Fly Up! 317

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 早坂の試合の勝利と前後して、武と吉田の試合も佳境を迎えていた。
 試合は第二ゲームに入っており、得点は14対12とリードしているのは武と吉田ペア。隣のコートへと注がれる拍手の量と歓声にコートにいる四人は全く乱されることはなかった。それほどまでに、目の前の敵を倒すことに集中していたのだ。

「一本!」
「ストップだ!」

 武のサーブに対して吼えてくるのは甲斐光明。東東京男子ダブルスの片割れにして、今日の武との相性は最悪だった。武はそれを分かってなおショートサーブを打つ。白帯ぎりぎりの軌道を飛んでいるにもかかわらず、甲斐はプッシュを深く沈めてきていた。

「はっ!」

 かろうじてシャトルをロブで上げた吉田は、すぐにサイドへと広がる。武と吉田で半分ずつコートを分け合い、相手の攻めを受け止める。これまでの展開上、高確率でスマッシュを武の方へと打ち込んでくると思った吉田はあえて大声で武へと告げた。

「武! ここでスマッシュ完璧に打ち返せよ!」
「応!」

 武も吉田の言葉に応えて吼えていく。その言葉に何かを感じて違うショットを打てばラリーは続くが、スマッシュだとしたらサービスオーバーとなるかもしれない。その覚悟をしつつ武はバックハンドよりにラケットを構えて待ち受ける。

「はあっ!」

 スマッシュを打つ方へと回ったのは東東京ペアのもう一人、斎藤光太郎。今まで武が出会ったバドミントン選手の中では最も身長が高く、中学二年にして190に近い高さでシャトルへの距離を縮めていた。ロブで上げられたシャトルの下に来ると、豪快な声を出してスマッシュを打ってくる。吉田の予想通り、シャトルは武の方へと向かった。これまで何度もスマッシュエースを奪われてきた武は今度こそとラケットを振り、甲高い音を立ててネット前へと打ち上げてしまった。

「どらっ!」

 甲斐がそのシャトルに追いついてスマッシュを打ち込み、吉田がとれずにサービスオーバーとなる。サーブ権が移動して、12対14。追いかけられる立場となった武と吉田は一緒に天井を見上げた。

「チックショー。どうしても取れない」
「ほとんど対戦経験はないからな。左利きとは」

 吉田と武は斎藤のラケットを持つ手を睨みつけた。
 左手にあるラケットから放たれるショットに、二人は第一ゲームから苦戦していた。もともと左利きは武達の身近には部活仲間である林だけであり、公式戦では小学生時代を合わせて一、二度しか対戦経験はない。全国の、しかも準決勝というレベルでほぼ初対戦ということで、慣れる時間がどうしても必要だった。吉田は第一ゲームが終わる時には慣れていて対応できるようになっていたが、武はまだシャトルをしっかりと打ち返せてはいなかった。
 そのために第一ゲームは15対10で落としており、今度負ければ自分達の負けが決まる。
 岩代が負け、早坂が勝ったことで自分達の勝利が一気に重要になってくる。ここで取れれば二勝一敗で女子ダブルスが勝利すれば決勝へと進めるという状態になるが、負ければ一転して姫川と藤田の肩に命運がかかる。自分達の勝利が団体戦自体の勝敗を決めてしまうという修羅場をできれば藤田や清水には経験させたくはなかった。瀬名が戦線離脱したことで二人にも倍以上の責任が押し寄せ、必死に耐えていることが分かっているからこそ仲間として負担は軽くしてあげたいと武は思っていた。

「おい。気負い過ぎてるぞ」
「いて」

 武の背中をラケットヘッドで軽く叩く吉田に、振り向きざまに文句を言おうとした武だったが、言葉を飲み込んだ。言われたことは事実であり、自分が必要以上に固くなっていることを自覚するとラケットを両手で持って上へと背伸びをした。

「お前さ。もしかしてだけど。負けたら次の女子ダブルスに負担かかるとか思って試合してるんじゃないだろうな」
「……なんでそんなにお前は俺の思考が読めるんだよ」

 武の返答に呆れつつ、吉田は告げる。互いのレシーブ位置に向かいながらのため端的にだが。

「そんなの考えるな。お前はここを勝つことだけ考えろ。余計なこと考えるから固くなる」

 それだけいうと、吉田は前に視線を移した。サービスオーバーとなったことで、サウスポーの斎藤がファーストサーバーとして吉田へとラケットを構える。いつもと飛び出し口が少しだけ異なることにも慣れていて、シャトルが放たれたと同時に前へと飛び込み、プッシュを打ち込む吉田の動きは完全に一つの予定調和になっていた。シャトルが構えていた甲斐の足元へと叩き込まれると、甲斐は天井に向けて顔をあげて「また取れなかった!」と自分へと八つ当たり気味に叫ぶ。武の眼から見ても少なくとも、三回や四回ではなく、今と同じような光景が映っていた。
 斎藤のショートサーブからの吉田のプッシュ。
 武が斎藤のスマッシュを取れないように、甲斐もまた吉田のプッシュを取れないで苦しんでいた。

「ナイスプッシュ」
「応。今回は、互いの苦手をどう潰せるかって勝負になるかもな」

 武は吉田と軽くハイタッチを交わしてから前に出る。ラケットを高く掲げて迎え撃つは甲斐。武にとってはこちらもリズムを読まれているのか、プッシュやスマッシュ。果てはショートサーブを絶妙なところに打ったとしても取られてしまう。橘兄弟や西村と山本ほどには強さは感じないのだが、苦戦しているのは相性の問題なのかもしれない。

(シャトルを相手コートに沈める。それだけを、考えろ)

 自分の思った通りのプレイができないことが集中力を乱しているのなら、更に上書きして目の前だけに集中させる。

「一本!」

 甲斐が叫んでショートサーブを放つ。白帯を少し上がったところまで飛んだシャトルに武は反応して、プッシュを打ち込んだ。角度も速度も、コースまでも申し分なく普段ならば決まるようなショット。しかし、甲斐は反応してラケットを差し出していた。武が狙ったのは甲斐から離れるように左サイドのダブルスライン上。そこに向けてシャトルを打った甲斐が横移動で追いついていた。ラケットを振ってロブが上がると、武は前衛中央へと移動して腰を落とす。どちらに打たれても均等な距離で対応するために。

「はっ!」

 後衛についた吉田がスマッシュを打ち込む。鋭い風切り音を鳴らしてシャトルが沈んでいき、移動した関係で逆サイドに来ていた甲斐がクロスでロブを上げる。その軌道にラケットを割り込ませようと武はラケットを持つ手を思いきり上げて飛びあがった。

「うらっ!」

 武の動きは功を奏して、ラケットヘッドがシャトルに触れる。跳ね上げられたシャトルはそのまま弾かれてネット前に緩やかに落ちて行く。ちょうど前衛の中央へと落ちていくことで二人ともバックハンドで取らざるを得ない状況になると、斎藤よりも甲斐のほうが前に出てきた。ラケットを床と平行にして飛び込んでくる甲斐の次の動きを予測して、武は腰を落とす。視線はしっかりと甲斐の眼を見ていた。

「はあ!」

 前に踏み込んでラケットでシャトルをこする時に気合の咆哮を放つ甲斐。シャトルはラケットを振った方向とは逆方向に回転しながら飛んでいき、武はラケットを差し出してネット際で食い止める。甲斐もまた同じようにシャトルを捉えて、ヘアピンでシャトルは互いの陣地を侵略しようと交互に動いていく。三度、四度と繰り返されていくと周囲からも歓声が上がった。武は知る由もなかったが、早坂と有宮の試合でも行われたことだったからだ。そしてその歓声が甲斐のリズムを崩したのか、甲斐のラケットで打たれたシャトルが制御を離れて白帯の位置よりも浮かび上がった。

「はっ!」

 甲斐の顔が驚愕に染まるのを見ながら、武はプッシュを打ち込んでいた。斎藤も甲斐の傍に落ちるシャトルをカバーすることはできずに、一点も与えないまま無事にサービスオーバーとなる。武は吉田の方へと振りかえり、ほっと溜息をついた。

「ナイスヘアピン」
「サンキュ。さすがに心臓に悪い」

 元々苦手なヘアピンの応酬が終わったことで、武は肩の力を抜く。ヘアピンでのやりとりは細い糸の上をお互いに渡って、落ちないように進んでいくようなものだ。一瞬の油断で足を踏み外すし、糸自体が切れることもあるだろう。そこまで張り詰めた戦いに勝利出来てほっとしないわけがない。

「でも、全国大会に入ってからかなり上手くなってる」
「自分でも自信になってるよ」

 後衛がメインの武にとって前衛のヘアピンというのは一番苦手なショットだった。それを練習と実践である程度以上克服していると今の攻防で自信が持てたた。
 あとは、この相手自体を克服するだけ。そのために、このターンで決めると武は気合を入れるために、ラケットを脇に挟んでから頬を張った。

「しゃあ! ラスト一本行こう!」
「応!」

 武の声を背中に受けて、吉田が咆哮する。サーブ体勢を取ってシャトルを持つと、視線をレシーバーである斎藤へと向ける。最短距離を打ってもフォアハンド側の絶好球になってしまうため、吉田は鋭いロングサーブをサイドのダブルスラインへ落ちるように飛ばした。即座に両サイドに広がる武と吉田。斎藤の矛先は当然、これまで優位にシャトルを打ち込んでいる武だ。

(吉田め……ほんと厳しいな)

 これまでの流れなら間違いなくスマッシュを叩きこまれているだろう。しかし、武はラケットをバックハンドで構えて腰を落とし、スマッシュを待ち受ける。たとえスマッシュを止めてハイクリアを打たれても、今の武ならば反応して逆に叩きこむことができるため、相手の選択肢は自然と限られるはずだった。

(ここで完全に打ち返して、十五点目を取るってことだろ!)

 斎藤が振りかぶり、一瞬だけ武と視線が交差する。その光は迷うことなくスマッシュを打ち込んでくるという意思があるように見えた。ラケットが振りかぶられて、シャトルが放たれる。次の瞬間、武の傍へと打ち込まれていたシャトルにラケットヘッドを合わせる。

「はあっ!」

 バックハンドでラケットを振り切る。小気味よい音を立てたかと思うと、シャトルは相手コートへと跳ね返されていた。完璧なロブの軌道。シャトルが斜めに相手コートを突っ切っていき、最も奥へと落ちていく。シャトルを追ったのはスマッシュを打った斎藤だ。その動きは滑らかで氷上を滑るようにシャトルの下へと移動する。

「おらあっ!」

 斎藤は再びスマッシュを放つ。ストレートで吉田に、ではなくわざわざクロスで武へと打ち込んできた。しかし武は反応し、シャトルをラケットで完全にとらえると力を調節してネット前に落とした。甲斐がそのシャトルを捉えようとラケットを伸ばし、武も前に出る。そこで、シャトルは跳ね上がり、武達のコート奥へと飛んで行った。

(ヘアピンを避けたか!)

 先ほど負けた勝負を繰り返さないということなのか、武は腰を落として次を待つ。吉田のスマッシュをネット前に返されれば、一つ前の焼き増しになる。

「はっ!」

 吉田の咆哮と共にラケットがシャトルを切る音が届く。次にシャトルが視界の端に捉えられたのは、白帯にあたって相手側へとネットすれすれに落ちていくところだった。

「ポイント。フィフティーントゥエルブ(15対12)。チェンジエンド」
「っしゃああ!」

 武はそのまま振り向いて、吉田へと向き合う。吉田はほっとした表情でため息をつくと、近づいてきた武とハイタッチを交わした。そのままコートを一度出ながら声をかける。

「あの場面でカットドロップなんてやってくれるわ」
「失敗したと思ったけど。運がまだあるなこっちに」

 シャトルは確かに白帯にぶつかったが、その箇所が良かったのだろう。シャトルコックを支点にして回転して相手側へと落ちていた。
 運も実力のうち、と割り切って武は吉田の背中を叩く。どういう結果にしろ、第二ゲームを取ったことでファイナルへと望みを繋いだ。それに終盤でようやく武も斎藤のスマッシュを苦にしなくなったのだ。逆転勝ちに向けて十分駒はそろってきている。

「まだ油断はできないさ」
「ん? 何がだ?」

 吉田の言葉が気になって武は問いかけるも、吉田自身が自分の発言に確証がないのかそれ以上話してくることはなかた。ラケットバッグからタオルを取り、顔と頭を拭いてから場所を移動する。一度外に出てからコートに入る前には、少しだけ視界が広がり、武は隣のコートの試合が見えた。
 姫川と藤田は相手に押されながらもなんとか戦っている。仲間が頑張っている姿を見るだけで、武は一度落ち着いた気持ちがまた高ぶってきた。

「っし。香介。油断しないで行こう」
「それは俺のセリフだよ」

 表情を崩して答える吉田に武も破顔して、コートへと入る。サーブ位置に置いてあったシャトルを取りあげて吉田が羽を整えている間に、武は屈伸をしながら東東京側の動きを見る。斎藤と甲斐はインターバルぎりぎりまでコートに入らないつもりなのか、コート傍で監督からのアドバイスを受けていた。視線を少し横に向けると、パイプ椅子に座り有宮の姿があり、武と目線が合うと手を振った。

(あいつは……試合中だって分かってるのか?)

 いくらかつて同じ街にいたからといって、今は試合中で敵同士。それなのに手を振ってくるという相手の考えが理解できず、武は困惑する。だが、吉田もその様子を見ていたからなのか、武に向けて「気にするな」と呟いた。武が聞き返すと、吉田は更に続ける。

「あいつはあんなもんさ。試合中でも試合前でも、試合後でも。ああいう態度なんだよ」
「小学校の時に引っ越したのに。変わってないのか?」
「ああ。変わってないよ。だから、怖いんだ。早坂があいつに勝てたのは、素直に凄いと思う」

 吉田の褒めように武は違和感を覚えるくらいだった。やはり過去に一緒にバドミントンをしていたという相手は特別なのかと思い、口にするのは止める。今の自分達には、ファイナルゲームで勝つということだけだ。吉田の言うとおり、そこに集中さえすれば問題ない。

「よーっし。ここで勝って、王手にする。そして、決勝は西村達と」
「まだ西村達がくるとは限らないけど……そうだな。そうあってほしい」

 またしても違和感。武の中での吉田は、西村達が来るとは限らない、で言葉を追えるような人間だったはず。それが終わらずに自分の願望を口にするというのは、ほとんどなかったことだ。特にこうした重要な試合中はできるだけ目の前を打開することに集中して、あまり期待する未来を見ないようにしているようだと思っていた。
 そんな吉田でも、やはり込み上げるものがあるのだろう。小学校時代に一緒にバドミントンをやってきた仲間が、別の土地に行って離れてもこうして同じ会場で出会い、試合ができたのだ。胸の内に宿る思いが、武にも見えた気がした。

「試合を始めます!」

 審判の声に従ってコートの中に入る斎藤と甲斐を見ながら、武は自分の中のモードを切り替える。
 全国バドミントン選手権大会団体戦準決勝第三試合。
 男子ダブルスファイナルゲーム、試合開始。
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