Fly Up! 285

モドル | ススム | モクジ
 体育館の外に出た安西は外の空気を思いきり吸ってから唸り、体を大の字にして伸ばした。
 三月の最終週というだけあって、気温はもう北海道では四月の半ばくらいまでの高さまで上がっている。北海道ではまだ雪が残り、肌寒さを感じる時期だが東京では風が少し冷たいくらいだった。今日はまだ試合をしていないが、体育館の中で火照った体を冷やすには十分な気温だ。

(小島の手前、ああ言ったものの。厳しいよな)

 安西はため息をつきながら、体育館の周りを歩き始める。自分の中に生まれた気合は錯覚ではない。しかし、気合が入るだけならば良いが、そこから焦りや気負いなどマイナスの要素までついてきてしまうのはいけない。体育館の中にいると他の試合や選手の熱気にあてられてしまうと考えた安西はできるだけ外にいることにした。
 ただ外にいるだけだと退屈になるだろうと、体を軽く暖めることも踏まえて早足で体育館の壁に沿って歩きだす。

(そういえば、岩代も外に出てった気がしたが……)

 安西は外に出る前にトイレに向かった。その時、玄関のところに岩代がいるのを見かけたのだ。トイレから戻ってきた時には既に姿はなく、念のために靴を入れる場所を覗いてみても見なれた岩代の外靴はなかった。岩代も外に出たのかと周りを見回してみても、姿は見えない。コンビニに買い物に行ったのかもしれないと結論づけて、安西は先に進む。
 考えていたのは吉田とのダブルスのことだった。今はチームでもこの大会が終わればまたライバル関係に戻る。その時を考えると、できればダブルスは岩代と組んで出場したかった。だが、吉田コーチが決勝トーナメントで戦うには吉田と安西を組ませたほうがいいという判断をした結果のオーダー。即ち、今の安西と岩代というペアには戦える力がないという結論に至ったということかもしれない。
 それまでのパートナーとのコンビネーションよりも、即席の吉田と安西のほうが力を発揮できるという結論。それに対して今更文句はない。ただ、残念だっただけだ。

(仕方がない。俺は俺で、吉田からも相手からもいろいろと盗んで、この試合でレベルアップしてやる)

 小島や姫川。そして武。沖縄との試合でレベルアップしたように見えた三人。これまでにない強い相手と戦うことで、地力がアップする。練習で本来ならば徐々に培っていくものが、一つの試合で成長を塞いでいた蓋が開いたかの様に、試合前と後では見違えるほど強くなる。小島達がそうならば、自分もそうありたい。安西はそう思ってまた気合いが入りすぎる頭を軽く叩いてクールダウンさせた。しかし、次の瞬間、違う意味で頭に血が昇る。

(あれ、は)

 真正面に見えたのは、自分に向けて歩いてくる男。その目はしっかりと安西を見ていた。正確には、安西の動きだろうが。

「いわ、しろ」
「安西。いたのか」

 岩代は早足で安西の元へと駆け寄った。
 安西は最初は呆気にとられたが、後に苦笑する。岩代は自分と同じように、リフレッシュしようと外に出てから体育館の外周を回っていたのだ。しかも、安西のルートとは逆方向から。思考が似たり寄ったりなところに面白さを感じて、安西は笑う。そのことに駆け寄ってきた岩代がどうしたのかと尋ねてきた。

「どうした? 何かおかしいか」
「いや。なんか考えること一緒だなって思ってさ」
「じゃあ、お前もリフレッシュしに外に出てきたのか」

 岩代の言葉に頷くと、岩代もまた笑う。それだけで自分の中にある緊張がほぐれて行くとでも言うように、岩代の表情は穏やかになっていった。岩代のほうが自分よりも緊張しているのだと安西は改めて思う。
 自分とは違いシングルス。しかも、言葉はオブラートに包まれていたがようは捨て駒として配置される。戦略的なことについては何も異論はなく、岩代も同じ気持ちのはずだ。だが、自分は勝つ見込みはほとんどない、と思われているというのはどうしても慣れない。逆に、慣れてしまうことは危険だと安西は思っていた。

「俺もお前も、なかなかダブルスだと縁がないよな」
「このチームじゃ、相沢と吉田がエースダブルスなのは仕方がないさ。実績があるしな」
「そう。なんだよな」
「どうした?」

 岩代の問いかけには答えない。安西の頭によぎったのは全道大会でのこと。圧倒的な力で、踏みつぶされた記憶。

「俺達はジュニア大会で橘兄弟に手も足も出なかった。そいつらに勝った相沢と吉田は本当に凄い、と思った。で、奴らに負けたくない。追いつきたいって思って、頑張ってきた」
「ああ。学年別だと対戦は実現しなかったけどな」

 武達は自分達の目的から、学年別は別の組み合わせで参加した。安西と岩代にとっては直近のリベンジのチャンスがなくなり、あとは三年生のインターミドルしかない。

「でもさ、ぶっちゃけた話。俺はまだあいつらに届いていない」
「俺はっていうか、俺らな」

 安西の言葉を訂正する岩代。肯定するのに頷いて、安西は先を続けた。

「あいつらは。橘兄弟達との戦いで化けた。この大会の北海道予選も、全国でも。あいつらは試合をするたびに何かしら成長してるんだ。その分、俺らは差をつけられてるだろう」
「そうだな」
「だから、今回の吉田と組んでの試合は、チャンスなんだ。あいつらに追いつくための」

 安西は体育館の壁に寄りかかり、右拳を左手で握る。震えだした右手を、しっかりと支えるように。

「口ではああ言ったけど、かなり自信ない。あいつらの成長度は半端ない。吉田は分からなくはないけど……」
「相沢、だろ。あいつはここにきてどんどん伸びてる。姫川もだけど」

 岩代の補足に頷く。
 南北海道チームの中では今や、武と姫川は一番成長している。このまま勝ち進んで成長していけば、間違いなく優勝の切り札になると思えるほどに。ならば、ほんのひと月後とはいえ、中学三年のインターミドルの時にどうなるのか。安西は武の成長により吉田とのダブルスとの差が途方もなく広がってしまうのではないかという不安に怯えていた。
 岩代はしばらく黙っていたが、やがて安西の肩に手を置いた。そして軽く拳で叩く。その動作の意味を理解しかねて安西は岩代の顔を見た。そこには憮然とした顔があり、安西に対して呆れているように見えた。

「安西。お前、キャラじゃないぞ。そんな未来のこととか、今は関係ないだろ」
「関係ないって……」
「今の俺達は南北海道代表なんだ。そこでお前と吉田でダブルスを組む。あとは、勝つだけだ。それだけ考えろよ」

 岩代はそう言って安西から離れて歩きだす。その背中を追おうとした安西だが、顔だけ振り向いた岩代に制される。

「俺は、俺がシングルスでどうやって勝つかだけ考える。今の俺は明光中男子バドミントン部二年の岩代じゃなくて、南北海道代表の岩代だからな」

 岩代の言葉に安西が固まる。だが、視線をそらしたのは岩代だった。そこから早足で離れて行くのを見て、安西は岩代が照れているのだと悟る。自分に向けて「らしくない」という発言をしていたが、その後に自分らしくない発言をしたことで、岩代もまた緊張しているのだということを分からせてしまった。だが、互いに緊張しているからこそ、この場所にいて、人目につかないようにしていた。結局は、思考回路も似た者同士なのだ。

(そうだな。先のこと、考えすぎか)

 吉田達に勝ちたいという思いも、まずはこの場で吉田と共にダブルスに勝つ。対戦相手は大阪の峰兄弟。橘兄弟といったいどう違うのか。どんな戦術で来るのか。分からないまでも予想はできる。橘兄弟並の力を持っているとするならば、なすすべ無くやられた記憶を呼び起こし、絶望するのではなくて勝つためのイメージを生み出すだけ。

「なんのためにあんだけボロ負けしたんだ。まずは、今、勝つためだ」
「そうだってな」

 安西は歩きながら思考を回転させた。自分の勝利のために。

 ◇ ◆ ◇

 自動販売機からペットボトルを取り出して、藤田は口をつける。さっきから喉が渇き、喉を潤しているのだが、一本分を飲みきってもまだ足りない。もう一本飲もうと財布から小銭を出そうとしたところで、背中から声がかかった。

「そんなにたくさん飲むとお腹壊すよ。試合前に」
「清水……」

 藤田は後ろを振り返り、きょとんとしている清水の顔を見る。対して自分の顔は焦りで引きつっているのだろうと思い、覆い隠したくなる。清水は藤田が何に苦しんでいるのか何となく察したのか、ひとまず自動販売機から離れようと手を引っ張った。逆らうことなく藤田は清水の後ろについて行く。やがて共有スペースに備え付けてあるベンチに腰をおろした。

「どうしたの? そんな飲んで」
「緊張、してるんだと思う。喉、乾いちゃって」

 藤田は唾を飲み込みながら答える。自分でもペットボトルのガブ飲みはいけないと分かっているからこそ何とか耐えられる。ここで飲んでしまって試合の時に腹痛を起こしたら目も当てられない。シングルスで負けるとしても試合に出て負けたい。不戦敗で負けることはいくら折れるようなプライドがないと思っている藤田でも耐えられない。

「緊張……してるんだ」
「そりゃ、そうでしょ。全国でシングルスだよ? いくら捨て駒だからって」

 自分で捨て駒と言うと胸が痛む。戦略は受け入れているし、自分ではシングルスは勝てないとも分かっている。そもそもミックスダブルス要員として来たのだから、ここでシングルスに抜擢されること自体が誤りなのだ。そう思うことで精神の安定を保つ。清水はため息をついて藤田へと言った。

「言葉と行動があってないよ。そう思ってるならどーんとぶつかって、砕けてくればいいじゃない」
「そうなんだけどさぁ」

 自分が煮え切らない理由は分かっていた。捨て駒と言われようとも、やはり勝ちたい。小島や姫川。武や吉田のような試合をして、熱く燃えたい。そこまでバドミントンが好きというわけでもなかったはずなのに、こうやって試合に出ることができて、強敵に勝ちたいと願う自分がいる。

「私がさ、こうやって全国の舞台に出られるのって、多分、本当に、運が良かったと思うのよ。普通なら絶対にこれない。三年生で、インターミドルに出ることになった時には、絶対にここまでこれてないよ。だから、一回くらい全力で勝利を味わいたいって思っちゃって」
「そっかぁ。でも、それで焦ったり緊張しても仕方がないよ。負ける時は、負けるんだから」

 あっさりと言う清水に自然と視線がきつくなる。試合に出ないから、とは言えなかった。立場が違えば自分が出ないのだから。自分達はあくまで相沢や他の男子とのミックスダブルスに期待されてきたのだから、それ以外の使われ方は基本的に捨て駒。あとは、女子ダブルスでの起用だろう。そこの勝率はまだあるかもしれないが、どちらにせよ自分達単体の力はあまり求められていない。

「あんまり自分を卑下しない方がいいよ。私達は、このチームに選ばれてるんだから」

 藤田の心を読んだように、清水は言う。言い返そうとした藤田よりも先に、清水は口を開いた。

「私達は確かに個人の実力で選ばれてるわけじゃないけど、早坂や瀬名、姫川をサポートするために選ばれたようなもんなんだから。シングルスに出るのも立派なサポートだよ」
「清水は、それでいいの?」
「いいわけないけど、今、嫌だって思ったらなんとかなるわけないし」

 清水の言葉はあまりに的確で藤田は反論する気をなくした。元々反論の余地などないのだ。清水の言うことは正しく、藤田は分かっていても割りきれなかっただけ。同じ立場の清水がこうして自分のことを受け入れてチームのために頑張ろうとしているならば、自分も応えなければいけない。

「分かったわよ。私がなんかいらついてただけ。さっぱりしたわ」
「役に立ててよかったよかった」

 清水は立ち上がって藤田に向けて手を伸ばす。その手をしっかりと掴んで立ちあがった藤田は、何かを言いたそうに視線を向けてくる清水に首をかしげる。

「何?」

 自分に対して質問することを求めているのだろうと、清水の流れに乗る。対して清水は一瞬だけ口の中で言葉を飲み込んだあと、呟くように言った。

「多分、まだ私達は役立つことがあると思うよ」
「それってどういうこと?」
「ちょっと、考えてみたんだけど――」

 清水は自分が考えたことを藤田へと伝える。周りに多少人がいたために、耳元に口を持っていってひそひそ話をするように。徐々に藤田の顔はひきつっていって、汗まで噴き出してきた。耳元から清水の口が離れたところで藤田は肩を落としながら口にする。

「もしその通りになったら、私達やばくない?」
「うん。でもあるかもしれないし。なら、藤田も試合出られる時になにかレベルアップできるように考えた方がいいかもね」

 藤田は清水の考えを頭の中に展開し、その流れに青ざめる。もしも考え通りに行ったならば、自分はサポートならぬ主役になるではないか。おそらく可能性はほとんどないだろうが、今回の起用も可能性がない中でのものだったのだ。可能性が低いものはすべて可能性があると捉えてもいいかもしれない。

「でも、そうなったとしたら」
「最高に燃えるけどね。大変だけど」

 清水の言葉にある熱さに藤田はほっとする。清水も達観しているわけではなく、胸の内には代表に選ばれたからには活躍したいという思いもあると分かったからだ。それだけで藤田はほっとする。他のメンバーと実力に開きがあるからこそ、せめて心だけは一緒になりたかった。

「未来のことを考えるのはしびれるけど……今は、目の前のことか」
「そうだね。まずは思いきりぶつかって、砕けてきてね」

 清水の物言いに藤田はぶすっとするが、それが藤田の緊張を少しでもほぐそうとする清水の気づかいと言うことは分かっていた。静かに頷いて、藤田は一つ背伸びをする。

「よっし。じゃあ、ここでいいから軽く体動かしたいんで、ドライブ相手よろしくしてね」
「うん」

 清水と共にラケットを取りに行く間に、藤田は覚悟を決める。自分に与えられた役割をしっかりと果たす覚悟を。

 沖縄との戦いは終わり、それぞれの休息を経て、試合は今日の最終試合へと進んでいく。
 ベスト4をかけた大阪チームとの試合が、始まる。
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