Fly Up! 334

モドル | ススム | モクジ
 パイプ椅子に座って項垂れている小島の姿は、仲間の誰もが見たことがないことによる困惑を持って映っていた。
 小島が負けて戻ってきた時に仲間達はまさかという目を送り、小島自身も期待にこたえられなかったことでエース失格だというような気配を醸し出していた。
 皆の胸には仕方がないという気持ちがこみ上げていて、落ち込む小島に対して何も言うことはできない。
 だが、特にその姿を見たくなかったのは自分だと、姫川は言い切れる。
 同じ中学である姫川にとって小島は圧倒的な力の象徴であり、同年代や後輩達から全く手が届かない存在となっていた。
 押しつけかもしれないが、そんな彼と共に頑張ろうと仲間達がついていく。
 力への信頼。そして、自分達の期待に応えてくれる小島という存在。
 小島正志はただ一人だと、彼のライバル達よりも傍で見て来た自信がある。
 だからこそ、姫川はラケットを軽く小島の左肩に当てた。

「小島君。あとは任せて」

 言うことはそれだけ。しかし、小島ははっとして顔を上げた。自分に向けられる視線に戸惑っているのを見て、姫川は内心で嬉しくなった。

(眼福だね……これで私は十分)

 次に武を含め仲間達を一瞥してから姫川はしっかりと宣言した。

「次の試合。取ってくるね」
「……おう! 姫川、任せたぞ!」

 武の言葉を皮切りに、吉田や早坂、瀬名など一通り声がかかり、一言一言に頷いてから姫川は前を向いた。
 仲間達から勝つために必要な言葉をもらい、自分の力に変える。団体戦で最も自分を奮い立たせてくれるのはやはり仲間達の声援だった。
 その次は、繋いでいく意志。
 誰かが勝っても負けても、次の選手にバトンを繋ぐ。
 これまでも二面に分かれて同時に試合をしていたが、隣のコートから来る熱気やひとつ前の試合で発散された熱の残滓が、自分の中へと吸収されて次の活力となるのだ。
 姫川はコートの中を進みながら腕を回し、足首を回す。進むことと同時に器用にこなしながら、姫川はコート中央へと立った。ネットの向こうに見えるのは、自分よりも頭一つ高い身長を持つ女子。顔は小顔で、長い髪の毛を首の後ろで二つに結んで流している。顔は小顔でそばかすが残っていたが可愛らしい印象を持った。
 だが、姫川は背筋を冷たい汗が流れていくのを感じていた。可愛らしく見えても、内にある実力を感じ取る。
 感じ取るきっかけは手足の長さだった。自分や、早坂や瀬名と比べても長い。同じコートであるはずなのに、どこか自分のところより狭く見える。錯覚が示すとおり、普通なら届かないショットも手足の長さでカバーしてしまうのかもしれない。

(御堂……七星、だっけ。全道大会にいなかったって、言ってたよね)

 相手チームのメンバーを見た時に早坂と瀬名に尋ねると名前は初めて見ると言っていた。といっても、全道大会の時のプログラムは自分の近く以外はそこまでちゃんと読んでいないとも言っていたため当てにはならない。
 だが、姫川は事前情報を頭の中から消すために軽く振った。大事なのはこの大会での実績で、自分と対峙した時の力。
 実力のある者達と競い合い、成長していく速度の恐ろしさは身をもって体験している。

(うん。私も、強くなってるから)

 この大会で試合をこなしてきて、自分の力が北海道から旅立つ前よりも数段上がっていることは理解できた。おそらく仲間達もそう言ってくれるだろう。ただ、自分が成長するのと同時に周りも強くなっている分、最も差を縮めたい人とは変わっていないのかもしれない。

(今はそれでもいい。この試合に勝てるなら)

 ネット前に行ってネットの上から手を伸ばす。御堂は頭一つ高い位置から姫川を見下ろして同じように手を伸ばした。掴んだ掌は柔らかく、自分よりも女の子らしい気がしたものの、そのセリフは口からは出ない。シャトルをかけてじゃんけんをして見事にサーブ権を奪い取った。

「イレブンポイント。スリーゲームマッチ。ラブオールプレー」
『お願いします!』

 互いに高く張りのある声を出して、気合いをぶつけ合う。
 御堂までしてくるとは姫川にとって計算外だったが、やることは変わらない。シャトルを取って戻る間に決めていたロングサーブをしっかりと狙ったところへと打って、コートの中央で腰を落とす。大きくシャトルを放たれてコートの後ろの方へ飛ぶように移動する姫川。移動速度に観客席からどよめきが起きるのが聞こえてきたが、右から左へと聞き流してクロスのハイクリアを放つ。シャトルを奥まで飛ばして腰を落とし、防御の体勢を取る。自分の最も得意な形に持ち込むことで相手の出方を見て戦法を決めるためだ。
 御堂もまた軽々とシャトルの下へと追いついている。長い足を存分に使ってシャトルに追いつき、腕の長さからくるラケットの振りで半分早いタイミングでシャトルを叩きこむ。
 シングルスコートのラインぎりぎりを攻めてくるシャトルに向かってバックハンドで返そうとした姫川は、御堂の立ち位置が後方の右端から動いていないことを見て、クロスヘアピンを放った。

(多分、追いつけるでしょ!)

 打った直後にコート中央へと戻る。移動中の姫川の視界に、軽快にステップを踏んで前に飛んでくる御堂の姿があった。
 予想通りの動きに姫川は前に出てプレッシャーをかける。相手がいる場所へとあえて打つのは精神力を使う。安全策にロブを打つのは十分な戦法だ。だが、小島の試合を見ていて、姫川の中にも思いが生まれる。

(厳しくても、そこを突かないと勝てない時もあるんだ!)

 御堂が小島のようにより綱渡りで来るのか。あるいは安全策を取るのか。最初の見極めの時。
 御堂はラケットを伸ばして前に飛ぶ。シャトルがネットの半ばまで落ちたところでラケットが追い付き、シャトルに当たる。体勢的にはロブを飛ばすには厳しいが、どちらの選択肢にも対応できるように油断なくシャトルの行方を姫川は追う。
 そして、シャトルは姫川の斜め横を通って小さく弧を描いた。とっさにラケットが出そうになったが足を踏み込んで強引に止める。ずどん! とコートに足が踏み込む音と共にシャトルはシングルスラインを割って外に出ていた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「あれー?」

 自分の打ったシャトルの行先に首をかしげる御堂。彼女に対して「ドンマイ」と仲間達が声をかけると、笑顔で頭を下げて戻っていく。姫川はシャトルをラケットで拾いつつも、御堂のことから目を離せなかった。

(今の疑問ってなんなんだろ? 思い通りにいかないの?)

 自分のヘアピンが相手の想像以上に切れが良かったのか。御堂自身の動きが想定よりもいまいちだったのか。
 考え出せばきりがなく、答えもない。姫川は息を吐いてから身構え、シャトルを前に掲げる。御堂はラケットを高く掲げて「ストップ!」と元気に吼えた。どこかゆったりとしていて、試合で気合が入るというようなキャラではないことが対峙して伝わってくる。
 二勝目か、一勝一敗かでこの団体戦の戦況が大きく変わるかもしれないのに、当人には気合が薄れている。

「一本!」

 身を引き締めるために吼えてショートサーブを打つ。
 ロングには強い長い手足も唐突なネット前では意味がないのではないか。そう思って打ったシャトルも御堂は半歩前に踏み出してロブを上げた。力をあまり感じさせない、ゆったりとしたフォームからでも力強くしっかりとコントロールされたシャトルを打てるのは、よほど筋肉が柔らかい証拠、なのかもしれない。早坂もしなやかな筋肉を持っていて、フットワークやドロップ、スマッシュなどに大いに役立っているが御堂も似たタイプに見える。

(でも、ゆっきーと何かが違う)

 シャトルに追いついてから姫川は思い切ってストレートスマッシュを放った。ある程度コントロールする力はついていても全国の上位レベルと比べると大したことはない。シングルスライン上を狙ったが、少し内側にそれてしまう。
 御堂は簡単にバックハンドで打ち返してくる。ストレートのドライブが少し浮き上がるような軌道。打ちミスと思い飛びついた姫川だったが、威力が思ったよりも大きかったためにプッシュではなくクリアになった。コート奥までは飛ばなかったがスマッシュを強打されるほどでもない。姫川はコート中央に戻る時間がなく、その場で腰を落とした。

「はっ!」

 次に打たれたシャトルはスマッシュだった。シャトルは急角度で姫川のいる場所とは逆側のライン際に叩きこまれていた。

「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」

 シャトルが叩きこまれた方向を見てから御堂へと視線を戻すと、顔を輝かせて嬉しがっている。スマッシュを決めたことが純粋に嬉しいというような笑顔。
 試合をすることが楽しいといわんばかりに喜んでいる姿を見て、姫川は再度頭を振った。

(なんかだめだ。混乱してる。なんなんだろあの子)

 天然と呼ばれるタイプかもしれないと心の中で思いつつ、シャトルを拾う。
 羽の少し崩れた個所を丁寧に戻してからシャトルを軽く打って御堂へと渡すと、中空で手に取ってから姫川へと向けて「ありがとー」と言ってからサーブ位置へと立っていた。
 闘争心を感じさせない、ゆったりとした選手。だからこそスマッシュを打つという気配を全く感じなかったのかもしれない。
 姫川は背中に冷たい汗を流しつつ考える。

(今のスマッシュ。ほんとに反応できなかった……タイミング、完全に外されて……打たれた後にスマッシュだったって思った)
 
 長い腕を使った急角度のスマッシュ。自身が試合をしてきた相手はまだしも、似たような選手はこれまで見てきた中にもいた。高く飛んで角度をつける者もいて、シャトルを相手の身構えた位置からより前に落とすことで錯覚を誘っていた。姫川の場合は騙されるが直後に動くことはできていたが、今回は全く反応すらできない。
 相手のどこに打つかという気配を試合の流れの中から読む速度と、実際に動ける移動速度がフットワークの速度に関連する。
 移動速度はトップクラスの姫川だが、相手の動きが全く読めないことには動けなかった。

(御堂七星……凄くやりづらそう。先読みにあまり期待できないなら、動くしかない)

 姫川は息を吐いてレシーブ位置でラケットを構える。打つ球種が読めないならより「後の先」を取ることが重要になる。
 バドミントンでそれができるかは分からなかったが、少しでも甘いシャトルを上げたならやられるという未来しか見えない。厳しいコースばかり打てれば問題ないかもしれないが、自分に早坂や有宮、君長のような技量がないことは分かっている。そして、目の前の御堂にもコースを突くという技術では後れを取っている。

(私は動きが速いだけ。君長に速度は負けないかもしれないけど、他で負けるんだ)

 自分の利点と弱点を理解し、相手の力を見極めた上でどう上回るかを模索する。これまで、攻めの今一歩の部分をフットワークの速度からの防御力で補ってきた自分が、そのフットワークが通じない相手に対してどう戦うのか。

「一本ー」
「ストップ」

 間延びする声で言う御堂に対して短く鋭く言う姫川。シャトルが高く遠くへと放たれて、姫川は真下に移動するとハイクリアをストレートに打つ。シングルスラインの内側をまっすぐに進み、御堂もまた真下まで移動するとシャトルを完全に同じコースを打ち返す。コート中央に戻っていた姫川は追いついてからクロスへと打った。
 御堂はまた滑らかに追いつくとラケットを振りかぶる。姫川はコート中央に戻って構えるものの、頭の中に迷いが生じる。
 スマッシュを放ってくるのかハイクリアか。はたまたドロップか。
 いくつかの選択肢の中で、いつもならば何となく試合の展開や相手の打ち気から次のシャトルを予測しているのに、御堂は試合をしているというような気負いが全くなかった。
 全国大会の決勝という大舞台でも、どこか公園でシャトルを打ちあう幼い子供のように気楽だ。笑顔のまま放ってくるスマッシュは姫川の警戒心を鈍らせて、反応速度までも遅くする。シャトルを追ってラケットを伸ばすと届きはするものの、スイートスポットに完全には当たらずチャンス球を上げてしまった。

「やっ!」

 前方に飛んで振りかぶった御堂はそのままラケットを振りおろし、スマッシュでシャトルをコートに叩きこむ。柔らかい笑顔とは裏腹にスマッシュは鋭く、瀬名にも負けていない。

「ポイント。ワンオール(1対1)」
「まず一点だー」

 試合中でなければ和むであろう声と笑顔。姫川は頭を振って自分が得た感覚を押し出した。レシーブ位置に歩く短い間に御堂のことを分析するだけでなく、自分の体の不調も冷静に頭の中で整理した。

(やっぱり準決勝の疲れが残ってる……準決勝だけじゃない。今までの疲れ、か)

 過去の試合に比べて、ファーストゲームの序盤の動きとしては最も鈍かった。一時間前の試合でダブルスとはいえ試合をして、前日までも戦力として試合をしてきた。体力的な面でいえば、現時点の最強プレイヤーと当たった早坂もきついかもしれない。だが、それらは分析にはなっても解決にはならない。

(確か、こういうのって動いてたら自然と治っていくんだよね……それまで離されないようにしないと)

 ラケットを一度回してからグリップを握り、掲げる。試合の合間に休んだことで動きが鈍くなっているなら、動けば再び体の中に血が通い始めて従来の動きになるに違いない。そこまでに試合を決しないようにするため、姫川は頭の回転と集中力を高めようとしていく。

(小島君ほどはできないかもしれないけど……集中して相手を見て、動くしかないんだ)

 差がないフォームからいろいろなシャトルを打つというのは、レベルの高いプレイヤーの証。もしも、今後もバドミントンを続けるなら御堂のような相手は避けては通れない。

(そうだ。また一つ、強くなるために。ううん。それよりも、私が、チームのために勝ちたいんだ!)

 胸の奥から込み上げてくるのは小島のこと。そして他の仲間達のこと。
 早坂や武や吉田や瀬名。安西と岩代。藤田と清水。
 監督をしてくれている吉田コーチは一緒についてきてくれた庄司。
 全員の顔を思い浮かべてから、姫川は一度目を閉じ、見開きつつ吼えた。

「さあ! ストップだよ!」

 気負い過ぎもなく。自然と出た大きな声にコートの中の空気がかすかに変わった。
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