Fly Up! 326

モドル | ススム | モクジ
 フロアに続く扉を開き、足を踏み入れた時に武は今までにない圧力を感じた
 風など吹かないはずなのに、肌に感じるのは風圧に似たもの。
 その正体は、フロアの中央へと向かっていくと次第に明らかになった。
 観客席はそれまでと変わりなく自分達の試合場所を取り囲み、見下ろせるようになっている。しかし、これまで以上にたくさんの観客がひしめいていた。
 バドミントンは近年、美人ペアの登場や実力の向上によってオリンピックでメダルに絡むようになったこともあり、注目度は増している。それでもまだマイナースポーツであり一般の客などほとんど望めない。だから、ここに集っているのは自分達と同じプレイヤーなのかもしれない。
 これからこの場所を目指そうとする後輩や、先輩達。
 そして。

「同い年のライバル達かな?」

 後ろを歩く安西の声に、武は心の中で同意した。
 吉田と早坂を先頭に、男子五人と女子五人という並びで進んだ南北海道のチーム。
 ちょうど反対側から北北海道のチームが、西村を先頭にして歩いてきていた。視線を受け止める役を吉田が引き受けてくれているが、すぐ後ろにいる武にも西村の放つ気迫が感じ取れる。

(あいつ……試合前は気にしてる様子なかったけど、やっぱり気合入ってるんだな)

 油断させるつもりはないのだろうが、本心を見せようとしないところが西村らしいと武は思う。
 振り返ってみれば中学一年の最初の数か月しか一緒にいなかったために「西村らしさ」など本当に分かるはずがない。
 分かるとすれば、幼馴染である吉田や有宮だろう。

(その吉田も、気合十分だしな)

 背中にいても伝わる、吉田の体からみなぎる気迫。武は胸の奥から湧き上がる期待感に体を震わせて、後に続いた。
 フロアに作られた一つのコート。中央を走るネットの両側にやがて南北海道と北北海道の面々が集まる。武の記憶では北北海道はすべて旭川広槻中学の面々であり、チームワークという点では武達以上だろう。ここまで勝ち進んできたのだから、実力でも北北海道の中で頭一つ上に広槻中が存在しているということを示していた。

(そうだとしても、やるのはシングルスやダブルスの個人戦だ。こっちだって、負けない)

 武は仲間へとちらりと視線を向けて考える。オーダーの結果、自分と早坂が最後となった。自分の所まで回ってくる展開にならずに先に勝てるならそれがいいが、もしも追い詰められたならどうしても回してほしい。勝利を掴むために自分はなんだってやってやるという思いになっていた。
 それには、ひたすら応援のために声を張り上げることだと改めて気合を入れる。
 二チームが睨み合うように立っているところに審判がやってきてコートに入ると、それぞれのチームへと宣言した。

「試合を始めます。握手をお願いします」

 審判の言葉に従って、両チームは一歩ネットに近づいた。そしてネットの上に腕を伸ばし、互いに握手をする。
 武の前にいたのは、歩いてきた当初とは異なり西村だった。吉田と握手している先頭はいつの間にか淺川に変わっている。
 しっかりと握った掌に込められた力は多少の痛みを武へと伝えてきた。

「絶対勝つぜ。お前にだけは」
「……」

 コートに入ったことで西村は試合モードにスイッチが切り替わったのか、いつもの飄々とした空気が消えている。体中からほとばしる闘志が電気を帯びているかのように西村の体を駆け巡り、武に痺れを伝えてくるようだった。
 手が離れると選手達はすぐにコートから出る。そして、次は両チームのコーチが互いに挨拶をし、オーダーを受け渡す。
 武はその瞬間、見てしまった。吉田コーチの表情が唖然とする様を。
 すぐにその動揺は収まったが、何か予想外のことが起こっているのは間違いない。それでも、吉田コーチは停滞なく武達の所へと帰り、審判はオーダー表を確認しながら試合を告げる。

「それでは、男子シングルスを始めます。オンマイライト、淺川さん。北北海道」

 審判の声に淺川がコートへと歩みを進めていく。それだけで観客席からどよめきが漏れた。
 現在の中学バドミントン界最強プレイヤー。
 もうすぐバドミントン歴二年という程度の浅い経験ながら圧倒的な身体能力によって頂点に立った男、淺川亮。
 ほとんどの観客はそのプレイを見に来たと言っても過言ではないだろう。

「オンマイレフト。小島さん。南北海道」
「はい!」

 逆に、小島が名前を呼ばれてコートに入っても観客達はそこまで反応しなかった。全国的には小島は無名であり、今大会でも沖縄の田場と激闘を繰り広げた他はそこまでシングルスで目立っていない。田場との試合は、見る者が見ればかなりのハイレベルな技術の応酬だったが、まだそこまで客がいなかった頃。選手達も自分達の試合に注意を向けていただろう。
 しかし、武は小島から放たれる殺気にも似た気迫に鳥肌が立った。

(小島。今まで溜めてたものを思いきり出す気、だな)

 武は一度息を吐いて、吉田コーチへと近づいた。先ほどの驚きの表情は何なのか尋ねるために。既に吉田が傍に立っていて、オーダーの紙を見て唖然としていた。どうやら相手のオーダーが想定と異なっているらしい。
 武は声を出さずに吉田の後ろに回って紙を見た。
 男子シングルスに淺川。
 女子シングルスに御堂。
 そして、男子ダブルスには。

(西村が、ミックスダブルス?)

 男子ダブルスにあるはずの西村の名前がなく、ミックスダブルスの方へと名前が書かれているのが読めた。
 鉄板であるはずの男子ダブルスを敢えて崩す理由が北北海道側にあるとは思えなかった。淺川と西村・山本ダブルスは少なくとも彼らにとっては勝利をほぼ確実に取れる駒であり、それだけで武達を追い詰めることができる。だからこそ、武達はオーダーを外したのだ。
 本来ならば小島をシングルスに出すことも難色を示していた吉田コーチを滾る熱さで説得し、万が一負けるとしても自分達が必ずフォローする。その意思の表れが、武と吉田のダブルスを崩すこと。
 こちらの最も勝率の高いダブルスと、相手のダブルスをぶつけて負ける可能性の方を考慮し、ずらしたのだ。
 望みを少しでも繋げるために。

(西村のやつ……もしかして分かってたのか?)

 オーダーを漏らすことはないが、西村は吉田のことをよく知っている。もしかしたら吉田コーチのことも知っているかもしれない。ならば、自分達の布陣を不動のものとした時にどういうオーダーを組んでくるかも知っているのかもしれない。

「武。もう、目の前に集中しよう」
「……香介」

 吉田が試合モードの目を武へと向ける。オーダーは覆らず、吉田の相手は西村のパートナーである山本と、星夏彦という名前しか知らない男。武達とコートを挟んで向かいに座る男子の誰かであるとは分かるものの、そこまでだった。

「俺と安西は、必ず勝つ。小島も、勝つ。だから、お前の出番はない」

 吉田の呟きは力がこもっている。しかし、どこか武には軽く聞こえていた。その言葉を紡がせる心には嘘はない。しかし、吉田が気づかないところで、言葉を軽くしている何かがある。

「でも、もし回ってきたら、迷うな。お前と早坂なら絶対勝てる」
「そのつもりだって。心配するなよ」

 気合の入った言葉。自分の紡いだ言葉の強さに武は呆気にとられた。当人が驚いているのだから聞かされたほうはなおさらだろう。吉田だけではなく、近くにいた安西も笑みを浮かべて武を見ていた。

「頼もしいよ。お前が後ろにいるから、俺も思いきりやってやれるさ」

 安西はそう言って小島の試合へと視線を向けると声を張り上げる。
 既にサーブ権を得た小島は、サーブ体勢を整えている。静かにしているのに、体の奥底から湧き上がってくる闘志はコートの外にまで噴き出していた。

「ほんと、武は強くなったよ。自信持っていい」

 吉田の言葉がゆっくりと武の耳に入ってくる。熱い戦いが始まろうとしている中で、最後の穏やかな時間。吉田は武に手を差し出して握手を求める。自然とその手を掴んで強く握り返すと、吉田は言った。

「勝とう」
「ああ」

 優勝がかかった最後の試合。
 今まで共に勝利を得てきたパートナーと初めて離れる。
 それでも不安はなかった。一つの勝利に向かって、歩いていく先は同じなのだから。

「一本!」

 小島の咆哮と共に試合が始まり、武もまたモードを切り替える。ここから先はわき目も振らず優勝を目指すのみ。最終戦の開始だ。
 小島はシャトルを持ってサーブ体勢を整えると、一度「はっ!」と気合を吐き出した。そのあとで、ラケットを思いきり振りかぶり、シャトルへと叩きつける。
 そのシャトルはしかし、軽く弾かれてネットを越えたところですぐに落ちていく。完全にショートサーブの軌道を描き、前のサーブラインへと落ちていく。淺川も完全にロングサーブだと思っていたのか、後ろに一度飛んでから前に踏み出してラケットを差し出す。ラケットはシャトルに届き、ロブがしっかりと奥に上がる。体勢を崩されたにもかかわらず、淺川はシャトルをコントロールしてコートの右端へと飛ばしていった。武はそのワンプレイだけで淺川の凄さを改めて悟。

(なんであんなに完璧に返せるんだよ……)

 プレイを見ただけで背筋に汗が伝う。そんな相手にコートで向かいあっている小島のプレッシャーはどれだけのものか。早坂が君長とぶつかった時も同じようなものだったのかと武は息を呑んで、自然と早坂の方へと視線を向けていた。当の早坂は小島の試合に目を向けている。その視線は真剣で全くぶれることはない。小島の動きを最初から最後まで目に焼きつけようとしているようだった。

「はっ!」

 ロブで上がったシャトルを小島はスマッシュで相手コートに叩きこむ。シャトルは鋭くシングルスライン上に落ちるように飛んでいき、淺川はバックハンドで丁寧に前へと打ち返す。しかし、小島はすでに前に飛び込んでいて、クロスヘアピンで淺川から離れていくようにシャトルを打って、コートへと沈めていた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「ナイッショー!」

 鮮やかなヘアピンに武は自然と声が出ていた。仲間達全員が一斉に声を出す。タイミングが合ったことに武は内心苦笑しつつ、小島のプレイを見ることにする。よそ見をしていてはあっという間に試合の流れを見失ってしまいそうなほどに、高度なプレイをお互いにしはじめている。本当に試合が始まったばかりだというのに。

「一本!」

 小島はそう叫んでまたショートサーブを打つ。ラケットは最後までロングサーブの腕の振りにもかかわらず、シャトルに触れた瞬間に完全に静止して、あとは勢いに任せてシャトルは飛ぶだけ。淺川は再び虚を突かれたのか、後ろに飛んでから前に飛び、シャトルを拾う。最初と同じ軌道にシャトルを飛ばす淺川と、同じように追ってラケットを振り切る小島。シャトルは一点目と同じ軌道を描いて淺川のコートへと叩きつけられていた。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」

 武達の間に広がる驚き。全国最強に近い淺川に対してスマッシュを一撃で決めることがどれだけ凄いのかが、改めて頭に浮かんでいた。

「武。気づいてるか?」
「……何が?」

 吉田が緊張した声色で武へと話しかけてくる。いったい何のことか分からなかった武は素直に尋ねる。吉田は息を飲んでから口にしようとしたが、小島が三回目のサーブをするために吼えたことで視線がコートへと向く。
 小島は過去二回とは違ってロングサーブを放つ。シャトルはしっかりと奥へと飛んでいき、シングルスライン上へと落ちていく軌道を取る。淺川も小島が外すことなど考えていないのか、迷わず真下に入ってラケットを振り切った。
 放たれる高速スマッシュ。シャトルが突き進む様が武には、全道大会で目にした時よりも更に速くなっているように見えた。だが、小島はシャトルの動きに反応してラケットを差し出すと、勢いを殺してネット前に落としていた。
 淺川はシャトルを追ってラケットを突き出し、手首の動きだけでロブを上げる。今度は逆にコート奥へと移動した小島は、シングルスライン上にストレートに打ち込む。シャトルは小島のラケットの先を掠めて、コートへと叩きつけられた。

「ポイント。スリーラブ(3対0)!」

 淺川に対して小島が先行している。三点連続で取ったことで武達だけではなく周りの観客達も、小島の力に注目し始めたようだった。あくまでも勘であるが、周りの空気が変わったように武には思える。

「周りも、注目するのは淺川だけじゃないって気づいたな」
「……さっき言ってたことって?」

 淺川がシャトルの状態を見て審判に換えを要求したことでラリーが始まる前の時間が少し増える。その間に武は吉田に尋ねていた。吉田は一つ頷いて静かに自分の考えを告げる。

「小島。田場と試合をして後半、一気に強くなった気がしたろ」
「そういえば。なんか相手の動きを完全に読めたって言ってたな」

 試合の後に聞いた小島の感覚。それは自身の経験を最大限に引き出した上での、未来予測。集中力が極限にまで高まり、相手の細かな動きや試合の流れを読み取って、次の動きを予測する。元々実力があった小島が更に壁を突き破った先に手に入れた武器。

「……ってことは。つまり、あいつは……もう最高の状態になってるのか?」
「試合に入る前から、たぶんなってたよ。それだけ淺川を倒したいってことしか考えられなくなってたんだろうさ」

 何としてでも誰かに勝ちたい。早坂も君長に対してそう思い、全道大会の最中も心配になる様子を見せた。小島もまた淺川を倒したい一念で最初から全開で挑んでいる。最後までその状態が続くかということも考えずに。

「改めて、凄いと思ったよ。あいつのこと」
「ああ」

 武は自分が自然と拳を握り、震えていることに気づく。試合の熱気にあてられて、早く試合がしたいという感情が浮かび上がる。その思いを抑え込まず、小島の応援へと還元した。

「一本!」
「一本だ!」

 武の後押しを受けるように小島はシャトルを打ち上げた。
 決勝戦第一試合。
 小島VS淺川。
 3対0で小島のリード。
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