Fly Up! 324

モドル | ススム | モクジ
 握手を交わした相手の表情が晴れやかだったことが脳裏から離れず、武はぼーっとして椅子に座っていた。
 観客席の一角に作った自分達のスペースに戻り、全員がそれぞれの形で体を休めている。吉田コーチと庄司は準決勝の内容について細かいことは決勝の直前に説明すると言い、全員に試合の疲れを少しでも取るようにと告げて離れていった。
 試合時間の長かった早坂と藤田、姫川は長椅子にバスタオルを敷いて寝ている。誰にも邪魔されないように、誰かの邪魔をしないようにと南北海道スペースの上の方で横になっていた。
 武は彼女達とは逆に、最前列の椅子に腰かけてフロアを眺めている。
 下で行われている試合は、今はもうない。例によって余分な場所のコートを取り払い、中央付近にあるコートを残している。試合が全て終了後の閉会式や後片付けを素早く行うための手段であるが、今回は今まで見てきたものとは少し異なっていた。
 武の目に入ってくる、形が残っているコートは一つだけ。これまでなら複数の試合を同時に進めることから二つ以上は存在していた。

「決勝戦は一試合ずつ行われるみたいだ」

 武の疑問を解決したのは隣に腰を下ろした安西だった。両腕に抱えているスポーツ飲料を突き出してどれか選べと言外に提示してくる。武は右掌を中空に彷徨わせた後で一本抜き出し、キャップを開けて喉の渇きを潤した。視線を安西の後方へずらすと清水も五本持っており、観客席の上方で寝ている早坂達を一瞥するとペットボトルを置きに上がっていった。

「試合、お疲れさん。遂に決勝だな」
「しかも相手は念願の北北海道」
「どっちが勝っても北海道は注目集めるな」

 武達の試合が終わってから少しして、トーナメント表の逆の側でも勝利チームが決まった。
 北北海道は3対1で勝利し、決勝は一時間後に南北の北海道間で争われる。初めての大会の優勝チームを見極めようと観客も徐々にその数を増していて、ところどころにテレビ局のカメラも見えた。それだけ注目される中で試合をしたことがない武は緊張に体を震わせる。

「寒いのか?」
「いや。願いが叶って嬉しくて。武者ぶるい」

 握りしめた右手に力を込める。今まで口に出して何度か「試合をやろう」と言ってきたが、目の前の強敵との試合を前に、まずは一勝することというより大事な物の前に意識の外へと追いやっていた。目の前の勝利に集中することでここまでこれたのだと武は思っている。
 そして、次の試合はラスト。負けたら次がないのはこれまで通りだが、勝っても次の試合はない。最後の場所まで上り詰めるという感覚は個人戦ダブルスで何度か味わっているが、仲間達と共にという経験は初めてだった。

「お前だけじゃなくて、みんな、そうだろうさ」

 口に出していないのに分かるのかと武は顔を向けるが、安西の言葉が「武者ぶるい」にかかっていると気づく。
 何しろ全国の並居る強豪を押しのけて、決勝戦が北と南の北海道チームで行われるのだから。どちらが勝っても北海道の評価は上がる。

「なんか不思議な感じだな。全国大会の決勝で、北海道同士でぶつかるなんて」
「室内スポーツは、差は付きにくいはずなんだ。外でやるスポーツは雪の影響でグラウンドが全然使えなかったりするから練習の差はあるかもしれないけど」

 武の言葉に対して安西が返す。確かに雪の影響を受けないという点では室内で行われるスポーツは全国でも同等だろう。あるとすれば指導者の差であり、選手の質の差。ただ、気候的な面を考えると夏場は弱いかもしれない。

「インターミドルや、インターハイは夏にあるから、夏バテはこっちの連中よりはしやすいかも」
「確かに。俺は夏に本州きたことないけど、やっぱり北海道の夏とは全然違うって言うな」

 そういう意味では逆に冬は北海道民のほうが寒さに慣れている分、ポテンシャルを出せるのかもしれない。だが、ベスト16に残っている沖縄チームのことを考えると寒さの影響も少ないかもしれない。
 考えれば考えるほど余計なところまで思考が向いてしまいそうで、武はため息を吐いて一度リセットした。

「ま、そんなことは置いておいて……俺、少しラケット振ってくるよ。多分、次は出番あるからな」

 安西は立ち上がって武に手を振り、その場から離れていく。小さくなる背中を見ながら武は次のオーダーへと思いをはせる。
 出番がなかった安西と清水が出るとすると、次に抜けるのは誰か。吉田コーチは渋っている様子があったものの、準決勝で温存した小島をシングルスで出してくるのはほぼ間違いないだろう。北北海道を越えて全国最強の淺川亮にぶつけるために。
 なら、男子ダブルスは誰になるか。自分と吉田ならば良いと思っても、別れてしまうのではないかという不安はあった。
 男子ダブルスで西村と山本ペアに自分と吉田が勝てる可能性もまた、現時点だと少ない。
 吉田コーチが、小島が淺川亮に負ける可能性を考えた場合、負けるリスクが高い勝負に二つも挑むかどうか。だとすると自分はミックスダブルスに回されるかもしれない。女子と組んだ際の勝率が高いことは証明している。

(せっかくの機会だけど……諦めるしかないのかな)

 武は携帯を取り出して電話帳を検索する。由奈の名前を探し当ててメールを作成しようとするが、指の動きを止めてまた閉じた。悩んだ時や迷った時にいつも相談していたが、ふと今回は一日が終わるまで結果を教えないようにしようと考えていた。
 最初は単純に、優勝したとして驚かせてやりたかったこともある。だが、集中力が切れてしまう気がして由奈のことはできるだけ忘れていようと決めていた。今回、決勝に進んだことで意識のタガが少し緩んでしまったらしい。

(駄目だ。報告は後でする。優勝した、後で)

 自分に言い聞かせて立ち上がる。
 安西が買ってきてくれたペットボトルを持って客席の入口の方へと歩いて行く。ラケットを振るということはしないが、じっとしていられなかった。吉田も小島も岩代もいなくなっていて、女子が自分より遠い場所で眠っている状況にどこか気分が落ち着かなかった。清水だけ残る形になるが、同じ女子ということで問題ないだろうと思ったこともある。
 客席を出た先のスペースでは予想通り、小島と安西が打ちあっていた。お互いに試合がなくて体を暖める必要のある同士が、ある程度の広さがある場所を占領してドライブを打ち合う。他にもう試合があるのは北北海道のチームだけであり、他の人を気にする必要はほぼない。
 扉を出たところで止まっていると、背にした扉が開く気配がして横にずれた。
 そこには、もう一チームの面々が立っていた。

「お、先約いるねぇ」

 先頭にいた西村がそう言ったあとで横を向き、武の姿を視界に認める。自分への興味が集中したことに気づいて武は軽く頭を下げた。西村は「よーっす!」と気楽な口調で話しかけてくる。

「いやー、本当に南北決戦が実現するとはなー。びっくりしたぜ。ぶっちゃけ、そっちは瀬名って女子が怪我で離脱したから終わったと思った」
「……意外と藤田もやるんだよ」
「そうだよな。さっすが俺の元同級生」

 あまり意味のあるくくりではないにせよ、西村の中に自分達との思い出が少しは残っているのだろうと武は思える。転校していく前までの西村も十分に強かった。もし、そのまま浅葉中に残っていたならば、吉田のパートナーは間違いなく西村になっていて、早いうちから全国で活躍していたのかもしれない。

(そして、俺は大した成績残せないまま市内で終わってて、ここにもいなかったかもしれないな)

 今の自分を否定する気はなくても、中学一年当時の自分がここまで成長できたのは吉田というパートナーに出会えて、一緒に試合をするようになったからだと振り返る。吉田と一緒に試合をしていく中で試行錯誤し、強敵に勝って、力を上げてきた。
 西村の転校ということがなければ、今の自分はないと思うと不思議な気持ちになる。

「お前も流石だよ。香介の眼は間違ってなかったってことだな。良い試合したいな」
「……ああ」

 先ほど浮かんだ可能性を思うと、素直にダブルスで対戦しようと言える気分でもなかったため、ワンテンポ遅れて呟く。西村は武の様子に何か気づいたのか、口元を緩めながら言った。

「俺はさ。香介もいいけど、お前とやってみたいんだよ」
「俺と?」
「そう。一度も本気で対戦してないからな。だから、最悪……相沢とだけでも、やりたいね」

 西村との会話はそこまでだった。山本龍と淺川亮が、打ちあっている小島と安西を迂回して離れた場所に陣取ると、西村も体を暖めるために仲間の場所へと向かう。
 浅葉中の西村ではなく、高槻中の西村。
 間違いなく、今は優勝決定戦のライバル同士。
 だが、武はライバルが放った言葉の真意を掴みかねて困惑する。
 吉田との試合のほうが元相棒としては燃えるのではないかと、武は考える。

(俺は……やっぱり、吉田と一回はマジで試合してみたいけど)

 ダブルスを組んだ当初は少しシングルスでも試合をしたことがある、はずだ。そんな記憶がほぼ残らないほどに、吉田とはダブルスの試合を積み重ねてきた。今、自分が一番試合をしたいのは誰だろうと尋ねられれば、西村と山本というように答えるかどうか。そうやって答える自分を思い浮かべて、しっくりこなかった。

(俺は……誰とやりたいかと言えば……)

 その先を考える前に、真横から声がかかった。

「そんなところで立って、どうしたの?」

 声の方向に視線を向けると、いつの間に来たのか清水が立っていた。手には先ほど買って武達に配ったペットボトルが握られて、キャップが空いている。ただ、中に入っている量は武よりも少なくなっていた。

「そんなに急に飲んだら腹痛くなるぞ?」
「うん。そうなんだけど、ね」

 清水が一気に飲んでペットボトルの中身を減らしたというのは完全に勘に任せた発言だった。少なくとも同時期に買ってからの減り具合から自分よりもペースが速いのは分かっていたが、それでも清水のペースというのがあるかもしれず、気にすることはないかもしれない。
 しかし、武は清水が全身から緊張したオーラを発しているのに気付いていた。
 間違いなく緊張している。その分かりやすさに苦笑しつつ、言葉を続ける。

「次、試合に出るからか? 緊張してるのは」
「うん……実は、庄司先生に聞いたんだ。そしたら、出るだろうって」
「だろうな」

 元々ミックスダブルスのみに出る予定だったことは瀬名の離脱という事態によって意味をなさなくなった。清水はこの全国大会で出番が全くない。おそらく今、体力が最も余っているのは清水だ。
 武達がこれまで触れてきたコートの中での真剣勝負による張り詰めた空気には触れているが、これまでの試合による疲労はないに等しい。逆に武達は試合の合間に休んでいるとはいえ、これだけの期間大会にかかわっているのは誰もが始めてであり、毎回の試合で精神力を相当削っている。今も一時間の休憩があるが、どこまで体力と精神力を回復できるかは分からない。
 武はそんな事情から、安西と清水は自然と鍵になる存在ではないかと考えていた。

「清水が選ばれたら、思いっきりやればいいさ」
「思いっきり?」

 何かが省略された言葉づかいに清水は問いかける。武も言葉足らずを自覚して、もう少し伝える情報を多くする。

「清水が一番体力あるから、シャトルになんでも飛びついていけばいいって思うよ」
「そう簡単に行ったら苦労しないよ」

 清水のため息交じりの声に武はどうフォローしようか考える。清水は藤田と同じく、ミックスダブルスの要員としてここまで来た。しかし、たまに試合に起用される藤田とは違ってここまで出番は一度だけ。吉田とのミックスダブルスで、決勝トーナメントに進む前のリーグ戦だ。ほんの数日前だが、もう一か月も二か月も前のように武には感じられる。
 武の回想を余所に、清水は続ける。

「皆の試合を見てて改めて思ったけど……私だけ場違いだなって、また自信なくなった」
「そう、か」
「藤田は準決勝、凄かった。私より才能があって、凄い勢いで上手くなっていったんじゃないかな」

 藤田は準決勝の前と後でだいぶ実力が上がっただろうと武も、他のメンバーも分かっている。
 本来なら対戦することも、まともな試合になることもなかった相手に対して、姫川のフォローによって互角以上に戦えた。パートナーの支えの下で、練習で培った基礎が強敵との試合によって蓋が開き、化けるというのは武も経験済みであるため、同じくらいの実力なのに試合に出る機会がなかった清水の焦燥感が増えていくのも分からなくはなかった。

「瀬名の穴を補うって言ったけど……今の試合を見てても相当大変だなって思って。そうなったらさ、体の震えが止まらなくてじっとしていられなかったんだ」
「そうか」

 清水に対して何か言葉をかけなければいけないと思っても、思いつかない。武は頭を軽く叩きながら言葉を探したが、その様子を見て気づいたらしく、清水は口元に手を当てて笑う。少し笑いの衝動をこらえてから、静かに言った。

「相沢ってほんと、気真面目だよね。そういうところ、由奈は好きになったかもね」
「いきなり恥ずかしいこと言わないでくれよ」

 由奈のことを出されて急に顔が熱くなる。武の顔を見た清水はまた笑って、笑いの衝動が収まるまで目の前でドライブを繰り広げる小島と安西の姿を眺める。そして、奥で同じように打ちあっている西村や淺川亮を見て頬を緩めた。

「西村もあんな強くなって。早さんも、相沢も吉田も強くなって。多分、藤田も。浅葉中から参加した人は元々からも含めて、凄いよね」
「清水もなれるって」
「なれないよ。私は、才能ないもん」
「なら、才能ないけど頑張ればいい」

 武の言葉に少し苛立ちを表情に浮かべて振り返った清水は、武の顔に浮かぶ真剣なまなざしに怒りを霧散させていた。武は自分の中の思いを全て清水にぶつけるように言葉を選ぶ。

「確かに俺や、吉田に早坂に藤田は結果出してきたからそう見えるかもしれないけど。俺らだってあんまり変わらないさ。強い相手にどうやって勝てばいいんだって考え続けて、ここにいるんだ。清水も、リーグ戦の時にミックスダブルスで勝っただろ? 全国で勝つとか、実は凄いんだってこと。忘れるなよ」

 それは自分に対しても言う言葉だ。地区予選でも全道大会でもなく全国大会。本来なら、すぐに負けてしまってもおかしくないのに自分達は勝ち進んでこれたのだから。

「必ず勝てなんて誰にも言えないさ。だから、清水は諦めるな。シャトルを返し続ければ、負けないんだ。準決勝の藤田のように」

 武の強い言葉と視線に、清水は顔をそらしながら「分かったよ」とだけ頷いた。武はそれ以上何も言わず、並んで練習風景を見ながら手にしていたペットボトルを飲む。

(これで……大丈夫になればいいけど)

 清水が庄司へと告げた通り、次の試合で清水の出番はある。そこで勝つために全力を尽くすことが、勝っても負けても自分達の糧となる。団体戦とはそういうものだ。
 自分にできる限り清水を励ましたつもりだったが、その結果が出るのは、実際の彼女の試合まで待つことになる。

 決勝まで、残り三十五分。
 練習は黙々と続けられていった。
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