Fly Up! 291

モドル | ススム | モクジ
 咆哮と共に放たれる健吾のスマッシュを吉田はしっかりと奥へと打ち返す。低い弾道にするとネット前でインターセプトされる可能性があるため、高い軌道にするものの、そうなれば再度厳しいスマッシュが来ることになる。
 そして、シャトルは健吾ではなく、何故か大樹がシャトルを追っていた。スマッシュを打った健吾が前に出て、ネット前で構えていた大樹が後を追う。

(またか!)

 大樹の予想外の動きに頭にノイズが生まれる。吉田は一瞬だけ体の動きが止まったが、腰を落としてスマッシュを待ち構える。しかし、硬直した隙が吉田の準備に影響を与えたため、大樹から放たれたストレートスマッシュで胸元に飛び込んできたシャトルをとることができなかった。
 ラケットの防御をすり抜けて、胸部でシャトルをトラップしてしまう。

「ポイント。サーティーンイレブン(13対11)」
「しゃああああ!」
『ナイスショットや!』

 大樹の咆哮に大阪の面々が声を重ねる。吉田はシャトルが落ちる前に左手でシャトルを取り、羽を見てから審判に取り換えてもらうように告げる。審判は置いてあった筒から新しいシャトルを取り出して健吾へと放り、受け取った健吾は軽く真上に何度か打ち上げてシャトルに問題ないことを確認してサーブ体勢を取る。
 健吾は、レシーブ位置にいる吉田に向けて強さを増した闘気をぶつけてきていた。

(慣れてきたけど……捉えられそうで捉えられない)

 ローテーション時に自分の中に発生するノイズに、吉田はなんとか慣れてきていた。だが、試合が進んでいく中でノイズを感じた一瞬だけ動きが止まることがあり、その分、次の動作への準備が遅れてしまう。峯兄弟はその隙を的確に突いてきて、得点を重ねていた。全ての隙から得点されているわけではないが、どうしても対応しきれない時があり、その結果が今の点差となっている。今は吉田が弱点として集中的に狙われていた。

「吉田。大丈夫か」

 安西が心配して問いかけてくる。吉田は一つ頷いて手を振って安西に笑いかけた。

「大丈夫だ。何とか耐えるから、チャンスがあったら打ち込んでくれ」
「分かった」

 下手にフォローに回れば安西に矛先を変えてくることは分かっていた。だからこそ、吉田自身が耐えなければならない。そうやって自分に言い聞かせてレシーブ体勢を取る。

「ストップ!」
「一本!」

 健吾よりも先に叫び、押し寄せてくるプレッシャーをはねのける。ショートサーブで放たれたシャトルをネットを越えたところでプッシュで打ち込むと、強打は出来なかったがダブルスの外側のライン上へとシャトルは切り絵に向かっていった。後ろに控えていた大樹がラケットを伸ばし打ち返すが弾道は低く白帯の傍を通り、吉田はチャンスを見逃さなかった。

「はあ!」

 バックハンドのままプッシュで打ち返し、一瞬でコートに叩きつけた。
 
「セカンドサービス。サーティーンイレブン(13対11)」

 時折、こうして相手にシャトルを叩きこめるとしても主導権は握れない。大事なところでは確実に峰兄弟がシャトルを吉田達のコートへと叩き込んでいた。
 相手も全国レベルなのだと吉田は思い知らされる。吉田は安西に落ち着いてストップするように告げて背後に構えようとした。
 そこで安西が呟く。

「落ち着くのは吉田じゃないか?」
「……」

 安西の呟きに言葉を返そうとする前に試合が再開する。安西は構えを取り、セカンドサーバーである大樹はすぐにサーブを打ってきた。弾道が低めで安西の左側を突くドリブンサーブ。シャトルは頭上とラケットの隙間を縫うような軌道で飛んでくる。安西は咄嗟に体を沈めてシャトルにラケットを当てた。振りきることはできなかったがシャトルはネット前へと落ちて行く。ショートサーブを打った大樹はそのまま前に出てきていて、シャトルをヘアピンで返していた。

「はっ!」

 安西も前に出てヘアピンをヘアピンで返す。ストレートで返ってきたシャトルをストレートに。クロスで打つには余裕も技量も足りない。そこを大樹につけ込まれる。返したシャトルに被せるようにバックハンドでプッシュを放たれ、安西は避けるのが精一杯だった。かわした先には吉田。体勢を立て直そうとストレートにロブを上げて、自分は右側へと移動する。左前方に安西がいたためであり、安西もシャトルが高く飛んだことと自分の位置取りからまっすぐ後ろに下がった。

(やっぱり、安西とのダブルスはやりやすい。安定感は武よりもあるくらいだ)

 中学からバドミントンを始めたという安西のプレイには癖なども付いておらず、バドミントンの型を正しく注ぎ込まれたという印象を吉田は持った。岩代と組んだダブルスと対戦した時はネット前の技術を強化しているなど何らかの技量に特化したところも見せられたが、今時点では後衛も前衛も一定以上のレベルでこなすプレイヤーへと成長している。ダブルスのローテーションも的確で即席ペアであるにもかかわらず、流れるような動きに心地よさまで感じていた。

(これだけ気持ちよくプレイできるのに……あと一歩足りない)

 強烈なスマッシュと縦横無尽の変則ローテーション。峰兄弟のプレイは吉田の頭の中にある回路を狂わせる。シャトルをストレートで叩きこんでくる大樹を見て、クロスにシャトルを飛ばした吉田だったが、カバーするかのように健吾がシャトルを追ってスマッシュを打つ。本来、来るであろうタイミングよりも速く放たれたシャトルに吉田の反応が一瞬止まる。それでも何とか隙を突こうとドライブ気味に打ち返したことでネット前に飛び込んできた健吾に阻まれる。

(なんでその軌道をお前が取るんだ!?)

 右サイドにいたはずの健吾が、左サイドまで大樹の前を突っ切るように飛び込んできてシャトルを捉える。その無駄に思えるトリッキーな動きは吉田へと効果を発揮して、更にもう一点加算させてしまった。

「ポイント。フォーティーンゲームポイントイレブン(14対11)」
『あと一点! あと一点!』

 あと一点コールに健吾も大樹もラケットを掲げる。
 逆に吉田達には武や小島が「ストップだ!」と気合を入れる。声にはどこか悲痛さも含んでいた。

(シングルス二敗で俺らも一ゲーム取られたら、本当に王手だもんな)

 三敗したらチーム全体の敗北となる。これまでピンチは何度も経験したが、ここまで追いつめられた気持ちになることは今までなかった。それはあくまで個人戦で、自分や、ペアを組んだパートナーの分までの重さしかなかったから。だが、今はチーム全員分のプレッシャーを背負っている。まさか自分がチームとして初めてのピンチに陥らせることになるとは吉田は思っていなかった。息を吐いて気持ちを落ち着かせながらレシーブ位置につくと、大樹もサーブ位置に同時につく。ラスト一本を決めようとやる気満々といった表情で吉田に気合いを解放している。

「吉田。このゲーム、落としてもまだ後があるからな」

 背中からかかる安西の声は全く動揺していなかった。吉田はそれだけで肩の力が抜けて行く。自分が想像以上に緊張し、疲れていたことに気づかされた。

(そっか……俺は……確かに疲れてるな)

 適度な緊張は力を発揮できるが、過度にプレッシャーを感じれば委縮し、ラケットも振り切れなくなて力が出せない。今まで当たり前のことをだったにもかかわらず出来なくなっていた。それだけ、この状況に「飲まれて」いる自分を自覚するだけでも、ほんの少し前と全く違う景色が広がっていく。

「ストップ!」

 自分の中の黒い感情を吐き出すように吼えて、吉田はサーブを待ち構える。大樹は吉田の気合いに応えるようにロングサーブを高く打ち、峯兄弟は両サイドに広がった。吉田は飛距離の短いシャトルの真下に来て、峰兄弟のポジショニングを見ると、一点に全力でシャトルを打ち込んだ。

「はあっ!」

 素早く切れ味があるスマッシュで狙うのはコート中央。峯兄弟から等距離に落ちるようにシャトルを打って、どちらが取るのかの反応を見るために放った。
 だが、峯兄弟の動きは吉田の想定を超えていた。放って視線を向けた瞬間に吉田が見たのは、シャトルに向かって飛びこむ大樹の姿。ラケットを掲げて飛んでくるスマッシュにカウンターを合わせ、一瞬でコートに叩き返していた。

「ポイント! フィフティーンイレブン(15対11)! チェンジエンド!」
『うぉおおっしゃああ!』

 健吾と大樹は左手を思いきり打ち鳴らして吼える。力任せにもぎ取ったのは、勝利へとかなり前進するチケット。あと十五点を先にとれば自分達の勝ち抜けが決まるのだ。
 逆に南北海道チームは、崖っぷちに立たされる。お祭り騒ぎでテンションが高まる大阪と、追い詰められた吉田達にどう声をかけたらいいか分からなくなって黙り込む南北海道の対比が際立った。

「まだ、次のゲームがある。終わってないぞ?」

 吉田コーチが立ち上がり、吉田と安西へと言った。それは間接的に武達にも伝えているということは周りも分かったのか、表情が少しだけ緩くなった。吉田コーチも全員の表情に生気が戻るのを確認したうえで、コートから戻て来た二人に改めて告げる。

「だが、このままじゃ負けるからな。安西」
「はい」
「お前が試合をコントロールするんだ」

 吉田コーチの言葉に言われた当人が呆気に取られる。意味が伝わっていないことに吉田コーチは再度伝える。短いインターバルの間に伝えられることはかすかだと分かっているため、要点だけを簡潔に。

「香介は峰兄弟のローテーションに完全に翻弄されている。でも、お前はそうでもない。安西。お前は周りに影響されない安定感がある。余計な情報を排除して、峰兄弟の隙を作り出せ。香介。安西が作り出した隙にお前はシャトルを叩きこめ。いつも相沢をコントロールしてるんだ。たまにはコントロールされてみろ」
「は、はい」
「分かりました。やってみます」

 困惑しながら答える吉田と、静かに答えて頷く安西。向かいのエンドに入り、大阪チームの視線にさらされながら吉田は安西へと問いかけた。

「父さんの言ってること。分かったのか?」
「ああ。分かったけど、実践できるかはやってみないと分からない」

 吉田は自分が言われたことを反芻する。
 コントロールされてみろという指示は新鮮だった。吉田自身はゲームメイクをして武にスマッシュを打たせるほうがメイン。だが、この試合では峰兄弟に翻弄されるばかりでゲームメイクをする余裕もなく、逆にシャトルを叩きこまれる機会が多かった。いつもならば働くはずの勘が働かない。逆に勘が障害になって目の前の展開と脳内の光景の差異に対抗できなかった。

「安西は、惑わされずに打てるのか?」
「だからやってみないと分からないよ。ただ、出来ないと俺らは負ける。できたら勝てる……かもしれない。だから、やるしかないなって思ってる」

 安西の言葉の最後に含まれる緊張を感じ取り、吉田は自分の頭を軽く叩く。勝とうとしている仲間に向けて自分はプレッシャーを与えるだけで励ましてもいない。自分がピンチの時に助けてくれるというのに。この試合では最初から最後まで駄目だと自覚して、ため息をついた。

「吉田?」

 深く長い溜息だったために安西は何事かと吉田に視線を向ける。答える代りにラケットを軽く背中に当てて、一言「頼んだ」とだけ告げてから吉田は前に出てラケットを掲げた。
 セカンドゲームを始めると審判が告げたことで安西も前を向く。既にシャトルを持ってサーブ体勢を整えている健吾が吉田に向けていつでもシャトルを打てるように構えていた。

「セカンドゲーム、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 四者同時の声とほぼ同時に健吾はショートサーブを放つ。軌道を追うように前に出た健吾を見た吉田は、ストレートのヘアピンを打ち、ダブルスのサイドラインぎりぎりにシャトルを落とす。ヘアピンを打ち返すのは無理と判断して健吾はロブを高く上げた。吉田は前方の中央に腰を落としたが、目の前に何故か健吾がいて混乱する。ロブを上げたならばサイドバイサイド――左右に広がって防御陣形を取るのではないか。このままでは左右ががら空きになっている。

「はっ!」

 背中から安西の声が届く。シャトルが打たれる音はハイクリアでもドロップでもなく、スマッシュ。どこに打たれたのか判断して次の動きを決定しなければならない。
 だからこそ、自分の頭の上を通り抜けたシャトルに体は止まった。
 吉田の目の前にいた健吾の動きも同様に止まる。だが、自分の顔に飛び込んできたシャトルにラケットを掲げてロブを打ち返した。難なく反応したように周りには見えたであろう小さな隙。
 次のシャトルはコート中央を突き進むハイクリア。吉田は左サイドに下がろうとしたが、次の瞬間、後ろからの声が背中を突き抜けた。

「吉田! そのまま!」

 吉田の中で考えが交錯する。シャトルを高く上げたならサイドに広がらないとピンチになるじゃないかと。
 ――両サイドの大きな隙間を安西はカバーできるのか。
 ――二人で片方ずつ守った方が得策に決まっている。
 ――あえて振りを選ぶのはどういうつもりなのか。
 次に浮かんだのは吉田コーチの言葉だ。コントロールされてみろと脳内で反響する。
 試合を制御する役回りだった自分が逆にコントロールされる。翻弄されてばかりの自分ではなく安西ならばできると吉田コーチは――自分の父親は判断したのだ。中学でのバドミントンはそこまで観戦していないはずだが、自分のことはおそらく一番分かっている父親が言ったのだ。

(信じる。てか、俺もどうにかできるか自信がないんだから、信じるしかない!)

 吉田は覚悟を決めて、腰を落とす。もし自分の制空権内にシャトルが来たならば、必ず叩き落とすと意識を目の前に集中させる。だが、吉田の心配通り、後ろからの大樹のスマッシュは吉田の届く範囲からは遠い、右サイドのラインへと飛んで行く。
 安西が取ったシャトルがストレートのロブで飛んで行くのを見てまた体を動かしかけるが、安西が再びストップをかける。

「吉田は最後まで前にいてくれ!」

 言葉の意図を考えようとして、止める。自分はコントロールされる立場。少なくとも、ここにいる意図は詮索しない。考えるのは、自分が取れるところに来たシャトルをどうやってコートへと叩き込むか。そのためにも峰兄弟の動きをよく観察する。大樹は再びストレートにスマッシュを放つ。対して安西はまたロブを上げてしのぐ。同じ軌道をなぞることを数回繰り返した後に、動いたのは健吾だった。吉田の前から離れてストレートに上がったロブを追っていく。逆に大樹は回り込むように移動してネット前にやってきた。位置取りはやや左側に寄っている。
 吉田はそこで、咄嗟に右に移動した。

「うら!」

 ロブに追いついた健吾がスマッシュを放つ。軌道はストレート。
 その軌道は吉田の制空権内だった。

「はっ!」

 吉田は完璧なタイミングでネット前に来たシャトルを捉え、峰兄弟のコートへとプッシュを決めていた。
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