Fly Up! 297

モドル | ススム | モクジ
 早坂がネット前に詰める動作はさっきよりも一歩速かった。反応と体のキレがさっきよりも半分ずつ速く一歩分の余裕を生み出す。速かった分だけ体勢が安定した状態でラケット伸ばし、シャトルへと届かせる。

(……行ける!)

 早坂はラケットにシャトルをほんのわずかでも触れさせることができればシャトルを自在に操れるような気がしていた。実際に、シャトルにはスピンをかけつつ、打つ方向さえも手首の微妙な返しだけで制御して相手がストレートだと思いこんで前へと出してきたラケットをかわすようにシャトルを打ち、コートに沈める。得点が審判から告げられて、また一点、差が開いた。

「ポイント。テンシックス(10対6)」

 それまでの苦戦が嘘のように差が開いて行く。ずっと攻撃しているというわけではなく、サーブ権は交互に移っていたがその度に得点を重ねているのだ。その得点の取り方が第一ゲームとは真逆だったのだ。早坂達が二人のサーブ権で一点ずつ取り、相手はどちらかのサーブで一点を取る。その法則に従わない時もあったが、ほぼその流れが保たれたまま進んだ結果、4点のリードを保って先に二桁に到達する。
 これであと五点取れば第二ゲームは早坂達が勝つことになる。
 シャトルへの反応速度もシャトルタッチも、一ゲームまでとは比べ物にならないくらい調子を取り戻していた。自分本来の実力を感じ取る。もし感覚が正しいならば、全道大会で君長凛と戦った時よりも技量が上がっていた。

(瀬名のおかげだよね)

 早坂は横目で瀬名の姿を見る。瀬名はスマッシュを打ち続けて疲れていたが、表に出さずに無表情でラケットのガットをいじっている。そこで早坂の視線に気づいて首をかしげながら言った。

「どうしたの?」

 不機嫌な声に早坂は首を振る。さっきまで謝りすぎて逆に怒られたことが頭をよぎり、あまり刺激しない方がいいだろうと何も言わない。
 判断が正しかったのか瀬名は笑顔を見せて「またお願いね」と一言呟いてから後ろで身構える。心なしか、今までの瀬名よりも頼もしく見えた。
 実際に成長して頼もしくなったのかもしれない。早坂自身は体調を崩し、戻ると調子が戻らなかった。
 有宮小夜子や姫川に叱咤されたことで必ずこのダブルスで勝つと誓い、調子を強引にでも取り戻すためにネット前をギリギリ攻め続けた。無謀な賭けだったが、瀬名がカバーをして試合時間を長くしてくれた結果、予想以上の速さで自分の調子が戻っていった。
 今、大阪代表の目の前にいるのは、全道大会の時以上の早坂由紀子。
 瀬名も、武も、誰も見たことがない早坂の姿だ。

「一本!」

 早坂はシャトルを構えてショートサーブを打つ。今の自分ならば目を瞑ってでも綺麗に打てると錯覚するほど、ラケットを握る力や振る力が感覚的に理解できていた。シャトルをロブで上げた永澤は瀬名のスマッシュを警戒して後ろに下がる。それを確認した上でか、瀬名は吼えながら力を抜いてドロップを打っていた。

「はあっ!」

 凛々しく張りのある咆哮と共に放たれた、柔らかい一撃。完全にタイミングを外されても、栄口は体を強引に前に飛ぶように移動する。ラケットを伸ばしてコートに倒れながらもシャトルを拾ったが、早坂は仁王立ちした状態から、フォアハンドプッシュで打ち抜いた。

「ポイント。イレブンシックス(11対6))」

 絶妙なタイミングでのドロップ。それは武の得意なドロップのようにも思えた。スマッシュをメインにして、時折ドロップを打つことで思考の裏をかき、シャトルを取れなくさせる。更に、このドロップは「分かっていても打ち返せない」類のものだ。決まれば、前に来ると分かっていても足に命令がいかない。目に見えていても前に行けと命令が足に届かなければシャトルを取りに行くことはできない。武のドロップには相手選手を硬直状態にさせてしまう何かがある。早坂も速いスマッシュを持つ相手と試合をしたこともあるし、自分の知らない選手でも試合の観戦を通して勉強するなどたくさん試合を見てきたが、今のように、分かっていても取れないで見逃すという場面は皆無だ。

(一つ一つ。目標を持って)

 早坂は一足飛びに勝利したいという願望を抑える。状況は簡単に覆らない。バドミントンもある得点に到達するまでのゲームだ。怪我か何かの特別な理由がない限り、途中でなくなることはない。それだけ、最後の得点を奪うまでの間の忍耐力があれば何とかなるゲームなのだ。

「瀬名。一本ずつ、行こう」
「ええ」

 瀬名は一言だけで早坂の後ろに戻る。ぶっきらぼうな態度に早坂は少しだけおかしくなった。自分に噛みついてきていた最初の頃の瀬名のように思えたのだ。

(何となく、あの頃に戻ってるような――)

 そう思いかけて、違和感が生まれる。確かに呼び方も苗字に戻し、互いにらしくないことを止めた。早坂は自信を取り戻したことで謝ることは少なくなったし、瀬名は早坂のカバーを最小限にして攻撃に集中してもらった。その結果、瀬名のスマッシュは存分に威力を発揮して、更には今のようなフェイントを使えるようになった。今の瀬名の攻撃力は間違いなく全国トップレベルにも通じるだろう。
 それでも、不安感にさいなまれるのはどうしてなのか。

(瀬名……私に何か隠してない?)

 そう問いかけたい気持ちを押し殺して、早坂はシャトルを手にとって身構える。今は目の前の一点に集中することが大事だ。もし一瞬でも思考がずれた場合、すぐに攻撃権を相手に持っていかれるだろう。調子が戻ったとはいえ、相手のダブルスの力は十分自分達を倒せるのだから。

「一本!」
「一本!!」

 早坂の声をコーティングして前に押し出すように瀬名が吼える。早坂は背筋を伸ばして声を全身で受け止めると、静かにショートサーブを放った。シャトルが飛び、ネット前で永澤がプッシュで打ち返す。早坂はラケットを伸ばそうとしたが中途半端に触れそうで途中で止めた。代わりに後ろから瀬名が飛び込んでロブを上げる。

「はあっ!」

 前のめりに近い形になり、体を支えるために右足を踏ん張る。大きな音を響かせて体を止めた瀬名へと、ドリブンクリアで永澤はシャトルを運んだ。瀬名はバックステップで後ろに移動しながら、最後は飛んだ。

「やぁあああ!」

 中空で体勢を整えてのジャンピングスマッシュは、この試合での最高速を更新して永澤の股の間を抜けてコートへと落ちていた。

「しゃああ!!」

 男子のような咆哮を出して瀬名はラケットを掲げた。渾身のスマッシュ。今まで以上にタイミング良く捉えたシャトルは、早坂でもぞっとするほどの速さで相手の股間を抜けて着弾した。永澤もその速さに委縮したのかすぐには動けず、硬直が解けるまでしばらく時間を要することになる。危うく審判に注意される前に我に返ってシャトルを拾い、早坂へと渡す。
 とうとう得点は12点目。12対6とダブルスコアまで到達した。このまま押し切れると楽観的な考えにはならないが、サービスオーバーとなってもまだ余裕はある。

「ナイスショット! 瀬名」

 早坂は振り向いて瀬名に手をかげる。瀬名は両手で顔を掴んでタオルで擦るように汗を一気に拭っていた。その後で穿いているハーフパンツで拭い、左手を突き出して早坂とタッチを交わす。

「大丈夫? まだまだいける? 体力、落ちて来てるならカバーするわよ」
「そんな弱気じゃ勝てないって。大丈夫。私だって。鍛えてきたんだから」

 早坂の言葉に強気に答える瀬名。だが、早坂は逆に不安を強くした。自分に対して視線を合わさずに、息を切らせながら告げてくる瀬名は何らかの現実から目をそらそうとしている。それを聞くのはたやすいかもしれない。しかし、聞いた瞬間に全てが崩れ去ってしまうかもしれないという得体のしれない恐怖が早坂の内から昇ってくる。

「試合に集中してよ、早坂」

 不安の海に飲み込まれそうになった早坂を引き上げたのは瀬名だった。今まで反らしていた目線を早坂の目にあわせて告げる。強い意志の力で光が灯った瞳が早坂の目に飛び込んでくる。

「あんたが何を考えているか、私には分からない。でも考えている暇なんてない。私が原因なら謝るけど、今は謝らない。後でさんざん謝るから。行こう」

 強く最後に念を押される。言葉の一つ一つがもう後ろを振り返るなと早坂を前に向けようとしている。今、自分達がやるべきことは、一回でも多くシャトルを相手のコートに打ち込み、十五点目を取ることだ。更に、ファイナルゲームでも十五点を先に取って、相手に勝つことだ。

「うん。分かった。最後まで、攻め続けるよ」
「オッケイ。後ろは任せて」

 再度、左手を打ちつけ合ってから離れる。早坂はもう瀬名のことは気にしないと覚悟を決めた。互いにやるべきことをやって、次に互いを思いやるのは試合の後にしよう。その時までは、甘えや妥協は許さない。見せない。

「一本」
「一本!!」

 シャトルを構えて栄口へと体を向ける。瀬名の声と同時にシャトルを打つと、今度はプッシュが鋭く落ちていく。瀬名が吼えながらロブを上げて、反動をつけて右側のサイドへと走っていく。サイドバイサイドの陣形から相手のスマッシュかドロップ、ハイクリアを待ち受けると、三択のうち、スマッシュがコート中央へと飛んできた。
 早坂は一歩前に出てヘアピンを打つ。既に永澤が前に詰めていたが、今までの調子ならばプッシュは打たれない。そう見込んでシャトルをクロスヘアピンで打ち返していた。だが、永澤は強引に進行方向を変えてシャトルへとラケットを届かせる。更に下から上まで擦りあげるようにしてスペースがなくともプッシュを打った。早坂のラケットの届く範囲から遠い場所でのプッシュ。左側のスペースへとシャトルが落ちようとしている所に瀬名が飛び込んでラケットを伸ばす。だが、シャトル二つ分届かずにシャトルは落ちて、瀬名は膝をついて転んでしまった。

「サービスオーバー。シックストゥエルブ(6対12)」
「瀬名!」

 審判のカウントをよそに、早坂が瀬名が立てた鈍い音に思わず声を上げて近づこうとしたが、瀬名は手を上げて大丈夫と言いながら立ち上がった。膝を触ったり押したりしてから動かして、痛みがないことをアピールする。ほっとしてから早坂はシャトルを取れなかったことを謝った。

「ドンマイ。さあ、ストップ」
「ええ。ストップ!」

 決めた通りに前だけを向く。瀬名から返されたシャトルの羽を丁寧に直して栄口はサーブ姿勢を取った。早坂はラケットを掲げてレシーブ体勢を取り、どこにサーブを打つのか相手の思考を読む。狙うのはショートサーブ。そして、プッシュする位置は永澤の右脇腹。目標を決めたところで栄口がショートサーブを放ってきた。早坂が来るだろうと見込んだ場所にそのまま。ラケットを伸ばして今度は打とうと思っていたところへと打つが、予想よりも後ろに永澤は立っていて、ロブをしっかりと奥へ返していた。

(私のプッシュを読んでいたんだ……)

 どこに打つかと攻撃する側が予測するのは、逆を言えば自分がどう攻められたくないかを探すこと。永澤は早坂と逆方向からコースを読んで、打つために後ろに下がった。ならば、次に瀬名が何を打つのかと把握しているに違いない。

「瀬名! 思いきり!」

 瀬名に視線を向けないまま吼える。予測されているならば、瀬名の渾身の一撃を叩きこむだけ。相手の簡単な小細工を吹き飛ばす、純粋なパワー。今の瀬名ならば可能なショットのはずだ。

「やぁああああ!」

 瀬名の声が響く。そして、放たれたのはネット前へのストレートドロップ。
 だが、ネット前には栄口が既に詰めていた。

(読まれた――いや、違う!?)

 相変わらず早坂でさえも引っかかったフェイント。そしてそれは、相手も同じだった。永澤は動けないままコートの中央にいた。そして、栄口は、瀬名が打つ前からネット前に飛び込んでいた。

(スマッシュを打たれたら永澤が取って、ドロップなら栄口が取るつもりだった!?)

 瀬名のドロップを一人で攻略できないと睨んで、また攻撃なら必ず瀬名がすると考えて、完全に狙ってきていた。
 前衛を任された栄口は瀬名のドロップで落とされるシャトル目掛けてラケットを振る。シャトルが自分達のコートに到達した瞬間にラケットで打ち込むことでドロップのカウンターを取れるなら、早坂もまたタイミングよくラケットを振れば打ち返せるかもしれない。駄目で元々と考えて移動し、ラケットをバックハンドの状態から振り切ろうとした瞬間、栄口の視線の動きが見えた。
 目の前でラケットを振ってきた早坂を見て、栄口は視線を横にずらし、ラケット面をほんの少しだけ傾ける。ラケットを振る軌道はそのままに、シャトルが放たれる方向だけが変わる。栄口の冷静さに感嘆しながら、早坂はシャトルが撃ち込まれるのを見送るしかなかった。

「ポイント。セブントゥエルブ(7対12)」

 久しぶりの得点に大阪チームが沸き立つ。攻めている時以外はお通夜のように静かだったチームが一回のプッシュと、一回の得点によって蘇る。そして吹きつけるプレッシャーに当人達だけではなく応援の選手達のものも加わる。テンション次第でかなり印象が変わるのが大阪チームだった。早坂は何度か床を踏んでからレシーブ位置に戻り、瀬名に謝る。次のレシーバーは瀬名。ネット前の攻防は自分に任せてロブを上げるように言うと素直に頷いて前に出た。
 シャトルを構えた栄口はプレッシャーを強くする。テンションを流れに乗せる前に食い止めなければと、どう打ったらいいか思考を巡らせた。

「いっぽぉおおん!」

 栄口が高らかに吼えて、今度はロングサーブを打ち上げた。瀬名は後ろへと追っていき、右足を踏ん張ってスマッシュを放つ。上半身だけを使ったスマッシュで力は十分には乗せられない。しかし、弾道は低く相手に上げさせるという目的は達成できて、早坂は前に出た。永澤はネット前に打つようにラケットを構えたが早坂が来たことでロブを上げる。それは瀬名のチャンス球。

「はっ!」

 渾身のスマッシュが栄口の胸部を遅い、ラケットで完璧に打ち返された。少なからず早坂は動揺する。いくらコースがワンパターンに近いからと言って、今の瀬名のスマッシュを完璧に後ろへと返せるものなのか。

(返せるなら、返せるんだ)

 上がったシャトルに瀬名がまた構えを取る。数秒後に爆発にも似た音を立ててシャトルが羽をまき散らしながらコート中央へと突き刺さっていた。どちらを狙うということをせずに中央を打ち抜くという瀬名の方法は間違っていないと思えた。

「セカンドサービス。セブントゥエルブ(7対12)」

 一点詰められても、まだまだ余裕はある。その余裕を食いつぶす前に、第二ゲームを取る。早坂は再び自分に向けてサーブを放とうとする永澤に向けてラケットを掲げた。
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