Fly Up! 321
(ほんと、相沢の声は力になるよ)
藤田はほころんだ口をきつくして、相手に視線を向ける。
対角線上にいる小川は藤田からのシャトルをプッシュで叩きこもうという気迫を十二分に前へと押し出して、威嚇を仕掛けてきた。中途半端に対抗する気持ちがあるならば、その波に飲み込まれて体を固くしていただろう。しかし、藤田はプレッシャーを受けてもほとんど影響を受けずにシャトルを打っていた。ネットに触れるか触れないかの軌道で進んだシャトルを、小川は前に出てプッシュする。しかし、彼女が威嚇したにも関わらずシャトルは絶妙なラインを通ったために角度をつけることができずに押し出してドライブのような軌道を描いてしまった。当然、コートに落ちるまでには時間があるため、姫川が拾って大きなロブを打ち返す。藤田は前に残ったままで次のショットで飛んでくるシャトルにラケットを触れさせようと、ラケットを掲げて白帯から出した状態で待った。
シャトルを追っていったのはプッシュを放った小川。パートナーの高崎は左サイドにいて、小川が放つ次のショットに備えて動こうとしている。今までの流れからストレートのスマッシュを放つであろうことは分かり、藤田もラケットを右側へと移動させる。だが、ふと思いつき、いつでも左に方向転換できるようにといつもよりも少しだけラケットを伸ばさなかった。
「はっ!」
小川から放たれたのはクロススマッシュだった。藤田は広げていた右足に力を込めて左へと飛ぶように移動する。シャトルに向けてラケットを伸ばし、触れるだけ。今の自分にできることはそれだけと割り切って、シャトルの進行する道を止める。それさえしてしまえば、あとは姫川が何とかしてくれる。そう信じてラケットを伸ばした結果、シャトルは跳ね返って相手コートへと落ちていく。
「やっ!」
落ちていくシャトルを打ち上げたのは高崎だった。小川のスマッシュと共に前に出てきた高崎は、もう何度もやられた藤田の「触れるだけ」戦法を読んでシャトルへとラケットを伸ばしていた。シャトルの下にもぐりこませたラケットを振り上げて、藤田の防御をすり抜けるようにロブを打ち上げる。また姫川へのシャトルになり、ストレートのドリブンクリアを右方向へと打ち抜く。相手コートの左端に向かったシャトルに小川が体をのけぞらせるようにして追いつくと、スマッシュを打った。
しかし、シャトルは白帯に弾かれて高崎の前へと落ちていた。
「ポイント。フィフティーンテン(15対10)。チェンジエンド」
審判の声に藤田は動きを止める。だが、相手も姫川も淡々とコートから出ていくのを視界の端に捉え、慌てて姫川の後を追った。
「ナイスディフェンスぅ。まさみん。次もこの調子でね」
「ありがとう……姫川。大丈夫? だいぶ無茶させてるけど」
「そこまで無茶じゃないよ。それに二人だからあまり体力は減ってないから」
姫川は左掌にラケット面を軽くぶつける。表情も口調も無理しているようには藤田には聞こえない。ほっとしたところに姫川の言葉が届く。
「二ゲーム目も同じようにしよう。最後まで」
「最後……うん」
最後とはつまり、勝利すること。全道でも全国でも負けることや出番がないことが多い藤田には、今の勝利は貴重な体験だった。
姫川と共にコートに入ると、自然と心が落ち着いていく。最初に姫川から提示された作戦は、とにかく藤田は前でラケットを差し出し、シャトルに当てるだけ。無理ならすぐに諦めて姫川に任せる、ということだった。いくらなんでも姫川の負担が大きくなると主張した藤田だったが、姫川は大丈夫の一点張りで、藤田に向かって言ったのだ。
『信じてほしい』と。
そこまで言われては藤田も引き下がるしかなく、引き下がったなら迷わずに作戦を実行するしかない。
試合が始まってサーブを打ってもシャトルはネットから浮かび、相手の強打に見舞われた。それを姫川がカバーしてロブをあげ、向こうから来たハイクリアを同じように返し、何度かの攻防の結果、スマッシュが叩き込まれる。藤田はラケットを振ること、微妙なコントロールをつけることなど全てを放棄して、シャトルをラケットに当てることだけに集中する。それは、藤田にとってシンプルな目標となり、逆にそれしかできないのだという現実をすぐに分からせた。
姫川には最初から他三人と藤田の差を分かっていて、そこをどうにか詰めようと考えた上での提案だったのだろう。
そこで藤田の頭に浮かんだのは、感謝の念だった。
(私にもまだできることはある。この強い人達の中で)
これまで試合に見て、試合に出ることで、自分の無力さと他の選手のレベルの高さを痛感してきた。瀬名が出られなくなった今、その役目を自分や清水が背負うには大きすぎる。本来ならばミックスダブルスや捨てシングルス、ダブルスの要員であったのだから。
だが、姫川が提案した道は自分が準決勝に生きられる道。
自分にもまだ役割があるのだとはっきりと分かった。
だからこそ、藤田は開き直っていた。ハイクリアやドロップ、スマッシュなど打ち合っていては間違いなく負ける。だが、ネット前でシャトルを触るだけなら何とか反応できるのだから。
開き直っているからこそ小川からのプレッシャーも、そこまで影響を与えなかった。自分のショートサーブが下手なのは理解しており、体にぶつけられなければ姫川が拾ってくれると信じた。その結果、失敗よりも成功が上回ってファーストゲームを取ることができたのだった。
置かれているシャトルを拾い上げて羽の状態を確認する。少し欠けていたが打てないこともなく、指で丁寧に整えてからラケットを構え、ラケットヘッドの前へとシャトルを置く。視線の先には藤田に向けてラケットを向けている高崎。ネット越しに見える瞳には、ファーストゲームの頃に見えていた、自分を侮るような光が消えている。その光も自分の被害妄想かもしれないが、最初の負けで気を引き締めて、何か対策を考えてきている可能性はあった。
「セカンドゲーム、ラブオールプレイ!」
審判が四人の体勢が整ったと判断してセカンドゲームの開始を告げる。藤田は静かに息を吸ってから、勢いよく吐き出した。
「一本!」
「いっぽーん!」
背中から聞こえてくる姫川の声に押されるように、藤田はショートサーブでシャトルを打ちだす。白帯を越えて、相手コートのフロントラインに落ちていくシャトル。綺麗な軌道に高崎はプッシュができずにロブを上げた。そのロブもネットにぶつからないようにと気を使ったことで勢いはない。
「やあっ!」
今の藤田には、勢いがないシャトルは格好の標的。
思いきり飛びあがり、ラケットを伸ばす。普通の選手ならラケットヘッドのフレームに引っかけてしまうかもしれない軌道も、手足が長い藤田には射程距離に入った。更に、下手に振ろうとしないおかげでシャトルは威力を完全に削がれてコートへと落ちていく。結果としてネットすれすれにシャトルが落ちていくことになり、次のロブを上げるためのスペースが足りないのだ。相手はシャトルに追いつけたものの、ロブを上げることができずに見送るだけだった。
「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「やー!」
体の内から熱い鼓動が湧きおこり、自然と大きな声を出す。高崎からシャトルを返されて一礼すると、次のサーブ位置まで戻って体勢を整える。
シャトルの羽を整え、足場を踏み固める。次のサーブをどう打つか考えると姫川が近づいて囁く。
「次から全部ショートにして」
「え……でも……」
「失敗したら私が取るから。だから私が失敗したらごめんね」
ファーストゲームまではショートサーブが主体だったが、たまにロングサーブも混ぜていた。そのことで相手が騙されるという利点はあるものの、全て反応されてスマッシュを叩きこまれた。姫川も取れる時と取れない時がまちまちで、藤田も正確な結果は覚えていないものの、感覚的に失敗が多かったと結論付ける。
だからといって全てショートというのも自信がない。ここ数回のショートサーブは成功しているが、出来過ぎだとも考えていた。調子が崩れて簡単にプッシュされるようなショートサーブを打たないとも限らない。そのためにできるだけ選択肢を広げておきたかった。
それを、姫川はあえて狭める。
「うん。分かった」
それでも、藤田は姫川を信じて頷いた。シャトルを構えて二点目を取るためのサーブを放つ。ショートサーブはネットまで向かって相手コートに山なりの軌道の頂点が現れた。
(しまった――)
意識したと同時に失敗する自分に悪態をつく前に、小川がプッシュを打ってくるシャトルは藤田を抜けてコートへと落ちようとし、姫川もラケットを差し出すが一瞬遅くシャトルが着弾して跳ねた。
「サービスオーバー。ラブワン(0対1)」
審判の声が言い終える前に姫川はシャトルをラケットで拾い上げてそのまま打ち返す。
「ごめん」
「謝るのはこっちの方。言ったでしょ。失敗したら私が取るから。だから私が失敗したらごめんねって」
姫川の言葉に何も言えなくなり、藤田はレシーブ位置へと移動して構える。今度は相手のサーブであり、相手は姫川。ファーストゲームで姫川はシャトルをプッシュすることはせず、ロブを上げてこちらの陣形を整える余裕を与える打ち回しをしていた。もし姫川がプッシュして高く遠くに打ち返された時に、そこへ届くのは藤田しかいない。その状況を避けるために姫川はプッシュを打てるのに、打たなかった。
(まずは、前に行く。そこからが、私の仕事だ)
藤田が自分に言い聞かせて気合を入れた時に、相手からショートサーブでシャトルが放たれ、姫川が一瞬後にプッシュを打ち込んでいた。
「――え?」
相手も全く予期していなかったという顔を二つ見せていた。
そしてそれは藤田も同じこと。だが、自分達が予想外だったというのを相手に見せるのはマイナスかもしれないと咄嗟に判断して冷静な顔を作る。審判がセカンドサーブを告げる声を背中に戻ってくる姫川へ左手を上げて声をかける。
「ナイスプッシュ」
「サンキュ。次のヘアピン。お願いね」
藤田は頷いて姫川の代わりに前に出る。自分の手番の時は今までと変わらないということを確認して、藤田はラケットを掲げた。
視線がネットを越えると、相手ペアの間に迷いが見える。審判に促されてサーブ体勢を小川が取るまでの間に二人はこちらへと声が聞こえないようにして何かを話していた。このタイミングで話すならば、間違いなく今のプッシュのこと。ファーストゲームからずっとロブを上げ続けてきた姫川が攻撃に転じたことは一発で相手に疑心暗鬼を生まれさせる。
(私だって唖然としたもんね……なんか、駆け引きのタイミングも上手くなってる)
外から見ていて、今大会で一番伸びているのは姫川ではないかと藤田は思っていた。
小島に早坂。武に吉田。安西に岩代。瀬名。
試合にはほとんど出番がない自分と清水を除いて皆、試合をこなすたびに何か成長しているように見えた。だが、その中でひときわ伸びたのは姫川だと、藤田は自信を持って言える。
シングルスとダブルスの両方で活躍した彼女は全道大会の時とは別人のようだ。移動速度がメインの武器ということは変わらないが、シャトルを拾い、打ち上げるスキルもネット前に落とすことも。フットワークの機動力を生かす方法を試合の中で見つけて、自分の中で昇華させている。
今のタイミングでの攻撃への転進も、相手への精神的なダメージは凄まじい。
小川が苦い顔をして藤田の斜め前でサーブ体勢を取る。藤田は逆に、できるだけファーストゲームと同じような構えと心で向き合った。もしも自分からも気迫のようなものが出ているならば、心の状態を最初と同じにすることでかく乱できるのではないかと思えたからだ。
(私も何かファーストゲームと違うことをしてくるかもしれないって思ってるから、迷ってるんだ。なら、私はいつも通りする)
フェイントをかけないことがフェイントとなる。選択肢が増えるからこそ、これまでと変わらないこと自体が惑わせる。小川の迷いが形となったように、セカンドサーブもネットから浮いていた。藤田は前に足を強く踏み出してラケットを出した。失敗したシャトルに対してプッシュをしない理由は、ない。読まれていても叩きこめば取れはしないのだ。
だから、藤田は最初に決めたことを守る。どんなにチャンス球だとしても、プッシュはせずにラケットを当てるだけ。
その結果、小川はシャトルがコートへ落ちるまでその場から動けなかった。
「サービスオーバー。ワンラブ(1対0)」
「しゃっ!」
審判の声に重ねるように小さく吼えて、藤田は自分からネットの下にラケットを通してシャトルを引き寄せる。拾い上げてからシャトルを姫川へと放ってすれ違いざまに言う。
「一本、お願い!」
「そっちもそのままでいってね」
そのまま。即ち、今のように触れるだけでいいということだろう。あまりに多く語るといろいろと相手チームにも聞こえるかもしれないため、情報交換は最小限に。
そして藤田は姫川の後ろに腰を落とす。ショートサーブを打った後に姫川は一度は前に行く。そしてロブを打った後にすぐ後方へと下がって藤田と位置を入れ替える。
姫川が後ろで相手の攻撃を受け続け、前にきたシャトルは藤田が触れて落とす。またその陣形になるように、姫川は動く。相手の準備が整ったと同時にショートサーブを打ち、ヘアピンで返されたシャトルをロブをストレートに上げてから後方へと下がった。代わりに前に出た藤田はラケットをネットの白帯から顔を出すように掲げながら、次のショットを迎える。
藤田の『ただ触れるだけ』という戦法は想像以上に攻略が難しい。前衛で触れるだけならばミスをする可能性自体が減少し、更にはほとんどがネットすれすれに落ちていく。本当に当てただけなら勢いに反比例してコートに跳ね返るために高崎や小川にもチャンスはあるが、藤田は自分の役割を理解して、本当に余裕がない時以外は上手く衝撃を殺していた。
「はっ!」
高崎がスマッシュと見せかけてドロップを放つ。タイミングを外された藤田だが、最初から前衛にいるために無理せずラケットを伸ばせば届いてしまう。ドロップに対してラケットをネットと平行に置き、返す。小川が前に飛び込んでロブを上げるところには慌ててラケットを引っ込めて躱した。上手く当てられなけばあさっての方向へと飛んでいくため、藤田の防御も紙一重の差だ。
(邪魔だけはしないように……)
ラケットを掲げて腰を落とし、次を待つ。姫川はスマッシュが打てそうなシャトルもハイクリアで遠くへ飛ばし、ドロップを打った高崎が後を追う。シャトルの下に入ってからストレートにスマッシュを放つと、藤田のラケットはかすかに届かなかった。
「任せて!」
声と同時に姫川が打ち上げる音が響く。姫川がどう打ったかは見ずに、また前衛へと戻った。
(このまま……行きたい!)
頭上を越えていくシャトルを視界の端にとらえながら、藤田は押し寄せる高崎と小川のプレッシャーをはねのけるように吼えた。
「一本!」
全国バドミントン選手権大会団体戦準決勝。
女子ダブルス 藤田・姫川組、リード。
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