Fly Up! 320

モドル | ススム | モクジ
 武は自分の胸元に飛び込んでくるシャトルを、体の手前でブロックする。腕を伸ばしてバックハンドで捕らえたシャトルはそれまでのテンポより数段早く相手コートへと返っていた。ネット前へと詰める甲斐は移動が間に合わない分を滑り込むように体を低くしてラケットだけ伸ばしていく。ギリギリラケットを届かせて返したシャトルは、ネットの白帯を越えてすぐに武達のコートへと落ちた。本来なら前に打ち返した武がそのまま前に出るべきだが、打ち返した直後の相手の動きが速く前に出るのが遅れてしまった。
 代わりに飛び込んでいたのは吉田。床につきそうになったシャトルをコントロールして、クロスヘアピンで甲斐のいる場所から離れて落ちるように打ち返した。

「――おおっ!」

 無理な体勢から立て直してシャトルを追う甲斐は、再びヘアピンでストレートに返す。ネットとシャトルの距離が近いために強打ができず、結果的にギリギリのヘアピンを打つしか手がなかった。しかし、吉田には選択肢が与えられていて、シャトルをドライブ気味に奥へと打ち込んだ。後ろには斎藤が構えていたが吉田のショットに反応しきれず、シャトルはコートに着弾した。

「ポイント。フォーティーンマッチポイントイレブン(14対11)!」

 審判がこれまでよりも少しだけ興奮気味に声を出す。ファイナルゲームまで持ち込まれた男子ダブルスの試合も、次で決着がつくかもしれない。武達はまだファーストサーブ。次に失敗したとしても、まだもう一人分攻撃権がある。逆に言えば、二回を乗り切れば斎藤と甲斐にもチャンスの芽が十分に出てくるということだ。

「ナイスショット」

 軽く肩で息をしている武だったが、まだ余力はあった。次の吉田のサーブで十五点目を決めて終わらせる。その気持ちが体中に満ちていたところに吉田が肩を軽く叩く。

「サンキュ。でも、次で絶対に決めるとか、気張るなよ」
「ん……分かったよ」

 自分の態度が吉田に心配させるようなものだったのかと振り返るが、思いつかない。それでも助言に従って深呼吸を何度か繰り返すと、体の中の空気が入れ替わっていくようだった。熱い呼気が外に出ていき、それよりは温い空気を取り入れる。

「っし。ラスト行こう」
「ああ」

 武の準備が整ったと見て、吉田はサーブ体勢を取る。最後のレシーバーにはならないという甲斐の気迫がネットを突き破るように押し寄せる。吉田は甲斐が引き起こす熱風の中に隙を見つけて、ショートサーブを打っていた。
 終盤にきて武にも見えるようになった相手の隙。精神的なものや体力的なものからなのか、教本に乗せられるようなレベルの高さを誇ったローテーションや当人達の集中力に欠落が出てきたことで、武と吉田はそれを見逃さずにシャトルを打ちこんでいた。
 吉田のサーブに対して甲斐はロブを上げる。それも終盤の傾向だった。ショートサーブに対して前に飛び込むことができなくなっているからなのか、飛び込めてもプッシュの失敗を恐れているからなのか武には判断できない。
 いずれにせよ今、武が考えることはただ一つ。

(ここでスマッシュを叩きこむ)

 自分の頭上から落ちてくるシャトルに対してラケットを振りかぶる。軽くステップを踏んでタイミングを合わせてから、両足で飛び上がってより高い位置でシャトルを強打する。シャトルは高速で相手コートへと飛び込んでいき、その標的になった甲斐はバックハンドでクロスヘアピンを打ち返した。その動作は流麗で苦もなく打ち返しているように武には見える。だが、返されたシャトルは浮かんで、吉田が前でラケットを掲げてプッシュに持ち込んだ。

「はあっ!」

 鋭いプッシュに追いつく斎藤は、思いきりラケットを振り切ってロブを打ち返していた。高さはなく鋭く打ち返してくるが、吉田の頭上を越えていく。武は後方に控えたままだったため、横移動でシャトルが飛んだ位置へと向かい、そのまま飛び上がってラケットを振りかぶった。移動後に構える間をキャンセルして、シャトルを相手コートに叩きつける力を結集させる。

(これで決める!)

 サーブ前に体に満ちていたエネルギーを右腕に集約させるイメージ。そのままラケットヘッドに乗せて、シャトルを打ち込む。
 武の気合いを乗せたシャトルは、これまでで最も大きな音を立てて打ち込まれていった。これまで以上の速度で飛んできたシャトルに対して、斎藤はラケットを出すのが遅れてしまい、ラケットヘッドのフレームに当たった結果、吉田の目の前にふわりと上がった。
 吉田が振りかぶり、甲斐と斎藤は腰を落としてプッシュを何としても取るという気迫を出す。
 だが、武は吉田がここでプッシュを打たないと瞬間的に悟っていた。どうしてそう思ったのか自分でも分からなかったが、実際の吉田がドリブンクリアを打ってコート奥に落とすのを見て自分の感覚が正しかったことを知る。
 完全にプッシュを迎え撃つ体勢だった斎藤が慌てて後ろに向かう。完全に背を向けて、追いついた後にどう打ち返すのかということは考えずにとにかくラケットが触れる位置まで追いつくことを目的にした行動。
 斎藤はそのままシャトルを追い抜いてラケットを振り切った。
 返ってきたシャトルに吉田が反応し、身構える。だが、シャトルはネットに阻まれて吉田のラケットに触れることはなかった。

「ポイント。フィフティーンイレブン(15対11)。マッチウォンバイ、吉田、相沢。南北海道!」
『しゃあああ!!!』

 武達よりも先に応援していた仲間達からの声援が上がる。武もネット前で構えていた吉田がラケットを下げるところを見て、ようやく息を深く吐いた。

(勝った……)

 終わった後の力の抜け方に、自分が思っているよりも緊張していたのだと分かって武は苦笑した。
 大阪戦でも二敗している状態からの試合で、しかも自分は椅子に座って吉田と安西が試合をしている状況を眺めていることに緊張したものだったが、今回もまた状況からの疲労が蝕んでいたのだろう。
 武は一度両肩を回してから前に向かい、相手二人と向かい合っている吉田の隣に並んだ。審判もそろったことを見て、告げる。

「セットポイント。2対1で、南北海道の勝ち」
『ありがとうございました!』

 四人同時に叫ぶように言って、握手を交わす。相手から力強く握られた掌。武も力を込めて握り返し、敬意を表する。

「負けたよ。お前ら、試合前より強くなっててずるいぜ」

 甲斐が苦笑交じりに武へと告げてくるが、武はどう答えていいか分からずに首をかしげる。その様子に気づいたのか、甲斐はため息をついて手を離した。

「まあいいさ。今度は、全中で、だな」

 甲斐と共に斎藤も吉田と二言三言交わしてから手を離したらしく、吉田に手を振りつつコートから出ていった。武は見送る吉田を見て、違和感を覚えて話しかける。

「どうした? なにか言われたか?」
「いや、別に何も」

 何かを言われたのだろうと反射的に思ったが、言わないということは本当に何でもないか、話したくないかのどちらかだろうと武は判断して、聞くのを止めた。今は自分達の試合に勝ち、全体でも2対1とリードしている。次の女子ダブルスが勝てば、決勝に進むことが確定する。ならば、自分達の試合とずれて開始している試合を応援することに集中することが第一だ。

「分かった。じゃあ、女ダブの応援しよう」
「ああ!」

 吉田と共にコートを出ると、武達を応援していた仲間達はすでに反転して女子ダブルスへと完全にシフトしていた。端の席二つが空いていたために武が先に座ると、隣にいた小島が「おつかれさん」と声をかけてきた。武は礼を言いつつ、状況を確認する。

「悪くはないな。正直、藤田がレベル的に劣ってるところを姫川が頑張ってフォローしてる。12対10でこっちリードだ」
「まだファーストゲーム?」
「ああ。お前らのファイナルが始まって少ししてから始まったからな」

 武はコートへと視線を戻す。こちらの陣形は藤田が前で姫川が後ろ。相手からスマッシュが撃ち込まれたところを姫川が追い付いてネット前に打ち返す。相手前衛が前に落としたところで藤田がラケットを触れさせるだけで返す。あくまで攻めではなく防御。強打できそうなシャトルもひたすら触れさせるだけで相手コートに打ち返すことに集中していた。

「完全に防御に回ってる感じだな」
「ここまでのほとんどは、相手がミスして得点してる。あいつらが完全に防御に回るとあそこまでとは思ってなかったよ」

 小島が関心する点には武も同意だった。守勢に回ってバドミントンにはあまりよいことはない。それでも、相手のミスで得点する可能性がある以上、戦法的には間違っていない。ただ、それには相手に手数を出させる必要があるため、体力と、何より忍耐力を必要とする。

(藤田は確かに他の三人よりは実力は劣るけど……ダブルスだから何とかなってるのか?)

 姫川の機動力とレシーブ力は武も十分脅威と思えるほどだ。同性からするともっと怖いのかもしれない。特に姫川はこの全国大会の試合で実力をメキメキと上げている。女子のスマッシュではそう簡単に防御を貫けないのかもしれない。

「相手のダブルスは……男と同じく、今年の全中のベスト4だ」

 小島に渡されたプログラムを開いて団体戦のメンバー表を見る。高崎佳奈美と小川真美。武にはピンとこないが、おそらくはバドミントンマガジンを見返せば名前は載っているのだろう。名前と顔を確認して、武はしばらく小島の説明に耳を傾ける。

「どっちもスマッシュはそこまで得意じゃないみたいだ。男子と同じくローテーションに隙がない。で、どっちかっていうと相手のシャトルを拾って隙を見出していくタイプのダブルスみたいだ」
「……それって」
「そう。今の藤田と姫川と同じ戦法ってことさ」

 改めて試合を眺めると、ちょうど藤田のヘアピンからのシャトルを返すことができずに、高崎がネットにラケットをぶつけてしまっていた。13点目が入って破顔した藤田が姫川とハイタッチを交わす。逆に、高崎と小川はこの現状にフラストレーションを溜めていることが滲み出ている。

「防御が主体の相手が攻めてるってのも、接戦の要因の一つってことか」
「ああ。姫川と藤田が本当に攻めないんだ。だからあっちが痺れを切らして攻める。で、成功もするけど失敗もする。自分達本来のスタイルに持ち込めないと本当に崩れるんだな、ダブルスって」

 小島の言葉に武も過去の経験を思い出した。それは二年になっての全中の話。精神的なところから崩れていったことではあるが、自分本来のプレイができないことで吉田まで引っ張ってしまい、崩れていって負けてしまった。ダブルスは二枚の歯車が完全にかみ合うと、時折神がかり的なプレイまで出来るようになる。逆に、何らかの要因で調子を崩してしまうと格下の相手にもあっさり負けるとはいかないが、付け入る隙が広がる。
 姫川と藤田は狙ったわけではないかもしれないが、相手の得意スタイルに持っていかせないことで対等の勝負に持ち込んでいた。

「さあ、一本行こう!」
「うん!」

 姫川が笑顔で言い、藤田も同じように返す。顔をしかめた相手とは対極の様子に不思議な感覚を得た。

「藤田も今までより生き生きしてるように見えるな」
「元々ミックスダブルス要員で来てるんだ。ダブルスの方が安心するんだろうさ。当人が望んだ試合っていうのは、やっぱり精神的に楽だよ」

 小島の何気ない一言に武は視線を藤田に移す。瀬名が怪我で離脱しなければ、おそらく姫川とペアを組んでいたのは瀬名だったろう。瀬名と姫川ならば、攻撃主体でいき、相手の得意パターンと真正面からぶつかることになっていたはずだ。その時にどう試合が動いたかは想像でしかないが、おそらくは今よりも苦戦していたのではないか。もしかしたら、瀬名が怪我をしていなくても、この試合は藤田と姫川という組み合わせだったかもしれないと武は思った。

「一本!」

 13点目で藤田がシャトルを持って構えるのを見て、ファーストサーバーが藤田だったのだと悟る武。その意味は、彼女のサーブがプッシュで打ち返された時に姫川がしっかりとロブを上げたことで分かった。
 藤田のサーブはこのレベルの選手たちの間だとやはり甘い。今もプッシュで強打されてしまっている。だが、後衛が取れないほどの強打というほどではなく、姫川の機動力とレシーブ力なら十分にコースを見極めた上で追いつき、打ち返せる。だからこそ、藤田が先に打っていたのだろう。そして甘いといっても藤田のショートサーブもこの局面で強打はさせないというレベルには到達しており、練習で見ていた時とは精度が違っていた。

(藤田も試合の中で強くなっている)

 確かに足りていない部分もある。だが、足りない部分を周りのプレイヤーへと追いつかんとするように伸ばしていく様子に武は震えた。まるで過去の自分を見ているようで、それだけに確信がある。藤田は更に化けると。

「はっ!」

 高崎が打ち込んできたスマッシュを藤田がネット前でラケットに当てる。打ち返そうとする意図はなく、ただ前に落とすだけ。小川がラケットを伸ばしてロブを上げ、サイドバイサイドの陣形を取っても藤田は一歩後ろに下がるだけでほとんど動かなかった。後の姫川はドリブンクリアを相手コートの左奥へと打ち、シャトルはサイドのダブルスラインと後ろのラインの交差する場所に向けて落ちていく。
 場所を移動した高崎が取る役となり、またスマッシュで藤田の前衛を抜こうとサイドラインぎりぎりの位置へと打ち込んだ。藤田は懸命にラケットを伸ばしてシャトルに当てることに成功した。バランスを崩して倒れそうになったが踏みとどまり、返したシャトルをクロスで打とうとした小川の前に立ちふさがる。藤田の姿が邪魔になったのか、クロスヘアピンを打ってもキレは鈍い。
 藤田はラケットを伸ばしてシャトルに触れて、また相手コートへと落としていた。コースを考えているという様子はなく、本当にシャトルの進行方向に対してラケットを出すだけ。それが結果的に相手のショットの勢いを殺し、どんどん追い詰めていくことになる。

「やっ!」

 小川が耐えきれずにロブを上げたところに、藤田は腕を目一杯伸ばしてラケットを差し出した。もともと同世代の中ではスタイルがよく、両手足が長い。その利点を存分に生かして、藤田はネット前で上げられたロブに対してインターセプトしていた。
 シャトルが放たれた直後に小川の後ろへと落ちていき、高崎もフォロー出来なかった。

「ポイント。フォーティーンゲームポイントテン(14対10)」

 審判の声に交じって小川が脛をラケットで叩く音が響いた。そうやってたまったストレスを発散さえたのか、次に深く息を吐いてから前を見た小川の顔は迷いが消えている。
 追い詰められて逆に開き直ったのかもしれない。自分達の得意戦法に持ち込めず、攻めようとしては失敗をしてきた結果、今がある。
 その反省から、まずは精神的な苦痛を除いたようだ。

「じっくり一本だ! 藤田!」

 もしかしたら緊張するかもしれないが、武は頑張っている同じ中学の仲間に対して、声をかけずにはいられなかった。
 藤田は少しの間、武の方を見て、口元をほころばせていた。
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