Fly Up! 290

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 時間は少し遡り、安西と吉田は試合が始まる直前に基礎打ちを終わらせて、一か所にかたまっていた。既に峯兄弟も準備運動を終えてきていたのか、顔にうっすらと汗が滲んでいる。
 藤田がそれまで試合をしていたコートに集まる四人。応援は女子がそのまま引き継ぎ、男子はまだ続いている岩代の試合を引き続き応援していた。

「岩代に負けてられないからな。勝つぞ」

 安西の言葉に吉田は頷くが、内心ではそう簡単にいかないことは分かっていた。おそらくは安西も肌で感じているのだろう。だから、自分に気合を入れるために今のように口に出している。
 闘志を発揮して、最初からフルスロットルでいかなければ今回の相手は厳しいと。

(正直な話。いままで全国でもそこまで脅威って思える相手はいなかった。運が良かったのかもしれない。武がパートナーだったからかもしれない。でも……)

 審判が試合の開始を告げたことで吉田は安西と共に前に踏み出す。ネット前に近づくと共に、目の前に立つ男達が更に身長を伸ばしたかのように錯覚する。自分達よりも背が高く、体も筋肉質な二人。まるで筋肉の壁が迫ってくるように吉田には思える。
 鍛えられた肉体から発せられる気合とプレッシャー。まだ試合は始まってもいないのに、峯兄弟は圧倒的な存在感で吉田達を飲み込んでいく。

「よろしく!」

 弟の大樹のほうが腕を先に伸ばして声を出す。鼓膜を震わされて正気に戻った吉田は慌ててその手を握る。隣では安西が兄である健吾の手を同じように握っていた。そこからじゃんけんは吉田が行い、勝ってサーブ権を取る。相手は特にコート変更を申し込みはせず、移動はないまま試合が開始されることになった。

「ファーストゲーム、ラブオールプレイ!」
『お願いします!』

 四人が同時に叫び、コートに小さな爆発が起こる。互いにぶつけ合う闘志が中空で破裂したと、四人共錯覚するほどの気迫。吉田は一度気持ちの高ぶりをリセットするために深呼吸をした上で、バックハンドでシャトルを打つ体勢を取る。

(そう。運が良かったんだ、今までは。峰兄弟は間違いなく、全国でも相当なレベル。初めての、全国でも上位レベルのダブルスとの対決)

 吹きつけるプレッシャーの風の中、吉田は一筋の道を見つけてゆっくりとシャトルを打った。
 綺麗な弧を描いて進むシャトル。白帯の上をギリギリ通るシャトルに対して、健吾はラケットを立ててスライスさせて返した。クロスに切れて落ちて行くシャトルを吉田も更にクロスで打って右端を狙う。ヘアピンを打って中央に移動した健吾はシャトルを追って更に先へと移動してラケットを伸ばす。

「ちっ!」

 際どい軌道に崩れた体勢。健吾は体勢を整えようとしたのかスナップを利かせてシャトルを打ち上げた。

「はっ!」

 そこに声とラケットを被せたのは吉田。シャトルは吉田の制空権に入った瞬間に打ち落とされ、峯兄弟の間に打ちつけられた。
 シャトルを打ち上げた健吾も、後ろで身構えていた大樹も一歩も動けずに顔を歪めている。全く動けなかった自分達に驚愕しているように吉田には見えた。自分達ならどんなシャトルにでも反応できると考えていたのかもしれない。だが、吉田は一つ息を吐いて呟く。

「お前らが全国レベルなら、最初からテンションが上がる」

 自分の中に湧き上がってくる高揚感。それは武と共に橘兄弟と戦った時に感じたものと同じだった。全道で戦った全国クラスのダブルス。間違いなく全国でも通用する実力者と戦った経験が吉田の中から一気に力を引き出している。全道予選から今まで、ダブルスではほとんど自分達と同じか少し下の実力を持つペアと戦っていたが、ここにきてダブルスとしての実力は自分達よりも上のダブルスと当たる。だが、吉田には勝つためのビジョンが見えていた。
 吉田は峯兄弟に背を向けてサーブ位置に戻ると、安西に向けて告げる。

「安西。俺にしっかりついてきてくれ。てか、追い越してくれ」
「……当たり前だろうが」

 審判が得点を告げ、大樹がシャトルを吉田へと渡す。場所を移動して今度は大樹へとサーブ体勢を取り、大樹は大きな体を更に上に伸ばすように背中を伸ばして身構えた。得点は1対0。まだ一点だが、その一点は吉田の実力を相手に示すには十分だったらしい。それまではただ圧倒的なプレッシャーを与えるだけの発散だが、今の二人は鋭い視線を吉田に向けている。

(見える。力の流れ。反応も良くなってる。あとは、安西か)

 吉田は一度考えるのを止めてシャトルを打つ。
 ショートサーブがまた浮かないまま峯兄弟のコートに入る。大樹は先ほどのヘアピンを見たからか、十分ヘアピンを打てる体勢だったにもかかわらずロブを上げる。吉田は一瞬だけ前に踏み込んで大樹を威嚇したあとにコート前衛をカバーするために前衛中央へと腰を落とす。後ろからの強烈なスマッシュを相手が打ち返せばその軌道にラケットを置くだけで十分決め球を打てる。

「はあっ!」

 後ろから気合の乗った安西の声。一瞬遅れてスマッシュが吉田の視界の横を過ぎる。だが、大樹はバックハンドでしっかりとシャトルを捕えてロブを飛ばした。返されたシャトルに対してまたスマッシュを打つ安西。今度は健吾の真正面へとシャトルは突き進むが、奥へしっかりとシャトルを飛ばされてしまう。
 四度、五度と繰り返した後に限界に達したのか六回目のショットはスマッシュではなくドロップだった。だが、追い詰められた時のドロップほど死んだ球はなく、前に詰めた健吾がプッシュを打ち込んでコートにシャトルを沈められてしまった。ちょうど安西の目の前に転がるシャトル。前で構えたまま後ろを見る吉田。その構図は先ほどの峰兄弟とほぼ同じだった。

「悪い」

 安西は謝ってシャトルを拾い、羽を整えると健吾へと返す。吉田は、レシーブするために位置について構える安西の姿を見ながら先ほど考えかけたことがまた頭をよぎる。

(安西が、武のレベルにいけるかってことだ)

 そこまで考えて吉田は頭を振った。武のスマッシュならばあそこまで完璧には捕えられず、レシーブにも隙が生まれただろう。吉田ならばその隙を狙ってシャトルを打ち込める。そうして次のサーブへと移行する。
 武とならばどう試合を展開するかと考えていた自分に気付き、吉田は考えをまたリセットする。今は安西とのダブルス。二人でのベストの攻め方を考えなければいけない。

「悪い。吉田」
「いや、俺も悪かった」
「?」

 不思議そうに見てくる安西にレシーブに集中するように言うと、吉田は安西が構えるところよりも後ろに移動する。頭の中ではどうやって攻撃を組み立てるかを考えていた。普段ならば武の攻撃力に任せて自分は前に集中するところだが、安西は全体的にレベルは高いが攻撃力は劣る。全ての技術に穴がないが突出したものもない。バドミントンは相手の隙を突くスポーツの側面が強いために不得意なショットがないほうが良く、その意味では安西は理想のプレイヤーに近い。
 だが、その高いレベルよりも相手のレベルが上回っている場合に勝つ道が辿りづらい。

(どちらが攻めという考え方はしないほうがいいかもな)

 武と吉田のペアでも最後には互いの位置を逆にして戦えた。高いレベルに行けば前衛型と後衛型の垣根など関係なく、ローテーションで切り替えて行くのだから。安西のように高いレベルでまとまったプレイヤーには一つの分野を任せない方がいかもしれない。
 練習でも何度か組んで試合をした経験を思い出し、吉田安西ペアの理想の攻め方を構築していく。

「一本!」
「ストップ!」

 健吾のショートサーブに対して安西はストレートにヘアピンを打つ。吉田から見ても驚くほどに正確なヘアピン。相手のサーブも全く浮かない綺麗なものだったが、厳しいコースに放たれたシャトルを同じく浮かせないまま返した。ショートサーブと共に前に出た健吾も想像を超えたヘアピンだったのか悔しそうに顔を歪ませながらロブを上げた。

「ナイスヘアピン!」

 吉田は思わず叫んでシャトルを追い、下に入る。落下点より少し後ろから跳躍してのジャンピングスマッシュ。
 武には劣るが鋭く切れ込んでいくスマッシュは仲間達からは剃刀と呼ばれるもの。シャトルを受けることになった大樹は自分の顔に迫ったシャトルをバックハンドでドライブで打ち返す。高く鋭く前の方へと切れ込んでくると思っていたのか、飛距離を長くして自分の顔まで飛んでくるスマッシュに反応が一瞬遅れたために苦し紛れに打ったドライブ。そして、ドライブに対して安西もラケットを伸ばして当てていた。ネット前で返したシャトルは峯のコートへと落ちて行く。

「しゃ――」
「甘い!」

 気合の咆哮を上げようとした安西の前に、一瞬にして現れたのは健吾だった。それまでいたコートの左半分中央から、斜めに一気に横断してきたのだ。突風のように現れた相手に対して安西は顔を歪め、そのすぐ傍をふわりとシャトルが通っていく。
 安西自身が壁となり、吉田も取ればラケットで安西を叩いてしまう。そんな絶妙な軌道に乗ってシャトルは安西のすぐ傍へと落ちていた。

「ポイント。ワンオール(1対1)」
「おぉおおおあああ!」

 健吾は後ろを向いて大樹と左手を思いきり打ち合わせる。乗せた気合に便乗して応援する大阪チームの面々。その数は試合をしていない選手全員。岩代のコートを見ると、すでに誰もシングルスのほうを応援してはいなかった。
 得点を見ると一気に差が付いていて、岩代も動きが鈍い。体力切れの兆候が見えた。

(岩代はもう勝てないと見て、こっちの応援に来たのか)

 すぐに視線を峰兄弟に戻し、次に安西を見る。自分の失態に気づいて右ふくらはぎにラケット面を二発ぶつけてからシャトルを拾って健吾へと返す。1対1のために今度は吉田へとサーブを打つことになるり、安西は場所を移動して吉田に場所を譲る。

「すまん。落ちると思って油断した」
「安西。お前のレベルは負けてない。負けてるのは、そこだよ」
「……どういうことだ?」

 詳しく説明する暇は今はない。このラリーが終わったら言うと告げて吉田はサーブ位置についた。安西は何も答えずに吉田の後ろへとついた。背中に安西の存在を感じながら、吉田は前を見る。
 自分を後ろに押しやろうとする健吾の圧力。そして後ろから吉田を支えようとしている安西の気配が届く。

(安西の、ダブルスの特性、か)

 思い当たることがあり、吉田は次のラリーが終わったところで伝えようと決める。思考が健吾からずれた瞬間に気づいたのか、鋭いロングサーブでシャトルが宙を舞っていた。吉田は慌てて背筋をのけぞらせてハイクリアを打ち上げる。転びそうになる体を支えて体勢を立て直した頃には後ろに移動した大樹が大砲のような音をたててスマッシュを打ち込んできた。

「うわっ!?」

 立てなおしたとはいえ体はまだしも心は完全に立て直していない。しかも眼前に向かって来るシャトルに完全に体が委縮していた。吉田はラケットを動かそうとしたが横から飛び込んでくる影が視界に見えて、強引に動きを止める。

「はっ!」

 安西がシャトルをインターセプトし、ネット前に落とす。そのまま前に入り、ラケットを掲げて次に打つ相手のシャトルコースを減らそうとする。狙う相手は勿論、前に出てくる健吾――のはずだった。

(何!?)

 だが、そこで前に飛び出して来たのは、シャトルを打った大樹だった。スマッシュを打った勢いを使って前に出たのか、飛びこんでくる勢いは十分。むしろネットにぶつかるのではないかというほどに速度と勢いを保ったままだ。叫び声を上げながらラケットを振り上げ、安西が打ったシャトルがネットを越えた瞬間にラケットを叩きつけた。
 強い音をたててシャトルがコートへ突き刺さる。次に響いたのは重い爆発音らしき音。視線を向けると大樹が右足を踏み込んで体をネットにぎりぎり当たらない位置で支えていた。床を踏み抜かんとするほどの力強さで、右足一本で体を支えたことに吉田は背筋に悪寒が走る。

(こいつら……刈田みたいなやつだな)

 刈田は自分のパワーで自分独特のラケットスイングをしている。正しいフォームは力の伝達を良くして、速く正確なショットを打てるようになるものだ。だが、刈田は力で強引に速く、遠くへとシャトルを飛ばしている。

(フットワークもそれでやってるってか)

 多少の不利はパワーで強引にひっくり返す峯兄弟の姿に、全道大会時に小島と刈田の試合を見ていた時にも感じていたものが浮かび上がる。生半可な戦略は力によって潰され、あるいは返される。
 必要なのは意識の全てを相手に集中し、容赦ない攻撃をすること。厳しいコースを打ち続け、力だけではどうしようもないところまで追い込んでからシャトルを叩きこむ。
 自分と安西にそれができるかと考えたところで吉田は頭を振った。

(できるかじゃない。やるしかない)

 峯兄弟の体はほぼ同じように鍛えられている。おそらくは弱点は見当たらない。肉体のポテンシャルは明らかに向こうのほうが上。そして土台がしっかりしていると全てのショットの精度が高い。その基礎の上に力での強引な動きを積み上げている。
 そして、峯兄弟の脅威以上に、吉田はさっきから頭の中にノイズが入ってきているのが気になっていた。

(何か、いつも通りじゃない感覚……なんだと思ったけど、分かった)

 安西がシャトルを拾って健吾に返したところで、吉田は傍によって声をかける。相手に聞こえないように、囁く。

「あいつらのフットワーク。想像以上にバラバラかもしれない」
「それは俺も思ってたよ。スマッシュ打ったやつが前に出るとか非効率だろ」

 吉田の脳裏に走るノイズ。それは峯兄弟のローテーションにあった。ダブルスは二人の選手がコートにいるためにシャトルをどちらか打つか。打った後にどうフォーメーションを取るかということについてはある程度一定の決まりごとが存在する。それは先人が培ったノウハウを凝縮したもので、今でも世界の一般常識としてある。
 例をあげると、ネット前にシャトルを打った選手が前に行き、打っていない選手が後ろにまわることで縦に並ぶ。ロブをどちらかが打てば、並行に並んで防御の陣形を取る、というように打つショットによってフォーメーションは随時流れるように変わっていく。無論例外は多数あるが、その例外もほとんどは基本の流れから逸脱はせずに、何かしら基本ルールの変換による。
 だが、峰兄弟のローテーションは吉田と安西が把握できるローテーションからは逸脱していた。具体的に何かと説明はできないが、今までの経験から体に染みついたダブルスのローテーションの意識が、逆に峰兄弟の動きの把握に制限をかけている。

「とにかく。動きに惑わされないようにするしかないな」
「やってみる」

 吉田はレシーブ位置につき、安西も後ろで腰を落とす。安西に惑わされないようにとは言ったが、一番可能性があるのは自分だと思っていた。

(橘兄弟は基本に忠実なローテーションを双子特有のタイミングで完ぺきにこなしてた。峯兄弟は逆に双子特有のタイミングで、全く基本を無視した形になってる)

 相手の動きが全く読めない。バドミントンは読みの速さも重要な要素であり、相手が打つ時の動きもそうだが、どう移動していくかというのも計算に入る。だが、今のところ動きの流れが読めない。

(ほんと、全国にはいろいろいるな……)

 同じ双子でも橘兄弟とは全く異質なダブルス。吉田は鋭く視線を健吾に向けて「ストップ!」と吼えた。
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