Fly Up! 322

モドル | ススム | モクジ
 試合の中、姫川はシャトルを同じように打ち返していても、毎回かすかに変えていた。
 それが実際に変化したかどうかは程度差があるが、微妙にタッチや速度、飛距離を変えることで同じように打ったとしても上手く打てないような、そんなシャトルの軌道を理想と考えていた。今回のように、ローテーションをしないでトップアンドバックの体制のまま勝とうとしている時はかなりの無茶をしなければいけない。
 高い理想を体現しようとラケットを出し続ける。自分の技量が足りないならば、理想を叶えようとする今、追いつかせればいいとポジティブな方向に割り切っていた。

(この試合で、決める!)

 たとえ相手が中途半端なロブやハイクリアでチャンス球を誘い、こちらに攻めさせようとしても姫川はけして折れなかった。
 相手の得意な展開である防御に回らせず、攻撃させる。これは藤田とペアが決まってから考えたことだった。正規のダブルスではなく、さらにこれまで組んできた早坂や瀬名よりも一歩実力が劣るパートナー。全国大会の準決勝にしてこの状態になったならば、どうにかして勝つために方法を模索しなければいけない。
 外には見せてはいないが、自分が今、重要な役割を持っていることは理解している。

(決勝に行くために……決勝に勝つために。私がこの試合でやることは、二つ)

 姫川は当初定めた目標に従ってシャトルを打っていく。ハイクリアで奥へと打ち込んだシャトルを小川がスマッシュでストレートに打ち込むと、藤田がネット前でラケットに当てる。小川の代わりに前に出た高崎がヘアピンを打つも藤田はプッシュを狙わずにラケットをシャトルの進行方向へと置いた。しかし、力加減に失敗したのか少し強く弾かれてしまい、ネットとの間に隙間が広がる。それを見逃す高崎ではなかった。

「やあっ!」

 高崎は横移動でシャトルにすぐさま追いつくと、手首だけだが強くプッシュを放った。藤田は中途半端に触れるのを恐れてラケットを引っ込める。シャトルは藤田の防御を抜けてコートへと向かったが、軌道上にラケットを差し出して飛び込んできたのは姫川だった。

「はあっ!」

 下から上へと跳ね上がるシャトル。並のプレイヤーならば今のタイミングではコートへと落としてしまうだろう。しかし、姫川は自分の機動力の及ぶ範囲を確実に理解して、最大限に使って藤田をカバーしていた。
 第一ゲームはその戦法が功を奏して相手の得意なパターンを封じ込められた。セカンドゲームも今のところ攻めている。

(まさみんも、大分慣れてきたみたいだしね)

 今の、プッシュされたシャトルを躱す上手さはシャトルが見えてきている証拠だった。そもそも技量がなく速さに慣れていなければシャトルをネット前で触れて落とすということはできない。確かに実力は一歩劣る藤田だが、ポテンシャルは負けていない。それが試合を通して覚醒してきている。

「はっ!」

 小川のハイクリアを追って姫川はコートを駆ける。速度に乗って真下にたどり着き、一瞬だけ相手コートを見てからストレートにハイクリアを打ち返す。ダブルスのラインにできるだけ平行になるように打ち返すと小川もスムーズに移動してストレートに打ち返してくる。しかし、姫川にはどこかその動作がぎこちないように見えた。

(何かは分からないけど……きっと苦手コース!)

 直感で決めつけて、姫川は再度同じ所へと打ち込む。
 バックハンドで打ち返すか、体をひねってフォアハンドで強引に打ち返すかという選択肢を強いられるバックハンド側にくるシャトルや、シビアなタッチを必要とするネット前へのシャトル。
 どんなプレイヤーでも苦手なところは似ている。弱点を消し、どの位置に打ってもどんなショットも打ち返せるプレイヤーこそ真の強者ではあるが、それは全国レベルの中でもごく一部のことでしかない。
 姫川自身が試合をしてきた相手や、応援して外から見てきた相手。どの選手にも何かしら苦手な部分は見えた。東東京代表はその隙が最も少なく、完璧に見える点で異質ではあったが、女子ダブルスに関してはこれまでの選手達よりも劣るように姫川には見える。どんな部分が、と具体的には言えない。ただ、同じハイレベルでも劣るという感覚が、姫川から見た印象として残る。
 自分の感覚を信じて、姫川は同じ場所へと三回、四回と打ち続けた。小川は変化をつけようとクロスに打ち、スマッシュを放ったが藤田が取れなかった場所には常に姫川が移動していて、同じ場所へと打ち続ける。
 変化を求める相手に対して現状を維持するために神経を使う。二人の意地の張り合いは、小川がスマッシュをネットにぶつけたところで姫川の勝利に終わった。

「ポイント。テンエイト(10対8)」
「よっし!」
「ナイッショ!」

 ネット前から戻ってきた藤田とハイタッチを交わす。ラリーの最初に一回シャトルに触れた程度だったが、藤田は自分の役割を全うしようとじっくりと待った。無理なシャトルには手を出さず、姫川に任せる。自分が言ったことを守ってくれることに少しだけ胸を痛めながら感謝する。

(ほとんど動かないで、なんて。酷い戦法だよね)

 姫川が今、選択している戦法は、実質1対2でダブルスをしているようなものだ。無論、前衛のシャトルは藤田が取るため普通のダブルスではあるのだが、姫川の防御範囲はシングルスの時とそう変わらない。自分のレシーブ力を信じて相手のミスを誘うためには、できる限り自分の思い通りに動けた方がいい。そうするなら、パートナーはネット前でじっとしてもらった方が都合はいい。
 それは、藤田の力が劣ることを認めて、できる範囲で最小限の仕事をしてもらうこと。彼女の力不足を見せつけているのと同じだった。
 それでも藤田は笑って姫川を後押しする。自分の意図を悟っていないのかと一瞬思った姫川だったが、藤田が自分よりも頭が切れることは以前から接していて分かっている。
 間違いなく藤田は姫川の意図を読んでいて、全面的に協力しているのだ。
 この試合に勝つために。

(自分のできる、全力)

 姫川は藤田の後ろにつく。ラケットとシャトルを持つ手に適度な力を込めた藤田は、ネットを越えてくるプレッシャーにも動じない。応援を共にしている際に見せる焦った顔を見ていた時はここまで肝が座っているとは思えなかった。だが、試合に入った藤田はどんどん相手のプレッシャーを受け流すようになっていく。
 受け止めるのではなく受け流す。武や吉田、小島や姫川は相手のプレッシャーを受け止めて弾き返すというイメージを持っている。瀬名もどちらかといえば彼らの仲間だろう。相手の力を真正面から受け止めて打ち倒すことに燃えている。自分もそのような要素はある。ただ、藤田は明らかに違い、そもそも強いプレッシャーから逃げているようだった。逃げきれないと緊張して力が入り、ミスショットを連発するが、上手く逃げられれば今のような状態になるのかもしれない。

(まさみんの長所……見えてきたね)

 藤田が「一本!」と吼えてシャトルを打つ。綺麗な弧を描いてシャトルはネット前へと落ちていく。レシーバーの高崎はネット前に出て、山なりになるようにシャトルを打ち返す。中途半端な軌道ではあるが、そのために藤田のラケット面の範囲から外れる。タイミングや軌道を調整して、相手も藤田からのインターセプトを徐々になくしていた。まだ確率は低いものの、藤田のラケットが届かなくなる時が来るかもしれない。

(その時は、次の手を考えればいい!)

 姫川は悩むことなくラケットを振り切ってクリアを飛ばす。クロスに鋭く飛んで行くシャトルにまた小川が肉薄してハイクリアを打ち上げた。ストレートに進むシャトルには姫川が反応し、真下までスキップするような軽快さで移動するとストレートハイクリアを打ち返す。先ほどと同じように同じ軌道を二人の間で打ちあう。今度は前のような違和感は見えてこない。そこで思い付いたことを即実行する。

「やっ!」

 ストレートの軌道をクロスに変更して逆サイドの奥へとシャトルを打つ。小川が追わずに高崎が移動したことで思惑は失敗したが、ひとまずコートの後ろ側で中央のラインをまたがってスマッシュに備えた。

「はっ!」

 ストレートに放たれるスマッシュ。だが、ネットを越えたところで横から飛び込んだ藤田がラケット面にかすらせて、シャトルにスピンをかけて落としていた。

「えっ!?」

 インターセプトに備えてネットを挟んで藤田の前でスタンバイしていた小川も取ることができず、唖然とした声を出す。藤田は相手に向けて左手で握り拳を作るとガッツポーズを取った。

「ポイント。イレブンエイト(11対8)」

 審判のカウントに我を取り戻したのか、小川は落ちていたシャトルを拾って藤田に手渡しする。そこで何か言ったのか小川の口が動いたが、声は姫川には届かなかった。

「ナイスショット。何か言われた?」

 藤田が傍に戻ってきたところで労い、さっそく尋ねると藤田は気恥かしそうに言った。

「ナイスヘアピンだって。私も決まって良かったよ」
「あれ、狙ってたの?」
「あ、うん。失敗したら謝るところだった」

 藤田への指示はラケットにシャトルを当てること。他の余分な動作はしないように言っていた。余分なことには例えば、上がったロブに対して腕を伸ばして届いた場合に手首を使って角度をつけることや、ネット前のシャトルについてヘアピンを打つ時にスピンをかけないことも含まれる。ただ当てること以上の技術を行使しようとすると、ハイスピードの攻防の中では隙が大きくなる。今のスピンをかけたヘアピンも、当てた時の力加減を誤ればスピンはかかってもネットから離れてしまい、相手に打ち込まれるチャンスが増えた。
 それでも藤田は実行した。これまで触れるだけにとどまっていた攻めにアクセントを加えるために。

「あっちも慣れて来てるから、少し変化をつけたかったんだ。だから自分でできるって思った所で、ラケットで触れること以上のことをしようと思ったんだ」
「なるほどね」

 姫川自身も、セカンドゲームの序盤に相手の想定を越える動きをして主導権を握った。そのまま中盤を過ぎて、終盤に入ろうとしている。無論、このままでいくとは思っていないため、どこかでもう一つ差を広げる必要があった。その行動を、藤田がしてくれたということになる。今のヘアピンによって、藤田もただ当てるだけではないという印象を相手に上乗せさせたはずだった。

「じっくり、一本行こう」
「うん」

 藤田のシャトルを持つ左手に軽く自分の左手を当てて、離れる。握手のつもりだったが伝わったかと顔を見ると、きょとんとした後で笑顔になった。
 腰を落として一度深く息を吸い、吐く。すると姫川の中にある変化が現れた。

(コートが、狭く見える。深呼吸した時に吸いこんじゃったみたいだ)

 自分が一歩踏み出せば、すぐにコートの右端左端に移動出来てしまう気がする。相手の立ち位置は変わらないが、自分のエンドはまるで掌に収まるかのように思える。それを、錯覚だと理解した上で姫川は吼えた。

「一本!」
「一本!」

 姫川の気迫に背中を押されて、藤田はショートサーブを放つ。小川がプッシュで弾道を低く打つことに成功するも、シャトルの先には既に姫川がいた。右手を振りかぶり、狙うのは一点。
 これまでできるだけ打たないようにしていた場所と軌道にシャトルを乗せるようにラケットを振り切る。

「はあっ!」

 突き進んだシャトルを小川はラケット面で受け止めたものの、コースを狙うことができずに浮きあがる。チャンス球に対して藤田が斜め後ろへと飛びあがりラケットを上げる。

「打ちこんで!」

 躊躇なく言う姫川に対して藤田は叫びながらのスマッシュで応えた。
 シャトルは振り降ろされたラケットによって、ほぼ垂直に小川の真横へと叩きつけられた。

「ポイント。トゥエルブエイト(12対8)」
「ナイスショット! まさみん!」

 姫川は握りこぶしを作って腰に引きよせ、叫んだ。自分でもそこまで気合いをこめて藤田を称える理由が分からなかったが、込み上げてくる衝動に抗わずに素直に表現したのだ。力を込めて押さえつけないとコートを走り回ってしまいそうな自分が良く理解できず動揺するも、聞こえてきた悲鳴に顔を上げる。

「わっ!?」

 当の藤田は着地した時にバランスを崩したのか後ろに倒れ込んだ。幸い尻もちをついた程度で済んだらしく、すぐに尻を軽く払いながら立ち上がり、姫川の方へと顔を向けて戻ってくる。その間にシャトルが返ってきて、代わりに姫川が受け取っていた。目の前まで来てシャトルを受け取ろうとした藤田は手を止めて、姫川へと言った。

「驚いた。凄い声だすね」
「やっぱ、倒れたの私のせい?」
「違うよ。久しぶりに振り切ったから、体が慣れてなかったみたい」

 藤田はスマッシュが決まったことが嬉しいのか、心地よさそうな表情をしていた。それが、自分が立てた作戦をしていたことでストレスがたまった結果なのかと姫川は不安に思って表情を曇らせる。その曇りに藤田が気づいて、首を横に振った。

「もしかして、なんか悩んでた? 私に打たせないことに」
「うん」

 即答する姫川に笑った藤田は、シャトルを受け取って羽を整える。その間に顔を背けると呟く。独り言であり、姫川には言っていないというように。

「私だって身の丈は分かってるし。本来ならこんなところで打てるような力はないんだよね……でも、団体戦だと、ここまでこれた。だから、どんなことでも役に立って、勝ちたいんだ。だから私は、姫川を信じる」

 そこまで言うと藤田は前に出てサーブの体勢を整える。自分が藤田に対して「信じて」と伝えた言葉をそのまま返されただけだが、胸の奥が熱くなり、自然と力が湧いてくる。ほぼトップアンドバックを続けて相手からのスマッシュやハイクリアなど後方への攻撃を凌いできた姫川には、疲労がたまっていた。セカンドゲーム終盤にきて、これまでの試合の疲れもあって気だるくなってきている。それでも自分で決めた作戦であり、藤田が信じてくれたから最後まで完遂しようと誓っていた。
 その誓いの元になった信頼を、改めて伝えられるとやはり嬉しかった。

「よし、一本。しっかりいこう!」
「うん」

 藤田はサーブ姿勢を取ってから視線を姫川へと向けて微笑んだ。
 シャトルがショートサーブで運ばれていく。これまでで最高レベルの際どい軌道に乗ったシャトルを小川はロブを上げて、後ろに下がった。姫川はシャトルを追いかけていくが、視線を相手に移した時にその陣形に一瞬気を取られた。

(トップアンドバック!?)

 自分達と同じ陣形。高崎を後ろに。小川を前にして、姫川達からのサイドへのスマッシュはないという大前提での構えに、姫川は勝負所がきたと悟る。

(ここでどっちが出しぬけるか、勝負!)

 姫川は挑戦状を叩きつけるようにシャトルをハイクリアで飛ばした。
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