!」

 相手が構えた瞬間にシャトルを下から上に打ち上げる。渾身の力を込めて飛ばしたシャトルは高く飛んでいった。
 飛距離よりも高さを重視して打ち出したために天井に付きそうなほど飛ぶ。早坂ならば微妙なコントロールが出来たかも知れないが自分には無理と割り切って、姫川は浅くなるようにあえて打った。それが功を奏して御堂をコート奥まで押しやった。

「たっ!」

 ラケットの振りに反して遅いシャトルはストレートドロップで前に落ちる。
 後ろ気味に構えていた姫川はしかし、体勢を低くしたままで前に出る。ラケットヘッドをネットから上に出るようにして、立てたまま飛び込むと落ちてきたシャトルとぶつかって弾き返された。余計な力を入れず、ただまっすぐ、床とラケット面を垂直にしてシャトルにぶつけるだけ。
 姫川のショットは飛距離の長いプッシュとなって、前に出ようとした御堂の足元へと落ちていく。ラケットを床にぶつけながらも御堂はシャトルを姫川の頭上を越えるように打ちあげた。

「はっ!」

 姫川は後方に向けて仰け反りながらジャンプしてラケットを振った。
 駄目で元々という一打はシャトルをとらえて御堂のコートへと打ち返す。強引に打ち返した直後であるため硬直していた御堂だったが、シャトルが落ちる前に反応して後ろ向きに走ると、姫川の方を見ないでラケットを後ろに振る。
 シャトルは綺麗に姫川のいる場所とは逆方向へと返り、ネットを越えた。ありえないはずの方向に進むシャトルに何とか反応した姫川は、バックハンドでシャトルをヘアピンで落とすものの、振り向いて前に突進してきた御堂は体勢を整えるためにロブを大きく上げた。

(しつ……こいなぁ!)

 決まりそうで決まらない。落としそうで落とさない御堂とのラリー。
 姫川は通常の位置よりも後ろまで移動してラケットを振りかぶった。先ほどと同じく早坂の真似をしたスマッシュ。先ほどは失敗したが、今度はスマッシュを叩きこむつもりで腕を振り、同時に全身を前へと押し出す。
 だが、シャトルがラケット面にぶつかった瞬間に失敗したと悟る。結果としてシャトルはまたドライブで飛んだ。しかも、タイミングが合わなかったために威力も対してない真っ直ぐ進むだけのシャトル。

「らっきー!」

 まだシャトルを姫川のコートへと叩き落とす前に、声を出しながら御堂はラケットを突き出す。突き進むシャトルにラケット面を触れさせるだけで綺麗にネット前に落ちるはずの軌道。姫川はとっさに前に出て御堂のショットコースを潰そうと試みた。姫川の真正面か両サイド。あるいは高くロブを上げるという選択肢がある中で、姫川が前に迫ることによりとっさにラケットを出せば取れる範囲が増えていく。だが、御堂は姫川の接近に驚く顔をしながら冷静にロブを上げていた。しかも、ラケットを上に掲げても取れないほどの高い軌道に。

(取れる!)

 右足を思いきり踏み込んで逆方向へと反転する。先ほどの御堂と同じく、完全に後ろを向いてしまう。それでも高い打点にバックハンドでラケットを振り上げた。

(飛んで!)

 バックハンドのハイクリアはタイミングが物をいう。男子ならば腕力で強引にハイクリアを飛ばすことができる者もいるが、基本的にタイミングが合わなければ強打も中途半端に返ってしまい、スマッシュを叩きこまれる。
 姫川はこれまでほとんど成功したことのないバックハンドでのハイクリアを決行し、打ちぬいた。

「はっ!」

 シャトルが小気味よい音を立てて返される。綺麗な放物線を描いて御堂のコートの左奥へと飛んでいく様子を見る余裕もなく、姫川は体を半回転させて前を向くとコート中央に滑り込んで腰を落とした。
 バックハンドハイクリアを成功させた余韻などなく、シャトルが再びスマッシュで襲ってくる。今度は余裕を持ってクロスヘアピンで返し、飛び込んでくる御堂の動きをしっかりと見て次の動きへ反応できるようにした。

「あれ!?」

 しかし、御堂のラケットはシャトルを捉え損ねてネットにぶつけてしまった。
 長かったラリーが終わり、周りからもまばらに拍手が聞こえてくる。姫川は動きを止めたことで一気に脱力感に体が襲われた。通常のラリーの数倍の時間を互いにシャトルのやりとりをして過ごした結果、疲労が一気に噴き出す。だが、姫川は疲労の色を見せないように息を小さく吐いてからサーブ位置へと戻った。

(九対八……まだ底はあるのかな?)

 今度は姫川に御堂が追い詰められる構図。
 だが、御堂は笑いながらラケットを何度か振り、仲間の応援にも「大丈夫〜」と間延びした声で応えている。危機感がないことにより、不気味な印象が徐々に増えていく。
 姫川は御堂から返されたシャトルを指先でいじりながら御堂の不気味さを出来る限り外へと出した。こうして考えることこそ、御堂の思うつぼかもしれないのだから。

「一本」

 これまでとは違い、静かに呟いてサーブ体勢を取る。
 空気を自分の側から変化させてみると相手の出方も変わるかもしれない。だが、御堂はこれまでどおりにニコニコとしつつシャトルを迎え撃つ。馬鹿にしているわけでもなく、この試合が楽しいのだろう。

(試合が楽しい、か)

 ふと、脳裏に小島と試合をした沖縄の田場が思い出される。
 試合が進むたびに発揮されていく才能。小島が淺川以外で追い詰められた相手。彼もまた勝敗よりもバドミントンの試合を楽しめたかどうかという点では御堂と変わらない。彼は勝利への執念が足りないところを突かれて、小島に敗れた。ならば、御堂も勝つという意思がなくてそこを突けば勝てるかもしれない。
 相手の準備が整ったと判断して、ラケットをゆっくりと振る。これまで放ってなかったショートサーブを開放し、次の御堂の出方を確認するために。
 打ちごろのシャトルだったにも関わらず、御堂は小さく悲鳴を上げながらシャトルを打ち上げる。突っ張ったのか飛距離は出ずにコート中央付近にシャトルが落ちていく。姫川はまた後ろに下がり、前に飛び出しながら打つ体勢を取った。

「姫川! 自分らしくいって!」

 ラケットを振ろうとしたところで、真似している当人の早坂の声が届く。
 姫川はとっさにドリブンクリアでシャトルをストレートで遠くに飛ばした。前衛でラケットを掲げて姫川のスマッシュを待っていた御堂は、姫川が選んだ方向を見て追いかけようとしたが体が硬直して止まる。

「ポイント。テンエイト(10対8)! ゲームポイント!」

 シーソーゲームの先にたどりついたゲームポイントに気が抜けてしまいそうになるのを、姫川は両方の頬を張ることで引き締める。ラケットを左脇に挟み込み、両腕では顔を挟む。
 頬がひりひりと痛んだが、今はその痛みが自分の意識を覚醒に繋げている。
 小さいガッツポーズを右腕で示し、サーブ位置へと戻る。ここまで連続得点をしてきているのは、自分が打とうとしていたショットと別のショットに直前に変えていたことによる。つまり、御堂も天然な攻め方をしているが防御は予想外の展開に対抗できないということだろう。攻撃のペースにごまかされていたが、防御に関しては手薄なのかもしれないと姫川の中に予測が立った。

(やっぱり、攻撃で裏をかくしかない)

 静かに気合いを胸の内に震わせて、姫川は決意を固めた。積極的に攻撃を仕掛けることで御堂の動きを制限する。打ったショットに対してどう打つかは既に答えが出ており、あとは選択しているだけという状態に追い込めれば、何を打つかという思考は関係がなくなり、おのずと道が決まるのだ。

「一本! ラスト!」

 姫川はシャトルを打ち上げて、今度はさらに遠い位置へと身構えた。
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