Fly Up! 292

モドル | ススム | モクジ
「サービスオーバー。ラブオール(0対0)」

 吉田が自らシャトルを叩き落として、取り返したサーブ権。久しぶりに自分の思い通りのショットが打てたからか込み上げてくる衝動の赴くままに吉田は吼えた。迸る気合を前面に押し出して、峰兄弟へと叩きつける。

「ナイスショット、吉田」
「……サンキュ」

 背後から声をかけてきた安西に向けて頷いた吉田は、安西の上げた左手に自身の左手を叩きつけて気合を伝える。振り返るタイミングで相手から返ってきたシャトルを中空で手に持った吉田は、サーブ位置について何度か深呼吸をする。自分の内から溢れ出す気合いをコントロールするために。
 気合いの乗った一撃を叩きこめたこと。それだけで吉田の中を血が巡り始めた。綺麗に回る闘志の流れが全体のリズムを良くしていく。自分でも驚くほどに、サービスオーバー前と後で違っていた。

(まずは一本からだ。この試合に負けたらとか考えるな。まずは一ゲームを取ることだけに集中しろ)

 フラストレーションから上手く動いていなかった頭が働くようになる。健吾を視界に入れながらどのようなサーブを打つかを決め、ラケットを動かす。決めてから放つまではほんの一瞬。シャトルは健吾の頭上を越えていた。

「何ぃ!?」

 構えていなかったというわけではない。むしろ吉田がサーブをする前から構えていて、必ず叩き落としてやるという気迫を持って待ち構えていた。だが、吉田がショートとロングの中間のような弾道の低いサーブを打った時、健吾は全く反応できなかった。自分の頭と腕の間をくぐり抜けたシャトルには全く触ることができず、のけぞってバランスを崩しただけで見送るしかなかった。

「ポイント。ワンラブ(1対0)」

 審判も健吾の準備ができていなかったとは認識していない。まぎれもない一点。健吾の警戒心の隙間を縫って放たれた、吉田の絶妙なタイミングのサーブだ。吉田は小さく拳を握ってガッツポーズを取る。悔しげにシャトルを拾った健吾が返してきたシャトルの羽を直しながら次の位置へとついた。

「吉田。もう一本」
「おう」

 安西からの声に吉田は心が落ち着く。先ほどまで何かずれていたものがぴったりとはまったような気がしていた。自分の父からの言葉を思い出す。コントロールされてみること。今は、おそらく自分は安西にコントロールされているのだ。

「一本」
「一本!」

 背中から届く声に従って吉田はシャトルを打つ。今度はショートサーブで、シャトルは白帯すれすれを通って相手コートへと落ちて行く。前に出た大樹がヘアピンを放つが、吉田はクロスヘアピンで鋭く沈める。健吾もまた前に詰めたが同じようにヘアピンを返すには追いつかずロブをあげて体勢を立て直した。吉田は無理にシャトルをインターセプトしようとせずに、後ろに控える安西に次のシャトルを任せた。

「おらあ!」

 気合いのこもった声と共に、シャトルがゆっくりとネット前に落ちて行く。
 スマッシュと見せかけたドロップ。二人とも前にいるというのに、あえて前へとシャトルを打つ。吉田はそれでも安西のシャトル回しを信じることにした。自身はただコート前の中央に腰を落として相手のショットを待ち受ける。シャトルは吉田の頭上を通るように落ちて行き、ちょうど健吾と大樹の間を抜けて行った。シャトルを取るのは健吾と決めていたようだが、実際にお互いが打てるという場所にいたからか、動きが鈍る。そして、健吾がシャトルをはね上げた瞬間に吉田はその軌道が見えた。

(ここだ!)

 宙空に光の軌跡が描かれる。それは吉田の中のイメージにすぎない。しかし、吉田はラケットを伸ばしてその軌道上に置く。それだけで、健吾が上げたロブはインターセプトされて跳ね返された。打った直後ではどんなプレイヤーも隙ができる。硬直時間に差し込まれたシャトルはコートへとあっさり落ちて転がっていた。

「ポイント。ツーラブ(2対0)」

 第一ゲームの終盤からは考えられないほどあっさりと吉田達は得点していく。峯兄弟もこの現状に違和感を覚えて、シャトルを拾って羽をじっくりと見た後で審判にシャトルの換えを要求した。その間に少しでも冷静になり、吉田達に傾きかけた流れを変えようというのだろう。

「流石に全国区だな。タイミングを分かってる」
「全国に行くような選手ってこういうところに勘が働くのかもしれないな」

 吉田は素直に相手のことを誉めている。いくら全道で第一シードに勝っても、橘兄弟に勝っても自分はまだ全道レベルなのだど吉田は戒めている。自分の立ち位置を改めて自覚して、相手の強さを受け止める。それだけでまたレベルアップできるのだ。

「ようやくいつものお前に戻ってきたな。良かったよ」

 安西のほっとする声を聞いて、吉田は改めて迷惑をかけていたのだと考える。第一ゲームは調子が悪かったわけではないだろうが、峰兄弟に翻弄されていたのは確かだ。今は安西の意図を汲んだ上で、その通りに動こうとしている。

「こういう操縦は、お前の特技ってことか」
「そうかもしれない」

 新しいシャトルをもらって吉田は二点目のサーブ位置につく。会話は最小限に。意思疎通に必要な分だけを取り込み、相手へのサーブを打つ。健吾は一点目を取られたサーブに警戒してか、強烈なプレッシャーをネット越しに叩きつけてくる。質量があるならばネットは大きく揺れてポールから外れているのかもしれない。吉田は柳の木のように圧力を受け流し、逆に流れの中の間隙へとシャトルを打った。

「一本」

 言葉と同時に打ったシャトルは、緩やかに流れを逆走して相手コートへと入っていく。
 健吾は今度こそ硬直せずに前に出たが、プッシュできずにロブを上げる。吉田はいつもの位置より少しだけ前に出て、健吾と向かい合った。大きな体を深く落として、どんなシャトルも前に来れば叩き落とすというような気迫で迎え撃っている。吉田は真正面でその圧力を受けたが、今はさっきよりも動きに惑わされていなかった。というよりも、第一ゲームより峰兄弟のローテーションは奇抜なものではなくなっていたのだ。

(どういうことだ……峯達が上手く動けていない?)

 安西が打ったのはドロップ。速さはないが浮かないようにと気をつけられた丁寧な軌道。前にいた健吾はラケットを伸ばしてプッシュしようとするが、ネットにラケットがぶつかるのを恐れてか、強打はしなかった。緩やかに落ちるというだけで、吉田が追い付く時間がある。後ろに回り込むように動いてからラケットを振り切り、ドライブで健吾の横を抜いた。

「何!?」

 ネットギリギリを越えてくるシャトルに反応できない自分自身に驚いている健吾。シャトルを追ったのは大樹で、追いついたところから力任せに打ち抜いた。しかし高く上がらずにドライブ気味になってしまう。そこは吉田の独壇場。まるでシャトルと磁石で引きあっているかのようにスムーズに吉田のラケットが軌道上に置かれ、手首のスナップにより小気味よい音と共にコートへとシャトルが叩きこまれた。三点目にして健吾と大樹は顔を憤怒に歪ませる。良いようにやられている自分達が許せずに、脛をラケットで何度か叩いた。それがスイッチになったかのように自分自身に怒りをぶつけることを止める。

「ストップだ!」
「ストップ!」

 並んで吼えてから吉田のサーブを待ち受ける大樹。この流れを断ち切ろうと、気合いを放出する。しかし、吉田にはその気合の流れが見えていた。水が流れるようにイメージが空間に生まれ、その流れが途切れる位置が必ずある。大樹へサーブ体勢を取っていると、流れが一度収まる部分があった。その間にシャトルを打つと、集中していたはずなのにベストなショットが打てない。思考の間隙。闘志の流れ。吉田は自分の集中力が今、高まっていると自覚した。

(このイメージ……そうだ……この感じだ)

 自分が最も集中した時と比較してそん色ない状態。スポーツ選手の間で言われている「ゾーンに入っている」状態なのかもしれない。相手の動きが自分のことのように分かる。それが、たとえ一ゲーム目で翻弄された相手だろうと。

(でも、それは安西のおかげだ)

 集中力が増し、健吾や大樹だけではなく、安西のこともよく見える気がする。それこそ、コートを俯瞰して見ているかのように、背後の様子も感じ取れた。峯兄弟の動きに惑わされなくなったのは集中力が高まったからだが、それより以前に相手の動きが自分の知っている動きに限定されてきたことがあげられる。
 どのような理由なのかは分からないが、安西が打つシャトルが峰兄弟を封じ込めているのは明らかだった。どうしてなのか頭の中で分析しようとするが、シャトルが手の中に入ることで収まる。味方の動きが上手くいっている時に振り替える必要はない。自分の父親が言っているように、コントロールされてみるのも良いかもしれない。

(出来る限り乗ってやるさ、安西)

 四点目を取るためにサーブを打つ。今度はロングサーブ。それも弾道は低く後ろのサーブラインにぎりぎり入るような軌道で。体を後ろにのけぞらせた大樹は強引にラケットを振ってスマッシュを放ってくる。だが、そこには既に吉田のラケット。不安定な体勢で放たれたにもかかわらず力強いショットを吉田は完ぺきにいなしていた。シャトルは白帯に擦れてくるりと引っくり返って落ちて行く。ネットに触れながら落ちて行くシャトルには、カバーに来た健吾も触れられない。
 取れる距離にあるのに、触れられないまま健吾はシャトルを見送った。

「ポイント。フォーラブ(4対0)」

 遂に連続で4ポイント。試合の流れが吉田と安西へと集まっていくのがコートの中の選手達だけではなく、コート外の応援する仲間達にも見えた。大阪の選手達は峰兄弟への声援を強くする。逆に、武達は応援はそこそこに静まる。吉田の上がってきた集中力を邪魔しないようにと誰もが自然と口を噤んでいった。
 吉田は一息吐くと「一本!」と吼えてシャトルを構える。いつもはとっくに構えている健吾が遅れてラケットを掲げると、体が迎撃に固まった瞬間を見逃さずに吉田はシャトルをロングサーブで打ち出した。大樹が見せた仰け反りを今度は健吾が見せる。右腕の力だけでシャトルを相手コートに叩きつける。だが、まっすぐに飛んだシャトルの軌道は吉田が既に侵食していて、ふわりとネットへと送っていった。シャトルコックが白帯に当たり、またネットすれすれに落ちて行く。シャトルがコートについて審判が五点目を告げると、健吾はタイムをかけてコートの外に歩き出て、脇に置いたラケットバッグからタオルを取り出して顔を拭く。その間に相手の監督が健吾へと何かを言っているのが見えた。

(なるほどな。シンプルだけど思いつかないアドバイスの仕方だ)

 吉田は大樹が返してきたシャトルを持って羽を整える。その間に中断していた安西のシャトルの打ち回しについて考えてみた。安西が打っているのはドロップ。しかも、相手が前にいるというのに打たれることを恐れずに落としている。シャトルが全くネットから浮かなくても、待ち伏せされれば打たれてしまう。ネットギリギリということで強打はできないかもしれないが、上手いプレイヤーは一瞬の手首の動きだけでも強力なショットが打てる。

(それでも、通じてる。あいつらにとって窮屈だからだ)

 吉田も経験がある。けして追い詰められているわけではないが、自分の思い描いた通りにならないと、シャトルを打つことが窮屈になる。四肢が床から伸びたゴム紐に引っ張られているような感覚に陥るのだ。
 安西は峰兄弟が伸び伸びと打てないような場所へとシャトルを打ち込んでいる。彼らの武器は天衣無縫なローテーション。基本の動きが体に染みついているものほど翻弄されてしまう。第一ゲームの吉田のように。
 しかし、安西が打つシャトルには峰兄弟の動きを制限する効果があった。いくら自由に動くといっても、どうしても最初は基礎的な動きとなる。逆に言うと、峯兄弟のローテーションは彼ら自身の感覚に従っているだけで、彼らの中では体系が作られている。それが傍から見て規則正しく見えないだけなのだ。最初の数回のラリーで決められれば、奔放な動きは封じ込められる。安西は見事にそれを成し遂げていた。

「どうやって気づいたんだ? 安西」
「何のことだ?」

 健吾が戻ってくる間に、安西のラリーの秘密について聞きたかった吉田は近くに寄って問いかける。吉田は安西のショットの秘密について口にしようとしたが、先に健吾がコートへと戻ってくる。アドバイスをもらって何かを変えるつもりか、連続得点にどこか薄まってしまった闘志がまた高まっていた。

「お前のショットの秘密はあとで教えてもらうさ。一本行こう」
「……おう」

 安西のはっきりとしない答えに首をかしげつつ、吉田はサーブ位置につく。大樹は健吾に耳打ちされて作戦を聞いてたようだった。顔に笑みを浮かべてラケットを掲げる姿は打開策を思いついたということだろう。吉田は今までよりも更に慎重にシャトルを構えて、ショートサーブを放った。

「うらあぁああ!」

 渾身の踏み込みで大樹は右足でコートをえぐるように踏みこむ。それでいてシャトルにはほぼ中空で止めたままラケットを触れさせ、勢いだけでシャトルを運ぶ。吉田は即座にラケットを伸ばしてヘアピンを打った。ストレートヘアピンで相手コートに運んだシャトルに飛び付いたのは大樹ではなく、健吾。また吉田の脳裏にノイズが入る。
 しかし、第一ゲームに比べてかなり小さなノイズだ。

(これは――)

 健吾が打ったクロスヘアピンに対して足が自然に動く。ラケットをバックハンドで突き出して、シャトルがネットを越えた瞬間に手首の返しで叩き落とす。ラケットヘッドがネットに触れないように上空にスライスさせるようにすると、急角度な上に速度をある程度保ったまま打ち落とせた。

「ポイント! シックスラブ(6対0)」

 無傷の得点に、コートを覆う空気にヒビが入ったように吉田には思える。峰兄弟のコートが、何かが崩壊していくかのような音が聞こえた気がした。

 得点は6対0。吉田と安西のリードで第二ゲームは中盤に差し掛かろうとしていた。
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