Fly Up! 298

モドル | ススム | モクジ
 シャトルが甲高い音を立てて早坂達のコートへと上がった時、前に飛び込んだのは後方で腰を落としていた瀬名だった。早坂も飛びつこうとしていたが、一瞬反応が遅れたために追いつけない。

「はぁああっ!」

 瀬名が前のめりになりながらスマッシュを放ち、右足を前に踏み出して体を止めようとする。それでも勢いは止まらずに膝をついてしまったが、すぐに起き上がる必要はなかった。シャトルは相手コートに転がり、羽をバラバラに散らしている。瀬名のスマッシュの威力によって分解してしまったシャトルを、一歩も動けずに取れなかった永澤はため息をついてコートから出た。栄口も、瀬名と早坂を一瞥してから後を追った。
 カウントは15対11。
 瀬名のスマッシュにより、何とか早坂と瀬名は第二ゲームを奪取していた。

「瀬名。お疲れ」
「……早坂」

 瀬名は傍に来て手を差し出してきた早坂の手を取って、勢いをつけて立ちあがる。しかし、瀬名はふらついて一度体勢を立て直した。早坂は慌てて支えようとするが、瀬名は静かに手を上げて止める。

「わざわざ、相手に伝える必要ない。あっちも苦しいはず」

 体力の低下のことを言っているのだと気づいて早坂は頷く。確かに早坂も瀬名も体力はかなり減ってきていた。第一ゲームと同じくらい競った第二ゲームにより、瀬名は肩で息をすることが増えてきた。早坂は第一ゲームであまり動けていなかった分だけまだ大丈夫だが、瀬名はラリーが終わって次のラリーの前までに息を整えるということをが第三ゲームに入ればできなくなる可能性は高い。最も、それは相手のダブルスにも言えるが。
 ファイナルゲームになれば、後は体力と気力の勝負。
 コートからひとまず出ると、吉田や小島達が出迎える。第二ゲームをよく取った、と労う言葉が降り注ぐ中で、早坂は武と姫川がいないことに気づいた。

「相沢と詠美は、試合の準備?」
「ああ。お前らがこのゲームを取れたから、たぶんもうすぐ出番だな。あいつらなら勝てる。だから、お前らは死ぬ気で勝て」

 小島がそう言って言葉を向けたのは瀬名だった。早坂に向けてではないのは、早坂が復活したと分かったからだろう。瀬名も自分が言われるのは仕方がないと諦めているのか嘆息しつつ頷いた。インターバルの間に少しでも体力を回復するために、パイプ椅子に腰をかけてできる限り力を抜いて。

「女子ダブルスのファイナルゲームを始めますのでコートに入ってください」

 インターバルはあっという間に過ぎて審判から声がかかり、早坂と瀬名が中に入ろうとする。先に瀬名が向かい、次に早坂という順番でコートに行こうとした時に不意に早坂は二の腕を掴まれて動きを止められた。後ろを見ると小島が真剣な表情で早坂を見ている。そこから急に顔を近づけてきた。

「え、ちょ!?」
「瀬名のやつ。足、痛めてるかもしれないぞ」

 小島が顔を間近に寄せて囁く。瀬名に聞こえないようにという配慮ではあったが、逆に他に誤解を招きそうな距離だ。早坂は右手を小島と自分の顔の間に挟んで押しのけた。

「うん。そうだと、思う。分かってる」
「……そうか」
「でも、お互い最後まで走り抜けるって決めた。瀬名をカバーするって意識だと、勝てない相手よ」
「頑張れ」
「うん。小島が出てない時に負けられないでしょ」

 早坂は小島に安心してもらうように笑みを浮かべてからコートに視線を戻した。
 反対側にいる栄口と永澤は靴の紐を結び直してから立ち上がり、互いに攻め方を考えているのか言葉を交わしている。1対1とイーブンに持ち込まれたうえでのファイナルゲームにも動揺はなく、前だけを見ている。追いつかれたことによる精神のぐらつきは期待できない。あとは、体力の消費量がどうなるかだ。

(ファイナルゲームは私も瀬名も、よりたくさん動いてたくさんシャトルを打ち込むしかない。その力が、あるかどうか)

 急造のダブルスである自分達がどこまでできるのか。相手も同じようなペアではあるが、永澤はダブルスプレイヤー。自分達にはないダブルス特有の嗅覚を持っているだろう。ならば、最後にチャンスを掴むのは永澤ではないかと思えてしまう。

「早坂。ファイナルゲームだけど」

 永澤について警戒していた早坂は、突如声をかけられた形になって慌てる。瀬名は早坂の反応が予想できていなかったのか首をかしげて疑問符を頭に浮かべたが、早坂は何でもないと一言で済ませた。そして話しかけてきた理由を尋ねる。

「そうそう。ファイナルゲーム。今まで通り行こう」
「今まで通り?」
「うん。あんたもそうだけど、当たり前のことをすんなりと出来ることほど対処しづらいことはない。別に最後だからって隙をわざと作ろうとなにかしたりとか、いらないと思う。急造ダブルスだけどさ。普通にローテーションしよう」

 瀬名の言葉を心の内で繰り返している内に審判が試合再開のコールをする。早坂はサーブ位置に立ち、下に置いてあった新品のシャトルを取りあげた。
 シャトルコックを回しながら思い出していたのは、全国大会に来てからのことだった。体長不良から始まったこととはいえ、精神的なものも含めて調子を崩してしまい、今までふがいない試合ばかりしてきた。そのことで無駄な苦戦を強いられたということもあるだろう。
 そして、無駄に失望されたことも。
 有宮小夜子の顔を思い出し、早坂は悔しさに顔を歪ませる。だが、姫川からの言葉は自分を奮い立たせた。
 ここで一緒に試合をしている仲間は、仲間であり、ライバルなのだ。戻れば違う中学で、三年次のインターミドルで戦うことになる。同じ中学だとしてもそうだ。清水と藤田がこの大会で化けて成長し、市内予選で壁として立ちふさがるかもしれない。

(皆に、迷惑をかけた。だから、ここで完全に復活する。復活して、皆を……瀬名を助ける)

 小島の言うとおり、おそらく瀬名は足を痛めている。それもこの試合の間だろう。早坂が調子を戻すために打っていた第一ゲームで瀬名は自分のできる限りフォローしていた。その中で痛めたかもしれないのだ。
 そうだとしても、そうではないとしても。早坂はもう後退することはない。

「試合を始めます! オンマイライト、相沢、姫川――」

 隣のコートの審判の言葉が少しだけ聞こえてくる。第五試合目のミックスダブルス。早坂達がセットカウントを1対1とイーブンに持ち込んだことで武達の試合の勝敗に結果が持ち越される可能性が出てきた。もちろん、早坂達が負けた時点で途中でも武達の試合は終わる。

(あんた達も。試合を途中で止められたら嫌でしょ?)

 武のほうを一瞥してから心の中で呟くと、自然と頬がほころんで体の力が抜けた。
 無駄のない力の抜けたフォームでサーブ姿勢を取り、審判の試合開始のコールを待つ。その時はすぐにやってきた。

「ファイナルゲーム、ラブオールプレイ」
『お願いします!』

 早坂はすぐに「一本!」と付け加えてシャトルを打つ準備を完全に整えた。レシーバーである栄口も早坂から発せられるプレッシャーに反応したのだろう。ラケットを掲げていつでもプッシュを打てるようにしている。明らかにショートサーブを狙っていると分かるのは、誘いだ。誘いにのらずにロングサーブに切り替えても卑怯ではない。
 しかし、早坂はショートサーブを打った。もうその軌道しか打たないのではないかという安定感で、白帯ギリギリを通ってサーブライン上へと落ちていく弧を描く。栄口はサーブを読んで前に踏み出してもなお、プッシュを強く叩きこむことが出来なかった。ふわりと浮かんだ軌道で早坂の後ろへとシャトルを打つのが精いっぱい。
 しかし、早坂は背中を向けた状態で飛びついて、バックハンドでシャトルを返していた。

「きゃっ!?」

 悲鳴を上げて栄口はラケットを振る。だが、シャトルには触れられず、永澤もカバーしきれないでシャトルはコートに落ちていた。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」
「しゃ!」

 早坂は鋭く吼えてから瀬名の所へと戻ってくる。先ほど小島が自分にしたように瀬名の顔に自分の顔を近づけて、しっかりと目を見ながら言った。

「このゲーム。今みたいなシャトルもどんどん取りに行く。瀬名は後ろからスマッシュを打つことに集中して。瀬名のスマッシュは、全国でも通じるよ。私が前のシャトルを取れなかったら、フォローよろしく」
「早坂……」
「もう今日はこれで試合がないんだから。体力を使いきろう。そして相沢達が勝つのを見よう」

 そこまで言って早坂はサーブ位置に戻る。戻ったところに合わせて栄口がシャトルを打って渡してくる。シャトルを手に取り、羽を整えてから持ち替えて構えると、永澤が前掲姿勢で身構えているのが見えた。ダブルスという点で言うと永澤はこの場の誰よりも巧者だろう。早坂達なら間違いなくロブを上げるであろうプッシュも何度か鋭いものを打たれていた。同じくらいシビアなシャトルを何度も受けてきた結果に違いない。

「一本」

 それでも早坂はショートサーブを放つ。シャトルが白帯の所まで行くと、すぐに永澤がプッシュを打ってきた。栄口とは違い、鋭く下に落ちるシャトルだった。だが、早坂はその軌道上にラケットを置いて、打ち返す。プッシュを打った直後にはじき返し、頭の上を抜いたことで永澤も反応できなかった。

「はあっ!」

 しかし今度は栄口が永澤をフォローする。シャトルに追いついてロブを高く上げることで早坂のインターセプトを防ぎ、体勢を立て直す。早坂は後方を瀬名に任せてラケットを掲げて次を待つ。

「やあっ!」

 瀬名の咆哮と共にシャトルが真正面へと叩き込まれる。二人の間を突いた絶妙な位置。永澤が咄嗟にラケットを出して打ち返したが、力を入れられずに浮いてしまう。そのシャトルへと早坂はラケットを振りきって叩きつけた。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」

 反応速度が自分でも高まっているのを早坂は感じている。前衛で目の前のシャトルを打ち込むことだけを考えているからかもしれない。今の自分はもう全国大会に来た頃の自分ではない。有宮小夜子と戦う準備ができている。
 だからこそ、目の前の相手にまずは勝たなくてはいけない。

(そう簡単にさせてくれるとは思えないけど)

 早坂は瀬名の体力以外にもう一点不安要素があった。実行されたらするつもりがなかった瀬名のフォローを強引にでもするつもりではあったが、どこまでできるか分からない。だからこそ、瀬名のスマッシュ力に賭けた。どんなシャトルだろうと、思いきり叩きこめばきっと通じる。瀬名と、瀬名の磨き上げてきたスマッシュは、早坂や自分達を裏切らない。

「さあ、もう一本行こう」

 シャトルを受け取ってサーブ位置につく。今度の栄口は先ほどよりも前に出る気配はない。先ほどの攻防でサーブとサーブレシーブでは早坂のほうが一日の長があることに気づいたのだろう。戦法をどう変えてくるのかは分からないが、油断なく早坂はショートサーブを打った。
 栄口はレシーブ位置から動かないままロブを上げた。そして前に出て、永澤は後に回る。第二ゲームで見せた陣形と同じ。左サイドに固まって前と後に分担することでストレートのスマッシュとドロップの二択に備える。もしクロスに打ってきたとしても反応して移動するまでの時間は取れるということでの作戦だろう。
 それはいまだに瀬名のフェイントに抗する手段を見つけられていないということであり、瀬名のスマッシュを恐れているということだ。

「瀬名! 打って!」

 だからこそ早坂は言った。まだ瀬名は見せつけてはいない。彼女の全力のスマッシュを。
 練習の時に見たスマッシュはもっと速かった。そして試合の中で、試合の時以上のスマッシュを打てるはずだ。

「やぁああああ!」

 いつもよりも少しだけ長い咆哮。そして、空気が破裂したような音と共に早坂の頭上を切り裂いてスマッシュがクロスに叩きこまれた。距離的に栄口は間に合わず、永澤が取るべき位置であったが、音が鳴ってからスマッシュが叩き込まれるまでの間に、シャトルに対してラケットを伸ばすことができなかった。

「ぽ、ポイント……スリーラブ(3対0)」

 審判でさえも驚いて口ごもるほどに瀬名のスマッシュは速かった。永澤は自分の場所に戻りがてらシャトルを拾ったが、羽の一本が折れているのを見つけて審判に新しいシャトルを要求する。審判はシャトルを瀬名のほうへと放り、壊れたシャトルは永澤がコートの外に出した。

「瀬名。その調子」

 後ろを向いてそれだけ言うと瀬名は笑顔で左拳を突き出すと指を立てた。それだけで意思疎通は十分だった。他にも伝えたいことはある。しかし、互いに試合に集中していてコンディションも良い。しかし他のことを話してしまって、調子を崩してしまうと元も子もない。自分達は薄氷の上を踏みながら勝利を目指している。油断すればすぐに踏み外すか、薄い氷の下にいる大きな魚に飲み込まれる。

(あと、十二点)

 永澤に向けて早坂はシャトルを構える。
 四点目に向けてショートサーブを打つと永澤のロブが後ろの瀬名へと飛ぶ。先ほどのスマッシュを見た後でもこうしてロブを打てるのはかなりの精神力を持っている。実際に瀬名のスマッシュに臆せずに、永澤は次のショットは確実に綺麗なロブで打ち返していた。瀬名は連続でスマッシュを放つものの、栄口も永澤も綺麗にロブを返すだけ。何度も打たれた後にフェイントでドロップを放つが栄口が読んで前に出る。コースを遮るように前方に移動した早坂は、咄嗟にクロスヘアピンに変えられたことにも対応して、ラケットを伸ばしてストレートヘアピンを打った。
 シャトルに反応したのは前にいた栄口ではなく、永澤。自分がされたように早坂の頭上をふわりと越える中途半端な位置へのロブ。背中を抜かれたことで早坂は後ろを振り返ろうとするが、瀬名が吼えた。

「前だけ!」

 瀬名の言葉に押し出されて前に進む。次の瞬間には力強い音と共にロブが上がっていた。シャトルは栄口の方向へと進み、落下地点に移動した栄口はドライブ気味に飛距離の長いスマッシュを放つ。それも早坂の守備範囲で咄嗟に取ったが、今度は永澤が早坂の返したヘアピンをクロスヘアピンで間髪入れず返していた。打った直後のクロスだけに早坂は何も動けずにシャトルが落ちたのを見送った。

「サービスオーバー。ラブスリー(0対3)」

 シャトルに駆け足で近づいてから拾い上げる。羽を戻してから放り投げて渡し、サーブ位置へと向かう。

(やっぱり、一筋縄ではいかない。私のタイミングを読んできている)

 前衛でどのシャトルにどのように飛び付くのかということが、ある程度分析されている。試合を見てそう感じたのか、過去のデータを見たのか。その他か。次からはインターセプトにコースまで考慮する必要があると考えると少し気分が暗くなったが仕方がない。

「瀬名ごめん。次、二本連続止めるよ」
「……良かった。いつもの早坂だ」
「え?」

 瀬名の言葉の響きに違和感を覚えて視線を戻す。瀬名はどこか寂しげな笑みを浮かべたまま早坂を見返す。視線は複雑な色をたくさん抱えているように見えて、一筋縄では彼女の思考を理解できるとは思えない。

「大丈夫。いつもの早坂ならきっと勝てるから。私は、スマッシュを打つのに専念するよ」
「う、うん。お願いね」

 違和感の正体に気付けないまま試合が再開する。瀬名へのサーブで得点を狙う栄口の闘気に当てられながら早坂は、後方でラケットを掲げた。

「ストップ!」
「一本!」

 栄口の迸る闘気を熱めたシャトルが飛ぶ。瀬名がラケットを立ててネット前に右足を踏み出すのを、早坂はしっかりと見ていた。

 全国大会準々決勝第四試合。早坂・瀬名VS栄口・永澤。
 ファイナルゲームでの決着は、あと少し。
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