Fly Up! 325

モドル | ススム | モクジ
 吉田は体育館の一階に、わざとゆっくりと足を下ろした。
 左右を見回して、出来るだけ人気がない所を探しながら移動する。
 右手に持つ携帯画面に並んでいる文章に目を通してから、再び周囲に視線を向けて指定された場所を探した。最初にメールが来た時に読んだだけで内容は理解できているのだが、何度も見直したくなる自分に苦笑する。

(なんか、今までの自分のキャラじゃないな)

 今の自分を武や他の仲間に見られるのは嫌だと思い、要件を早く済ませようと移動する。
 メールの送り主は文面に『一階の一番人気がないところで待つ』とだけ書いていた。正確な場所は分からないが体育館もそこまで広いわけではなく、文字通り一階にいるならばいつかは会えるはず。そう決めて、最も人気がなさそうな場所へと早足で一階を駆け抜ける。
 そして、体育館の入口と近くにあるフロアへの入口。その逆方向の区画へと向かうと、椅子に女子が一人座っていた。早足になったことで少し荒れた息を整えながら呟いた。

「ずいぶん簡単に見つかるんだな」
「別に、隠れることが目的じゃないしね」

 三人掛けの椅子の左端に座っていたのは有宮小夜子だった。有宮はいたずらっぽい笑みを浮かべて近づいてきた吉田を見上げる。吉田が来るまで自分が送ったメールの文面を見ていたのか、手にした携帯の画面には文字の羅列が並んでいた。

「和也にも送ったんだけど。たぶん、今、上でウォーミングアップしてるっぽいね。香ちゃんはこっちきてていいの?」
「俺はこの後でやるさ。どうせ試合は男女シングルスの後だから少しタイミングずらさないと駄目だし。それに」
「それに?」

 吉田は次の言葉を言うのに心の中で助走が必要になった。変なことを言うつもりではないのに、勝手に意識してしまっている。息をゆっくりと吸い込んでから口を開いた。

「久々に会いたかったからな」
「私もね」

 間に流れる空気の暖かさに吉田は顔が赤くなる。有宮は吉田の様子に笑いながら中央の椅子を手で勧め、吉田は素直に従って腰を下ろす。三つ連なって背もたれがないタイプの椅子で、有宮との距離が近くなると吉田も緊張する。その緊張を読み取ったのか、また有宮は笑ってわざと肩を付けた。

「こうやって座るのも小学校ぶりだよねー。小学校三年生?」
「……そうだな。俺が真中で左が小夜で、右が西村だった」

 吉田は幼い頃の光景を思い浮かべる。おそらくは、有宮の脳裏にも同じものが浮かんでいると思いながら。自分の等身が今よりも小さくなり、隣に座っている有宮もショートヘアの小さい少女になる。右にはこの場にいない西村が、顔を泥だらけにしたまま笑顔でいた。
 小学校三年生の、三人でいた最後の時期。特に仲良く過ごしてきた三人の立ち位置を最初にだれが決めたのか覚えていないが、吉田が中心で右と左に別れていた。あだ名で呼ぶことも、下の名前で呼ぶことも特に恥ずかしく思わなかった時代。今は、照れくささが蓋をしてテンションが上がらないと口から名前は出てこない。

「一緒だった三人が今はバラバラになって、それぞれのチームで優勝を競ってるって、なんか燃えるよね」
「昔からそういう熱血物語気質だったよな、小夜って。よっぽど男らしいよ」
「今はどう? 女らしくなった?」
「そりゃあな。見違えたよ」

 視線を向けると何も言えなくなりそうで、吉田は前を見たまま有宮の気配を感じていた。
 有宮も吉田が緊張をしていることを知ってか知らずか、その体勢のまま言葉を続ける。

「小学校の時に転校して、こっちで頑張ってきて。楽しかった。あの頃、メールでやりとりした約束、覚えてる?」
「ああ。全国大会で会おうってやつだろ。今考えると、幼稚な考えだったけどな」
「実現したからいいじゃない」

 過去の吉田。今よりも幼い自分達が、三人で並んだ最後の日。三人で腰かけた中で左の有宮が告げた。転校先でも頑張ってバドミントンを続けて、全国大会に出ると。そこで会えたら素敵だという言葉に、次に乗ったのは西村だった。行動力という面に関しては有宮と西村は似たりよったりで、その二人に引っ張られるように自分がいたと吉田は思っている。
 暴走する二人を抑えるストッパーの役目が吉田の立ち位置だった。だから自然と二人の間にポジションを固定させていった。

「こうして全国で、三人で会って。私は負けたけど、香ちゃんと和也が今度は闘うんだよね」
「……そうとは限らないさ」
「どういうこと?」
「俺の予想だと、あいつとやるのは武――相沢だよ」

 準決勝が終わり、決勝だけに集中できるということで、自分の考えを自然と口に出せた。それまでは武達と会話してても言いづらかった。決勝を意識していると次の対戦相手に足元を掬われそうで。

「もし俺の予想するオーダーだったら……俺があいつのどっちかはミックスダブルスに回る。男子ダブルスは、多分、捨てる」
「どうして?」
「西村と山本に勝てる見込みが薄いからさ。俺と相沢じゃ、まだあいつらに勝てる確率は低い」

 自虐ではなく、冷静な分析の結果だと吉田は考えた。
 今まで試合をしてきて武が確かな速度で成長する様は後から眺めてきた。更に自分も全国大会前と今とで、強敵を打ち破ったことによるレベルアップはしていると思う。しかし、それは西村と山本ペアも同じであり、吉田は二人の底が見えなかった。どれだけ追いついているのか。
 どれだけ足りないのか、全く見えない。

「監督は俺の父さんだから。考えが何となく分かるんだ。多分、俺ならそうする」
「そっか。そういうのは、インターミドルに取っておけばいいよ」

 有宮は吉田の背中を軽く叩いて立ち上がる。あまりにもあっさりと自分の中にある暗い気持ちを霧散させた相手が背伸びをして数歩前に出る姿に、吉田は見惚れた。服装は中学の自分のジャージなのか青を基調にしたシンプルなジャージで着飾ってもいないのに、その姿は均整が取れたもの。思わず感嘆のため息を漏らしてしまう。

「なーに? 惚れたの?」

 振り向いて言ってきた有宮の顔を見ないで、吉田は視線をそらす。腕を組んで自分を守る姿勢を取ると、有宮は肩をすくめた。それから吉田へと背を向けて歩き出す。
 そのまま立ち去ろうとする有宮に吉田は慌てて立ちあがると呼びとめた。

「おい! なんで呼び出したんだよ。なんか全然話してないぞ? 何か、話すことあったんじゃないか?」
「……んー。そうだった気もしないでもないけど。もういいやって思った」

 有宮は吉田に背中を向け、顔も前を向いたまま言う。
 様子が少しおかしいことに吉田は気づいていたが、どう言葉をかけていいか分からずに次の言葉を告げない。その状態を先に崩したのは、有宮だった。

「ほんとはね。いろいろ話そうと思ったんだ。私も試合中だから遠慮してさ。だから、試合が終わったから、離れてた間のことをお互いに話したかったんだよね。でも香ちゃんは試合があるから……終わったら、お願いしていい?」

 早口で、自分の方を向かないで一方的に話していく有宮の姿。
 それは吉田の脳裏には存在していない彼女の弱い部分を見せているように思えた。一番新しい記憶がここ数日の話で、更には転校する前とほとんど変わらない様子を見せられていたのだから、本当に初めてのもの。
 小学校時代から見せていなかったのか、中学まで成長したことで彼女の中に生まれたものなのかは吉田には分からない。しかし、おそらくは自分と西村の前だけで見せる姿なのかもしれないと思えた。

(そうやって自惚れても悪くないかもしれないな)

 今時点で全国二位の実力を持つシングルスプレイヤー。それに加えて男子顔負けの闊達さを持ち、自分にプレッシャーをかけるかのごとくビックマウスを放つ。そして、その口の大きさにあった実績を残してきたバドミントン選手。
 それでも、彼女は自分達と同じく十四歳。もう少しで十五歳になるような少女なのだ。

「分かったよ。試合が終わったら、西村にも言っといてやるよ。集まって話でもしようってさ」
「そう、だね」

 有宮はゆっくりと歩きだし、吉田から去っていく。その背中に言おうとした言葉を飲み込んで、そのまま去っていくのを見送った。有宮の姿が消えたところで息を吐き、自分も歩き出す。

「どっちを応援する気なんだろうな、お前は」

 質問しようとした言葉を呟く。もしも西村と答えられたら自分はどうするつもりだったか。もちろん、少し残念に思うとしても、試合に手を抜くつもりはなかった。西村が男子ダブルスで出場し、自分が安西や岩代と組んでダブルスすることになったとしても、全力で叩き潰すつもりだ。武と組むよりは勝算は少ないだろうが、ゼロではない。いつでも、どんな強い相手だろうと全力で抗ってきたのだから。

「終わったら、三人で話をしよう。また離れて、お互いに上を目指して頑張るんだろうから。この試合の後くらい、な」

 吉田の中に生まれる『次』への欲。
 これまでは西村達の北北海道との決勝戦に向けて勝ち上がってきた。それがいよいよ叶うとなった時、吉田の中にある闘争心が萎えかけていたのも事実だった。準決勝での男子ダブルスが自分と武の理想的なダブルスに最も近づけられたことも原因の一つ。
 だが、目標の喪失も次の存在によって蘇る。

(やってやる。父さんがどんなオーダーを言ってきても、受け入れるさ)

 吉田は体育館の入口にたどり着き、そのまま早足で二階への階段を上って行く。時間はすでに準決勝から四十五分ほど経過していた。自分が二階に上るとちょうど西村や山本。そして淺川といった北北海道の面子がラケットを手に持って打ちあいをしている。終わり頃だったようで一往復したところでシャトルを止めた。

「おー、香介ー」

 引き上げようとする二人とは対称的に、西村だけは吉田へと声をかけて近づいてきた。淺川と山本は一瞬西村へと視線を向けたが、肩をすくめて逆方向へと戻っていく。観客席にある自分達の場所へと戻るのだろう。そこで最後のミーティングをした後で、決勝戦へと入る。吉田は近づいてきた西村に向けて言った。

「西村。時間ないだろ。お前も戻れよ」
「小夜と何か話したんだろ?」

 何故、と言いかけて口をつぐむ。少し考えれば有宮も同じルートを通って客席へと戻ったはずだ。武達とは離れていたが、客席に戻り、これから決勝を見るに違いない。だが、西村は沈黙によって自分の言葉の正しさを悟ったのか、笑っていた。

「何かは聞かないけどな。そうだな。試合が終わったら……少し時間とろうぜ」
「え?」

 西村の言葉に吉田は驚いて声を上げてしまう。あまりに驚愕した表情を浮かべていたからなのか、西村は少し不快そうに顔を歪める。

「そんなに意外かぁ? 俺が昔の友達と話す時間とるとか」
「ああ。意外だ」
「けっ。はっきり言うねぇ」

 素直に思っていることを言うと西村も心地よいのか笑った。吉田も自然と笑みが出る。
 昔から、西村は感情を押し出して前に進んできた。誰よりも前を駆けて、遊びもバドミントンも真剣に取り組んでいた。勉強にその気合を回せばと教師や親を困らせるほどに。その結果、互いに市内でも有名になり、中学になれば全道大会や全国大会に出場することも夢ではないと言われるようになった。
 そして一年半前に西村は転校し、自分の敵となった。そして自分には、新しいパートナーが出来た。無論、西村にも。

「俺の一年半をよぉ。次の試合で思い切りぶつけっから。対戦、できるといいな」
「――西村?」

 声に含まれた違和感に気づいて問いかけようとしたが、西村は「じゃ」と小さく別れの挨拶を告げて去っていく。追いかけるタイミングをなくしてしまった吉田はため息をついて改めて歩きだす。
 自分の一年半を西村に見せるために。それはもしかしたら相棒の武とではないかもしれないが。

(武、か)

 相棒の姿を思い浮かべて、吉田は準決勝の試合が終わった後に相手に言われた言葉を思い返す。

『あいつ、凄いな。参ったよ』

 パートナーを讃える言葉。本来ならば嬉しいもので、力強さに変わるはずの言葉。
 しかしその時、吉田が感じたものは、違った。

(あいつと戦ってみたいって思った。シングルスでもダブルスでも、俺は武とどれだけ戦えるのか、試したいって。お前はもう……そこまで強くなってる)

 最も信頼できるパートナーを『西村の代わり』と思うことはずっと前になくなっていた。組んだ当初は思ったのかもしれないが、いつ消えたのか分からないほど前にパートナーとして一人の選手として武を認めていた。
 だが、今はパートナー以上に『バドミントンプレイヤー』として武を認めている。そして認めたからには、勝ちたいと思う。
 ダブルスで一緒に戦っていても、シングルスでも。

(武。お前は凄い。最後まで、一緒に戦おう)

 吉田は再び歩き出す。もう自分を止める者は何もない。
 古い仲間との次の約束と、今の最高の仲間と最後まで闘う意思。
 二つの思いが吉田の止まりかけた背中を完全に押していた。
 フロアに入る扉を自分の体を使って勢いよく押す。中に入ってから自分達の陣地へと向かうと、すでに寝ていた早坂達や体を温めていたらしい安西や小島の姿。そして最高と思える相棒の武。
 南北海道代表という名前で繋がった仲間達がそこにいた。輪になってミーティングの形になっているのを見て素早く傍へと近づく。

「よし、これで全員そろったな」

 吉田が少し息を切らせて輪に入ると、中心にいた吉田コーチが言葉を発して全員を見回した。各自の表情を一つ一つしっかりと見て、全員の勝利への意思がみなぎっていることを確認しているのだろうと吉田は思う。自分の父親だけに思考回路は読み取れた。
 全員を見て頷くと、咳払いをしてから続ける。

「よくここまで来た。全国の経験がなかったお前達がここまでこれただけでも十分な成績だろう。全国的にバドミントンプレイヤーの実力の底上げをするということでいえば、お前達の力は今日まででかなり引き上げられた。この経験を自分の中学へと持ち帰って、仲間達に伝えてほしい。しかし」

 吉田コーチは無表情で告げていた言葉を止めて、不敵な笑みを浮かべた。吉田はそれまでの言葉があくまでこの大会の趣旨にそったものであり、自分の父の本心は次からだと悟った。

「それは改めて、この試合が終わったあとに言おう。優勝した後にな」

 優勝という言葉が十人の肩にのしかかる。これまで遠かった言葉が、実はもう手を伸ばせば届くところにあると改めて全員に知らしめる。絶妙なタイミングに吉田は熱い息が漏れる。吉田の視線には誰もが心の奥から沸き立ってくる衝動に気分を高揚させているように見えた。

「では、オーダーを発表する」

 吉田コーチの言葉に、一瞬だけ場が静まり返る。そのタイミングで、まずは男女のシングルスの選手が呼ばれた。

「男子、小島。女子、姫川だ」

 どよめきが場を支配するが、すぐに収まった。吉田にはその意味も分からなくはない。女子シングルスなら早坂かと思うだろうが、準決勝で有宮と壮絶な試合をしているだけに連続でシングルスはきついだろうということだろう。
 そして、続けての発表が最も全員を驚かせたかもしれない。

「男子ダブルス。吉田、安西。女子ダブルス。藤田、清水」
「え……」

 声を漏らしていたのは武だった。すぐに吉田の方へと視線を向けてくる武に吉田は首を振る。
 この結果は予想の範囲内。勝つために必要なことだった。ただ、男子ダブルスに自分が来るか武がいくのが微妙だっただけで。
 女子ダブルスに選ばれた二人は顔を青ざめさせていたが、気丈に立っていた。瀬名が戦線離脱している以上、選択肢は限られているのだから。

「最後に、ミックスダブルスが、相沢と早坂だ」

 全員が、当てはまる場所にはめられることで自然とオーダーの意図を悟る。予想は次の吉田コーチの台詞で確信に変わった。

「だからこのオーダーは、男子シングルスと女子シングルス。そして、ミックスダブルスで取ろうというオーダーだ。これまでの試合での経験も含めて、選んだ。無論、男子ダブルスと女子ダブルスでも勝つという展開を、最後まで諦めてはいないが……厳しいと考えている。この説明を受けて、君達がどう試合をするか。見せてほしい」
『はい!』

 全員が同時に返事をする。全員が、吉田コーチの意図通りにすること。そして意図を越えた働きをすることを決意した咆哮。吉田も、捨て駒になる気はそうそうなく、男子ダブルスで勝って三戦全勝で優勝という結末に向けて安西と向き合った。そこで先に声を出したのは安西だ。

「絶対勝とう」
「おう」

 互いに手を勢いよく合わせる。気合を注入しあう。二人に触発されたのか、武が全員を集めて円陣を組むように言った。いつもは渋る側の早坂も快く参加して、吉田コーチと庄司も含めて十二人の輪ができる。

「吉田。よろしく!」

 武に促されて、吉田は息を吸い込んだ。自分の内にある気合を全員に伝えるように。

「絶対優勝するぞ!」
『おおっ!!』

 そして、決勝の時間が訪れる。
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