Fly Up! 319

モドル | ススム | モクジ
 斎藤からのスマッシュに対して吉田は最初からある程度反応できていた。左利きとの対戦経験は武とさほど変わらないが、それでも右利きよりもキレのあるシャトルに対して慣れるのは速かった。早々に吉田が慣れたことを見切ったのか、ファーストゲームもセカンドゲームも相手は武を中心に狙って来る。よって、吉田はそこまで体力は削られていない。ファイナルゲームに入っても、もっと動きを速くして、全力でシャトルを追える自信はあった。

「おらっ!」

 武のスマッシュが相手コートに突き刺さり、吉田は同時に拳を掲げる。叩き込まれた相手は少なからず驚きの表情を自分達に向けたが、すぐに表情を消してシャトルを拾うとボロボロになったシャトルの交換を審判に申し出た。すぐに審判は別のシャトルを用意して武達へと放る。今回のファーストサーバーである武が受け取って軽く真上に打ち上げて飛び方を確認した。

「武。じっくり一本な」
「おう」

 武は吉田に向けて笑みを返す。表情に気負いはなく、理想的な精神状態で臨んでいるように見えた。その様子に吉田は心の中で感心する。声に出してしまえば、武の集中力が切れてしまうかもしれないため、言うとしたら試合後だと考えた。

(大きくなったよな、こいつの背中)

 吉田はサーブ体勢を取る武の後ろに回って腰を落としつつ、武の背中を見て思っていた。
 ダブルスのペアを組んだのは、たった一年前。一年前の学年別大会で、二人は初めてダブルスのペアを組んで試合に臨んだ。そして、優勝した。それまで――西村和也が転校するまでは小学校から一緒にバドミントンをしていることもあり、中学でも共に歩めると思っていた。だが、西村が転校した後で自然と、武に白羽の矢を立てた。それは同学年の経験者としてもう一人の橋本より将来性があった、ということではない。一年の夏の頃はまだ橋本と武の差はそこまではなかった。それこそ、スマッシュが多少速いレベルだった。
 それでも、吉田は武を選んだ。こうなることが分かっていたということではないが、こうなってほしいとは望んでいた。
 今は、吉田の臨んだ形になっている。

(いや、もう、越えている)

 武のショートサーブは吉田のそれとほぼ同じようにネットギリギリを越えていく。サーブを受ける相手の斎藤もプッシュを躊躇してロブを上げた。吉田は落下点の真下から少し後ろに移動してから飛んでラケットを振り切る。ジャンピングスマッシュと言うほどではないが、僅かに高い打点からの鋭いショットが東東京のコートを襲う。
 斎藤がシャトルを打ち返し、ネット前へと落とす。そこに武も体を入れてラケットを伸ばすとヘアピンをストレートに打った。打ったというよりも触れて返したというレベルの微妙なタッチ。シャトルはほとんど浮くことなく落ちようとしたが、斎藤の代わりに前に飛び込んできた甲斐が勢いを殺さないままにシャトルをクロスヘアピンで深く逆方向へと打ち返した。武は反応してバックハンドでラケットを伸ばしつつ、シャトルを追う。追いついて打ち返す時にも、手首を一瞬だけ上に跳ねて、シャトルにスピンをかけて落としていた。
 ネットに触れるか触れないかという攻防の末に、武のヘアピンによってシャトルはコートへと付いていた。

「ポイント。ナインシックス(9対6)!」
「しゃあ!」

 武は渾身の力を込めて打ち込んだスマッシュと同じようなテンションで、自分のヘアピンを称える。すぐにネットの下からラケットを差し込んでシャトルを引き寄せると、サーブ位置へと戻る。自分へと向かって来るように歩いてくる武に吉田は「ナイスヘアピン」と自然と声をかけていた。

「サンキュ。よし、もう一本で十点目行こう」
「ああ」

 武が吉田を引き寄せる。ダブルスのパートナーとして、圧倒的に頼れる存在に成長した武に、吉田はこれまでにない心地よさを感じていた。
 今の前衛の攻防も、一月の頃までは対応できたとは到底思えない。
 学年別大会での前衛強化。そして全道大会での経験。
 その下積みに上乗せされた全国での経験値。
 ジュニア大会全道予選で開いたであろう蓋から噴き出した武の力の底はまだ見えそうにない。

(武と組んでいると……負ける気がしなくなった)

 過去には何度か敗北を経験したが、実は本意ではなかった。
 負けるかもしれないと思った試合に勝ち、負けるとは思っていなかった試合で負ける。そんな不安定さが初期にはあったものの、今やそんな不安はどこにもない。武がパートナーとして隣に立っているだけで、自分にまで力が宿ってくる。それはサーブの時も同様だ。

「一本!」
「よし、一本行こう!」

 後ろから自分の力を武へと込めるように咆哮する。幻想でしかなくとも、自分の声が武へと届き、サーブを打つ時の緊張を少しでも肩代わりできれば、よりよいサーブを打てるはずだった。
 武のショートサーブはまたしてもネットギリギリを越えて相手コートへと入る。際どい軌道はサーブのラインまで届かずにアウトになるという危険性を同時にはらんでいるが、最初の数点で見逃したところ、全てサーブライン上へと落ちていたことで斎藤も甲斐も見逃すことができなくなっていた。吉田の感覚では、今のサーブはアウトだと思っていても、見逃して得点されるよりは打ち負かす方向へと相手の思考が向いている。
 甲斐は悔しそうな表情を見せながらロブを上げた。吉田と同じく、今のはアウトだと思ったのだろうがラケットを止めることができなかったのだ。最初に数回続けて見極めを失敗したことが、ここにきてプレッシャーとなって押し寄せる。もう少し序盤でその負債を完済していればよかったが、今、見逃してインと判定されてしまえば、武達が二桁に点数を乗せてしまう。ファイナルゲームで先に十点へ到達されてしまうと一気に流れを持っていかれると分かっているのだろう。身構える二人の気迫はこれまで以上に高まっていた。

(……これを突き崩すのは、俺じゃ無理か)

 後衛の動きについて、吉田は武に劣っている自覚はなかったが、スマッシュに関しては武の方が上だと認めていた。速さだけなら似たようなものだと思うのだが、自分のスマッシュは鋭いが軽い。それは、レベルが高い攻防の中にあって、しっかりとしたカウンターを食らう要因になり得た。
 ここから先は、武の全力のスマッシュが突破口になる。そう見越して、吉田は吼えた。

「武! 交代!」

 暗号めいた言葉でもない。どうせ相手にはすぐ分かることのため、隠す必要もなかった。吉田はスマッシュとドロップの中間のような速度でシャトルを打つと、そのまま前へと突進する。言葉の意味を理解して、武も吉田がシャトルを打つか否かというタイミングで後ろに飛んでいた。一瞬交差する武の動きには目もくれない。どの位置に立つのかは予想がついていた。
 自分が移動する時間を稼ぐためのシャトルに追いついた甲斐は、吉田に向けて鋭い視線を向ける。そしてクロスに打ってネット前に落としてきた。そのままシャトルの方向に走ってきたことで吉田はヘアピン勝負を望んでいると理解する。
 そして、甲斐の頭上を越えるようにシャトルを少しだけ押していた。

「くわっ!?」

 飛び込んできた甲斐はラケットを上げたが、腕の隙間を抜けてシャトルが落ちていく。しかし、甲斐は後ろから聞こえた声に押されるように体を支えて動きを止めた。その体がブラインドになり、シャトルが打ち出されたところに追いつくための一歩が遅れた。

(しまっ――)

 シャトルがネット前に飛び、越える。本来ならそこにラケットを差し出してプッシュを打つのが吉田の役目だった。だが、その役目はもう一人の選手がラケットを差し出したことで果たす。

「おらぁああ!」

 気合い一閃。武のプッシュによってシャトルはコートへと落ちて、十点目への階段を踏んでいた。
 得点は遂に10対6となり、点差以上のプレッシャーを相手へと与えることに成功する。あと五点で勝てるということもあるが、一桁から二桁になった時の自分達の安堵感がそのまま相手の肩にのしかかる重さになるはずだった。
 ファイナルゲームも終盤になろうとしているところで、点差が広がっていくことに少し吉田は不思議に思ったが、ラリーを思い返してみるとその理由が分かった気がした。

(ローテーションが、崩れてきている)

 それまでバドミントンの指導DVDの映像に使われそうなほど美しくローテーションをしていた二人だったが、ここ三点分はそのローテーションが崩れたところに吉田か武がシャトルを叩きこんでいた。体力的に辛いのか他の要因かまだ情報は足りないが、崩れているならそれに乗じてたたみかける方がいい。

「武! 一本だ!」
「しゃ!」

 自分の意図に武が気づいたかは吉田には分からないが、シャトルを構えて甲斐へと向ける闘志は更に膨れ上がる。ここで十一点目を取れればかなり有利な位置まで駆けのぼることになるということは分かったのだろう。その背中に気合が乗っているところを見て、吉田は一瞬だけ不安になった。
 だが、不安が形になる前に武はシャトルを打つ気配を収めて、息を吐いてから改めて振っていた。タイミングを外してのシャトルは一つ前までと同じように針の穴を通すかのような厳しい軌道を飛んで行く。それまでと同じ軌道だったことで甲斐も前に出るタイミングを早めてプッシュを放っていた。
 今までより鋭いシャトルの軌道に吉田はラケットを合わせて、ロブを高く打ち上げる。ダブルスのサイドライン。そしてコートの後を走るライン上に落ちるようにコントロールした結果、思惑通りの位置にシャトルが向かう。落下点に斎藤が回り込んでラケットを振りかぶった。
 だが、吉田にはそのタイミングが微妙に遅れていると感じていた。正確に見えたわけではない。ただ、決められた型にはまろうとしない違和感を覚えたのだ。

(やっぱり、遅れてきている)

 斎藤からのスマッシュは吉田へと叩きこまれるが、しっかりとバックハンドでクロスに打ち返す。甲斐がインターセプトできる高さではなく、斎藤が再び追いついてラケットを振りかぶり、飛びあがる。ジャンピングスマッシュでより角度がついたシャトルが武達のコートをえぐってくるが、今度は武がストレートにロブを上げる。打ち損じではなく、コースも高さも吉田のロブと遜色がなかった。

「はあっ!」

 三度目のスマッシュ。またしてもジャンピングスマッシュを叩きこむ斎藤。しかし、武は速度には負けずに前に一歩踏み出してドライブを打ち返した。甲斐もそのインターセプトを狙ってラケットを伸ばしたが、シャトルは邪魔されずに斎藤へと突き進んだ。
 武のくり出すショットのタイミングも速さも上がっている。甲斐が予測して差し出したラケットでさえ捉えられないという事実を目の前にして吉田の中に歓喜が生まれた。その衝動に身を任せる前にやることがあるため、どうにか飲み込み平然を装う。自分の元へと飛んできたシャトルをロブで高く打ち上げた斎藤は前に出て、甲斐も真横に並ぶ。サイドバイサイドの陣形を取る相手に対して、シャトルを追うのは吉田だった。武が前で腰を落として吉田の次のショットを待っている。おそらくは、スマッシュかドロップでいずれにせよ相手コートに上から下に落とすものを。

(俺のスマッシュで乗り切れるか……いや、乗り切る!)

 武のスマッシュに頼るのも選択肢とし存在するが、今回は自らラケットを振り切った。シャトルは鋭く相手のコートど真ん中へと向かう。左利きの斎藤が右側に。右利きの甲斐が左側にいる状態。ちょうど二人のラケットがフォアハンドでかちあう。これまでほぼ狙わなかった軌道にシャトルを打ち込むことでどう反応するかを見る。

「はっ!」

 打ち返したのは甲斐だった。ドライブ気味の軌道で吉田の右側奥へと打ち返す。だが、途中に武のラケットが立ちふさがった。

「おらあっ!」

 気合いの咆哮と共にシャトルが動きを止めて逆方向に打ち返される。シャトルに触れただけのため勢いがそがれてネット前に落ちていく。その軌道は相手コートに入る直前まで武達のコートにシャトルを残すような絶妙な力加減を見せていた。
 シャトルが落ちたところに飛び込む甲斐は、ネットにラケットを触れさせないために体を飛びこませた勢いだけでヘアピンを打つ。武のインターセプトと同レベルの調整によって返されたシャトルを、武は着地してすぐにヘアピンで打ち返した。シャトルは甲斐の目の前に落ちていくが、それをプッシュする余裕は甲斐にはなく、またヘアピンを打つしかない。
 繰り返されたヘアピンによってシャトルは浮きあがり、武は弱くではあってもプッシュを放った。後ろに飛んだシャトルに甲斐は触ることができなかったが、代わりに斎藤が高くロブを打ち返す。その間に甲斐は逆サイドへと移動してまたサイドバイサイドの陣形で武達を迎え撃った。武もネット前に腰を落とした状態を保ち、次の吉田のショットを待つ。
 少し前と同じ状態になったことで、吉田は再び飛び上がってラケットを振り抜いていた。

「はあっ!」

 ジャンピングスマッシュでコート中央へとシャトルを叩き落とす。一回前と同じことを繰り返すことに意味があるのか。吉田自身も確信が持てないままに打ち込む。だが、今度は斎藤が打ち上げるもタイミングがわずかに遅れたことで武がジャンプしてシャトルにラケットを伸ばす隙を与えた。

「はっ!」

 武はシャトルにラケットを触れさせるだけではなく、ラケットを振り切ってシャトルを打ち込んでいた。今度は甲斐も斎藤も触れることができず、シャトルを見送ることしかできなかった。

「ポイント。イレブンシックス(11対6)」

 吉田は心の中で吼える。武の前衛での反応の鋭さも増してきている。試合ごとに動きがよくなっているのが分かった。

(油断せずに行こう)

 自分の中に生まれた勝利への道筋。それを踏み外さないよう改めて誓うほどに、吉田は高揚を覚えていた。
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