Fly Up! 310

モドル | ススム | モクジ
「ポイント! エイトフォー(8対4)」

 叩きつけられたシャトルを取れずに早坂は天井を向く。試合時間はそんなに長い時間が経過しているわけではなかったが、額から汗が流れてきて左手で拭い、ハーフパンツになすりつけた。少し切れてきた息を整えたいと思ったが、先に有宮がタイムをかけてタオルを取りにコートから出たことで、早坂も早足でラケットバッグへ向かい、タオルを取り出した。顔を拭きながら今までの流れを振り返る。
 2対1から連続してポイントを取られた後にサーブ権を奪い返し、一点取るたびにまた奪われると、はた目から見れば一進一退の攻防を繰り広げている。それでも得点をする回数は有宮が多いために結果的に四点の差がついていた。だが、早坂にしてみれば有宮が点を取られるのは早坂のカットドロップの切れ味が見たいために待ち構えていることで、他の攻撃をしのぎ切れずにとられているにすぎない。早坂も同じようにスマッシュの謎を掴もうとしていたが、これまで五回放たれて五回とも取れていない。眼には映る速さになったが、ラケットを出そうとする前にシャトルは床についていた。

(とんでもない高速スマッシュね……体感なら相沢以上だわ)

 男子の武よりも強く速いスマッシュを女子が打つと考え、攻略を諦めて打たせないようにする打ち回しを見つけるようにするか。
 それでもスマッシュを防げなければ、相手は必ずロブを上げさせる戦術を取ってくるだろ。そうなると最後にはスマッシュで押し切られる。どうしてもスマッシュを取る必要があった。

(相沢より速いはずがないのに、取れない。何が違うの?)

 女子の中では速度は確かにある。同じようなスマッシュ力を持つ瀬名と比べてみても、明らかに速い。しかし、他にも何か重要な要素が隠れているように早坂には思える。自分がまだ見つけていないもの。しかし、試合の中でところどころ気になる点が見えたことで、もしかしたら謎が分かるかもしれない。そのためには最悪、このゲームは取られても仕方がないと思っていた。
 二人は同時にタオルを拭き終わってコートに戻ろうとする。その背中に恐る恐る声がかかった。
 声をかけたのは姫川。
 武と姫川はさっきまで何か議論をしていたようだが、代表して姫川が口を開く。

「ゆっきー。もしかしたら、有宮さんは、ゆっきーと同じように体が柔らかいかもしれないよ。しなやかな筋肉ってやつ」
「私と同じ、か……」
「同じじゃないかも。ゆっきー以上」

 姫川の言葉は飾らない。この場でここまで言うということは何か調べることができたのだろう。その報告の詳細を聞く前に試合が再開する。ならば、あとは自分で見つけ出すしかない。
 サーブ位置とレシーブ位置に戻ったところで有宮が言う。

「一本」
「ストップ!」

 一瞬だけ放出する気合。その波の乗るようにサーブが放たれる。 早坂はラケットの真下に移動して、腕のしなりを利用してドリブンクリアを放った。それまでの構えよりも大きく、鞭をふるうかのように腕が伸びるイメージで振り抜く。そうするとシャトルは空気を切り裂いて一気に相手コートのライン際へと落ちていく。その速度に有宮はこれまでよりもワンランク、速度を上げた。早坂の眼にはスローモーションのように見えていたが、それは有宮の動きがあまりに滑らかであるため。試合中でも油断すれば動けなくなるだろう。
 追いついた有宮の動きに着目すると、腕がラケットの一部のようにしなり、ハイクリアを打った。その動きはまるで自分と同じだと思いながらシャトルを追う。相手もまた自分と同じように筋肉が柔らかく、しなりを使った強いショットが打てるかもしれない。
 自分と同系統で、そして自分よりもワンランク上の存在に、早坂から見て有宮の存在に後光が差していた。

(これであんたに勝てば、私は――)

 有宮は早坂の胸中など知らずにシャトルの行方を追う。シャトルに追いついてからラケット構え、そこからシャトルを打つ時の動きに早坂はようやく気づく。それは、早坂も自己最速のスマッシュを打つために研究した型だった。常に体のバランスを気にして、ラケットを腕の延長上にあるものだと思ってしなやかに振り抜く。全体重が乗った一撃はただのスマッシュよりも強力で、君長凛を倒すための鍵ともなった。
 その鍵を、自分に向かって返ってくる。早坂は何とかシャトルを打ち返すためにラケットを構えようとするが、間に合わずにシャトルが放たれる音だけ聞いた。
 パンッ! と軽く腕に走る衝撃。早坂は視界の中で相手コートへと戻っていくシャトルを見ていた。ふわりと浮かんだシャトルは有宮のコート前へと落ちていく。
 有宮も返されるとは思っていなかったのか、コート中央で腰を落としたまま動いていなかった。

「サービスオーバー。フォーエイト(4対8)」

 審判の声に攻守交代したことを認めて、早坂はシャトルを取りに行く。ラケットですくい取る前に有宮が前に飛び込んできてシャトルを拾った。すぐに早坂へと渡すと声もかけないまま、レシーブ位置へと移動する。

「さあ、ストップ」

 有宮の声は明るい。スマッシュを返せたとはいえ、今のスマッシュは偶然に跳ね返せたものでいつもは使えない。何しろ早坂自身も弾き返した詳細を理解してはいなかった。そのことを有宮は分かっているだろう。必要なのはどうして今のスマッシュは返せたのかということ。それをうまくまとめられないか探す間にも、サーブはやってくる。
 早坂はダブルスで培ったバックハンドサーブの体勢を取り、ショートサーブを放ってみる。シャトルを高く上げればスマッシュの餌食であり、低くてもかなりの精度でドライブやドロップ、ヘアピンを打ってくる。
 巨大な基礎の塊。そして、積み重なった経験や技量。
 有宮小夜子自身の巨大さに早坂は唾を飲み込んだ。

「一本」

 早坂はシャトルをつまんで息を吐くと、バックハンドの状態からロングサーブを放った。弾道は低く、飛距離もシングルス仕様で長い。急に迫ったシャトルに対して有宮はすぐに反応し、ラケットを振り下ろす。シャトルはコートに叩きつけられる前に早坂よりロブが上がった。
 有宮を何度目かの後ろに追放する中で、早坂は体が温まってきた有宮の動きについて分かるようになっていた。
 有宮の筋肉はとてもしなやかで、同じように言われていた自分の数倍はしなやかに見える。そのしなやかさを十分に使うとしたら、取れないスマッシュやドライブがあるかもしれない。
 特に気になっていたのが、スマッシュだった。もしも、しなやかさを用いてスマッシュを打てるならば、その動きがタイミングをずらすこととなって普段打つよりも、より遅いタイミングで速いスマッシュを打てる。そうなれば速いだけではなく錯覚で上手く打てないということになるのではないか。

(確かめるには……やっぱりスマッシュ打ってもらうしかないのかな)

 打っている光景を横から見ることができるならばいいのだが、そうもいかない。なら、目で真正面から見据えるしかない。
 早坂はシャトルに追いついた有宮が打つ瞬間を、目を皿にして見続けた。だが、有宮はまるで見られていることまで把握しているかのように、ハイクリアを打って間合いを外す。早坂はシャトルを追っていき、飛びながらハイクリアをクロスに打つ。ジャンプしながらでもシャトルをコントロールしてサイドのシングルスラインと後ろのラインとの交点へと落ちていった。有宮は真下に移動してラケットを振りかぶる。早坂はまたコート中央に移動し、腰を落として意識を集中させた。有宮の動きの全てを把握するために。

「はあっ!」

 有宮の腕が振られ、シャトルが放たれる。次の瞬間には早坂の右サイドへと届くシャトル。ラケットを出すことができなかったが、その軌道は完全に捉えた。
 そして、スマッシュの秘密も。

「サービスオーバー。エイトフォー(8対4)」

 早坂はそのまま転がっているシャトルをラケットで拾い上げると、羽を整える。その間に考えをまとめて、少しでも有宮攻略へと繋げていく。

(有宮のスマッシュは、やっぱりタイミングがずれてた。本来のタイミングで来なくて、その後で速いスマッシュが来るから見逃していた)

 シャトルを返してレシーブ位置につくと、一度タイミングを外すためにその場をシューズで踏んだ。
 姫川が言ったように、有宮は早坂以上に柔らかい筋肉を最大限に使って、ショットに緩急とタイミングの変化を付けている。早坂はあくまでスマッシュを強くするために腕のしなりを使っていたが、タイミングもまた操作できるのだ。

(もし、身につけることができれば……いや、それよりもまずは勝たないと)

 早坂は一度雑念を捨てる。目の前にいる相手にはただ勝つことだけを考えなければ振り切られる。

「一本!」

 構えたと同時に放たれるロングサーブ。早坂はラケットを振りかぶり、右腕のしなりを意識する。そのまま前に踏み出して、体重を乗せながらスマッシュを解き放った。

「はあっ!」

 シャトルはシングルスラインに沿って進んでいき、そのままコートへと叩きつけられた。あまりに大きな音で周囲の音が一瞬静まるほど。有宮も取ろうとして前に踏み出していたところで止まってしまった。

「さ、サービスオーバー。フォーエイト(4対8)」
「よし!」

 審判が動揺しつつカウントしたところで有宮も我に返り、シャトルを取る。羽が壊れたことを審判にアピールしてコートの外にシャトルを出した。審判から新しいシャトルをもらってから、サーブ位置に立って体勢を作る。有宮は早坂に向けて笑った。そして声を出さないで口の動きで「やったわね」と早坂に伝える。その意味は早坂に十分伝わった。相手のスマッシュと原理は似ている自分のスマッシュを、叩きこんだのだ。

(有宮のあのスマッシュは多分、私のスマッシュと同じでストレートにしか打てない。そして十分に体勢が整ってないと打てない)

 自分と似ているタイプだからこそ早く見つけ出せたポイント。必要なのはスマッシュを打たせない高さを保った鋭いロブ。ロングサーブを打つとしてもあまり軌道は高くしないために自分の中で調整する。打ってみなければ分からないが、力の調整のイメージを固めてからシャトルを打ち上げた。

「はっ!」

 今まで高く遠くへと飛ばしていたシャトルが、軌道を低くしてより早く奥へと飛んで行く。有宮は早めに追いついた代わりに、今までほとんど一打目では打っていないストレートドロップを打ってきた。早坂は前に飛ぶように移動してラケットを突き出すと、クロスヘアピンを放つ。その速度は今までで最速。それまでは越えた瞬間にプッシュで捉えていた有宮が、捉えきれずにラケットをすり抜けさせる。シャトルはそのままコートへと落ちて静かに転がっていった。

「ポイント。ファイブエイト(5対8)」

 早坂は、今度は声を出さずに左手で拳を作る。こちらも緩急を意識していけば、十分に通じると確信する。有宮はまた笑って「やられたなー」と呟きながらシャトルを拾う。そしてラケットで打つのではなく手渡してシャトルを早坂へと渡した。その瞬間、小さく告げる。

「まだ、百点中、七十点」

 その点数の意味を早坂は最初、分からなかった。何に対して点数をつけられているのか分からない。しかし百点のうち残り三十点が足りないということになる。その三十点が自分にとって致命的な何かに繋がっているように思える。

(私を惑わせるために言ったってわけでもないわね)

 有宮は真正面からぶつかって早坂を倒そうとしている。だからこそあえて塩を送るような真似をしてくるのだろう。早坂にとって多少暑苦しい相手であり苦手な部類だったが、笑みが自然と込み上げてきた。

「一本!」

 早坂はサーブ位置につき、すでに構えていた有宮へとサーブを打つ。一回前と同じように弾道は低く奥へ飛ばす。しかし、有宮は体を思いきりのけぞらせてシャトルを打ち抜いた。思ったよりも速いスマッシュがストレートに飛んできたため、早坂はラケットを差し出して反射的に打ち返した。シャトルはネット前にふわりと浮かぶが、崩れた体勢で強引に打ったことで体勢を立て直せていないはずの有宮には打てないはずだった。

「やっ!」

 しかし、有宮は一瞬でプッシュを早坂のコートに叩きこんでいた。
 早坂は全く反応できず、シャトルが前に落ちたことで驚いて尻もちをついてしまう。息を切らせながら体を支えて起き上がるが、心臓はまだ驚きで跳ねていた。目の前のシャトルを拾い、羽を整える間に少しでも高鳴りを抑えるようにしながら、今、起こったことを整理する。

(いつの間に前に来たの? あんな体勢で打って、あのタイミングで返して、プッシュできるわけが……)

 唐突に蘇る有宮の「七十点」という言葉。今のプッシュは残り三十点の部分がまだ分かっていないからということなのかもしれない。スマッシュを封じて低い軌道を打てば、今のように体を反らしてのスマッシュが放たれる。上手くヘアピンで打つことでようやく五分に持ち込める、かもしれない。
 おそらくは打っても、次の動きに戻るための動きが速いのだ。それを自分でもできるかと言えば、今の自分には厳しいと早坂は即答できる。

(それだけ、体を鍛え上げてるってことなんだ。有宮)

 有宮のほうを見るとこれ見よがしに体を動かしていた。柔軟運動の中で横に体をひねった時に、背中まで早坂に見えていた。明らかに常人の稼働域を越えている。有宮の体はどこまで天性の才能に恵まれているのか。
 早坂は一度ラケットを脇に挟んで両手で頬を張った。それから深呼吸をして「よし!」と吼える。自分の中の甘さを吹き飛ばすように。

「ストップ!」

 気合いを入れてレシーブ位置につくと有宮は「一本!」と吼えてシャトルを打ち上げた。早坂とは異なり、思いきり高く上げてスマッシュを誘っているかのようだった。自分は早坂とは違ってスマッシュを打たれても勝てる、という有宮なりの宣戦布告。誰の目から見ても分かる挑発だ。
 ついさっきまでの早坂ならば意地を張ってスマッシュを打っていただろう。だが、熱さを外に出したことで冷静になった頭はちゃんと有宮の隙を作り出すためにドリブンクリアで奥にシャトルを飛ばす。無論、スマッシュもできるだけ打たせないようにする。

(私のほうが弱いんだから、似てるからって合わせる必要なんてないんだ)

 親からもらった体の柔らかさが攻めの主体になっているとしても、有宮と早坂は異なる選手だ。特に実力は、君長凛に勝てたが劣っているとはっきり分かっている。ならば、相手に挑発されても自分は勝つために最善を尽くすだけ。挑発に乗って勝負して負けてもダメージを受けるだけだ。

「はあっ!」

 有宮がドライブをストレートに打ってくる。序盤より明らかに速く襲いかかってくるシャトルに、早坂は気合を込めながらバックハンドで打ち抜いた。

 全国バドミントン選手権大会団体戦。
 早坂対有宮の第一ゲームはより激しさを増していった。
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