Fly Up! 318

モドル | ススム | モクジ
 吉田のサーブが白帯を越える。上背のある斎藤はできる限り体を倒して前のめりになると、シャトルに向けて腕を思いきり伸ばした。
 高い身長はシャトルまで届く『長さ』にも直結する。手足も普通の中学生よりは長い斎藤は、ネットぎりぎりに放たれたシャトルでさえもほとんど苦もなく打ち返す。それがプッシュではなくドライブになっているのはひとえに吉田の絶妙なショートサーブのおかげだった。
 ファーストゲームから今まで、吉田のサーブに打ち損じはない。フットワーク、ラケットワークにおいて高水準の東東京ペアには一部の隙も見せてはいけない。その気迫がラケットの一振り一振りに表れている。
 一方で、武は所々で隙を見せていた。プッシュやドライブ、そしてスマッシュに関しては吉田よりも精度が荒く、そこをつけ込まれてファーストゲームは取られ、セカンドゲームも危うかった。今度こそ、と思う気持ちはあれど気持ちだけで技術が向上するわけではない。
 しかし、試合中に何度かミスをしていた相手からのシャトルに対して、武は渾身のバックハンドドライブで打ち返していた。打ち返したシャトルはネットからほとんど浮かず、威力を十分加味されている。
 その軌道に飛び込むのはパートナーである甲斐だ。これまでの試合の流れならば、ヘアピンを落として斎藤を後ろへと動かすようにしてくるはずだと武は読んで、そのまま後方で中央のラインを跨ぐ。シャトルがクロスへと放たれる軌道を吉田が移動することで封殺し、強打するならばストレートで打ち込むラインのみ。甲斐は確信を持ってか、ドライブを完璧に捉えてプッシュをストレートに打ち込んできた。武がラケットを構えるところへと、まるで打ち返せと言わんばかりに。
 武はクロスで前に落としたい衝動にかられたが、無理せずにストレートにロブを上げた。サイドバイサイドに陣形を整えて、斎藤の高速スマッシュを待つ。

(もう取れる……はずだ……)

 自分が今まで触れてきた速さ。部活内ならば吉田に、金田。ライバルでいうなら刈田や小島も十分速かった。
 そして、淺川亮。
 斎藤のスマッシュは左利きということで、同じ速さならば右利きよりも少しだけ速いという通説がある。更に独特のタイミングがあり、武はとらえるまでに二ゲームを要した。
 しかし、今ならば捉えられるはず。

(そう。速さだけなら、刈田よりは、ない!)

 斎藤の腕が振り切られると共に武は前に出る。ほぼ予知めいた、ストレートに放たれるという感覚に現実が追い付き、シャトルは武の眼前に迫ってくる。ラケットをバックハンドで構えて、突進すると共にできるだけ顔の前へとラケットを伸ばしてから、シャトルを捉えた。

「はっ!」

 気合いの声と共に打ち返す。方向は、相手のスマッシュの力を完全に乗せてカウンターを取れるストレート。それは相手も承知するところで、甲斐がフォローに回ってバックハンドで振りかぶっている。前に出ていた武へとぶつけるようにラケットを振り切って、シャトルを更に打ち返していた。今度は武がその射線から身を躱す。消えた空間に姿を現したのは吉田だ。武の代わりにラケットを振りかぶって気合いと共に振り切る。

「ふっ!」

 だが、振り切られたと誰もが思ったラケットは動きを止めていた。ガットに弾かれる力のみでシャトルは勢いを完全に殺されて、ネット前に落ちていた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
『ナイスショット!』

 コート外から聞こえる仲間の声に応えてから、吉田は武とハイタッチを交わす。高速ラリーの合間を狙っての完全な静寂。シャトルの勢いを完全に殺す技術は武の目からは、試合をこなしていくごとに際立っていくように見えた。

「ほんと、頼もしいよ」
「それはお前だろ」

 唐突に吉田から誉められて、武は絶句する。どう反応したらいいか分からなかったが、相手から返ってきたシャトルを吉田が受け取って羽を整えている姿を見ていると、ほっとする自分がいた。
 負けそうになっても、どこか負ける気がしなかったのは、サーブを打つ吉田の背中の頼もしさによるものが大きかったからだろう。
 小学生の時に一度も勝てなかったような人間が、今や全国でも上位のダブルスと競っている。考えれば考えるほど不思議なことだが、今は過去を振り返る時ではない。現在の相手から、どうやって得点するかというところが問題だ。

(一点取るだけでここまで精神削られるんだからな……)

 橘兄弟や、沖縄のダブルスとは一味もふた味も違ったラリー。それまでは漠然と違いを感じてきたが、ファイナルゲームになってようやくその輪郭が武には見えた。シャトルが打たれた時の向かって来る速さ自体はそこまで変わらない。むしろ、ラリーの速さは過去に対戦した橘兄弟の方が速いだろう。それでも、ラリーを高速にしているのは、流れるようなフットワークが生む無駄のない加速と余裕だった。
 速く動くシャトルにも追いつくのがほんの少しだけ速い。その速さは本当に一瞬だが、コース選択の余裕を与える。それが、打たれる相手にも選択肢を生み、シャトルが打たれる方向がどこなのかということを判断しなければいけない思考の流れを生む。それを、これまでと変わらぬ速度の中に入れてかつ、体も動かさなければいけないのだから、自然と心も体も加速する。その疲労度は計り知れなかったが、逆に武はついていけるようになっている自分にも自信を持った。

(相手が疲れて遅くなってるというのもあるんだろうけど、基本的にはファーストゲームの時のままだ。俺はついていけている)

 橘兄弟の双子ならではの意思の統率がとれたローテーションも、当時の武には流麗に見えた。しかし、準決勝で触れた相手ダブルスは基礎の膨大な反復が背中に透けて見えるほどに、停滞なく、お互いを邪魔することもないローテーションを披露していた。それは二人が一つの思考回路を共有する機械であるかのように、完璧に機能していた。
 そんなダブルスに追いつき、倒そうとしている自分達もまた、気づいていないところで成長しているのかもしれない。

「一本!」
「一本だ!」

 吉田の背中から湧き上がる闘志に応えて、武も吼える。
 シャトルが吉田の手から離れて相手コートに入ると、甲斐がヘアピンでシャトルがネットに触れるようなところに落とす。吉田もすぐに反応してクロスヘアピンで打ち返すものの体勢が悪く、シャトルに追いついた甲斐がプッシュを打った。吉田がいないスペースに落ちようとしたシャトルをすくい上げたのは武。ロブを上げようとラケットの勢いをつけたが、先ほどの吉田のように急にラケットを止めてクロスヘアピンを打った。吉田がいるサイドへと飛んだシャトルは、吉田の頭を飛び越えて相手コートに落ちていく。だが、甲斐は吉田の存在に揺さぶられることなくシャトルを追って、再びプッシュを放つ。

「この!」

 今度は武も躊躇なくロブを上げる。これまでよりも速いプッシュのためにコース選択の余裕はなかったが、武が取れたことに少なからず動揺したらしく顔を驚愕に歪めていた。

「うぉおおお!」

 だが、甲斐の顔を見ている余裕は武にもない。相手コートの後方から斎藤がスマッシュを放ってくる。左利きだけに体をシャトルの方向へと入れて振りかぶる。今度はストレートとクロスどちらかと考える前に、吉田が左サイドへと動いてネット前を駆ける。

「はっ!」

 吉田の動きが見えていないのか、斎藤はクロスにスマッシュを放っていた。シャトルが弾丸と化して武達のコートへと入ろうとした瞬間に、吉田のラケットが宙を舞い、突き進んできたシャトルを相手コートへと叩きつけていた。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」

 吉田の動きに気づかなかったのか。気づいてもスマッシュで抜けると思ったのか。どちらなのか武には分からないが、斎藤の顔には先ほどの甲斐と同じような驚愕の表情が浮かんでいた。ここにきて初めて見せる顔は、何かの予兆なのか気になるところだったが、さしあたって目先の一点を取ることに全神経を集中させなければすぐにサーブ権を取られてしまうに違いない。武はそう自分で思いなおすと頬を張った。

「しっ!」
「その調子、その調子」

 プッシュを叩きつけた吉田は武に向けて笑顔で言って、返ってきたシャトルを取ってから羽を整える。いつもの動きに、武はルーティンを見る。たとえそこまで羽がボロボロになっていなくても、必ず吉田は羽を整えてからサーブ体勢を取る。

「一本!」

 シャトルをラケットの前に出して、再び斎藤と向かい合う。後方にいる武にも分かるほどの威圧感を目の前で受け止める吉田はしかし、微動だにしなかった。いったいどんな表情で向かいあっているのか武には分からないが、想像の中で、吉田は笑っていた。強い相手に叩きつけられる気迫の心地よさに頬が緩んでいた。

「一本!」

 背中を押すように吼える。ダブルスでも、サーブを打つ時だけは孤独だ。打つ方向も相手も決まっていることから、この時だけは吉田と斎藤だけの世界になる。それでも、武は自分の力を少しでも上乗せしたかった。たとえ幻想でも、共に闘う仲間として。
 シャトルは三度相手コートへと飛ぶ。軌道は変わらず、厳しいところを突いていくように武には見えたが、斎藤から返ってきたシャトルは一回目よりも威力を増していた。武はロブをあげてシャトルをしっかりと奥へと返したが、半分は運が交じっている。吉田の完璧に見えるショートサーブからのシャトルをここまで強く叩きつけられるということは、タイミングを掴んできているのかもしれない。
 斎藤は武の思惑を余所に前に腰を落とす。高い身長は時折後衛の邪魔をする。それがひときわ他人よりも大きな斎藤ならばなおさらだ。だからこそ、斎藤は深く深く腰を落として吉田と同じくらいの目線までしゃがんでいた。その斎藤を越えてドライブの軌道でシャトルが飛んでくる。武は同じようにドライブで返そうと思ったが、斎藤が反応して腕を伸ばせばインターセプトされると思い、ロブをしっかりと上げた。
 武の思った通り、打った瞬間に斎藤が横っ跳びでラケットを出して低い空間を浸食する。予想が外れても斎藤は表情を崩さずに、再び前衛の中心付近に腰をおろした。今度は比較的左寄りになっていて、右側へバックハンドでラケットを伸ばす距離を取ったようだ。

(あからさまな誘いか)

 空いている方向にドライブを打ってみろといわんばかりに、斎藤は空間を空けた。それは吉田へというよりも武への挑発。自分のスマッシュを受けてカモにされていた相手がセカンドゲームの最後になって遂に逆襲を開始した。そのことがセカンドゲームを取られた原因として考えているのだろう。甲斐も斎藤も、吉田より武への攻撃にこだわっている。

(なら、余計に負けるわけにはいかないな)

 甲斐からのスマッシュは武の元へ。再び、ドライブを打つかロブを打つかという選択に迫られたが、躊躇することもなくロブを選ぶ。再び何もない空間を斎藤のラケットがカバーして、元の位置へと戻った。
 次の甲斐からのスマッシュがネットへと当たって相手のコートへと落ちていくのを見てから、武は左拳を作って吼えた。

「しゃ! ラッキー!」

 三点目。先の二点とは違って、相手のミスからの得点。何かの歯車が少しずつずれていく予兆かと周囲の空気はざわつき始めたが、当の武はそんなことは分からずに、吉田の左手に向けて自分の左手を叩きつけた。

「ナイスショット」
「サンキュ! ってロブ返しただけだぞ?」
「それがいいんだよ。誘いにのらなかったし」
「あそこで乗るのはさすがにないだろ」

 武には相手の思考が読めていて、挑発に乗ってドライブを打てばインターセプトされる可能性の方が高かった。だからこそ、粘り強くロブを上げたということだけで、特に不思議なことはなかった。だが、吉田は少しだけ武の顔を見て意外そうな顔をする。

「なんだよ。意外そうな顔して」
「まあな。そういう判断、少なくとも全道大会の時は下手だった気がするからな。成長してるんだろうなって思ったんだよ」

 武にとっては唐突に誉められて呆気にとられてしまう。しかし、その驚きに飲まれる余裕はなく、シャトルを取った吉田はすぐにサーブ位置につく。武も試合の流れを止めないように吉田の後ろへと移動して腰を落とした。

「一本!」
「一本!」

 吉田のショートサーブを打ち抜く甲斐。返ってきたシャトルを打ち返す武。ストレートのロブで上げられたシャトルの真下に斎藤が移動して、次のショットを打ち放つ。力を込めたスマッシュがまっすぐに武へと向かって来る。どこに相手がいるかという判断を読み取れず、いたとしても貫かんとする気迫が乗ったシャトル。武はバックハンドで打ち返したが、その気迫に飲まれたのか深く返すことができなかった。中途半端に上がったシャトルの下に再度向かう斎藤に対して、吉田も武も腰を深く落とす。どこに落とされようとも反応して動けるように。

「はあっ!」

 気合いの咆哮と共に放たれたのはスマッシュではなくカットドロップ。クロスではなくストレート。吉田に向けて最高レベルのフェイントを込めて、シャトルが前方へと落ちていく。視覚や闘志から得られる情報から体は強打を期待し、備えていた分だけ二人の反応は遅れた。だが、武は一瞬後には後方へと移動し、吉田は前へと飛ぶように動く。シャトルがネットを越えてもラケットを出せなかったが、中腹まできたところでようやくシャトルを捉える。既に甲斐が前に詰めていてシャトルが返されたところに待ち受け、プッシュを叩きこむ体勢を取っている。吉田が前に飛び込む体勢の苦しさから、自分の届く範囲ないだろうと、甲斐はラケットを掲げていた。
 だが、武は後ろからはっきりと目撃した。シャトルが、吉田の体に完全に隠れた後に、鋭く右方向へと切れ込んでいったところを。

「何!?」

 ラケットを掲げたままで思わず叫んでしまった甲斐の理由を武も分かった。もし自分の仲間でなければ同じように驚愕の声を上げてしまうところだったからだ。余裕がないほど打ち返すコースも絞られてくる。だからこそ、バドミントンプレイヤーは相手が次にどこにどう打つかを予測する。予測を狭めるために自分のショットがあり、狭まった範囲から更に類推するなど、頭の中は常に相手のショットの行先を追っている。今の吉田の体勢だと、鋭いクロスヘアピンを打てるような余裕はなかったはずだ。
 甲斐も武も驚愕に足を止め、シャトルは相手コートに落ちた。しかし、審判の言葉に武は耳を疑った。

「タッチネット。サービスオーバー。ラブスリー(0対3)」
「……しゃあ、ラッキー!」

 甲斐がほっとした反動か、大きめの声で吼える。吉田は頭を掻きながら立ち上がり、武の方へと戻ってきた。

「ドンマイ」
「もうちょいだったな」

 吉田が残念がる顔を見ながら、武は考える。今の吉田のヘアピンを打たせることになったのも、自分が一つ前にロブを上げるのを失敗したからだった。一つ前の失敗が次のピンチを招く。今までもそんなことは多々あったが、それでもカバーできたのは相手の力量や運に左右されていた。今回の試合では、その運がことごとく自分達に不利な方向へと向かっている。

(ここでさっきみたいなミスをしないようにしないと、な)

 つまりは自分のショット次第。
 武は改めて気合を入れ直した。
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